|
|
このページのノートに、このページに関する提案があります。
提案の要約:内容の分割と東武日光線優等列車として相応しい名称への改称 |
この項目では東武鉄道が運行する特急列車のうち主に100系電車を使用して日光線・鬼怒川線経由で運行する特急列車の総称『スペーシア』について説明しています。
- 同名の列車に使用される車両については東武100系電車をご覧ください。
- 日本板硝子が製造する中を真空にした複層ガラス『スペーシア』については日本板硝子をご覧ください。
スペーシア (SPACIA) とは、東武鉄道が保有する観光特急用100系電車の愛称であり、同社の観光特急のブランドである。
本項では、100系「スペーシア」によって運行される東武特急(「けごん」「きぬ」、JR~東武直通特急「(スペーシア)日光」「(スペーシア)きぬがわ」)の他、300系・350系によって運行される東武日光線系統のその他の特急列車(「しもつけ」「きりふり」「ゆのさと」)、また、浅草・東京・新宿方面と日光・鬼怒川方面を結ぶ優等列車の歴史についても著述する。
スペーシア(100系)
(2007年11月3日 姫宮~東武動物公園にて撮影)
スペーシア(100系)
(2008年10月30日 春日部にて撮影)
東武日光線特急列車群
本節では、主に浅草駅を発着する日光線系統の特急列車群について詳述する。JR~東武直通特急についてはこちらを参照のこと。
現在、200系・250系によって運行される伊勢崎線の特急の愛称は「りょうもう」に統一されているが、100系「スペーシア」によって運行される日光線の特急の愛称は「けごん」(日光線各駅発着便)と「きぬ」(鬼怒川線各駅発着便)があり、また300系・350系で運行される日光線の特急の愛称は「しもつけ」(宇都宮線)・「きりふり」(日光線)・「ゆのさと」(鬼怒川線)が用いられている。
運行概況
「けごん」「きぬ」の歴史は古く、第二次世界大戦中に運行休止はあったものの、日光線開業直後から長らく運行されて来た歴史がある。また、東京~日光間などでは国鉄→JR東日本の宇都宮線(東北本線)・日光線と並行しており、かつては激しい競争も行われたが、「(スペーシア)日光」「(スペーシア)きぬがわ」の運行開始をもって首都圏と日光・鬼怒川、さらには会津までを結ぶ観光列車としての位置付けを確固たるものとした様相がある一方で、首都圏の通勤輸送・地域輸送という側面も益々重要となってきている。
特急を補完する形で運行されてきた有料急行「しもつけ」「きりふり」「ゆのさと」は2006年3月18日から特急に昇格したものの、設備上4両編成までしか乗り入れができない宇都宮線の「しもつけ」と通勤客向けの「きりふり」は料金やサービスが据え置かれた他、従来の観光急行「ゆのさと」の定期運行がなくなっている。
また、臨時列車だが、私鉄で唯一の夜行列車が運行されている。
ともに下りのみの運転で、連絡バス乗車券やスキー場施設利用券などとセットで販売されることが基本である。詳細は東武鉄道夜行列車を参照のこと。
行楽シーズンに運転される臨時特急「きりふり」
(2007年8月19日 姫宮駅にて撮影)
宇都宮線内を発着する唯一の特急「しもつけ」
(2008年12月4日 曳舟駅~業平橋駅間にて撮影)
列車名・運行区間など
東武日光線の各特急列車名・運行区間は以下のとおり。主に行き先別の愛称設定[1]となっている。
- けごん
- きぬ
- しもつけ
- 浅草駅~東武宇都宮駅間
- 宇都宮線発着列車
- 毎日1往復。下りは夕方の時間帯、上りは朝の時間帯に運転される。
- きりふり
- 浅草駅~南栗橋駅間
- 日光線発着列車
- 主に行楽シーズンのみ東武日光駅発着で運行される。
- 平日のみ浅草駅→南栗橋駅行に運行されている「きりふり283号」は、いわゆる通勤ライナーのような位置付け[3]の列車である。
- ゆのさと
- 浅草駅~鬼怒川温泉駅・鬼怒川公園駅・新藤原駅間
- 鬼怒川線発着列車
- 主に行楽シーズンのみの運行となっている。
なお、列車は上りが偶数、下りが奇数をそれぞれ出発順に符番しており、列車名の後に1号~から符番される。ただし、臨時列車ではこのパターンが崩れる場合がある。
- けごん:0番台(新栃木駅を始発・終着とする「けごん200号」と「けごん239号」は例外)
- きぬ:100番台
- その他:200番台
連絡列車
下今市駅で鬼怒川線からの特急と接続する「特急連絡」列車
