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クイズダービー とは?

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クイズダービー』(英称:QUIZ Derby)は、1976年1月3日から1992年12月19日まで、日本TBSで放映されたロート製薬一社提供で、トークショーを交えたタレント及び視聴者参加によるクイズゲーム番組である。全862回。

出典: 『ウィキペディア(Wikipedia)』


クイズダービーはてなダイアリーを別ウィンドウで表示  :  クイズ番組 放送期間:1976年 1/3〜1992年12/19(土・19:30〜20:00) 制作:TBS 提供:ロート製薬 出題:丹羽節子,保田裕子,小池達子,渡辺真理など 司会:大橋巨泉(のちに徳光和夫、巨泉はスーパーバイザーとして引き続き関わる) 優勝賞品:一般参加者のみ賞金10万円,カンガルー募金 出演 1枠 鈴木武樹 → 和久峻三 → 篠沢秀夫 → 北野大 → 植草克秀 2枠 五月みどり → 沢たまき → うつみ宮土理 → 南田洋子 → 長山藍子 → 宮崎美子 → 斎藤慶子 → 山崎浩子 ...

出典: 『はてなダイアリー』


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ウィキペディア(Wikipedia)記事


クイズダービー
ジャンル クイズ番組/ゲーム番組
放送時間 毎週土曜 19:30 - 20:00(30分)
放送期間 1976年1月3日 - 1992年12月19日(862回)
放送国 日本
制作局 TBS
プロデューサー 居作昌果
副島恒次
山口安広
小畑光良
出演者 司会
大橋巨泉
1976年1月3日 - 1990年3月31日1992年12月19日(最終回))
(→徳光時代はスーパーバイザー
徳光和夫
1990年4月14日 - 1992年12月12日
解答者
篠沢秀夫
はらたいら
竹下景子
北野大
井森美幸
ほか(こちらも参照
音声 ステレオ放送
1978年11月25日 - 最終回)
オープニング 作曲:ボブ佐久間
外部リンク TBS

クイズダービー』(英称:QUIZ Derby)は、1976年1月3日から1992年12月19日まで、日本TBSで放映されたロート製薬一社提供で、トークショーを交えたタレント及び視聴者参加によるクイズゲーム番組である。全862回。

地上波での放送は終了したが、CS放送TBSチャンネル」で再放送されている(毎週月曜22時30分から23時、翌週月曜5時30分から6時)。

目次

番組概要

地上波では毎週土曜日の19時30分から20時に放送されていた。通常は30分の放送だったが、過去に数回1時間のスペシャルが放送されていた。番組は「巨泉の、クイズダービー!!」(最初期は「大橋巨泉の…」だった)のかけ声の後、発馬機のゲートが開く音が鳴るとともにオープニングテーマが流れ、同時に番組セットのすべての電飾が点灯してスタートした。

この枠では元々巨泉の司会で、同じくロート製薬一社提供番組だったお笑い頭の体操1968年 - 1975年)が放送されていたが、リニューアルされることになり、この時巨泉の競馬好きから、かつてカナダで見たクイズ解答者をに見立て賭けを行い高得点を競う競馬形式のクイズ番組セレブリティ・ステークス」を模倣した番組が企画された(詳細はルールを参照)。なおカナダの「本家」は、大橋の話によれば非常に短命で、1年も続かなかったという。ただし、カナダの番組では解答者に予め答えを教える場合もあるやらせ行為があったのに対して、この「クイズダービー」ではやらせ無しの真剣勝負だったのが相違点である。

TBSでに放送されていたスペシャル番組『クイズまるごと大集合』(1987年 - 1991年)では、関口宏ビートたけしが司会をしていた(なお、関口やたけしも本放送時にはゲスト解答者として登場していた)。巨泉は同時期に系列局の毎日放送で『世界まるごとHOWマッチ』(1983年 - 1990年)の司会も担当していた。この番組でも巨泉の趣味が反映されて、ゴルフのルールが取り入れられていた。

