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ガマール・アブドゥン=ナーセル とは?

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ガマール・アブドゥン=ナーセルجمال عبد الناصر Jamāl ‘Abd al-Nāsir; Gamal Abdel Nasser, 1918年1月15日 - 1970年9月28日)は、エジプト軍人政治家で、エジプト・アラブ共和国第2代大統領

出典: 『ウィキペディア(Wikipedia)』


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ウィキペディア(Wikipedia)記事


ガマール・アブドゥン=ナーセル
جمال عبد الناصر
ガマール・アブドゥン=ナーセル

エジプト第2代大統領
任期: 1954年11月14日1970年12月28日
副大統領: アンワル・アッ=サーダート

出生: 1918年1月15日
アレクサンドリア
死去: 1970年9月28日
カイロ
政党: アラブ社会主義連合
配偶: タヒア・カーズィム

ガマール・アブドゥン=ナーセルجمال عبد الناصر Jamāl ‘Abd al-Nāsir; Gamal Abdel Nasser, 1918年1月15日 - 1970年9月28日)は、エジプト軍人政治家で、エジプト・アラブ共和国第2代大統領

ナセル大統領とする表記が一般的であるが、ナセル(ナーセル)は父の名アブドゥンナーセルの後ろ半分で、姓ではない。(参考:イスラム圏の名前)

目次

プロフィール

生い立ち

幼少時のナーセル

ナーセルは、1918年にエジプト北部地中海沿岸の都市アレクサンドリアで郵便局長の息子として生まれた。オスマン帝国から独立するも、かわってイギリス保護国となっていたエジプトの解放を目指す民族運動に若い頃から関心を寄せていたといわれる。

軍歴

1939年、陸軍士官学校卒業後、ナーセルは英・エジプト共同領アングロ=エジプト・スーダンでの勤務を申し出、同地に赴任。第二次世界大戦が勃発すると、エジプトを解放させるため、ナーセルはアンワル・サーダートと共に、イギリスの敵国であるイタリアの数人の諜報員と接触して、イタリア軍がエジプトに侵攻した時と同時に、反英軍事クーデターを起こすことを計画した。

結局、計画は頓挫し、変って反英愛国の将校で結成する自由将校団の結成に加わり、その指導者のひとりとなる。1948年イスラエルが建国され第一次中東戦争が始まると、少佐としてアラブ連合軍に参加。アラブ連合軍が敗北すると帰国した。

1952年7月23日、自由将校団がクーデターを起こし、1953年に王制を廃止する(エジプト革命)と、第一次中東戦争で活躍した将軍ムハンマド・ナギーブを首班に迎えてナギーブを委員長とする革命指導評議会を結成し、権力を握った。

大統領に

しかし、まもなく大統領に就任したナギーブと、将校団のリーダーであったナーセルとの対立が表面化し、1954年にナギーブを支持するムスリム同胞団によるナーセル暗殺未遂を経てナギーブ大統領を解任、ナギーブ派を追放して自ら大統領に就任した。

ナーセル(右側)
ナーセルとフルシチョフ

この間、1952年の農地改革を始めとして、王制下での政治・経済の旧体制の改革を推し進めた。外交的には汎アラブ主義にのっとった政策を取り、イラクなどの中東諸国が結んだバグダード条約機構に反対し、アラブ諸国間の団結を唱えて主導権を握った。また、非同盟主義を唱えて第1回アジア・アフリカ会議(バンドン会議)に出席、第三世界の指導者となった。1956年7月にはスエズ運河の国有化を宣言し、スエズ戦争(第二次中東戦争)でその承認を勝ち取る。この背景には、アスワン・ハイ・ダム建設の資金獲得をはかったものといわれている。

しかし、アラブの大同団結を目指して1958年シリアと結成したアラブ連合共和国は3年後のシリアの脱退で崩壊し、ナーセルの威信に揺らぎが見え始める。特に1967年、エジプトはイスラエルとの第三次中東戦争(六日戦争)が惨敗に終わり、国土の東部を占めるシナイ半島イスラエルに占領される事態となり、ナーセルは責任を取って辞任を宣言するまでに追い込まれた。しかし、国民が辞任を受け入れず、大統領に留まることを求めたためにナーセルは失脚を免れた。その後もイスラエルに対して強硬策を続け、承認しない・交渉しない・和平しない・パレスチナ人の権利回復の原則を求めつづける。

死去

しかし、国内ではスエズ運河の収入が無くなり、インフレが進行。ナーセル体制は崩壊に向かっていた。1970年、ヨルダン内戦の仲裁を行うなど多忙をきわめる中で、ナーセルは心臓発作で急死した。まだ52歳の若さであった。

後任として士官学校以来のナーセルの盟友で副大統領のサーダートが就任し、ナーセル体制にかわる経済の自由化を進めることになる。

関連項目

先代:
ムハンマド・ナギーブ
第2代エジプト大統領
1954年 - 1970年
次代:
アンワル・アッ=サーダート

外部リンク

ウィキメディア・コモンズ


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    日本軍は搾取されていたアジアを救った英雄だ、と思いますか?
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    創価学会の会長が出席した、創価学会の第6代会長 原田 稔 会長が出席したエジプト・アラブ共和国のナショナルデー(革命記念日=7月23日)について教えて下さい。エジプト・アラブ共和国のナショナルデー(革命記念日=7月23日)を記念するレセプションが7月17日、東京・目黒区の同国大使館で行われ、原田稔会長が出席した。ワリード・アブデルナーセル駐日大使と第6代会長 原田 稔 会長は歓談しました。
    解決日時:Sat, 09 Aug 2008 22:38:08 +0900 /  回答数:2 /  スコア:53,395点


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