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オランダ とは?

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オランダ王国オランダおうこく)、通称オランダは、西ヨーロッパ立憲君主制国家。海外領土としてカリブ海に6つの島を有する。憲法上の首都はアムステルダムだが、政治の中心は王宮や国会の所在地であるデン・ハーグヨーロッパ北西部に位置し、東はドイツ、南はベルギーと国境を接し、北と西は北海に面する。ベルギールクセンブルクと合わせてベネルクス三国と呼ばれる。 ヨーロッパの交通、交易の要所。リベラルな政策、気風。人口密度が高い。堤防により囲まれた低地。チーズチューリップ風車で有名。有名な画家を多く輩出している。

出典: 『ウィキペディア(Wikipedia)』


オランダはてなダイアリーを別ウィンドウで表示  :  オランダ王国。ヨーロッパの立憲君主制の小国。 オランダ語では普通「ネーデルラント」と呼ぶ。「オランダ」の語は、中心的な存在の「ホラント」州の名に由来する。(日本と「やまと」の関係に近いか) 大麻・売春が指定された場所に限り合法な国。 歴史 スペイン領ネーデルラント(現在のオランダ王国およびベルギー王国)でスペイン王フェリペ2世の圧制に対して独立戦争が勃発. 1581年に独立を宣言し,宗教弾圧や増税の停止、横暴なスペイン軍の撤退を要求した. ネーデルラント諸州の反乱軍は、オラニエ公ウィレム,オル ...

出典: 『はてなダイアリー』


和英辞典

オランダ 別ウィンドウで表示  …  (pt:) (n) Holland The Netherlands

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ウィキペディア(Wikipedia)記事


オランダ王国オランダおうこく)、通称オランダは、西ヨーロッパ立憲君主制国家。海外領土としてカリブ海に6つの島を有する。憲法上の首都はアムステルダムだが、政治の中心は王宮や国会の所在地であるデン・ハーグヨーロッパ北西部に位置し、東はドイツ、南はベルギーと国境を接し、北と西は北海に面する。ベルギールクセンブルクと合わせてベネルクス三国と呼ばれる。 ヨーロッパの交通、交易の要所。リベラルな政策、気風。人口密度が高い。堤防により囲まれた低地。チーズチューリップ風車で有名。有名な画家を多く輩出している。

オランダ王国
Koninkrijk der Nederlanden
オランダの国旗 オランダの国章
国旗 (国章)
国の標語 : Je Maintiendrai
(フランス語: 私は維持するだろう)
国歌 : ヴィルヘルムス・ファン・ナッソウエ
オランダの位置
公用語 オランダ註1:
首都 アムステルダムデン・ハーグ註2:
最大の都市 アムステルダム
元首
国王 ベアトリクス
首相 ヤン・ペーター・バルケネンデ
面積
総計 41,526km²131位
水面積率 18.4%
人口
総計(2004年 16,318,199人(58位
人口密度 393人/km²
GDP(自国通貨表示)
合計(2005年 4,789億ユーロ 註3 (EUR, €) ※オランダのユーロ硬貨
GDPMER
合計(2007年 7,687億ドル(16位
GDPPPP
合計(2007年 6,395億ドル(19位
1人当り 38,486ドル
独立
 - 宣言
 - 承認
スペインより(八十年戦争
1581年7月26日
1648年10月24日
通貨 ユーロ 註3 (EUR, €) ※オランダのユーロ硬貨EUR
時間帯 UTC (+ 1)(DST: (+ 2))
ccTLD NL
国際電話番号 31
註1: フリースラント州ではフリジア語も公用語
註2: 法律上の首都はアムステルダムだが、王宮、国会議事堂、政庁などはデン・ハーグにあり、こちらが事実上の首都となっている。
註3: 1999年以前の通貨は、ギルダー

目次

国名

正式名称は、Koninkrijk der Nederlanden(コーニンクレイク・デル・ネーデルランデン)。通称は、Nederland(ネーデルラント)。俗称のHolland(ホラント)もよく使われる。

