しずてつジャストライン とは?ページ内リンク ↓ウィキペディア(Wikipedia)記事 ↓Yahoo!知恵袋しずてつジャストラインは、静岡県中部地区を中心に路線バス、貸切バス事業などを営むバス会社。静岡鉄道グループ。本社所在地は静岡県静岡市葵区宮前町28番地。 出典: 『ウィキペディア(Wikipedia)』 ウィキペディア(Wikipedia)記事
しずてつジャストラインは、静岡県中部地区を中心に路線バス、貸切バス事業などを営むバス会社。静岡鉄道グループ。本社所在地は静岡県静岡市葵区宮前町28番地。 グループスローガンは「時の間、空の間、人の間を満たす企業 しずてつジャストライン」。
沿革本節では、静岡鉄道バス時代および、さらにその前史についても記述する。また、本節では単に「静鉄バス」と表記した場合は、静岡鉄道バスおよびしずてつジャストラインをさすものとする。 創業期2008年現在の静鉄バスの営業エリアにおけるバス事業は、1906年に静岡と江尻(清水)を結ぶ東海自動車(1918年に成立した東海自動車とは別)によるものが端緒である。しかし、この路線は1908年に大日本軌道による鷹匠町と江尻新道を結ぶ軌道線が開通すると廃業となった(現在の静岡市に於ける市内交通は現在の静岡鉄道静岡清水線に引き継いでいる)。このほか、1915年から1920年にかけて、静岡・清水・藤枝・菊川などで小規模なバス事業が開始されている。静岡市内で宮寺商会が開業した1922年頃からは利用者も増加、1926年までに数社が静岡市内で設立されたほか、藤枝・焼津・榛原地区でもバス事業が開始されている。 しかし、これらの路線バスは鉄道との競合となった。1919年に大日本軌道から軌道事業を引き継いだ駿遠電気は1923年に社名を静岡電気鉄道と改め、静岡市内・清水市内線や袋井と森を結ぶ秋葉線を開業するなど、鉄道事業を拡大していたが、それらの路線に並行する形で路線バスが運行されたため、鉄道からバスへの乗客の転移もみられた。自社鉄道防衛の見地からバス事業に進出しようとしたが、既に既存路線がある場合は運行の許可を得ることは出来なかった。このため、静岡電気鉄道では秋葉線の培養としてタクシーの営業を開始した後、1928年に袋井と可睡を結ぶ季節運行のバス路線を開設した。これが静鉄バスの直接のルーツとなる路線である。その後、1929年に宮寺自動車商会と森久自動車商会を買収し、静岡・清水近辺のバス路線を自社路線としたことで、本格的にバス事業に参入した。 一方、当時藤枝と相良を結んでいた藤相鉄道も、自社鉄道線擁護のためバス事業を開始することになり、1924年に藤枝自動車商会を買収したほか、袋井と横須賀を結んだ中遠鉄道も同様の理由でバス事業に参入し、袋井と池新田を結ぶ路線バスの運行を開始した。 自主統合から戦時統合へこの時期、小規模なバス事業者同士の競合による疲弊が顕在化し、事業者の経営を圧迫したため、次第に有力事業者への統合が進むことになる。静岡電気鉄道は1932年に西駿自動車商会を買収したのを皮切りに、沿線の各事業者の買収を進めた。秋葉線と競合していた秋葉自動車紹介も1935年に買収されている。藤相鉄道も1928年に川崎町の栄輪社を買収したのを初めとして、1935年までに沿線のバス事業者を買収し、自社のバス事業の拡張を行った。 一方で、路線の新設も行われた。静岡電気鉄道は1930年には静清国道の開通を受けて路線を開設、その後山間部への路線も新設したほか、観光路線として日本平線の運行も開始した。藤相鉄道も同様に事業を拡大していったが、岡部と藤枝を結ぶ路線の新設時には両社競願となったため、最終的には銀行の仲介で、1935年に共同出資の駿遠自動車を設立して運行を行っている。 静岡市内では1935年に静岡自動車が営業を開始し、静岡市内線を中心に運行を行ったが、1936年に静岡市議会でバス事業の市営化が提言されたのを受け、静岡市は静岡自動車の買収を図った。