エリザベス2世 とは?ページ内リンク ↓ウィキペディア(Wikipedia)記事 ↓Yahoo!知恵袋エリザベス2世(Elizabeth II, フルネームはエリザベス・アレクサンドラ・メアリー・ウィンザー、 Elizabeth Alexandra Mary Windsor)1926年4月21日 - )は、 出典: 『ウィキペディア(Wikipedia)』 エリザベス2世 出典: 『はてなダイアリー』 関連商品
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| エリザベス2世 Elizabeth II |
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| イギリス女王 | |
2007年、訪米時のエリザベス女王
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| 在位 | 1952年2月6日 - |
| 戴冠 | 1953年6月2日 |
| 別号 | 英連邦王国女王 |
| 全名 | エリザベス・アレクサンドラ・メアリー・ウィンザー |
| 出生 | 1926年4月21日(82歳) |
| 王太子 | ウェールズ公チャールズ王子 |
| 配偶者 | エディンバラ公フィリップ |
| 子女 | ウェールズ公チャールズ王子 アン王女 ヨーク公アンドルー王子 ウェセックス伯エドワード王子 |
| 王朝 | ウィンザー朝 |
| 王室歌 | 女王陛下万歳 |
| 父親 | ジョージ6世 |
| 母親 | エリザベス・バウエス=ライオン |
エリザベス2世(Elizabeth II, フルネームはエリザベス・アレクサンドラ・メアリー・ウィンザー、 Elizabeth Alexandra Mary Windsor)1926年4月21日 - )は、
である。
ジョージ6世と王妃エリザベスの長女。夫君(王配)はエディンバラ公フィリップ。ただしフィリップは共同君主・共同統治者ではない。2007年12月20日にヴィクトリア女王を抜いて英国史上最高齢の君主となった。
目次 |
1926年に、ロンドンのメイフェアにおいて連合王国国王ジョージ5世の次男ヨーク公アルバート(後のジョージ6世)と妃エリザベス・バウエス=ライオンとの間に第1子として生まれる。
出生時において、伯父の王太子エドワード、父に次いで第3位王位継承者であったが、当時独身のエドワード及びその子供への王位継承が期待されており、彼女の即位を予想する者はいなかった。
しかし、1936年1月のジョージ5世の死去を受けて国王に即位したエドワード8世が、イギリスと対立しつつあった枢軸国に親近感があるような態度をとった上、離婚経験のあるアメリカ人女性ウォリス・シンプソンとの結婚をほのめかしたことを受けて、スタンリー・ボールドウィン首相らに退位を迫られ、同年12月に退位してしまう(“王冠を賭けた恋”として知られる)。そしてエドワードの弟でエリザベスの父であるアルバート王子がジョージ6世として国王に即位する。これを受けてエリザベスは一家とともにバッキンガム宮殿に移住し、王位の推定相続人となる。
エリザベスは慣例通り、学校へは通わず妹マーガレットとともに宮廷で教育を受けた。1936年に推定相続人となって以降は、特に法律・歴史・フランス語を中心に勉強した。一方、ガールスカウトなどに参加し、同年代の子供とも積極的に関わっていた。第二次世界大戦中、ドイツ軍によるロンドン空襲が続く1940年にはウィンザー城へ疎開する。この際、BBCを通じて初めて演説を行ない、以後王位継承者として少しずつ公務に携わっていく。1942年には英国近衛歩兵第一連隊の名誉連隊長となり、対戦中も国民と共に後方支援にあたった。各地への訪問・激励の他、「エリザベス・ウインザー」の名で軍用車輌の整備などに従事した。