公式の英語表記は、Kingdom of the Netherlands。通称は、The NetherlandsHolland は俗称。

日本語の表記は、オランダ王国。通称はオランダ漢字による当て字で、和蘭和蘭陀阿蘭陀と表記され、と略される。また、オランダ語由来のネーデルラント(またはネーデルランド)、ドイツ語由来のニーダーラントと呼ぶこともある。

オランダ語のネーデルラントは、「低地の国」「低地地方」を意味する普通名詞に由来するため、基本的に定冠詞をつける。正式名称に使われているder Nederlandenは複数形扱い、通称のhet Nederlandは単数形扱いである。ゲルマン系言語では、The Netherlands(英語)、Die Niederlande(ドイツ語)、ラテン系言語では、Les Pays-Bas(フランス語)、los Países Bajos(スペイン語)などで、これらはいずれも複数形扱いである。

一方、Holland(ホラント)は、スペインの支配に対して起こした八十年戦争で重要な役割を果たしたホラント州(現在は南北2州に分かれる)の名に由来し、固有名詞であるため冠詞が付かない。

日本語のオランダは、ホラントのポルトガル語訳である Holanda が、ポルトガル人宣教師によって戦国時代の日本にもたらされたことによる。

歴史

詳細はオランダの歴史オラニエ=ナッサウ家オランダ君主一覧をそれぞれ参照

元来、現在のベネルクス地方は、神聖ローマ帝国領土の一つで、毛織物産業や海上貿易により栄えていた。15世紀末からハプスブルク家スペイン領土として植民地化された。しかし、宗主国スペインによる重税政策に対する反発とともに、主に現在のオランダ地域を中心とするネーデルランド北部地方の宗教は利潤追求を求めるカルヴァン派が多数を占めていたため、カトリックを強制する宗主国スペインとの間で1568年にオランダ独立戦争が勃発した。しかし、戦争の長期化により、カトリック教徒の多かった南部10州(現在のベルギールクセンブルグ)は、独立戦争から脱落した。この八十年戦争の結果、1648年のウェストファリア条約で独立を承認された。ネーデルラント連邦共和国は17世紀初頭以来東インドを侵略してポルトガルから香料貿易を奪い、オランダ海上帝国を築いて、黄金時代を迎えた。しかし、イングランドとの3度にわたる英蘭戦争で大きな打撃を受け、18世紀末にフランス革命が勃発すると、革命軍が侵入しバタヴィア共和国が成立した。間もなく、ナポレオンの弟ルイ・ボナパルトを国王とするホラント王国に変えられ、さらにフランスの直轄領として併合された。ウィーン条約ではこれまでオーストリア領であった南ネーデルラント(現在のベルギールクセンブルク)を含むネーデルラント王国が成立し、オラニエ=ナッサウ家が王位に就いた。これが現在のオランダ王国の起源である。ただし、ベルギーは1830年にオランダに対して独立戦争を起こし、1839年にはオランダはベルギーの独立を承認した。ナポレオン戦争後はイギリスが世界覇権を称え、オランダの海上覇権は地に落ちた。オランダは残された東インド植民地(インドネシアオランダ領東インド)の領域支配を進める。第一次世界大戦では中立を維持したが、第二次世界大戦では中立宣言にもかかわらずナチス・ドイツに本国を占領され、オランダ王家はイギリスに亡命した。その後は中立を破棄し日本に宣戦布告するが、東インド植民地は日本軍に占領された。戦後再びインドネシアに侵攻してインドネシア独立戦争を戦ったが、独立承認せざるを得なくなり、結果として国際的地位の低下を招いた。欧州ではベネルクス3国としてヨーロッパ共同体の創設メンバーとなり、ヨーロッパ連合に発展させた。

日本との関係

詳細は日蘭関係を参照

1600年4月に豊後国大分県臼杵市)にオランダデ・リーフデ号が漂着。徳川家康がこれを厚くもてなしたことから両国の関係ははじまった。

江戸時代鎖国中の日本(徳川幕府)の数少ない交易国の一つで、当時のヨーロッパの学問がオランダ語文献により、日本にもたらされた。これを蘭学という。当時の日本の知識人は蘭学によりヨーロッパの風習を取り入れ、「おらんだ正月」などの行事を行った。またオランダ商館のあった長崎には、料理などにオランダ文化が伝えられた。