同番組はクイズ番組としては珍しく、TBSの音声多重放送開始当初である1978年11月25日放送分よりステレオ放送となった。同番組のステレオ放送は、TBSのテレビ番組初で、かつテレビクイズ番組としては恐らく世界初でもあった。なお、北海道放送の札幌地区以外[1]は、番組終了までずっとモノラルでの放送であった。しかし、現在再放送されているCS放送のTBSチャンネルでは、ステレオで放送[2]されているため、北海道放送の札幌地区以外の地域でも地上波では一度も視聴することがなかったステレオ放送を視聴することができる。また、1990年以降はクリアビジョン放送もされていた。

ぴったし カン・カン」と並び、クイズ番組にトークショーを基礎とする現在の原型を作った番組である。

ルールはもとより、司会者と解答者とのやりとり、ギャンブルのスリルを味わうことが大うけしてたちまち人気番組になった。

最高視聴率は1979年6月30日に記録した40.8%(関東地区)で、ビデオリサーチ調べのクイズ・ゲーム部門ではNHKの『クイズ面白ゼミナール』が記録した42.2%に次ぐ高視聴率であり、いわば民放第1位の視聴率である[3]

巨泉時代

番組スタート当初、今現在知られるものよりも複雑なルールが災いして視聴率は4%台と低迷し、TBS上層部から再三打ち切り勧告が出された。しかし、スポンサーのロート製薬側の意向もあり存続し、現在知られるルールに単純化したところ秋頃には視聴率は20%を超え、TBSを代表する看板番組となった。夜6時のTBS『料理天国』、30分前でMBSの『まんが日本昔ばなし』、TBS『8時だョ!全員集合』、さらにはTBS『Gメン'75』などと合わせ、1970年代から1980年代の土曜夜はTBSが視聴率で他局を圧倒していた。当時TBSではこれらの番組の放送を優先させたため、土曜の夜にプロ野球ナイター中継番組をほとんど組まなかった(プロ野球中継のためこの番組が休止されたのは、1977年1978年1979年1987年の4回。)。収録は、現在のTBS社屋の近くにあったTBSホール(TBS本館=後の赤坂メディアビル、既に解体。現在は赤坂サカス)で行われていた。

1989年に巨泉が「セミリタイア宣言」したことに伴い、1990年4月からは元日本テレビアナウンサー徳光和夫に司会が代わり、1992年12月12日放送分の番組終了直前まで担当、司会交代後の巨泉は「スーパーバイザー」として参加した。音楽担当はたかしまあきひこ

1990年3月31日(第734回)の巨泉司会バージョンの最終回では、当時のレギュラー解答者だった1枠北野大・2枠井森美幸・3枠はらたいら・4枠竹下景子と、5枠には篠沢秀夫がゲスト解答者として登場した。出場者はガッツ石松萩尾みどり(赤チーム)、斉藤慶子山崎浩子(黄チーム)、黒鉄ヒロシ長山藍子(緑チーム)が登場していた。

番組の終焉

1990年4月14日(第735回)からは徳光和夫が2代目の司会者となり、オープニングの掛け声も「徳さんの、クイズダービー!!」と変更された。徳光に交代後の末期は倍率も毎週ほぼ固定制になり、1倍という倍率もつけられなくなっていった。この時期には裏番組に『おぼっちゃまくん』(近畿広域圏朝日放送では『部長刑事』)が力をつけており、さらに1991年10月に『平成教育委員会』が始まると視聴率の低下はさらに進んだ。

1992年7月からはテコ入れとして従来レギュラーだった植草、井森、はら、竹下を週替わりレギュラーに降格させたものの、視聴率の下落はますます進み、また同年度初頭には当時のTBS社長だった磯崎洋三が低迷するTBSの大改革を掲げ、「つるの一声」を主張したことの兼ね合いなどから同年末での打ち切りが決定となった。末期の途中で次回の解答者紹介を交えつつ、その中で指定された解答者は、次回の放送で8問中何問正解するかを視聴者に予想してもらうクイズが新設され、的中すれば抽選で5人に任天堂スーパーファミコンなどの賞品がプレゼントされた。

1992年12月19日の最終回(第862回)では、巨泉が1990年3月に「セミリタイヤ宣言」で降板して以来の司会に復帰し、2代目司会者の徳光は5枠のゲスト解答者として出演。他にレギュラー解答者は北野・井森・はら・竹下に、出場者は過去のレギュラー+出場回数の多かったゲスト解答者の連合チーム。この回で徳光は「巨泉の、クイズダービー!!」と叫び、大橋の顔に似せたメガネをかけるというお遊び的な演出があった。始めの挨拶のみを徳光が行い、その後で巨泉につなぐという流れだった。

