ザ・スターリン (THE STALIN) は、日本のパンク・ロックバンドである。
ボーカルの遠藤ミチロウを中心に1979年に結成されたバンド、「自閉隊」を母体として1980年結成。同年9月5日に1stシングル「電動こけし/肉」をインディーズレーベルからリリース。その後1982年にアルバム『STOP JAP』でメジャーデビュー。3枚のアルバムをリリースした後に1985年解散。その後もビデオのみをリリースするというコンセプトの「ビデオスターリン」や、定冠詞の付かない「スターリン」というバンド名で復活している。
バンド名の由来はソ連の独裁者、ヨシフ・スターリンからとっており、ボーカルの遠藤曰く「世界で最も嫌われてる男の名前をつけたらすぐに覚えてもらえる」という理由で付けられた。また、遠藤によると「スターリンとはバンド名ではない。俺の活動そのものの事だ」とも語っている。
メンバー
ザ・スターリン
ギター
- 金子あつし (1980年 - 1981年) - 初代ギター
- 北海道旭川市生まれ。中学生の時に学力テスト道内ベスト10に入ったら何でも好きな物を買ってやる、との約束で「ジミ・ヘンと同じ」フェンダーストラトキャスターとマーシャル・ユニット3を買い与えられる。その後、父親にクラッシックギターを手ほどきされつつ、市内マチイ楽器店従業員東海林氏・酒井氏らにブルースギターの基本を習う。後にヤマハポピュラーソングコンテストから中央進出を果たし、井上陽水に見いだされることになる安全地帯のインスト隊となった、六土開正グループを支えていたのも彼ら二名であった。同時期、16歳の時に安全地帯とライバル視されていた「注意報」に短い期間だが、ベーシストとしても参加した。ギタリストの畠山は、影響を及ぼしたミュージシャンの一人、と後にDOLL誌に答えている。当時はフォークソング全盛であり、大音響を発するロックバンドは自主スタジオを郊外の空き家などを借りて運営してるのが北海道では常だった。周囲10kmには何も無い環境が簡単に得られたようで、北海道ならではのエピソードであるが、金子はここでアンプ音量を絞らずにコントロールする事を学ぶ。クリアな音からハードな音までピッキングだけでコントロールしていたのが、後の『電動コケシ』で聞ける。しかしライブでは弦を叩き切り、指を血まみれにしていく事になる。当時、マーシャルなどの機材を置いているハウスは無かったのである。なお、音楽と同時に登山に熱心であり、北海道旭川東高等学校山岳部で先輩の竹田敦・永江朗らとパーティを組み、高体連では禁止されていたロック・クライミングまで楽しんでいた。進学と同時に上京し、かねてより連絡を取っていた遠藤と会い、国立で乾らと共にセッションを行う。その後、スターリンを結成。脱退後の消息は一切不明だったという説もあるが、当時としては偉容な個人スタジオで非常階段のプロデュース等を故・林直人(元INU、アウシュビッツのギタリスト、アルケミーレコード専務)と行う。初期のスターリン音源は4トラックしかない彼の個人所有のマルチトラックレコーダーで録音されていた。初来日したサイケデリック・ファーズのリチャード・バトラー(ギタリスト)が日本で一番気になるギタリスト、とミュージックライフ誌で答えていたが、金子本人は「全く知らなかったし、興味もない」と言っている。2008年新宿での遠藤のライブに来ていた。
- タム (1981年 - 1982年) - 2代目ギター
- 1958年、東京都浅草に生まれる。本名は田村カズオという名前である。ザ・スターリン加入前は「ガーゼ」というバンドでスターリンの前座として演奏していた。また、靴職人としても働いていた経歴を持つ。ザ・スターリン脱退後はADKレコードというインディーズレーベルを設立し、あぶらだこ、MASTURBATION、奇形児、スキンヘッズ、ブラッドベリなど多数のバンドのプロデュースを担当し、タム本人も「G-ZET」というバンドを結成。自主制作ソロアルバムも2枚ほど発表するが、金銭面のもつれなどもあり、1985年7月某日ブラッドベリの関西ライブツアー中に失踪。消息不明となる。
- 藤岡良次雄 (1983年) - 3代目ギター
- the 原爆オナニーズから参加。脱退後は中村達也とTHE GODを結成。THE GOD解散後は占い師をしているらしい。