(2008年10月28日 上今市駅にて撮影)
下今市駅接続の「連絡列車」
東武日光駅発着の特急列車は分岐点の下今市駅で鬼怒川線の「連絡列車」と、また鬼怒川線発着の特急列車は同駅で東武日光駅発着の「連絡列車」と接続し、利用客の利便性が図られている。
使用車両は主に6050系が使われるが、このうち鬼怒川線発着の「きぬ」に連絡する東武日光駅発着の「連絡列車」には100系などの特急用車両が充てられる場合があり、これについては「きぬ」の特急券を所有していないと乗車できない制限を設けている。停車駅も下今市駅~東武日光駅間を無停車で運行される。
なお、2006年3月18日ダイヤ改正以前の鬼怒川線特急列車に接続する「連絡列車」[4]は、使用車種に係わらずほぼすべての列車が特急と同様に無停車で運行されていた。また、東武日光駅発着の特急列車にも鬼怒川線を特急に準じた停車駅で連絡列車が運行されていたが、ともに各駅に停車するようになった。
野岩鉄道・会津鉄道接続列車
1986年(昭和61年)10月9日の野岩鉄道会津鬼怒川線開業後は、東武特急が鬼怒川温泉駅などで野岩鉄道鬼怒川線の列車と短時間で接続するダイヤを組んでおり、東武日光線沿線から同線、さらには会津鉄道会津線、JR只見線を経由して福島県会津若松市の会津若松駅に至る沿線各地の旅客利便性に寄与している。会津線の一部区間(会津高原尾瀬口駅(当時は会津高原駅)~会津田島駅)が電化(1990年(平成2年)10月12日)された後は、急行(当時は快速急行)「南会津」(浅草駅~会津田島駅)が運行され、会津高原駅で会津鉄道の快速「AIZUマウントエクスプレス」(8500系)に接続することによって、1回の乗り換えで都内と会津若松駅が結ばれるようになった。2005年(平成17年)2月28日付けで急行「南会津」が廃止された後は、快速「AIZUマウントエクスプレス」が鬼怒川線に乗り入れ、鬼怒川温泉駅で特急「きぬ」と接続するダイヤに変更されている[5]。
料金制度
全列車が座席指定席制を採用しているが、従前の特急・急行料金が基本となっている。そのため、使用車両の違いがそのまま料金の差となる。なお、適用列車は下記の使用車両を参照のこと。
- 100系…従前の特急料金(2006年3月18日から直通運転を開始したJR485系も100系と同じ)
- 300系・350系…従前の急行料金
100系を使用する「けごん」「きぬ」については、2003年(平成15年)3月19日から特急・急行料金を値下げするとともに乗車日や列車により「平日料金」「土休日料金」と「午後割」「夜割」の制度が設けられている。後者が適用されると従前の急行料金に相当する額で特急に乗車できる。また、後者については列車指定であることからともに出発駅より適用される。
- 午後割:浅草駅発平日12時~16時、土曜・休日14~16時発の「けごん」「きぬ」
- 夜割:東武日光・鬼怒川温泉・鬼怒川公園各駅発平日17時、土曜・休日18時以降発の「けごん」「きぬ」
100系「スペーシア」には大人4名まで利用可能なコンパートメント席が設けられており、これには特急料金を含め1区画ごとで発行される。なお、料金は2003年3月19日からの値下げに伴い「平日料金」「土休日料金」を設定している。
運転日について
特急列車は基本的に毎日運転されるが、期間により運転されない日がある。そのため、2期間別に設定して運転を行っている。
-
「成田エクスプレス」と東武100系「
スペーシアきぬがわ」
(2007年7月28日 新宿駅にて撮影)
485系直通専用編成
(2006年5月30日 白岡~新白岡間にて撮影)
189系元「彩野」編成(第2予備車)
(2007年5月26日 新宿駅にて撮影)
急遽485系に代わり
スペーシア車両で運行された「日光1号」
(2006年3月21日 大宮駅にて撮影)
新宿~日光・鬼怒川相互直通特急
2006年(平成18年)3月18日のダイヤ改正より、栗橋駅のJRホームと東武ホームの間に新設された渡り線を経由して、JR新宿駅と東武日光駅・鬼怒川温泉駅間を直通する特急列車が運行されている。
概要
2006年(平成18年)3月18日の運行開始以降、運行形態は以下のとおりとなっている。
- 新宿駅~東武日光駅間を定期運行する「日光」(「スペーシア日光」)号…毎日1往復
- 新宿駅~鬼怒川温泉駅間を定期運行する「きぬがわ」号…毎日1往復
