クラウディウス とは?ページ内リンク ↓ウィキペディア(Wikipedia)記事 ↓Yahoo!知恵袋ティベリウス・クラウディウス・ネロ・カエサル・ドルスス(古典ラテン語:Tiberius Claudius Nero Caesar Drusus, 紀元前10年8月1日 - 紀元後54年10月13日)は、第4代ローマ帝国皇帝。ユリウス・クラウディウス朝の1人。第2代皇帝ティベリウスの弟大ドルススの息子でゲルマニクスの弟。第3代皇帝カリグラやのちに妻となる小アグリッピナには、伯父に当たる。アントニウスの孫であり、アウグストゥスの妻リウィアの孫でもある。 出典: 『ウィキペディア(Wikipedia)』 クラウディウス 出典: 『はてなダイアリー』 関連商品
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| クラウディウス Tiberius Claudius Nero Caesar Drusus |
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|---|---|
| ローマ皇帝 | |
胸像
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| 在位 | 41年1月24日 - 54年10月13日 |
| 出生 | 紀元前10年8月1日 ローマ帝国 ガリア ルグドゥノム |
| 死去 | 54年10月13日(満63歳没) |
| 継承者 | ネロ |
| 配偶者 | メッサリナ |
| 小アグリッピナ | |
| 子女 | オクタウィア ブリタンニクス ネロ(養子) |
| 王朝 | ユリウス・クラウディウス朝 |
| 父親 | 大ドルスス |
| 母親 | 小アントニア |
ティベリウス・クラウディウス・ネロ・カエサル・ドルスス(古典ラテン語:Tiberius Claudius Nero Caesar Drusus, 紀元前10年8月1日 - 紀元後54年10月13日)は、第4代ローマ帝国皇帝。ユリウス・クラウディウス朝の1人。第2代皇帝ティベリウスの弟大ドルススの息子でゲルマニクスの弟。第3代皇帝カリグラやのちに妻となる小アグリッピナには、伯父に当たる。アントニウスの孫であり、アウグストゥスの妻リウィアの孫でもある。
目次 |
父や兄に似ず生来病弱で、吃音や片足を引きずるなどの癖からユリウス・クラウディウス家に属する男性としては珍しく公務から遠ざけられ、長くエクィテスの階級に留まった。この間、歴史家としてエトルリア史やカルタゴ史といった歴史著述を行っていた。
カリグラの皇帝就任後、カリグラと共にコンスルに就任するなど名誉を受け、元老院議員に加えられた。カリグラが暗殺されると、親衛隊に推戴される形で皇帝となった。就任に際して元老院の承認を受けたものの、実質的には親衛隊の軍事力によって支えられており、以降、軍事力がローマ皇帝を決定する最初の例となった。
歴史家らしく知性と教養に富んだ政策を進め、真面目に政務に取り組み、ユダヤの統治問題などを解決する。またローマ市民の不興を買った先々帝ティベリウスと、市民への人気取り政策で財政危機を招いた先帝カリグラを反面教師として、中庸的な政策を行った。カリグラと比べると市民からの人気は低かったが、ある意味当然の事であり、クラウディウス自身も承知の上だったと思われる。元老院議員に影響力や友誼を持っていなかったため、カエサル家の解放奴隷を積極的に登用した。このことは非元老院議員の統治への関与を増大させ、皇帝への権力集中や官僚制の発達を促した。
後54年、毒キノコの中毒によって死去するが、第4番目の妻であった小アグリッピナの暗殺とする説が古代から有力視されている。
クラウディウスは、即位すると同時に先帝カリグラが文字通り崩壊させたローマの財政を建て直した。クラウディウスの時代には特にガリア北部への悪影響が座視出来なくなったために、ユリウス・カエサル以来初めて本格的にブリタンニア遠征を行い、実際にブリタンニア南部の征服に成功している。のちに皇帝となったウェスパシアヌスなども、ブリタンニア遠征の際にその才能を見出されたことで知られている。またローマの外港オスティアの大規模な整備も行った(トラヤヌスの時代に更に拡張させた)。アウグストゥス以来初めて、ガリア出身の元老院議員の議席を認めたのもクラウディウスである。クラウディウスの時代、ローマは文字通り「世界帝国」となった。
政治家としては優秀であったクラウディウスも、家庭的にはあまり恵まれていなかった。クラウディウスはその人生において4度の結婚をしたが、その妻たちはいずれも悪妻ばかりである。特に3番目の妻メッサリナは悪女として有名で、夫の権力を使って貴族たちに関係を迫ったり、それを拒んだものは夫の名前を使って処刑するなどした。また、4番目の妻小アグリッピナは権力のためだけにクラウディウスに近付き、結婚後は彼に毒キノコの料理を食べさせて暗殺したといわれている。のちに、クラウディウスの実の息子ブリタンニクスも、小アグリッピナの息子ネロによって殺された。クラウディウスは、上記のように生来病弱で、吃音や片足を引きずるなどの障害を抱えていたため、コンプレックスのあまり、妻たちにはあまり強気に出られなかったようである。