- JUNE-BLEED (ザ・ウィラード)(1984年) - 4代目ギター
- 北田昌宏 (1984年) - 5代目ギター元INUのメンバー
- 小野昌之 (ex ALLERGY) (1984年 - 1985年) - 6代目ギター
- ザ・スターリン解散後も遠藤と勢力的な活動を続けていたが、Michiro,Get the Help!解散後は電気工事関係の会社に就労している。
ベース
- 杉山晋太郎 (1980年 - 1983年) - 初代ベース
- 1964年、福岡市博多区生まれ。ステージ上では他のメンバー同様攻撃的なルックスで演奏しているが、普段は温厚な青年。元々は乾と同じく美大生だった。最初は全くベースを弾けなかったがスターリン加入のために練習した。その後「お互い、顔見飽きちゃったね」と言って脱退。晋太郎は脱退後、吉野大作&プロスティテュートや、newtons、非常階段、ソロ活動等を経て、音楽業界から引退。日本アルプスにある山小屋の経営を始める。1995年、ザ・スターリン解散10周年イベントへの出演をミチロウが誘ったところ、「オレもうできないよ。こんなに太っちゃったし。今はただの山小屋の主人だ」と断られたそうだ。この頃すでにアルコールへの依存はかなりのものだった。その後(1996年)、自宅の階段を泥酔状態で滑り落ちて死亡。享年32。
- 尾形テルヤ (1983年) - 2代目ベース
- 遠藤がザ・スターリン結成前に組んでいたバンド「自閉隊」の元メンバー。
- 肥後宏(元ミラーズ)(1984年 - 1985年) - 3代目ベース
- サポートメンバーであり、正式なメンバーではない。
ドラムス
- 乾純 (1980年 - 1982年、1984年 - 1985年) - 初代+5代目ドラムス
- 遠藤が上京後、初めて結成したバンド「コケシドール」からの固定メンバー。遠藤との付き合いは長く、コケシドール解散後も「バラシ」、「自閉隊」などで共に活動。ザ・スターリン解散後は建築家として働いていた。現在は東京・大阪に支社を開設し、建築の他にも各種のコンサルテーションを広く行っている。初代ギタリストの金子とは建設物件査察の時に米国で90年代に再会。当時、金子は日本でフレームリレー装置の専門家であったために「輸出」されていたらしい。以降、IT系にも進出の模様。コケシドール結成以前は、渋谷陽一が絶賛した「連続射殺魔」のドラマーでもある。当初から最後まで、金子は遠藤よりも「連続射殺魔」の乾と音楽をやる事が重要であったようだ。
- 小田ヒトシ(元ソドム) (1982年) - 2代目ドラムス
- 中田ケイゴ (1982年) - 3代目ドラムス
- 脱退後はタムと「G-ZET」を結成。ソロアルバムを2枚発表する。タム失踪後はNICKEY & THE WARRIORSやTHE STAR CLUB、COBRAで活動していた。
- 中村達也(元MASTURBATION、THE STAR CLUB、BLANKEY JET CITY)(1983年) - 4代目ドラムス
- ツアー中のドラマーとして加入。当時高校生だった彼はスターリンのオーディションを受けるために髪型をモヒカンにして挑んだ。しかし、後に学校で先生にこっ酷く叱られることになる。
ビデオスターリン
- KUBOTA - ギター
- MAY - ベース
- SHOKO - ドラムス
スターリン
- 山盛愛彦 - 初代ギター
- 斉藤律 - 2代目ギター
- 西村雄介 - 初代ベース
- 安達親夫 - 2代目ベース
- 三原重夫(元ルースターズ) - ドラムス
- 三原はかつてスターリンのライブを観て、こんな危ないバンドにだけは絶対入りたくない、と思っていたが、数年後に遠藤から電話があり、新しいスターリンをやるので是非参加して欲しいと頼まれ、承諾した。
- 遠藤は再結成時のドラムスに、かつてザ・スターリンでのドラマーであった乾純をメンバーにする予定だったが、彼の行方が分からなかったためやむなくドラムスを三原重夫に変更したらしい。
概要
同時期にデビューしたじゃがたら、INUなどと並んで日本のパンクロック・ハードコアシーンで脚光を浴びた。攻撃的なサウンドに言葉遊びを織り交ぜた、一捻りも二捻りもした歌詞で皮肉を込めて攻撃する形式は斬新であった。ライブ会場では豚の頭や臓物を客席に投げつけ、爆竹や花火を投げ込み、全裸でステージから放尿し、客にフェラチオをさせるといった過激行為で悪名を轟かせる。東京のライブハウス「屋根裏」を破壊し、出入り禁止になったことがある。また文化祭ライブで全裸になり、逮捕された事もある。