番組終了後

番組終了後も人気は根強く、復活特番が2回行われ、その後CS放送による再放送も行われている。

2000年12月30日にはJNN系列「21世紀プロジェクト年越し38時間生放送『SAMBA・TV』」の番組内「20世紀の人気番組大集合!」で巨泉の司会でのリバイバル放送が組まれた。解答者は1枠篠沢・3枠はら・4枠竹下と昔からお馴染みのレギュラーメンバーに、2枠にはクイズダービーとしては初登場の久本雅美、5枠では本放送時や『クイズまるごと大集合』にゲストとしても出演していた石坂浩二を迎えた。他出場者は、当時の『ブロードキャスター』から福留功男(徳光司会時代の1992年にゲスト解答者として登場したが、番組内では触れられず初登場扱い)・三雲孝江(過去にも出場者として登場)の赤チーム、『渡る世間は鬼ばかり』から長山藍子(過去2枠レギュラー解答者)・えなりかずきの黄チーム、『さんまのSUPERからくりTV』から中村玉緒セイン・カミュの緑チームがそれぞれ特別出場した。また出題アシスタントは小池達子が務めた。なお、単独提供ではなかったものの、ロート製薬もスポンサーとして名を連ねた。この復活版から、倍率や得点表示がデジタル式に変更。また、答えの記入もマジックで記入する方式からライトペンで記入する方式に変わった。スタジオセットも1980年代の放送(2代目)のものを採用して再現された。ただ、放送はTBSホールではなく、TBS放送センターのスタジオから行われた。

2004年5月14日には、ロンドンブーツ1号2号ロバートが司会の『ロンロバ!』スペシャル番組・『もう時効だョ全員集合 史上最強!花の芸能界オフレコトークバトル』の中で、4年前の「20世紀の人気番組大集合!」と同様に、復元スペシャルが放送された。巨泉司会・小池アシスタント・篠沢・はら・竹下解答者の4年前と同じメンバーに、2枠には井森美幸が久々に登場し、5枠にはロンドンブーツ1号2号の田村淳を加えての構成となった。なお、従来の『クイズダービー』では全部で8出題だったが、この時は一般2問、三択2問、歌詞1問の、合計5問のみ出題という短縮バージョンでの放映となっている。

いずれも結果では10万点獲得チームは出ず、前者はレギュラー時代のテイストを継承していたのに対し、後者ははらが逆ギレしたり篠沢が変人キャラ化したりとバラエティ色が濃厚だった。

2005年1月よりCS放送・TBSチャンネルでの再放送が始まったことにより、秋田県など地上波では放送されなかった地域でも視聴できるようになった。TBS系列局でありながらスペシャル版だけしか放送されなかったテレビ山口の放送エリアである山口県でも視聴できる。TBSチャンネルでの最初の放送は2005年1月3日で、この日は地上波での放送開始からちょうど30年目にあたる節目の日でもあった。放送開始時刻も本放送と同じ19時30分から放送された(この日は4本分連続で放送)。なお、現在は毎週月曜日に放送されているが、放送曜日となっている月曜日は、本放送の公開録画が行われていた曜日である。また、ロート製薬の初代オープニングキャッチも併せて放送されている。同年1月はランダムで放送されたが、2月以降は第589回(1987年5月9日放送分)から順番に放送している(第739回など、稀に事情により放送されなかった回もある)。ただし、1988年10月から1989年1月放送分は当時、昭和天皇の病状悪化に伴い、ロート製薬の初代オープニングキャッチの放送を自粛(このときはブルーバック画面に番組のテーマ曲を乗せての提供読みだった)していたため、CS放送ではTBSチャンネル共通のオープニングの後、すぐに「巨泉の、クイズダービー!!」の掛け声で始まった(放送素材でも該当する回にはオープニングキャッチは収録されていない)。2008年2月11日に巨泉勇退の回を放送した。