幕末は太平洋に勢力を伸ばしたいイギリスフランスらと協調し、国王が開国を勧める親書を江戸に送っている。また、米国の強硬姿勢によって日本が開国した後は、英仏米と共に通商通航条約(いわゆる不平等条約)を結んだ。その後、明治以降の国際関係のなかで、日本におけるオランダの地位は下がっていった。

第二次世界大戦中、日本が英米に攻撃を開始して太平洋戦争が勃発すると、イギリスに亡命していたオランダ王国政府は日本に宣戦布告して日蘭は戦争状態となった。日本はオランダ植民地支配していた東インド(後のインドネシア)石油資源の獲得を目的に1942年2月に侵攻作戦を開始、大東亜政略指導大綱で領有する方針が決定された。

植民地軍はまともな抵抗ができないまま、3月10日にオランダ軍は全面降伏した。ここで日本軍はオランダ軍人4万人と民間人9万人を捕虜にしたが、捕虜は自分達が東インド住民を懲罰するために設けた監獄に自ら入れられるという屈辱を味わった。また、日本軍がオランダ人女性を強制連行し慰安婦にした白馬事件も起こった。日本の敗戦後、オランダ軍はこれらの日本軍人をBC級戦犯として逮捕、拷問・処刑を行った(連合国中で最も多い226人の日本人を処刑)。

戦後もオランダでは、反日感情が根強く、1971年昭和天皇オランダ訪問の際に卵が投げつけられたり、手植えの苗を引き抜かれたりした。1986年にはベアトリクス女王の訪日が国内世論の反発により中止され、また1991年に来日した女王は、1951年サンフランシスコ講和条約1956年の日蘭議定書では賠償問題が法的には国家間において解決されているにもかかわらず、宮中晩餐会で「日本のオランダ人捕虜問題は、お国ではあまり知られていない歴史の一章です」として賠償を要求した。それに対して日本政府はアジア女性基金により総額2億5500万円の医療福祉支援を個人に対して実施した。

その後の両国関係は概ね安定しており、2003年イラク戦争では両国共にアメリカを支持し、自衛隊イラク派遣においてはオランダ派遣軍が治安維持を担当する地域に派遣された陸上自衛隊に対して(先に活動を行っていた立場から)指導・協力を行った。

賠償問題

第2次大戦における日本のオランダに対する賠償問題は、1951年日本国との平和条約(サンフランシスコ講和条約)と1956年の日蘭議定書により法的には解決され、日本側は当時の金額で1千万ドル(36億円)を「見舞金」名目で元捕虜や民間人へ支払った。この時の日蘭議定書第三条には「オランダ王国政府は、同政府又はオランダ国民が、第二次世界大戦の間に日本国政府の機関がオランダ国民に与えた苦痛について、いかなる請求をも日本国政府に対して提起しないことを確認する」とある。しかし、個人補償は政府間の議定書には縛られないので、1990年に対日道義的債務基金(JES)が結成され、日本政府に対して法的責任を認めて一人当たり約2万ドルの補償をもとめる運動がはじまった。これに対し日本は2億5500万円を支払い、2001年「償い事業」が終了したとしているが、2007年オランダ下院は日本政府に対し元慰安婦への補償などを求める決議案を全会一致で可決している。アメリカ議会で日本非難決議案が可決されたことが影響しているとされる。