第二次世界大戦におけるイギリスの勝利後の1947年11月にウェストミンスター寺院で、ギリシャ及びデンマークの王子フィリップと結婚した。1939年に遠縁のフィリップ王子と会った際、王女は一目で恋に落ちたのだと言う。結婚後の数ヶ月間を当時英国領だったマルタで過ごした。その後フィリップとの間には、チャールズ王太子ら4人の子に恵まれた。
生来病弱であった父ジョージ6世の健康状態は1951年に入り悪化し、翌1952年2月6日にオーストラリアとニュージーランド公式訪問の途上、ケニア滞在中に崩御した。これを受けて直ちにエリザベスは女王に即位して「エリザベス2世」となり、同名の母エリザベスは「エリザベス王太后」となる。
翌1953年6月2日にはウェストミンスター寺院で戴冠式が行われ、この模様はイギリス連邦内だけでなく、世界各国に当時の最新メディアであるテレビにより中継された。
以来55年にわたりイギリス女王の座にあり、「国民に親しまれる王室」を目指し、即位後は積極的にイギリス連邦諸国のみならず日本やアメリカ、フランスなどの諸外国を訪問するほか、私生活をテレビで放送するなど新しい試みを行った。その一方で超然たる一面を持ち、マーガレット・サッチャー首相が「女王と服装を合わせたい」と希望した際には、「臣下の服装に興味はありません」と一蹴したという。
2006年に80歳を迎えたが、現在も精力的に公務を行っている。2007年5月、英国植民地設立400周年を記念してアメリカを訪問した。同年11月19日には結婚60周年を祝う祝賀行事が催された。英国の君主で結婚60周年を迎えるのは、エリザベスが史上初である。翌日からは新婚時代を過ごしたマルタを訪問したが、一泊した後、英連邦首脳会議のためウガンダへ出発した。
近年は、息子たちの離婚・再婚問題や孫ヘンリー王子のスキャンダルなどに苦悩が絶えない。一方でそんな女王の人気はイギリス国内でも高く、国民の間でも退位を望まず「最後まで女王でいて欲しい」などの声も大きい。
フィリップとの間にはの3男1女がいる。
エリザベス2世はイギリスを含め16の国家の女王・元首であり、それぞれの国で異なる正式称号を持っている。イギリスにおける正式称号は以下のものである。
直訳は『神の恩寵において、グレートブリテンおよび北部アイルランドの連合王国ならびにその他の王国・領土の女王、英連邦の元首、信仰の擁護者にあらせられるエリザベス2世陛下』。
「信仰の擁護者」はマルティン・ルターに反対したヘンリー8世に対し、ローマ教皇レオ10世から与えられた称号。1534年の国王至上法によりイングランド国教会首長の称号となった。
このため、法的に厳密に考えると、相互に反対の意見を持っている国の元首としての顔を持つことになる。たとえば2003年に勃発したイラク戦争では、同戦争に賛成したイギリスやオーストラリアなどの元首という立場を持つ一方で、同戦争に反対したカナダの元首として行動することもできる。
実際にイギリス以外の国の元首として行動することもあるので(特にその国に滞在している場合:たとえばカナダ滞在中はカナダ女王として、オーストラリア滞在中はオーストラリア女王として、パプアニューギニア滞在中はパプアニューギニア女王として行動する)、この問題は非常にややこしいものであると言わざるを得ない。
欧州での競馬のイメージは日本のそれとは大きく異なる。エリザベス2世も競馬ファンとして知られており、王室が開催するロイヤルアスコット開催時には毎年宮殿から馬車でアスコット競馬場へ向かうのが慣例である。ちなみにロイヤルアスコット開催のレースで優勝した優勝馬関係者はエリザベス2世など出席のイギリス王室主催のお茶会に招かれる。
また、エリザベス2世は馬主としても多く馬を所有しており、自身の所有馬が出走する時競馬場に出向くことも多々ある。イギリスの「クイーンエリザベス2世ステークス」、日本の「エリザベス女王杯」、イギリスの植民地であった香港の「オードマピゲ・クイーンエリザベス2世カップ」等世界各地にエリザベス2世の冠と付く競走が多く存在している。
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