ルールの変遷

番組の基本的なシステムやルールの考案者は、初代司会者だった巨泉である。

  • 毎回3チームの出場者(一般視聴者、時にはタレント・著名人・スポーツ選手。番組開始当初は個人、後に2人一組。特別番組では4チームの時もあり)と、5人(初期は6人)の解答者が登場した。視聴者(出場者)チームはその問題に対して誰が正解するかを一人予想し、持ち点(3000点からスタート)の範囲内から100点単位で賭ける。解答者には問題に応じた倍率が設定されており、視聴者が指名した解答者が正解した場合は賭け点と解答者の倍率をかけた得点が与えられ、不正解だと賭け点分のみマイナスとなった。ただし、解答者が全員不正解の場合にはその問題での賭け点はすべて返された。
    • 実際の競馬でいうと 出場者は「賭け手」、解答者は騎手、出場者の持ち点は馬券、解答者の倍率はオッズ、解答者の正解は「1着ゴールイン」、出場者の得点獲得は「的中」に見立てたものである。
    • 倍率は、通常問題は1倍から10倍まで。三択問題は1倍から7倍まで。(初期は1倍から5倍までだった。)最後の問題(合図として出題前に約1秒のチャイムが鳴る)では設定された倍率が2倍になった。ただし初期は単純に1-20倍の間で倍率が決められ、最終問題の倍率が2桁の奇数になる場合もあった。倍率を表す時には必ず決め台詞として「倍率ドン!!」、最終問題では「倍率ドン! さらに倍!!」(巨泉)、「倍率ドン! さらに倍してドン!!」(徳光)という決まり文句があった。稀に「倍率ドカン!」や「倍率、せーのードン」というかけ声もみられた。
    • 「クイズまるごと大集合」ではこれまでのクイズで獲得した点数に3000点をプラスしてのスタートだった。
  • 通常は8問出題され、1・3・5・8問目が一般問題、2・4・7問目が三択問題、6問目は音楽問題というのが基本だった(まれに最初の1問目で音楽問題が出題されたこともある)。なお、問題を解くカギとして、問題中にヒントが隠されており、そこから答えを連想することができた。音楽問題は歌詞通りに書かなければならないが、一般問題と同様に問題のフレーズの周りの歌詞にヒントがあり、そこから予想していた。知識より勘を問う問題が多かった。
    • 解答者のシンキングタイムの時が、実際の競馬でいう「競争」に見立てている。
  • 答えを開ける際は1問目は解答者紹介を兼ねて1枠から順に解答を開けていった。その際レギュラー解答者は司会者より先週の成績が「○問正解」ではなく「○勝×敗」という表現で発表され(年初めの放送では「昨年の成績、○勝×敗。勝率、○割△分□厘と言っていた。」)、過去に出場経験があるゲスト解答者は通算成績が発表された。ただし末期の週替わりレギュラー制となってからはテロップで前回の成績が表示された。3・5・6・8問目は司会者の裁量で、大抵は誰からも指名が無くかつ間違っているだろうと思われる答えから順に開けていった(1・2・5枠のいずれかから開けることがほとんどであった)。同一解答が複数いる場合一括して開けていた。また最後の1人まで正解が出なかった場合、司会者は「○○さんが出来なければ(賭け金は)お返しします」という決め台詞もあった。
  • なお三択問題では、答えが3つしか存在しないため、基本的に一斉に答えを開いていた。答えを開ける際で、答えの分布が○:△:□=2:2:1の場合「3つに分かれました。○は2人、△は2人、□は1人」、○:△:□=3:1:1の場合は「○という答えが圧倒的に人気で3人、△は1人、□は1人」、○:△:□=3:2:0の場合「□と書いた人はいない、○が3人、△は2人」、4:1の場合「一人を除いてみんなおんなじ答え!」といった決め台詞が存在し、その後一斉に全員の解答を開くという形式だった。また「なんと全員同じ答えです!」と言ったり、いきなり「いっぺんに開けましょう」との号令で、5人全員正解と言ったこともある(逆に全員不正解の場合もあり)。一般問題でも「一人を除いて皆同じ答え」で一斉に答えを開けたことが時折あり、その後大抵は「○○さん以外は全部正解」となるパターンだったが、たまに「○○さん一人だけ正解」「全員不正解」となったケースもあった。なお一人だけ正解の場合は、予め司会者がとある解答者に対して「○○さん、(『一人を除いて』のひとりは)あなたではありません!」と安心させていたが、皮肉にもそう言われた解答者は不正解であった。