これに対して、静岡自動車では将来性のある藁科線を静岡交通自動車(設立当初は静岡遊覧運輸)として分社化した。しかし、折りしも戦時体制に突入したことから市営バス化の論議は低調となり、1937年に駿遠自動車が静岡自動車を買収することになり、同社は静岡乗合自動車と改称した。 戦時体制に入ると、各社とも不要不急路線の休止が行われるようになり、1941年には鉄道並行路線も休止されるようになった。1941年、静岡電気鉄道の社長に五島慶太が着任したが、五島は陸上交通事業統制法に従い静岡県中央部の交通を統制すべく、バス事業者の統合に向けて合併交渉に回るようになった。統合そのものは戦時下の国策でもあることから合併交渉は進み、1943年5月に静岡電気鉄道を主体として、藤相鉄道・中遠鉄道・静岡乗合自動車・静岡交通自動車が合併、社名も静岡鉄道に変更した。その後、バス専業事業者6社を1944年1月までに合併、静岡県中央部のバス事業は大井川鉄道の営業エリアが一部に残る以外は静岡鉄道に統一されたのである。 しかし、合併後の社内組織の整理の前に静岡市内に空襲などが続き、静岡鉄道は大きな被害を受けた。終戦の時点で稼動可能なのは電車7台とバス20台強という有様で終戦を迎えることになる。 戦後から高度成長期まで終戦後まもなく社長に就任した川井健太郎は、まず社内組織をまとめることから着手し、復興の基礎作りを優先した。郊外の営業所の車両を静岡市内に集めて静岡市内路線の運行を再開、1946年からは新車のみならず米軍払い下げの車両などを導入することで、輸送力の復旧に尽力した。1948年以降は増資のうえ新車の導入を拡大し、1949年までには路線・車両ともほぼ合併当時の状況へ復旧を果たした。1950年には静岡と相良を結ぶ直行便の運行を開始、既存路線の増強を行った。同年からは行楽客の増加傾向がみられたため、久能山と三保をめぐる定期観光バスの運行を開始した。 この頃から、静岡市の都市圏の拡大とともに周辺部の人口が急増したため、静岡市の郊外へ向かう路線の増強に着手した。また、長距離路線の展開もこの頃から始まり、1954年には山梨交通との相互乗り入れにより静岡と甲府を結ぶ急行バスの運行を開始した。さらに1956年には富士山麓電気鉄道との相互乗り入れで静岡と沼津を結ぶ路線を開設、さらに1963年には遠州鉄道・大井川鉄道との相互乗り入れにより静岡浜松線の運行を開始した。 この時期まで、静岡市内でのバス運行拠点は静岡駅であったが、1954年から駅前広場改修工事が開始されると手狭になった上、鷹匠町の鉄道駅を新静岡駅として大改良することになったため、新たに新静岡をバス運行拠点とすることになり、1956年に新静岡バスセンター(当時)の営業を開始し、静岡駅前は路上バス停となった。 1957年には静岡国体が行われたが、静鉄バスでは136台という当時としては大規模な車両増備を行い、国体輸送を完遂した。 この頃、静岡市では再び市営バス事業を画策、1956年に4路線の免許申請を行った。これは静鉄バスの空白地帯への路線ではあったが、静鉄バスでも同様の申請を行っていたことから競願となった。戦前に引き続き市営バスの運行が計画されたのは、この時の市長が戦時中に合併した5社のうちの1社で経営者を務めており、バス事業への意欲が強かったためとされている[1]。1957年までに公聴会も行われたが、静岡市の計画にやや無理があったこと、静岡国体の輸送を完遂した実績から、1958年に静岡市の申請は全て却下された。 モータリゼーションと高速道路時代一方、鉄軌道部門では市内線やローカル路線はモータリゼーションの進展と共にその存在意義が薄れてゆくことになった。1962年9月には静岡市内線と秋葉線が、1964年から1970年にかけては駿遠線が段階的に廃止された。