そうした過激な行為が評判となり、81年9月に週刊誌「女性自身」に彼らの記事が掲載され、一躍マスコミの標的となる。スターリンが他のバンドと違ったのは自ら積極的に雑誌やTVなどのメディアを利用し、活動をアピールしてきた所であり、音楽、芸能問わず数々のメディアに登場していた。また、遠藤はライブ中は過激なパフォーマンスを見せるが、インタビューなどを見ると実際は物静かで知的な男で、冷静に自分や周囲の事を見ていた。
その一方で、一部の暴力的なハードコアパンクス達からは知的なパンクを演奏するスターリンは異端児の様な扱いを受け、嫌われるという事もあった。また石井聰亙監督の映画「爆裂都市」に役者として参加した際、打ち上げにパンクバンドアナーキーのボーカル仲野茂が何故自分達を起用しなかったのかと殴りこんできた。このこともあってか、暫くバンド同士でいがみ合っていたが、映画で共演した泉谷しげるの仲裁もあって、現在は和解している。またスターリン結成15周年イベントには仲野茂が参加している。
1985年解散。1987年、ビデオのみをリリースするというコンセプトで、遠藤以外のメンバーを一新したビデオスターリンを結成。2本のビデオ作品と1枚のアルバムをリリースし、1年ほどで解散。
また、1989年には新たなメンバーを迎え、ザのつかないスターリンとして復活し、 5枚のアルバム、2本のビデオをリリースするも、1993年に活動停止した。
2001年には、元頭脳警察のパンタや大槻ケンヂ、犬神サーカス団、BRAWLS(BRAHMAN)、Loopusなどが参加したトリビュート盤『365:A TRIBUTE TO THE STALIN』がリリースされ、それに合わせて21世紀最初で最後となるザ・スターリン復活ライブが行われた。トリビュート盤には最初BUCK-TICKも参加し、タイトルでもある「365」をカバーする筈だったが、事情により実現出来なかった。
2003年には過去の作品がデジタルリマスタリングを施して再リリースされ、また完全コピーバンドである「コケシドール」の発足など再評価されている向きもある。
2005年2月にリリースされた、ザ・スターリン名義の「電動コケシ/肉」は、日本で発売された最後のソノシート盤となった。
ちなみにアメリカのパンクバンドデッド・ケネディーズのボーカルジェロ・ビアフラもザ・スターリンに目をつけており、それが縁となってアメリカで発売されたパンクオムニバス「Welcome to 1984」にザ・スターリンは日本代表として一曲、収録されることになった。
2008年の新宿スモーキンブギでのライブで、 遠藤と初代ギタリストであった金子あつしが久しぶりに対面した。金子は「10年後にまた一緒にやろうな!」と遠藤に掛け声をかけていて、遠藤は「生きていたらね・・・」と笑いながら返していた。その後、新宿で奇形児・GISMのドラマーであった廣島徹の店で落ち合って歓談していたらしい。なお、遠藤は酒を一滴も飲めない。
略歴
1980年
- 6月6日 - 遠藤ミチロウ、金子あつし、乾純の3人で「THE STALIN」結成。
- 6月26日 - 渋谷のライブハウス「屋根裏」で初ライブを行う。自閉体からの繋がりでトラとして尾形テルヤがベースを弾いた。金子が以前より考えていたMC禁止・曲間ゼロ秒で演奏を続ける「壊れたジュークボックス」スタイルが最初から行われた。当時の定番であった冗長なギターソロで間合いを取って一斉に終わるスタイルも無く、完全にスタジオ構成のままキッチリと終わるスタイルであった。当時としては極めて異様なスタイルであったし、想像以上にバンド側の負担も大きかった。通ってくるファンたちとのコミュニケーションは完全に否定され、消費者としてのファン獲得において当時の常套手段であったライブ動員者を囲い込むスタイルは最初から放棄していた。しかし、これはその後のライブバンドとしてのザ・スターリンにとっては欠かせないスタイルとなっていく。この疾走感を全面に打ち出すスタイルを継承したバンドは数多く、その後、ライブにおけるバンドたちのスタンダードスタイルのひとつになっていった。同時期に自主制作レーベル「ポリティカル」を設立する。