  • 司会者が「せーのードン!」と言って解答者のモニターに答えを表示し、正解の際は画面の色が赤になり、不正解の際は青のまま。正解した解答者は倍率表周りのランプが点灯回転、的中した出場者の得点表周りのランプが点灯回転し、司会者の正解の絶叫とともに、出場者が指名した解答者が正解した際はファンファーレが鳴る(当初は馬の鳴き声「ヒヒーン」だった)。持ち点が1チームでも10万点に達した場合は、番組のエンディングで流れるテーマ曲の一部分がファンファーレとして鳴るとともに、出場者席の背後にある電飾及び得点表回りの電飾が点灯し、天井に吊るされたくす玉が割られ、大量の紙吹雪と極細の紙テープ2束が降り、賞金10万円獲得となり、アシスタントから男性は白、女性は赤のダービーハットがかぶせられた(同じロート製薬提供のMBSアップダウンクイズ』(小池清:司会)の10問正解・ハワイ旅行獲得の際のハワイのフラワーレイをかける演出と同様)。10万円獲得の瞬間にはABCパネルクイズ アタック25」(児玉清:司会。「クイズダービー」にもゲスト解答者として出演)同様、字幕スーパーは一切出なかった。くす玉割りは『アップダウンクイズ』と同様、スタッフの機械操作で行われていた。なお、どのチームも指名しなかった解答者が正解した場合はファンファーレが鳴らされず、拍手のみだった。但し、チャイムやブザーは鳴らない。
  • 解答中(シンキングタイム)に流れていた曲は、フォスターの『草競馬』をアレンジした曲が使用されていた。番組初期はエレクトーン系だったが、後のステレオ放送化を機にフルートの音色に近いものに変わり、最終回まで継承された。
  • 「全員不正解」という事態は、番組当初においては想定されていなかったため、初めてこの状態が出現した際には、通常通り「不正解者に賭けた」こととして減点されたが、翌週より「そもそも誰が正解しているかを当てるゲームであり、全員不正解というのは根本的にゲームが成立していない状態である」という見解(実際の競馬でいうところの「競走不成立」となった状態と同じ)に統一され、「全員不正解の場合、賭け点はすべて返す」というルールが追加された。なお、「全員不正解」というケースは数か月に1回のペースで出現していたが、時には同じ回で8問中2問が全員不正解(とある回ではその2問が両方とも三択問題)だったこともあった。稀にだが、8問中3問も全員不正解という珍記録も発生している。逆に、解答者が全員正解したケースも年に数回あった。
  • 8問出題後、最終的に獲得した点数がそのまま1点=1円で賞金となった。最終問題に関係なく持ち点が10万点に達した場合、または0点になって失格となった場合、そのチームのみその時点でゲーム終了となり、次の問題以降は参加しない。
    • なお、10万円を超過した分は「TBSカンガルー募金」に寄贈された。これは製薬会社団体の紳士協定により、懸賞賞金が10万円までと定められていたため。
    • 大抵の回は10万点に達するチームが出たが、全チーム0点または逆に全チーム10万点となったケースも年に数回あった。中には計算違いをしたり、点数不足だったにもかかわらず、確実に賞金を持ち帰るため、正解率の高い解答者(主にはらたいら竹下景子)に賭けて10万点に届かなかったチームもあれば、解答者が不正解でも確実に賞金を持ち帰るため、最終問題で全額を賭けずに少し点数を残したチームもあった。そのほか、獲得賞金が数百円だったチームもあった。また過去の放送の中には、7問目までに10万点に達したチームもいれば、(番組初期の頃)7問目までに0点となり失格となったチームもいた。
    • 点数の全賭けは殆ど最終問題でのみしていたが、第752回(1990年8月11日放送分)の6問目でゲスト解答者の汀夏子(倍率は6倍)に緑チームがその時持っていた3000点全て賭けるという珍事が発生した(汀は正解した)。
  • 初期の番組では、各チームが手元のボタン操作で解答者と賭ける点数を入力しており、司会者が話を振らない限り、各チームが言葉を発することはなかったが、後に賭ける点数の入力をスタッフに一任してからは、各チームが「いつも○○な○○さん」などの褒め言葉や「○○さん、お願いします!」など嘆願の言葉を付け加えながら、「…に○○点」や「…に全部」と発するようになった。