オランダとアジア植民地

オランダは早くから世界進出し、アジアともかかわりが深い。オランダによるジャワ島を中心とするオランダ領東インド支配においては、1825-30年におきた民衆抵抗を過酷に弾圧したのち、悪名高い「強制栽培制度」を1830年に実施した。これは、ジャワ農民に対し、土地の一定割合で稲作など食用の栽培を禁止し、コーヒーサトウキビといったヨーロッパ輸出用の高級作物の栽培を強制する制度で、オランダ本国が当時おかれた経済的苦境を打破するためのものであった。この制度により、ジャワから強制栽培品を安く買い上げ転売したオランダは経済が好転、鉄道建設をはじめ、産業革命と近代化のための資本蓄積に成功した。厳罰によって実施されたこの制度で、ジャワ農民は稲や麦という自給食料を失い、1843-48年には飢饉に苦しみ多数の餓死者を出したと言われている。強制栽培制度は中断を伴い形を変えて20世紀まで続けられ終戦まで続いた。 インドネシア側はこうした被支配の歴史に対し、これまでオランダ女王のインドネシア訪問、2000年のインドネシア大統領の訪蘭などで謝罪を要求した。2005年インドネシア独立記念日にインドネシアを訪問したオランダ外相は1945年以降の植民地支配についてのみ謝罪した。

政治

政体は立憲君主制で、国家元首はベアトリクス女王(1980年4月30日即位)。

議会は二院制で、第2院(下院)150名、第1院(上院)75名から構成され、議院内閣制を採る。

2003年5月、キリスト教民主勢力(CDA)、自由民主国民党(VVD)、民主66(D66)の3党連立による中道右派政権が発足。

民主66(D66)が、ソマリア出身の元下院議員の国籍剥奪を企て内外から批判を浴びたフェルドンク移民・社会統合相の辞任を要求。キリスト教民主勢力(CDA)のバルケネンデ首相がこれを拒否したことからD66が連立離脱を表明した。バルケネンデ首相は、2006年6月29日、内閣総辞職を表明し、2006年6月30日、ベアトリクス女王に辞表を提出し、内閣総辞職した。その後、曲折を経て2006年11月22日に総選挙が行われ、その結果を受けて、第4次バルケネンデ内閣が2007年2月末にようやく成立した。

地方行政区分

画像:Province-NL.png
オランダ本土の州 州名は数字を、州都は丸印を参照せよ。
なお、星印は首都アムステルダム。

詳細はオランダの行政区分を参照

オランダ本土は12の州に分かれており、カリブ海には、海外領土(旧植民地)として、アンティルアルバがある。

  1. フローニンゲン州 - フローニンゲン
  2. フリースラント州 - レーワルデン
  3. ドレンテ州 - アッセン
  4. オーファーアイセル州 - ズウォレ
  5. フレヴォラント州 - レリスタット
  6. ヘルダーラント州 - アーネム
  7. ユトレヒト州 - ユトレヒト
  8. 北ホラント州 - ハールレム
  9. 南ホラント州 - デン・ハーグオランダ語ではデン・ハーフ)
  10. ゼーラント州 - ミデルブルフ
  11. 北ブラバント州 - スヘルトーヘンボス(デン・ボス)
  12. リンブルフ州 - マーストリヒト
名称 人口(人) 州都/主府/本部 備考
ドレンテ州
Drenthe
483.173 アッセン
Assen
3
フレヴォラント州
Flevoland
365.301 レリスタット
Lelystad
5
フリースラント州
Friesland
642.998 レーワルデン
Leeuwarden
2
ヘルダーラント州
Gelderland
1,970,865 アーネム
Arnhem
6
フローニンゲン州
Groningen
575.234 フローニンゲン
Groningen
1
リンブルフ州
Limburg
1.135.962 マーストリヒト
Maastricht
12
北ブラバント州
Noord-Brabant
2.415.945 スヘルトーヘンボス(デン・ボス)
's-Hertogenbosch
11
北ホラント州
Noord-Holland
2.595.294 ハールレム
Haarlem
8
オーファーアイセル州
Overijssel
1.109.250 ズウォレ
Zwolle
4
ユトレヒト州
Utrecht
1.171.356 ユトレヒト
Utrecht
7
ゼーラント州
Zeeland
380.186 ミデルブルフ
Middelburg
10
南ホラント州
Zuid-Holland
3.452.323 デン・ハーグ
Den Haag
9

