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侘美 光彦 /
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大きく分けると、実物的な要因と貨幣的な要因に分けられる。前者はさらに国内要因と貿易要因、需要要因と供給要因に分けられる。
需要側に原因があるインフレ。ディマンド・プル・インフレとも呼ばれる。 供給を大幅に超える需要があることにより物価が上昇する。 1973年から75年にかけての日本のインフレーションの原因は、オイルショックに注目が集まるが、変動相場制移行直前の短資流入による過剰流動性、「列島改造ブーム」による過剰な建設需要も大きな要因である。
供給側に原因があるインフレ。コスト・プッシュ・インフレとも呼ばれる。多くの場合、スタグフレーションや、それに近い状態になる。
貨幣が過剰に供給されてだぶつくことにより発生する。貨幣の過剰発行は、過剰流動性を生み出し実質金利を低下させる。このため通例では投資が増大し、乗数効果で何倍もの需要増大をもたらす。そのプロセスは最終的に、需要インフレに帰結することでインフレに結びつく。
上記とは別に数理経済学の観点からの分類も行われている。通貨価値(物価指数、対外貨レートなど)を時間の関数x(t)と見て記述すると、標準的なインフレーションの場合
となる。これはインフレ率が一定のままであることを示す。もう一つのタイプは
、すなわちインフレ率が時間的に増大することを示す。また、インフレの終息時には符号が逆転し、変動を
で記述できることが知られている。こうしたマクロ経済における通貨価値の変動を、ミクロ経済における市場価格の決定メカニズムから導出する試みがある[1]。
賃金も物価の上昇に伴って上昇するが、物価に比べると調整に遅れをとるため、実質賃金が下がり、雇用をふやしやすくなるので失業率は下がる(フィリップス曲線)
物価上昇率が預金金利を上回ると預貯金の価値を実質的に引き下げてしまい、資産家にしわ寄せがゆく。物価上昇率が貸出金利を上回った場合、インフレにより実質的な負債の価値が下がり、その結果実質的な返済負担が減る。
記録に残る世界最古のインフレはマケドニア王国のアレクサンダー大王の時代の事であると言われている。大王がアケメネス朝ペルシアなどの国々を征服して、征服先の国家の財宝などを接収して兵士達への賞賜(しょうし)に充てた事から、その結果ギリシア世界に大量の金銀が持ち込まれて価格騰貴(かかくとうき)が発生したのだという。
ピサロによるインカ帝国征服後、ポトシ銀山などから大量の金銀がスペインに運ばれた。1521年~1660年までに運ばれた量は金200t、銀1.8万tと言われる。 これらの金銀は主に貨幣となったため、欧州全域で貨幣価値が三分の一になった。つまり物価が3倍になるインフレーションが起こった。 貨幣供給により商工業の発展が起こり、地代の減少のために封建領主層が没落するなどの社会的変化をもたらした。
江戸時代の徳川綱吉のときに勘定吟味役荻原重秀が、幕府の財政拡大による財政赤字増大と元禄・宝永の改鋳による金銀含有率の引き下げをおこない、インフレとなった。その次の新井白石が幕府の歳出を減らし、正徳・享保の改鋳で金銀含有比率を慶長小判の水準に戻して、インフレを抑制した。 その次の徳川吉宗の享保の改革においても金銀含有比率を維持するために緊縮財政を続けたが、米などの物価が下落したので、元文の改鋳を行い貨幣流通量を増加させ、デフレを抑制した。
江戸時代末期、英国領事から始まった「コバング」漁りで、幕府の財政は窮地に陥った。外国における金銀交換比が日本と全く異なるために、外国から銀を持ち込み小判(金)を買うだけで、大もうけできるからである。大英帝国の威光におそれた幕府の弱腰で交換量に制限が無かったため、金の大量流出が起こり、物価が騰貴した。江戸幕府崩壊の一つの要因とされている。
第二次世界大戦中の日本政府の借入金総額は国家財政の約9倍に達していた。戦争中は統制経済と戦時国債の個人購入で資金を吸収して、戦時インフレ傾向を抑えていたが、敗戦でこの仕組みが崩壊し、インフレ傾向が一気に表面化した。なおかつ、政府が軍発注物資の代金を一挙に払ったため通貨の大幅な供給過剰に陥り、高率のインフレが発生した。