  • 初代司会者である巨泉による、各解答者の答を表示する時の「せーのードン!」を筆頭に、出場者が発した「はらたいらさんに3000点」や「いつ見ても素敵な竹下さんに1000点」、「篠沢教授に全部」などの決まり文句があった。他にも司会者が発する言葉には「賭け方が下手!」(正解者が多かった問題で全チームの予想が外れた場合など)、「賭け方が上手かったー!」(特に倍率の高い解答者に指名して的中させた場合など)、「ここにくれば○倍だった」、「余計なことをしないように!」(どのチームも賭けてない解答者が正解した場合)、「最後の問題です、よーく聞いてくださいね」、(エンディングで)「○○さんに賭ければ10万点だったのに」などがあった。
  • 前半戦の5問目が終了の際、巨泉は出場者の点数を確認した後でCMに入る。CMが明けた後で巨泉は、解答者5名の成績(本日のレース結果)を確認後、後半戦の6問目へと入る。尚、その際巨泉は解答者の成績が良いと「今日は皆さん真っ赤ですねえ」、解答者の成績が悪いと「今日はどうしたんでしょうか、真っ黒ですよ」などと言っている。又解答者の成績が悪いながらも出場者の点数が高いと「今日の出場者は賭け方が上手いですねえ」、逆に解答者の成績が良いのに出場者の点数が低いと「今日の出場者はおかしいですねえ、こんなに真っ赤なのに」などと言っていた。
  • 番組の初期は、解答者の倍率を司会の巨泉と、レギュラーオッズマンの藤村俊二と、ゲストオッズマンの3人で決めていた。これは、解答者の正解不正解を、競馬の予想マーク(◎○△×)で予想するもので、3人全員がマークを付けない状態では「10倍」であり、マークの種類と個数に応じて倍率が下がっていった。ただし、どのマークでどれだけ下がるかの規則性は、番組内では明らかにされなかった。なお、競馬の予想マークは倍率の下に表示していた。その後、解答者が6人から5人に整理された際に、巨泉が単独で倍率を決める方法に改められたが、「最高倍率は10倍(最終問題は20倍)」というルールはそのまま継続された。このリニューアルについて巨泉は「複雑すぎて視聴者に受け入れられず、視聴率が取れなかった。それなら思いっきり単純にしようと思って、オッズマン制をやめた」と後に語っている。その為に実際の競馬等のギャンブルを全く知らない視聴者にもわかりやすくするため、予想マークや倍率を下げるルールを廃止した。
  • オッズは、概ね1枠・2枠・5枠には5-10倍、3枠4枠には2・3・4倍(いずれも最終問題はさらに2倍)が表示されていたが、ごくまれに「1倍」がついたこともある。「1倍」の設定は正解率の高いはらたいらが多かったが、その他の解答者でも専門・得意分野にちなんだ問題では「1倍」が設定されたことがあった。
  • また、番組初期から中期にかけて「この問題はわからないだろう」という意味でごくまれに、はらに5倍、竹下にも5-10倍(例:竹下が生まれていない時代の問題が出題された場合)という高倍率が設定されたことがある。最終問題で10倍が出たこともある。
  • この番組での的中時の配当は日本における公営競技中央競馬地方競馬競輪競艇オートレース)のパリミュチュエル方式ではなく、いわゆる「n to 1」というブックメーカー方式で行われており、賭け金を賭けた時点では持ち点が減らないルールになっている。
    • 例えば3,000点を持っているチームが、3倍の解答者に500点を賭けて正解した場合の持ち点は「500×3=1,500+3,000=4,500」点となる。不正解の場合は「3000-500=2500」点(倍率は関係ない)となる。「1倍」という倍率が存在したのはこのためである。
  • 出題は一般常識や時事関連、珍問・奇問、ギャグ満載の問題が中心であったが、中には出場者のタレントに関するエピソード問題や普通の辞書にも出ないユニークな漢字の出題もあった。出題する際、出場者に関係する問題など答えを知っている問題については、解答に入る前に司会者から出場者に対して「○○さん(みなさん)は黙っていて下さいね!」と注意していた。