- 8月8日 - ベーシストとして杉山晋太郎が加入。杉山は元々ベースを弾いた事が無かったが、高円寺DOLLで出会った乾・金子の説得により加入した。当時、杉山は楽器も無かった。加入の礼として高円寺ニューバーグでの豪華ディナーが約束されたのであるが、もちろん一日だけの事である。当初はバンド練習の他に、遠藤抜きのベースレッスンがあり、金子の考える和音構成に合わせたフレーズが厳密に作られていた。単純なロック進行の裏でギターとベースのルート音が和音になる構成は決して偶然ではない。
- 9月5日 - 自主制作ソノシート『電動こけし/肉』をリリース。高円寺PALスタジオにて録音。録音は金子所有の機材をスタジオに持ち込んで録られた。ベースは金子の多重録音である、との説がある。
メンバー
- ボーカル - 遠藤ミチロウ
- ギター - 金子あつし
- ベース - 遠藤ミチロウ→杉山晋太郎
- ドラムス - 乾純
1981年
- 4月7日 - 2枚目の作品としてEP『スターリニズム』リリース。
- 7月4日 - 筑波アクアクにてライブ。いつものように泥酔して演奏を行った金子がリザードを挑発し、騒動になる。当時、リザードは過激派非公然部隊との接点も噂され、心配した遠藤はステージ終演と同時に寝てしまった金子を都内までタクシーで送り届けた。演奏曲目は金子のギターから始まる「ブタに真珠」がエンドレスで繰り返し演奏され、遠藤を無視してスタンドマイクでモモヨを挑発する替え歌を歌う金子に大笑いの乾も、最後はドラムセットを放り投げる等の荒れたライブであったが、すでに過激なステージが噂となっていたため観客は大喜びであったらしい。リザードに対する態度に鬱屈した金子は、その後のリハーサル後に遠藤に脱退を通告した。当時、リザードは大看板であり、意外ではあるが駆け出しのザ・スターリンは色物の扱いであった。なお、その後のライブも金子は演奏しており、アクアクが最後の演奏ではない。脱退した金子に代わり、前座などを務めていたガーゼのTAM(タム)がギターとして加入する。ライブスケジュールはすでに立て込んでいて、立ち止まる事は許されなかった。実際に金子が脱退したのは、この年の学園祭シーズン後である、との説も同級生たちの目撃談も含めて語られている。
- 9月10日 - 週刊誌『女性自身』において、【変態バンド、スターリン】として初めてスクープされる。
- 10月31日 - 法政大学にてライブ。trashのB面としてレコーディングされた。
- 11月4日 - 関東学院高校にてゲリラ的に乱入ライブを行う。この時ライブ中に遠藤が全裸になった事を警察に通報され、遠藤は公然わいせつ罪で逮捕される。
- 11月7日 - 京都燦燦にてライブ。trashのB面としてレコーディングされた。
- 12月24日 - 初のフルアルバム『trash』リリース。
メンバー
- ボーカル - 遠藤ミチロウ
- ギター - 金子あつし→タム
- ベース - 杉山晋太郎
- ドラムス - 乾純
1982年
- 3月13日 - マッド・スターリンとして出演した映画『爆裂都市 BURST CITY』公開。
- 3月24日 - 新宿ロフトにて『爆裂都市』の打ち上げ。この時、アナーキーとの騒動が勃発した。
- 6月24日 - 上馬ガソリンアレイにてライブ。これを最後にドラムスの乾純に代わって小田ヒトシが参加する。
- 7月1日 - アルバム『STOP JAP』、シングル「ロマンチスト」で徳間ジャパンよりメジャーデビューを果たす。
- 8月2日 - 神戸市民小劇場にてライブ。この時のライブにおいて、興奮した観客が椅子やエレベーターを破壊。この出来事を機に神戸では「スターリンに公共施設は貸さない」という市条例が制定されてしまう。また、全国ホール協会のブラックリストに載ってしまい、あらゆるライブ、コンサート会場でライブが出来なくなる。
- 8月25日 - 3枚目のシングル「アレルギー」リリース。A面曲がわずか51秒しかないという、音楽史上でも稀に見る短いシングル曲として話題になる。
- 9月27日 - 前橋ガルシアにてライブ。これを最後にドラムスの小田ヒトシに代わって中田圭吾が参加する。
- 12月 - 雑誌『音楽専科』に遠藤と明石家さんまの対談が掲載される。かねてより2人が似ていると言われていたため実現した。