クラウディウス帝の時代のローマは世界帝国としての体制を確立しつつあったが、元老院議員たちは本国生まれでないガリア人などに元老院議席を与えるのに反対していた。長年の政争・内乱で没落した名門貴族らは、元老院議員としての権威までもを失うのを拒んだからである。そこでクラウディウスは次のような演説を行って元老院議員を説得し、ガリア人の元老院入りを納得させた。
予個人の先祖の中でも、その最も古いクラッススは(ローマ人ではなく)ザビーニ族の出身である。しかしローマ人は彼とその一族にローマ市民権を与えただけではなく、同時に彼に元老院の議席を与え、ローマ貴族の列に加えた。この先人たちの例に励まされて予はこれと同じような方針を国家の行政面に応用すべきだと考える。それは出身地や出身部族を問わず、皆この首都に移植させ、(敗者として扱うべきではなく)優れた者であれば、政治の中央に関与させるということである。われわれは(カエサルなどの)ユリウス一門が3代目の王に征服されたアルバからの移住者であることを知っている。(大カトーや小カトーなどの)ポルキウス一門の出身地が(紀元前380年になってからローマ市民権を与えられた)エトルリアであることも周知の事実だ。このように優秀な人材であれば出身地や出身部族を問わず、イタリア全土から元老院に迎えられたのがわれわれの歴史なのである。
やがて、国内に平和が確立し、外に向けて国威が発揚されると、今度はトランスパダナ地方の部族がローマに受け入れられた。そしてまた、全世界に軍団の退役古兵を入植させたということを口実にして、属州民から選抜したつわものを軍団兵に加え、こうして人的資源に欠乏していた我が国は補強されたのである。
さて、我々はヒスパニアからバルブス家を、これらにひけをとらぬ立派な人物をナルボ・ガリアから迎え入れたのを後悔しているだろうか? 彼らの子孫は今もこの首都に住み続けている。彼らの抱く、この国に対する祖国愛は我々のそれに劣らぬものである。スパルタ人やアテネ人が戦争に勝っても短期の繁栄しか享受できず、最後には破滅した理由は他でもない、彼らが征服した民族をあくまで異国人として、分け隔てしたからではないか? その点で、我らが建国者ロムルスは賢明にもギリシア人とは逆のやり方を選択したのであった。数多くの民族を、敵として戦ったその日のうちに、もう同胞として遇したほどである。のみならず、外来者が我々の上に立ったことすらある。解放奴隷の息子に官職を委託したこともある。これらは多くの人が誤解しているように、最近のことではない。古い時代から、度々起こっていることなのである。
なるほど、我々はセノネス族と戦いを交えた。しかし、ウルスキ族やアエタイ族が我々に歯向かって戦列を敷いたことが全くなかったというのか。なるほど我々はガリア人の捕虜となった。しかし我々はトゥスクル族に人質を与えたことも、サムニテス族のくびきに屈したこともある。それはともかく、全ての外国との戦いを比較検証してみるなら、ガリアとの戦争で費やされた期間は他のどの民族との戦いよりも短いことに気付くだろう。それ以後、ずっと両者の間の平和と友好はゆらいではいない。すでにガリア人は習慣や学芸や婚姻を通じて我々に同化したのだ。彼らの金鉱や財宝を独り占めさせないで我々のところに持ち込ませようではないか。
元老院議員諸君、現在諸君がたいそう古いと思っているものは、かつてはみな新しかったのだ。例えば、国家の要職もローマの貴族に続いて、ローマの平民が、平民の後でラティニ族が、ラティニ族の次には、その他のイタリアの諸部族に門戸が開放されたのだ。議員諸君、今われわれが議論しているガリア人への門戸開放もいずれローマの伝統になるに違いない。そして今日われわれはこの問題を討議するうえで、いくつかの先例をあげたが、この問題もいずれは先例の一つとしてあげられるようになるだろう。
1528年、フランスのリヨンで青銅版に刻まれたこの演説の原文が発見されたことで、従来は虚弱な暗君と思われてきたクラウディウスの評価は一変した。歴史家としての側面を強く感じさせる具体例に富んだ文面からは、クラウディウスの機知と教養がうかがわれる。この演説は「ローマが人類に残した最大の教訓」とまで言われ、後世の人権思想を押し広げる際に度々引用された。アメリカ第3代大統領のトマス・ジェファーソンはこの演説文を読んだ翌日に所有していた黒人奴隷を全て解放したという。
こうして、カエサルによって議席を与えられつつもアウグストゥスによって元老院から排斥されたガリア人らは完全にローマの一員となり、同化していった。これ以降、ローマは真の意味での世界帝国となっていく。
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