いずれの路線も廃止後は静鉄バスが代替輸送を行うことになった。 静鉄バス自身もモータリゼーションの影響で利用者の増加が鈍化しつつあり、一方で経費の上昇が続いたことから、合理化が必要となった。このため、まずワンマン化を開始することになり、1962年11月から静岡市内の路線でワンマンバスの運行が開始された。この時に市内均一運賃が採用された。1967年からは前年に開発された整理券方式の採用により、郊外線でもワンマン化が進められることになり、さらに1975年には後方監視用カメラの採用に伴い誘導員なしでもバスを後退させることが可能になったため、1986年までにワンマン化はほぼ終了となった。1966年には新静岡バスセンターがターミナルビルの建設と同時に全面改良されることになり、1970年に完成、路線バスは全て新静岡を起終点とすることになった。 一方、1964年に東海道新幹線が開業すると、観光客の増加が見られるようになったため、日本平パークウェイを経由して静岡駅と日本平を直行する路線を開設、また御前崎への定期観光バスの運行も1968年に開始した。さらに1969年に東名高速道路が開通すると、高速道路を経由する路線バスも運行されるようになった。静鉄バスでは沿線事業者として東名急行バスに出資したほか、1969年には静岡浜松線を東名高速道路経由に変更、1970年には静岡沼津線と静岡御前崎線も東名高速道路経由に変更した。また、観光客の増加と高速道路の開通によって貸切バス需要が大幅に増加した上、1970年には大阪で万国博覧会が開催されたため、貸切バス部門は大きく収益を伸ばした。営業力の強化のため、1969年には静岡観光バスを設立している。 利用者減少とバス事業再編成1970年以降は、バス利用者は日本全国的に減少傾向となり、バス事業者の経営を圧迫していった。静鉄バスも例外ではなかったが、静岡・清水の都市機能が拡大していたことから、大幅な利用者減はみられず、むしろ路線の増強も行われていた。この頃から、サービス面についても充実を図る傾向となった。1975年には清水市内線が廃止になったが、代替路線ではバス優先レーンの整備が行われた。また、静岡市内のバス停で電照式のバス停ポールと上屋の設置を進めたほか、1977年からはバス車両の冷房化が開始された。冷房化については車両改造も含めて順次進められたが、静鉄バスの当時の車両使用年数が長い(約18年)ことから、完全冷房化は1993年にまでずれ込むことになる。また、イメージチェンジを図り、1980年より路線バス車両を白地に赤帯の塗装デザインに変更した。 1983年には静岡駅前広場が整備され、駅前バスターミナルも整備されたことから、再び静岡市内での経路変更が行われ、全路線が静岡駅と新静岡を経由するようになった他、市内線は静岡駅・新静岡を途中停留所とする路線体系に変更された。1987年にはバスロケーションシステムを導入、さらに1987年には一部路線で都市新バスシステムが導入された。1990年にはバス停留所近くに駐輪場を設置する「サイクル&バスライド」を導入した他、1994年には鉄道との共通カードとしてパサールカードを導入した。 貸切バスについては、1990年に営業形態の異なる中小型バスについては静鉄小型バスとして分離したほか、1981年より傘下に入っていた清水交通と静岡観光バスを2000年に合併の上、しずてつジョイステップバスを設立した。 一方、長距離路線は順次縮小された。甲府線は山梨交通が撤退したあとも運行が続けられ、1988年にはNHK大河ドラマ「武田信玄」放送にあわせて増発もされたが、1990年に廃止された。高速道路経由の東名静岡浜松線も1994年に廃止され、このあとしばらくは御前崎方面以外の高速バス展開は途絶えることになる。 