- 12月25日 - ボーカルの遠藤による初のエッセイ集『嫌ダッと言っても愛してやるさ!』発売。
メンバー
- ボーカル - 遠藤ミチロウ
- ギター - タム
- ベース - 杉山晋太郎
- ドラムス - 乾純→小田ヒトシ→中田圭吾
1983年
- 2月10日 - マキシシングル『GO GO スターリン』リリース。
- 3月5日、6日 - 千葉ダンシングマザースでライブ。これを最後にギターのタム、ドラムスの中田圭吾が脱退。代わりにギターとして良次郎、ドラムスとして中村達也が加入する。
- 4月25日 - 3枚目のアルバム『虫』、4枚目のシングル『NOTHING』リリース。ドラムスにはじゃがたらの中村貞裕が参加した。
- 6月11日 - 明治学院大学にてライブ。これを最後にギターの良次郎、ドラムスの中村達也が脱退する(後に遠藤はこの時点でザ・スターリンは事実上解散したと述べている)。
- 8月1日 - 遠藤ミチロウ責任編集のソノシート付きマガジン、『ING'O』創刊。ソノシートはザ・ウィラード。
- 9月17日 - 京都大学西部講堂にてライブ。この時のライブは非常階段とのユニット「スター階段」として公演。ドラムスとして乾純、ギターとして尾形テルヤが参加。
- 12月 - ベースの杉山晋太郎が脱退。ギターとしてJUNE-BLEED、ベースとして尾形テルヤ、ドラムスとして乾純が加入する。
メンバー
- ボーカル - 遠藤ミチロウ
- ギター - タム→良次郎→JUNE-BLEED
- ベース - 杉山晋太郎→尾形テルヤ
- ドラムス - 中田圭吾→中村達也→乾純
1984年
- 3月17日 - 清水BOWIEにてライブ。これを最後にギターのJUNE-BLEEDが脱退。代わりに北田昌宏(元INU)がギターとして加入する。
- 4月10日 - 遠藤ミチロウの初ソロ作品でもあるカセットブック『ベトナム伝説』リリース。
- 5月 - 自身の楽曲「Chicken Farm」で参加したオムニバスアルバム『Welcome to 1984』がアメリカ合衆国でリリースされる。
- 6月3日 - 横浜国立大学にてライブ。これを最後にギターの北田昌宏、ベースの尾形テルヤが脱退。代わりにギターとして小野昌之が加入。また、ベースにはヒゴ・ヒロシが参加するようになる。
- 7月1日 - 遠藤のソロシングル『仰げば尊し』が自主レーベルB.Q.レコードよりリリース。
- 11月20日 - アルバム『Fish Inn』リリース。それまでのパンクロックサウンドとは違い、サイケデリックな路線で制作されたためファンの間では賛否両論を巻き起こした。
- 12月25日 - 遠藤ミチロウ対談集『バターになりたい』発売。
- 12月29日~31日 - 新宿ロフトにてライブ。最終日の遠藤のMCで「スターリンはこれで終わりだ」との解散宣言ともとれる発言がなされた。
メンバー
- ボーカル - 遠藤ミチロウ
- ギター - JUNE-BLEED→北田昌宏→小野昌之
- ベース - 尾形テルヤ→ヒゴ・ヒロシ(正式加入ではない)
- ドラムス - 乾純
1985年
- 1月15日 - バンド解散。
- 2月1日 - 遠藤のソロシングル『仰げば尊し』が東芝EMIよりリリース。
- 2月21日 - 調布大映撮影所にてラストライブ。
- 3月30日 - 遠藤のソロマキシシングル『THE END』が東芝EMIよりリリース。
- 5月25日 - ラストライブの模様を収録したアルバム『FOR NEVER』、ビデオ『絶賛解散中!!』がリリースされる。
メンバー
- 遠藤ミチロウ - ボーカル
- 小野昌之 - ギター
- 乾純 - ドラムス
- 肥後宏 - ベース(演奏はラストライブのみで、正式加入ではない)
神戸市条例制定の謎
1982年8月2日での神戸市民小劇場ライブにおいて、観客が施設を破壊。この出来事を機に神戸では「スターリンに公共施設は貸さない」という市条例が制定されてしまう。また、全国ホール協会のブラックリストに載ってしまい、あらゆるライブ、コンサート会場でライブが出来なくなる。
ほぼ全ての略歴では上記の事項が記述されているが、過去を遡っても「神戸市民小劇場」と言うスペースは神戸市公営施設に存在しない。また、神戸市の各種条例を検索しても、現在では、スターリンに関する条項は見当たらない。なお、神戸市の各種公営ホールについての条例について、一例を挙げると1973年制定の「神戸文化ホール条例」には、制定時から以下の項目が存在している。