日本政府は当初、預金封鎖と新円切替で通貨の流通量を強引に減らして物価安定に努めたが、傾斜生産方式による復興政策が始まると復興金融金庫から鉄鋼産業と石炭産業に大量の資金が融資された結果、復興インフレが発生した。インフレを抑えるために融資を絞ると生産力が鈍るために、融資を絞ったり拡大したりする不安定な経済状態が続いた。結果的に、1945年10月から1949年4月までの3年6ヶ月の間に消費者物価指数は約100倍となった(公定価格ベース。闇価格は戦中既に高騰していたため戦後の上昇率はこれより低い)。また、これらインフレへの対策の一環として、1946年秋には浮動通貨の吸収を緊急の目的に日本競馬会による競馬が再開されている。
アメリカから大統領特命公使としてジョゼフ・ドッジが派遣され、ドッジ・ラインと呼ばれる経済政策(超均衡予算と復興金融債の復興債発行禁止など)を行なった。ドッジ・ラインによりインフレは収まり、物価は安定したが、資金の引き上げや貸し渋りによる企業の倒産と失業が増加し、安定恐慌と呼ばれた。 朝鮮戦争の勃発により戦時物資や役務の調達に伴う需要が増大し、この特別需要(朝鮮特需)により、生産活動が活発化して景気が上昇し、緩やかなインフレに移行した。
1955年からは高度経済成長が始まりインフレが進む。1973年~74年および1979年の2回にわたるオイルショックでは一時的に急激なインフレが発生した。その後インフレ傾向は弱くなった反面、投機に支えられたバブル経済のもとで資産インフレが急激に進行、しかし三重野康総裁の指導下で日本銀行が1989年から金利を急激に引き締めたことに起因して資産インフレが終焉を迎え、1992年からは資産デフレが進行した。1999年以降明確にデフレーションに入り(良いデフレ論争)、日銀の速水優総裁の下におけるゼロ金利政策解除等の政策とあいまって、ことに資産デフレ傾向は強化された。(いわゆる「失われた10年」)。
第一次世界大戦後のドイツでは、連合国側に対して1320億金マルクの賠償金支払いが課された。しかし、これはドイツの支払い能力を大きく上回っており賠償金の支払いは滞った。これを理由に1923年、イギリスの反対を押し切ってフランス・ベルギーが屈指の工業地帯であり地下資源が豊富なルール地方を軍事占領した。このため、従来の賠償金支払いに加えて、地下資源を輸入に依存せざるを得なくなり、現地で進駐に抵抗するストライキを起こした住民への経済的補償も必要とされた。既に第一次世界大戦中よりドイツではインフレが進行していたが、これらの事態により致命的な状況へと導かれ、空前のハイパーインフレが発生した。この結果、1年間で対ドルレートで7ケタ以上も下落するインフレとなり、100兆マルク紙幣も発行された。
この破滅的な状況下で、ドイツの人々はヴェルサイユ体制への不満を募らせたが、シュトレーゼマン首相のレンテンマルク発行などにより奇跡的にインフレが収拾されたこともあり、この段階では議会制民主主義が揺らぐことはなかった。このインフレ期にアドルフ・ヒトラーが起こしたミュンヘン一揆も、失敗に終わっている。
しかし、1929年の世界恐慌でドイツ経済が再び崩壊すると、議会制民主主義への信頼は失われ、ヴェルサイユ体制打破を掲げる反動的なナチスへの支持が急増し、ファシズム政権の成立へと至った。
ハンガリーでは第二次世界大戦後に激しいハイパーインフレーションが発生した。このときのインフレでは16年間で貨幣価値が1垓3000京分の1になったが、20桁以上のインフレは1946年前半の半年間に起きたものである。大戦後、1945年末まではインフレ率がほぼ一定であり対ドルレートは指数関数的増大にとどまっていたが、1946年初頭からはインフレ率そのものが指数関数的に増大した。別の表現でいえば、物価が2倍になるのにかかる時間が、一ヶ月、一週間、3日とだんだんと短くなっていったということである。当時を知るハンガリー人によると、一日で物価が2倍になる状況でも市場では紙幣が流通しており、現金を入手したものは皆、すぐに使ったという[1]。
1946年に印刷された10垓ペンゲー紙幣(紙幣には10億兆と書かれている)が歴史上の最高額面紙幣であり(ただし、発行はされていない)、最悪のインフレーションとしてギネスブックに記録されている。
なお、実際に発行された最高額面紙幣は1垓ペンゲー紙幣(紙幣には1億兆と書かれている)である。
※1京は1兆の1万倍(10の16乗)、1垓は1京の1万倍(10の20乗)