主要都市

州都ではないが、本土を代表する都市として以下の都市が挙げられる。

軍事

陸海空三軍および国家憲兵隊オランダ王立保安隊)の4軍種からなる。人員は約70,000名。冷戦期は徴兵制を取っていたが、これは1996年に廃止された。北大西洋条約機構に加盟しており、集団安全保障体制を構築している。

地理

オランダの地図 中央の人工湖はアイセル湖、ワデン海との間をアフスリュイド堤防が遮っている
オランダの地図 中央の人工湖はアイセル湖、ワデン海との間をアフスリュイド堤防が遮っている

オランダライン川下流の低湿地帯に位置し、国土の多くをポルダーと呼ばれる干拓地が占める。国土の1/4は海面下に位置する。国内の最高地点はドイツのアーヘンに近い南端のファールス(Vaals)にあるファールス山(Vaalserberg)における322.5m。ドイツ、ベルギーとの三国国境点(Drielandenpunt)に近い公園内に最高地点を示す小さな塔が築かれている。最低地点はロッテルダム北東の-6.7mだ。オランダの国土は海側から海岸沿いの砂丘部、ポルダー、東部の高地である。砂丘部は北海の高潮から国土を守る大切な働きをしている。

干拓計画

13世紀以来、干拓により平均して一世紀に350平方kmの割合で国土を広げて来た。1927年、国土の中央よりいくぶん海よりに位置するアイセル海をアフスリュイド堤防によって海から遮ることを目論んだゾイデル海計画が発動された。6年の工事の末、堤防が完成、以来アイセル湖と呼ばれている。内部には4つの干拓地が設けられ、大阪府の面積に匹敵する1650平方kmの耕地などが産まれた。1953年2月1日、満潮の日に980ヘクトパスカルの低気圧がオランダを覆った。破壊されたダムの長さは延長500kmに及び、1835人の犠牲者、家を破壊されたもの20万人というオランダ史上最大の洪水被害が生じた。オランダ政府は再発を防ぐため、北海沿いに並ぶ島々を洪水防波堤ですべて結ぶデルタ計画を明らかにし、35年をかけ工事を完遂した。

気候

オランダの気候は暖流の北大西洋海流の影響を受け、高緯度ながら温暖な西岸海洋性気候 (Cfb) が広がる。季節による降水量の偏りはあまりなく、50mmから80mmの降水が毎月見られる。曇天が基調となる。北海からの風が強く、オランダはこの風を風力として長らく利用してきた。

首都アムステルダムの年平均気温は9.7度、平均降水量は798.9mm。1月の平均気温は2.3度、7月は16.5度である。

経済

第2次大戦まで植民地貿易に依存していたが、第2次世界大戦後、急速な工業化と農業の高度な集約化が実施されたおかげで、オランダは周辺のヨーロッパの大国に伍して高度の工業水準を有する工業国としての地位を固めることができた。国内総生産の1/3を鉱工業生産が占める。チーズ、チョコレートなどの食品工業もある。農業は中小規模の集約農業で、酪農、園芸が盛ん。オランダの経済の特色は、中継・加工貿易を軸とした国際経済依存度の高い経済構造にある。オランダは農産物も重要な輸出品であるが、高度の工業国であり、工業製品を筆頭に海運、投資、仲買業などサービスの輸出が国際収支に大きく貢献している。税制では実効法人税率[1]が周辺諸国(フランスは33%、ドイツは29%)より低い約25.5%に抑えられており、海外からの企業誘致が進んでいる(例えば日本は実効法人税率が約40%のため、多くの企業が研究開発や物流拠点等をオランダに移す動機ともなっている)。

経済動向

1970年代に、北海において資源開発が進んだ結果、オランダギルダーは増価し、国内産業は競争力を大きく喪失した。一方で、潤沢な歳入を背景に政府支出は増大した。その後の資源価格低迷で、オランダには壊滅した産業と、莫大な財政赤字が残された。 1980年代前半には労働需給が急速に悪化。失業率は14%に達した。1983年、ワッセナー合意によりワークシェアリングが普及し始めてからは、失業率は次第に低下し、ほぼ完全雇用状態となった。 物価に関しては、オランダは従来より低物価政策を採っているため、比較的良好である。しかし、統一通貨であるユーロを導入してからは、同じユーロ通貨圏であるフランスや、特にドイツに対しては、若干高物価である。貿易面では資源を大幅に輸入し、高度な工業製品を輸出する形態をとっており、ドイツが最大の貿易相手国である。