セットの変遷

  • 客席から見てスタジオの中央部に解答者席、右側に司会者席(左にアシスタント、右に司会者)がある。解答者席の上には番組タイトルの電飾看板がかけられていた。司会者席の上には解答者全員の成績が『本日のレース結果』として表示された。なお、表示は10問目まで対応しており、正解のときは当該箇所の赤いランプ(印)が点灯した。また、9問目以降は特番を除き使用しなかった。名前は1989年10月21日(第712回)放送分から文字形式が変更。また、ゲストや出場者の文字形式も1990年8月4日(第751回)放送分から同様に変更された。
    • 番組の初期では左からゲストオッズマン、レギュラーオッズマンの藤村俊二、司会者の大橋巨泉が座っていて3つに席が分かれていた。また、解答成績は司会者席と6枠解答者席の間にボード形式で立てていた。
  • 4代目の番組セット以降は電飾にフラッシュもたかれるようになった(4代目は正面。5代目以降は番組セット全体に取り付けられた)。
  • 左側に出場者席があり、その上にはロート製薬の当時の主力製品(パンシロンG、キャシロン、新パンシロン、パンシロン新胃腸薬、V・ロートクール、なみだロート、新V・ロート、新V・ロートプラス、ロートZi:メンソレータムなど)の看板が掲げられていた。これらの製品名看板はTBSチャンネルでの再放送でもそのまま表示しており、番組冒頭にはその旨の断りのテロップが出る。なお、解答者席の両側にはコンパニオンの出入口が配されていたが、これが使われたのは10万点獲得時と図表や物品を解答者に見せる時(問題の頭に「ちょっとこちらをご覧ください」の一文が入った)である。コンパニオンはエンドクレジットに名前が出るが、どちらのケースもない場合は姿を見せない。また、番組のセットは7代目まで続いた。
  • 解答者席は実際の競馬で言うスタート地点(いわゆる「ゲート」)に見立てたものであり、解答者の後方に解答モニターが設けてあり、通常時は青バック、正解の場合はそれが赤バックとなり、不正解の場合は青バックのままであった。
    • 番組開始当初は解答モニターは棚に飾る状態でのせていたが、のちに2代目の番組セットで解答席が6席から5席に変更された際、番組セットの壁でモニター画面の部分以外はすべてふさいだ。解答モニターはほかに司会者席にも横に1列並んで設置されており、解答者席のものと同様に画面が青・赤バック表示のものと、視聴者に回答の模様を公開するために「ただいま解答中!」としてモノクロ画面のモニターが上3列・下2列に並んで設置されていた。
  • また解答者席の正面には倍率(オッズ)が電光表示され、正解すると電飾が点滅した。出場者席のテーブルにはパネル形式で上にその問題の掛け金、下に現在の獲得金額がそれぞれ表示される。得点表示はソラリー式(反転フラップ式、縦横方向は違うものの、『アップダウンクイズ』の賞金表示板と同じ仕組み)で、賭けた回答者が不正解のときは動作音が響いていた(復刻版では得点表示も電光表示に変わった)。
  • 出場者は番組開始当初、手元にある出演者のネームプレートを差し込んで賭け点入力もしていたが、入力がスタッフに一任されてからは、その出演者に対する褒め言葉を言いつつ賭け点を賭けた。賭けられた解答者の席では、賭けたチーム名が書かれたポールが自動的に立った。ネームプレートも1989年10月21日(第712回)放送分から成績ボードと同様に文字形式が変更になった。
  • 1976年1月3日(第1回)の番組開始から1987年9月19日(第607回)放送分まで使われていた後方の電飾は欧米の多くの競馬場(近年は日本でも)に採用されている競走馬の蹄をイメージしたゴール板を模したものである。出場者席の配色は左から赤・黄色・緑であった。ただし番組開始当初は色分けされておらず、後方の電飾はすべて黄色で、くす玉もなかった。
  • 「クイズまるごと大集合」や「お正月特番」の場合は、赤・黄・緑の他にもう1つ青枠が登場した。解答者席にある賭けたチーム名のポールは、自動的に立つのは3チーム分(赤・黄・緑)しかないため、青枠分は出場チームが書かれたネームプレートを賭けられた解答者自らが答えを記入する前に手動でポールを差し込んでいた。獲得すると出場者席の後方とテーブルの電飾が点滅した。得点が10万点以上になった場合は、通常時の10万点達成と同じシーンが見られた。しかし、実際は10万点に達していないにもかかわらず誤ってくす玉を割ってしまったこともあり、司会者が詫びたこともあった。
  • 番組セットの変遷