1988年、経済成長の後退からハイパーインフレが発生。1989年には対前年比50倍の物価上昇が見られ、1992年にアルゼンチン・ペソと米ドル間の固定相場制を導入するまで、経済が大混乱となった。国家財政の破綻はもちろんのこと庶民のタンス預金は紙屑同然となった。
ジンバブエでは独立後から旧支配層に対して弾圧的な政策を実施。治安の悪化も重なり、富裕層が海外へ流出する結果となった。こうした傾向はインフレに拍車をかけ、2000年代に入ると経済が機能不全に陥る猛烈なインフレに直面することとなった。2008年2月に行われたジンバブエ中央銀行の発表では年率24,470%に達し、1,000万ジンバブエ・ドルの発行が決定。その後5月20日には50億ジンバブエ・ドル紙幣と250億ジンバブエドル紙幣が発行されている。さらに同年7月には220万%に達し、最高額の1000億ジンバブエ・ドル紙幣が発行されているが、闇レートでも既に200円程度の価値しかなく、戦後最悪のインフレとなることが確実視されている。
近代のインフレで最も被害が大きかったのが、1998年のアジア通貨危機であろう。
国単位でのインフレの他に、地域単位、都市単位でインフレ現象が起きることがある。現代的に問題になっているのは、国連平和維持活動(Peace-Keeping Operations : PKO) に伴うインフレである。紛争地域の停戦後、平和維持のために派遣される各国の部隊は、経済が疲弊している所に急に現れる富裕層と同じである。そのため、駐屯地の周辺では、部隊が調達する生活物資・食料品を中心に価格上昇が起きてインフレとなり、紛争で困窮した周辺住民の生活を圧迫する。対策として、部隊員の駐屯地外での購買活動抑制が行われており、PKO部隊は Price Keeping Operation も同時に行っていることになる。
日本では、明治以降の資本主義経済化の下で局地的インフレが見られた。農業地域や未開拓地域(北海道)に工業・鉱業・巨大物流施設(港湾)が出来ると、急激な資本投下と人口の急増(都市化)とが発生し、生活物資の必要から局地的なインフレが起きた。そのため、物価安定を目的に日本銀行の支店や出張所が置かれた。日銀の支店・出張所の開設場所や開設時期は、その地域での経済活動に伴う局地的インフレ懸念と密接に関係している。
漫画・テレビゲーム(特にRPG)などによく起こる現象で、『苦労して強い敵を倒すも、またさらに強い敵が現れて…』という構成のストーリーが何度も繰り返されていくことによって、キャラクターの戦闘能力・各種パラメータ値などが上限無く増加してゆく事がある。また、トレーディングカードゲームなどにおいて、新たな商品の展開によりキャラクターの強化が何度も繰り返されることがある。これらを指して「強さがインフレを起こしている」「パワーインフレーション」などと表現されることがある。この傾向は、戦いが主体の長期連載の漫画とその関連商品などで特に顕著に見られる。
この「パワーインフレーション」は、現在ではマンネリ化やワンパターン化の原因になるとして回避策を模索する作品が多いが、あくまで結果を定義に当てはめているだけなので、ストーリーの魅力や構成力・表現力が高ければ、インフレが存在しても人気のものが多い。しかし、この展開に陥った挙句、ストーリー展開が破綻してしまう、あるいは過去の物語展開を台無しにしてしまう作品が少なからずあり、これがパワーインフレ展開に対して賛否両論を生む要因となっている。
その一方で、近年のギャグ・コメディ系作品ではあえて意図的にこのパワーインフレーション展開を誇張して使用し、ストーリーを展開させてゆく手法も見られている(例としては『逆境ナイン』が挙げられる)。
麻雀においては、ドラを増やしたり、ワレメや青天井を採用したりするなど、点数を吊り上げてギャンブル性を増すルールを「インフレルール」と呼ぶ。
また、鉄道車両においては、同一形式の大量増備で極端に増大した車号(東武8000系電車の80000番台など)を「インフレナンバー」と呼ぶ。
一部には「インフルエンザ」のことを端折って、これをインフレと呼ぶ人もいる(代表的なところでは長嶋茂雄がいる)。なお、インフルエンザは新聞によっては「インフル」と略す場合がある[1]。ちなみに、インフルエンザの英語での略称は「フルー」(flu)である。
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