農業

農業の全体の産業に占める割合は小さいものの、依然として重要な産業のひとつとなっている。高度な集約化・機械化により農業の生産性はヨーロッパ連合諸国の中でも高く、農民の生活は総じて豊かである。オランダ農業の発展は、土壌本来の肥沃さよりも創意と労力に負うところが大きく、土地はむしろやせている。

主な農業地域はゼーラント州からフローニンゲン州に至る海岸地帯のポルダーで、海成重粘土からなる西南部と、フリースラント、フローニンゲン両州海岸部のポルダーでは良質の穀類と根菜類を産する。第二の新しい農業地域は干拓されたアイセル湖のポルダーで、多様な生産が行われている。南部は市場向け園芸農業が主であり、フリースラント州のポルダーはノールトホラント、ゾイトホラント両州に匹敵する畜産地域である。オランダ南部や東部の砂礫地は肥沃とはいえない土壌であるが、土地改良により1950年ごろまで耕地が大きく拡張されてきた。リンブルフ州南部は他の地域とまったく異なり肥沃なローム土壌で、耕地と牧草地が半々になっており、工業の発達に促されて酪農と市場向け園芸が盛んである。粘土地域の保有面積は平均40ヘクタールであるが、100ヘクタール以上の農場も多い。旧泥炭地帯の経営面積は平均28ヘクタールである。甜菜は砂糖用、飼料用共に特に北部と南西部で作られている。加工農産物には北東部の旧泥炭地帯を中心とするボール紙があり、重要な輸出品となっている。1960年代の市場向け園芸農場面積は約14万ヘクタールで、特にノールトホラント州とゾイトホラント州に多い。またアルクマール北部地域はキャベツ、ホールンとエンクホイゼンのアイでは果物と花の種子が専門である。

また、チューリップをはじめとして花卉の生産がとても盛んである。オランダは世界の花市場の6割強を占めており、中でも世界最大規模の花卉卸売市場であるアールスメール花市場は4割もの占有率がある。

果樹栽培は全国的に盛んであるが、リンブルフ州南部とヘルデルラント州およびユトレヒト州西部の河成粘土地域は牧場か果樹園が一番多い。牧畜は牛乳とその製品が主目的であるが、乳牛の飼育と輸出も多い。最も古い酪農中心地はノールトホラント州とゾイトホラント州およびユトレヒト州西部である。豚には2種あり、国内向けにはオランダ肉用豚が、輸出用にはベーコン、ハム用豚が飼育されている。

漁業

ニシン、たら、さばなどの遠洋漁業が昔から盛んであったが、20世紀に入り漁法の近代化が遅れて衰退した。沿岸漁業はムール貝、かき、えびおよび舌平目が中心である。

エネルギー

オランダは天然ガスの世界第9位の産出国であり輸出国でもある。一方、石油や石炭は輸入している。一次エネルギー供給量の83%は国内生産で賄われている[2]

天然ガスは、EU諸国内で2番目(世界では9番目)の生産量であり、EU内での総生産量の約30%に達している。2005年の推計では50~60兆立方フィートの埋蔵量があると言われており、世界全体の埋蔵量の0.9%を占めている。天然ガスは全生産量の2/3を国内で消費し、残りを輸出している。この輸出量は世界第5位である。天然ガスの殆どはフローニンゲン州で産出され、一部は北海ガス田で産出されている。

石油は北海油田で産出されているが国内需要量には届かないため、輸入が行われている。石炭は需要量のほぼ全量が輸入されている。

電力は火力発電と原子力発電により賄われている。年間の総発電量は93.8兆kWh(2007年)であり、そのうちの4%の4.1兆kWhが原子力発電(Borsseleに出力485MWeのPWR型発電所が1基ある。1973年建造)によるものである。火力発電は、主に天然ガスと石炭により行われている。近年、会場に風力発電施設が建設されるなど、再生可能エネルギーの利用も広く行われるようになってきているが、総発電量に占める割合は2.37%(2007年[3])と小さい。政府の目標としては2010年に再生可能エネルギーが総発電量に占める割合を10%にするという目標も存在している。