歴代司会者・出題者

過去2回の復活特番ではいずれも小池達子が出演している。渡辺は司会が徳光和夫に交代した後に就任したため、渡辺と巨泉との組み合わせは最終回(1992年12月19日)の一度だけであった。

出題者は問題読みのみであり、賞品などを紹介することは一切なかった。

レギュラー解答者

  • 氏名(職業)<レギュラーを務めた期間>

「1枠」作家・大学教授枠

一発逆転枠。2枠よりは正解率は高め。主に文化人が入る枠であるが、意外と知らないことがあるということを見せた。

「2枠」女優・タレント枠

大穴枠。長山まではベテラン女優・タレント枠であったが、4枠の竹下景子が長く出演したので、宮崎の時代から若手女性タレント枠に転向。宮崎曰く「オトボケの2枠」通り、連敗記録が多く出た枠でもあった。

「3枠」漫画家枠

本命枠。はらを中心にパーフェクトな正解を見せてくれた。

(福地ははらのスケジュールが合わず代役として。秋山・加賀は番組終了まで約半年間の週代わりレギュラー。この間も、はらは最終回も含め不定期で出ていたが、竹下よりも早く番組出演を終えている)

「4枠」女子大生枠

対抗枠。ほぼ「竹下景子のための枠」と言っても良いほどである。

(市毛・宮崎・原は竹下の産休代役として、それぞれ2週間ずつ務めている)

「5枠」

(ガッツ石松が降板後の5枠は、番組終了までゲスト解答者の席となる)

番組レギュラー出演者の変遷

代理出演は除外とする。
期間 司会 出題 1枠 2枠 3枠 4枠 5枠
'76.1 - 7 大橋巨泉 丹羽節子 鈴木武樹 五月みどり 黒鉄ヒロシ 萩尾みどり ガッツ石松
'76.7 - 9 岸じゅんこ ゲスト解答者
'76.10 - '77.1 竹下景子
'77.1 - 4 沢たまき はらたいら
'77.4 - 5 プリングス・ハイム
'77.5 - 8 和久峻三
'77.9 篠沢秀夫
'77.10 - '78.8 うつみ宮土理
'78.9 高峰三枝子
'78.10 - '79.9 南田洋子
'79.10 - '80.3 長山藍子
'80.4 - '81.9 保田裕子
'81.10 - '83.9 宮崎美子
'83.10 - '84.3 斉藤慶子
'84.4 - '85.3 きゃんひとみ
'85.4 - '88.2 小池達子 山崎浩子
'88.2 - 7 井森美幸
'88.8 - '90.3 北野大
'90.4 - '91.3 徳光和夫
'91.4 - 7 渡辺真理
'91.7 - '92.6 植草克秀
'92.7 - 12 (不特定) (不特定) (不特定) (不特定)
最終回 大橋巨泉 北野大 井森美幸 はらたいら 竹下景子 徳光和夫

レギュラー解答者のエピソード

各解答者の個性も番組の魅力であった。ここでは篠沢、はら、竹下の3名を中心に取り上げており、2枠の女性レギュラー陣に関しては上記「2枠」女優・タレント枠のそれぞれの個人項目を参照のこと。

篠沢秀夫のエピソード

  • 篠沢秀夫は、毎回番組のオープニングで司会の大橋巨泉から前週の成績が発表される際に、成績が悪い(2勝以下)時は「上品で良いですねー」とニッコリ微笑み、成績が良い(3・4勝以上)ほど「下品でダメですなー」などと嘆いていた。不正解の解答には、教授ならではの珍解答や迷解答が多く、特に笑い話やジョークなどの出題で意味不明のことを書いたりもしたため、巨泉に呆れられたり、竹下景子や左隣に座る2枠の女性レギュラーなどによく失笑されていた。それでも篠沢本人曰く「クイズになんか当たらない方が美学である」「連敗記録も連勝記録同様に難しいんですよ」と、不正解が続けば続く程に堂々と胸を張っていた。
  • しかし、篠沢教授の正答率は3割2分7厘(平均2勝6敗-3勝5敗ペース)と、意外に歴代の2枠女性レギュラー陣(五月みどり