(施設)
第2条の2 神戸文化ホールの本館に大ホール、中ホール、リハーサル室、多目的室、特別控室及び
ロビーその他の便益施設を、練習場に練習室1, 練習室2, 練習室3, 練習室4, 練習室5及び
ロビーその他の便益施設を置く。
(使用の許可)
第3条 前条の施設(ロビーその他の便益施設を除く。以下単に「施設」という。)を使用しようと
する者は、規則で定めるところにより、市長の許可を受けなければならない。
(許可基準)
第4条 市長は、次の各号のいずれかに該当すると認めるときは、前条の許可をしてはならない。
(1) 公の秩序又は善良な風俗を乱すおそれがあるとき。
(2) 建物その他附属設備を汚損し、損傷し、又は滅失するおそれがあるとき。
(3) 管理上支障があるとき。
(4) 公益に反するとき。
神戸市の他の公営施設の条例も、ほとんどがこれに準じており、施設設立当初から「善良な風俗を乱す」「設備を汚損・損傷させるおそれのある者」」には使用を禁止するようになっている。仮に、スターリンが問題を起こしたとしても、その対策は上記程度の内容で充分であり、スターリンを出入り禁止にするために、わざわざバンド名を名指しにする必要はまったく無い。そして、「あらゆるライブ、コンサート会場でライブが出来なく」なってしまった、当該ライヴ後もスターリンは大学祭・ライヴハウス等で演奏を行っている。なおかつ、スターリンの数年後、さらに凶悪なライヴを各所で敢行し、その度に各所でトラブルを起こしたハナタラシのライヴ履歴から傍証しても「全国ホール協会のブラックリスト」なるものが存在しないのは、ほぼ確実である(中野サンプラザ内にあった「全国ホール協会」は「全国ホール名鑑」という出版物を発行していたが、これはホールの施設概要についてのデータベースである)。
このため、この事項は、兵庫県・神戸市・神戸市民文化財団が主催する各種施設(「市民小劇場」に類似した施設名が複数存在する)でトラブルを起こしたスターリンの噂に尾ひれが付いた、一種の都市伝説であると想像できる。また、過去のインタビュ−等では、遠藤ミチロウ自身も、このエピソードに触れており、あえて楽しんでこの「都市伝説」の流布に加担した可能性も否定できない。
作品
シングル
ザ・スターリン
スターリン
アルバム
ザ・スターリン
ビデオスターリン
スターリン
ビデオ
ザ・スターリン
- 絶賛解散中!!(1985年5月25日)
- YOUR ORDER!(1987年6月25日)
- 吐き気がするほどロマンチックだぜ(2001年6月30日)
ビデオスターリン
- DEBUT!(1987年)
- LOVE TERRORIST(1988年)
スターリン
- P.(1989年)
- 最後の赤い夏(1990年10月25日)
未発表曲
ザ・スターリン
自閉体(遠藤の前バンド)時代からの曲
- ブタのケツ
- 愛してやるよ
- ハンマーロック
- いやだ
- トリック
- 記憶
ザ・スターリン時代
- TOKY(先天性労働者の原曲)
- 原発メニュー(アレルギーの原曲)
- 白日夢(MISERの原曲)
- メシ喰うな!
- INUのカバー曲ではなく、「メシ食わせろ」のコンセプトになった曲。歌詞も「メシ喰うな!、メシ喰うな」と単にがなりたてるだけの曲である。金子が脱退後は演奏不能だった。オープニングの定番曲であった時期もある。同時期の共演者からも、どうやって弾いているのか、と不思議がられていた演奏であった。「電動コケシ」についてもライブで完全にスタジオと同様の演奏を行っていたのは皆が不思議がっていたが、金子は独自のコードを多岐に編み出していたようだ。ベースも当時としては奇妙なコード奏法が主体であったが、杉山はベースを金子に習っていたため、「それが普通と思っていた」と後に語っている。
出演
映画
書籍
関連書籍
- 嫌ダッと言っても愛してやるさ![遠藤みちろうファースト・エッセイ] (1982年、K.K.ダイナミックセラーズ)
- ザ・スターリン伝説(2004年、マガジン・ファイヴ)ISBN 4434047906
関連項目
外部リンク

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