工業

オランダの工業化は天然資源の欠乏のために遅れはしたが、19世紀半ば以後は成長を続けた。オランダは民間資本が豊富で、はじめは既存工業の技術向上に力点を置き、乳製品、マーガリン、ジャガイモ澱粉、ボール紙など農産物利用の工業を主としたが、その後電気器具、ラジオ、合成繊維、機械部品の様な、原料をほとんど必要としない工業に資本と研究を注ぐようになった。コークス製造、化学工業から鉄鋼業まで発達するにいたったのである。その一方では、人口の急増が目に見えており、戦後復興のためにはまず第一に工業化を一層進めることが必要になった。 オランダは鉱物資源が乏しいにもかかわらず、20世紀にはいって金属工業を確立した。すず、アルミニウム、亜鉛の精錬も行われている。60年代の半ばには従業員50人以上の造船所の数は約100であったが、近年は船舶の建造より有利な石油化学工場の建設工事に切り替える傾向にある。機械工業の中心地はアイントホーヘンとナイメーヘンである。化学工業は最初は岩塩とコールタールに基礎を置いていたが、現在ではロッテルダム地区、ヘレーン、テルノーゼンを中心とする石油化学工業が最も重要になっている。

代表的な製造業としては製鉄、機械、電気機器、造船、航空機などの金属工業が第一に挙げられ、これについで食品加工業、化学工業があげられる。航空機産業ではフォッカー社が小規模ながら健在で、短中距離用民間航空機フレンドシップ機を製造し、新機種の開発も進めている。 オランダの製造業はこれまでフィリップスユニリーバ、AKUレーヨンなどの大会社のほかは、多数の中小企業があるという状態であった。政府の経済政策による新工業化に最も寄与したのはフィリップス社で、約20の都市に新工場を建設した。

食品工業は、近年停滞気味の輸出の牽引力として有力視されている。国際的食品加工企業のユニリーバ、ビールで有名なハイネケンカクテルに使用されるリキュールスピリッツの製造メーカーとして知られるボルスデ・カイパーの本拠地はオランダである。

運輸・交通・通信

オランダはヨーロッパの交通の要衝に当たっており、運輸・通信部門は早い時期から近代化されている。欧州連合の海の玄関口ともいわれるユーロポート港が、ライン川の河口(ロッテルダム)にある。ロッテルダム港には石油精製コンビナートがあり、港に運び込まれる原油はコンビナートを通過し、パイプラインで周辺諸国に輸送されている。

主要空港であり物流拠点でもあるスキポール空港は、2005年には91カ国の260都市へ直行便を持っている。また格安航空は南部のアイントホーフェン空港を主な発着拠点としている。道路は国際E-ロードネットワークの高規格道路によりドイツ、ベルギーなどの隣接国と直結しており、フランス北部からドイツ北部を経由してポーランド方面への主要輸送ルートの一部ともなっている。これら高規格道路(高速道路)の通行料金は現在のところ無料で、最高速度は120km/hである。鉄道はオランダ鉄道が都市間輸送や貨物輸送を担っており、貨物輸送では現在ロッテルダムからドイツのルール地方への貨物専用鉄道が建設中である。旅客輸送ではフランスのパリから最高時速300km/hの高速列車タリスが、ドイツのフランクフルトから高速列車ICEアムステルダム中央駅まで直通している。国内の都市間鉄道網は欧州でも随一の利便性を誇り、アムステルダムユトレヒトロッテルダムなどの主要都市間では10~20分毎のパターンダイヤとなっている。都市内や郊外を結んでいるメトロ、トラム、バスはオランダ国内で同一の運賃支払いシステムを採用しており、公営・民営を問わず同じ回数券やICカードが利用できる。自転車交通も重要な手段の一つで、都市内外を問わず、ほぼ全ての幹線道路に自転車専用レーンが設置されている。