- 新宿駅~鬼怒川温泉駅間を定期運行する「スペーシアきぬがわ」号…毎日2往復
この他、多客期には横浜駅・新宿駅~東武日光駅間あるいは新宿駅~鬼怒川温泉駅間に臨時の「日光」(「スペーシア日光」)号や「きぬがわ」(「スペーシアきぬがわ」)号が運行されることがある。横浜駅発着便の経路は湘南新宿ラインと同様で、東海道本線(横須賀線専用線)・大崎駅構内・山手線を通り、横浜駅~新宿駅間の停車駅は渋谷駅のみである。
- 停車駅の詳細はこちらを参照のこと。
- 特急券の扱いは以下の通り。
- 全席座席指定制で、特急券はJRの指定席発券システム「マルス」によって発券される。そのため、発売箇所は原則としてマルス端末設置箇所(JRみどりの窓口、東武線内停車駅[6]、主な旅行会社)となる[7][8]。
- 特急料金は全区間において通年同額。ただし、個室(グリーン4人用個室扱い)を利用する場合は4人分の特急料金(正規の特急料金から510円を差し引いて4倍した額〈小児半額〉)が必要となる。
- 東武線内では他の自社線内運行特急列車で認めている定期券と特急券での乗車は認めていない。
なお、JR線内についても特急券と定期券での乗車は設定当初より認めていない。→特別急行券の項を参照のこと。
- 東武100系「スペーシア」とJR485系・189系では車内設備が相違すること(個室の有無や乗車定員の違い)から、特急券の発券管理上でも両者を区分する必要がある。このため、前者によって運行される便に「スペーシア」を冠して後者と区分している。
- JR485系と189系は全車両が普通座席扱い。
- 東武100系「スペーシア」はコンパートメント席がグリーン席扱い、それ以外が普通座席扱い。
- 2007年(平成19年)3月18日からICカードのPASMOが運用開始され、Suicaも相互利用によりすべての運行区間内で利用可能となったが、栗橋駅経由でJR線と東武線を跨いで乗車する利用は認められておらず、同駅での精算が必要となっている。たとえば、JR新宿駅から東武日光駅まで改札を通らないルートによると北千住駅経由で計算される。
運行の経緯と背景
東武日光線は、開業時から現在のJR東日本(旧国鉄)のJR宇都宮線(あるいは東北新幹線)・日光線と並走しており、戦前~昭和40年代は別項に示すとおり国鉄線(東北本線~日光線)にも多くの優等列車が設定され、東武日光線と華やかな競争が繰り広げられていたこともあった。こうした背景から、一部の鉄道ファンや鉄道関係者からはJR新宿駅へ直通する東武特急の新設を「歴史的事件」「日光バトル終結」などとも呼ばれたという。[要出典]
現在、東京~日光ルートは東武鉄道経由で東武日光駅を発着する特急列車利用が圧倒的に便利である[9]ものの、観光シーズンにはJR宇都宮駅で東北新幹線(あるいはJR宇都宮線)とJR日光線を乗り継いで利用[10]する観光客が意外に多く、特に海外から国際観光都市・日光を訪問する観光客にとっては、ジャパン・レール・パスが利用可能かつ広く周知されている後者のルートがメインルートとなっている側面もある[11]。
相互直通の導入は、JR東日本と東武鉄道に次の様なメリットがあったと言われている。
- 東武鉄道におけるメリット
- 特急のターミナル駅が山手線に接続しない浅草駅のみだった営業的閉鎖環境からの開放
- 東京西部や神奈川県方面から日光への商圏拡大、観光需要喚起による増収
- 代替ルート確保による浅草駅~南栗橋駅間線路容量の増加
- JR東日本におけるメリット
- 人口減少時代を見据え、東武鉄道との協調による日光観光収益の確保
- 日光への観光客のその他の輸送手段からの分離・封じ込みによる収益の確保
- 東武が優位だった東武日光線沿線(栃木・鹿沼・今市・日光)対首都圏への旅客確保
- JR宇都宮駅での折り返し解消による運行の簡素化
- 単線区間(宇都宮駅~日光駅)の効果的使用による効率化
- 両社におけるメリット
また、一部報道によればバブル崩壊後に日光・鬼怒川の観光産業自体が以前に比べて衰退[12]しているとされ、縮小していくパイを奪い合うよりは両者が協調して需要を開拓する方が望ましいと判断したのではないか、とも言われている。
ちなみに東武側ではこの構想以前では同じ会社ながら日光方面への利用が少なかった東上線の客も取り込む意図で1967年(昭和42年)9月に池袋駅~東武日光駅間を同線・秩父鉄道線・伊勢崎線・日光線経由で直通する団体列車が6000系で運行されたことがある。さらに1979年(昭和54年)には日光線開通50周年記念展を東武百貨店池袋店で開催するなど以前から同店や東上線の車内広告でキャンペーンを行っていたこともある。