また、ローカル路線対策として、末端区間を貸切代替バスへ切り替える方策を採ったほか、1988年に掛川地区での大井川鉄道バスの撤退の受け皿として掛川バスサービスを設立した。1996年には秋葉地区の静鉄バス路線を秋葉バスサービスとして分社化している。さらに、2002年からはバス事業全てを分離し、しずてつジャストラインとして独立させ、貸切バスについては順次しずてつジョイステップバスに移行してゆくことになった。 2005年からは中部国際空港へのリムジンバス運行によって長距離高速バス運行を再開、さらに2007年からは東京へ直行する高速バス路線の運行を開始した。同年に新宿への路線も開設されているほか、2008年からは成田国際空港へのリムジンバス運行も開始している。 年表
営業所現行営業所中扉の横・車両後部に、その車両の所属営業所を示す動物入りのステッカーがペットマークとして貼られている。
廃止された営業所
路線バス事業
高速バス事業東名静岡浜松線から撤退してから十数年ほどの間は、自社の営業エリア内で路線が完結する特急静岡相良線(当時は特急静岡御前崎線)を除き、高速バス事業を一切行っていなかった。しかし、2005年の中部国際空港線の運行開始から本格的に再開。東京方面への高速バスは「しみずライナー(冒頭写真)」に2007年5月から参入し、翌6月には新宿とを結ぶ「駿府ライナー」を運行開始した。 なお、夜行路線は2008年9月1日から運行開始した静岡成田空港線が初めてである。 現在運行中の高速バス
期間限定運行路線
静岡鉄道時代に運行されていた高速バス・長距離バス
車両概説三菱ふそう、いすゞを中心に日野自動車が加わる構成であるが、1990年代以降長らく保有しなかった日産ディーゼルの路線車もノンステップバス導入を機に導入が増えている。車両の使用年数は長く、2008年の時点でも昭和時代に導入された車両が在籍するなど、平均車齢は高い。2000年以降は、経年車置き換えのために神戸市営バスからの譲受車(三菱)も導入した。[2]譲受車は後部扉が引戸であること(自社発注車は後部扉が折戸)・後部標識灯が小型(いわゆる「バス協仕様」)のままであることで容易に判別可能。 1969年から銀色に青い帯が入った塗色で親しまれてきたが、1980年以降は前扉と後扉の位置を視覚的にイメージさせるクリーム色+マゼンタの塗色となっている。さらに、1997年のノンステップバス導入を機に一般路線バスはクリーム色にマゼンタなど+標準は青、岡部営業所の一部の車両は藤色[4]、秋葉バスサービスはやや薄い緑、のそれぞれ四角形を組み合わせた塗色となり、以後の標準色となっている。小型車には特定路線や自主代替バスなどの独自塗色も存在する。 高速バス・観光バスおよび貸切兼用車(いわゆる「ワンロマ」車)は、クリーム色にマゼンタ・青・金を使用している点では共通だが、静岡県外方面への路線に充当される車両(観光バスを県外方面への高速路線バス用に改造した車両を含む)は曲線とクリームが目立つ塗り分けに加えて"Shizutetsu Express"と大書されている。
乗車カード乗車カードは静岡鉄道と共通のパサールカードを、ごく一部の路線を除く全線で取り扱う。また、プリペイド式IC乗車カードLuLuCa取り扱いも開始している(対応路線・営業所は順次拡大中)。また、中部圏のバス事業者で唯一のPiTaPa・ICOCA取り扱いも2007年9月1日より開始(取り扱い路線はLuLuCaに準じる)。ICOCAは、静岡駅など、近隣のJR東海の駅でもチャージが出来る。一方、Suica、TOICA、PASMOへの対応は現時点では予定されていないが、PiTaPa互換によりSuica、TOICAなどとの相互利用に対応していく予定。 関連会社関連項目脚注参考文献
外部リンク
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