なお、シェンゲン条約により周辺国との国境では国境審査や税関検査などは通常行われていないため、国境通過による時間的ロスは存在しない。

インターネット接続の普及率は欧州諸国内で最高の約80%(2005年12月~2006年1月欧州委員会調査。欧州平均は約40%)に達し、国内殆ど全ての地域でDSLケーブルインターネットの高速接続が利用できる。DSLとケーブルインターネットのシェア割合は60:40であり、国内最大のプロバイダはKPNである。都市部ではWi-Fiによるインターネット接続サービスも行われている。
(本論から外れるが、このWikipediaを含むWikimediaのサーバ群の一部は、アムステルダムのデータセンターホスティングされている。)

携帯電話は国内全ての地域でGSM網(GPRS接続含む)が、大都市及びその近郊で3G網が利用できる。日本のNTT docomoとSoftbank Mobileの携帯電話は、オランダ国内でローミング接続を利用することが可能である(GSM網は対応した携帯電話端末のみ)。最大の通信事業者はKPN Mobileであり、そのほかT-Mobile、Vodafoneが国内でサービスを行っている。

地上波テレビ放送は2006年にデジタル化が完了している。高画質放送(HDTV放送)はあまり行われておらず、2008年現在標準画質放送(SDTV放送)がほとんどを占めている。放送方式は欧州共通のDVB-T方式で、日本の独自仕様であるISDB方式とは互換性が無い。また、衛星放送も普及しており、オランダ向けの放送だけでなく、西欧・東欧・旧ソ連・中近東の放送も視聴可能である。(日本のNHKや民放を再送信しているJSTVを、衛星放送の一つであるHotBirdを通じて視聴することも出来る。)

国民

住民はゲルマン系のオランダが83%で、それ以外が17%である。オランダ人以外としては、トルコ人、モロッコ人、あるいは旧植民地(アンチル諸島、スリナムインドネシアなど)からの移民などがいる。 国土の大部分が平地であるため、日本よりも広々としているが、人口密度は高い(393人/km²,2004年時点)。人口は東京都のそれに近く、その人口が、関東平野全体に広がったイメージである。 オランダ中央統計局 (CBS Centraal Bureau voor de Statistiek) が1999年に発表した資料[1]によると、オランダの全居住者の平均身長は173.5cmであり、男性平均180cm、女性平均は男性よりも13cm低いとある。

言語

言語は公用語がオランダである。フリースラント州ではフリジア語も公用語として認められている。識字率は99%である。オランダ国民のほとんどが、英語を話すことができる。また母国語や英語以外に数カ国語を話せる人が多い。

宗教

宗教はローマ・カトリックが31%、プロテスタントが21%、イスラム教が4.4%、その他が3.6%、宗教組織へ加入していない者が40%である。(1998年時点)

教育

詳細はオランダの教育を参照

文化

オランダは、他国で思想・信条を理由として迫害された人々を受け入れることで繁栄してきたという自負があるため、何ごとに対しても寛容であることが最大の特徴といえる。とりわけ、日本にとっては、徳川幕府による鎖国政策に際し、キリスト教の布教活動禁止という条件に欧州諸国で唯一寛容に応じ、長崎の出島を介した貿易を通じ、欧州の近代文明を蘭学という形で江戸時代に日本にもたらした史実は、明治維新後の日本が急速な近代化政策に成功するうえで不可欠な恩恵を受けている。また、ポルトガルが統治したカトリック国として、近年インドネシアからの独立を果たした東ティモールとは異なり、東インド会社によるインドネシア統治に際しても、当該地域における、キリスト教ではなくイスラム教の普及をむしろ領地拡大のテコとして利用した程である。現在でも他の欧州諸国に比して実に多くの移民が、その暮し易さのために、合法・非合法を問わず在住している。

ただし、近年、とりわけ9.11以降、イスラム系住民に対する反感が増大し、新たな移民の入国も制限されつつある。EU憲法国民投票での否決には、ナショナリズムに似た感情が反映されているとされる。また、