また、大宮市(現・さいたま市)から「大宮駅から野田線を経由して日光・鬼怒川への直通特急の新設を」という要望書が出され続けたことがあり、1990年(平成2年)8月28日と29日に1720系「DRC」を使用して大宮駅~東武日光駅間に「市制施行50周年記念大宮市民号」という団体列車を運行した。その際はかつて1969年(昭和44年)9月~1972年(昭和47年)11月に同じような試みで季節急行列車の「きりふり」「りゅうおう」が5700系で設定されたことがあったものの利用が芳しくなく廃止されたことから、直通特急の設定は利用が見込めないとして先が続かなかったが、この直通運転列車はその変形的な再現とも言える。さいたま市ではその後も野田線経由の直通列車再開の要望を申し入れていたが、JR直通特急の新設が発表されると「事実上の再開」として要望を取り下げるに至った。
東武では時々駅や車内での広告の掲出、パンフレットの配布およびテレビコマーシャルを流して利用客の誘致に努めている。一時期はJR東日本もテレビコマーシャルを流していたが、現在も駅や車内での広告の掲出とパンフレットの配布を行っている。
停車駅
- 凡例
- ●:停車、 ▲:始発・終着列車のみ停車、 |:通過、 空欄・∥:経由せず
東武日光線優等列車沿革
戦前
日光線開業と特急新設
- 1929年(昭和4年) - 日光線全線開業により週末限定で「特急」の運行を開始。
- 運行区間は浅草駅(現在の業平橋駅)~東武日光駅間で、途中停車駅は杉戸駅・新古河駅・下今市駅だった。速達サービスの対価として特急券を発売しなかったことから2007年現在の東武鉄道の「快速」に相当する格の列車であり、また専用車両も特に設定されていなかった。
- また、運転距離は135kmと100kmを超すものであり、このような長距離での電車による運行は当時鉄道について最先端をいくとされた関西でも大軌・参急(現・近鉄、1930年~)位しか例がなかったため、その点でも画期的だった。
- 1930年(昭和5年) - 伊勢崎線直通列車と杉戸駅での増・解結で運行する「急行」の運行開始。また、特急に展望車「トク500形」の連結開始。
- 運行実態は「急行」の方が2007年現在の「快速」に近いものである。また、特急に連結された展望車「トク500形」は省線二等車に相当する特別席として設定されていた。定員20名。車内の内装は当時の東海道本線特別急行列車「富士」の展望車に準じたオープンデッキ・サロンを有した造りだった。しかし、車両の構造としては制御装置を持った電車ではなく客車に近いものだったため、常に最後尾に連結せざるを得ず、使用時に際して入れ換えなどをしていたなどと言われる。
- 1931年(昭和6年) - 浅草雷門駅(現在の浅草駅)開業により「特急」を毎日運行開始。
- 1935年(昭和10年) - デハ10系が「特急」に就役。
- 1937年(昭和12年) - 「特急」が鬼怒川温泉駅に乗り入れ。
- 1942年(昭和17年) - 「特急」運行休止。
- 1943年(昭和18年) - 「特急」廃止。
- 「戦時輸送優先により」、沿線に軍需工場があった伊勢崎線・宇都宮線方面への輸送にシフトしたことによる。なお、末期は不定期列車2往復のみとなっていた。
戦後
再開から発展へ
- 1948年(昭和23年)6月11日 - 日本での進駐軍(GHQ・連合国軍)の「要請」により「特急」を浅草駅-東武日光駅間で運行再開。
- 運行形態としては、国鉄二等客車を進駐軍専用車両とし、電車でそれを牽く形態で、当初は金~日曜日の1日1往復とされた。
- 1948年(昭和23年)8月6日 - 進駐軍専用列車の牽引電車に定員制だが「華厳」として一般乗客を乗車させる事とし、浅草駅-鬼怒川温泉駅間の特急として「鬼怒」の運行を再開。
- この列車に自由定員制の特急券(当時は急行券名義)を設定した。また、進駐軍専用列車以外はロングシート車が充てられた。なお、「鬼怒」は土曜日のみ設定された。
- 1949年(昭和24年) - デハ10系の復旧に伴い全車両を「華厳」「鬼怒」に充当することが可能になり、「華厳」が毎日運行となる。これに伴い下今市駅で「華厳」の分割運転も開始され、浅草駅~東武日光駅・鬼怒川温泉駅間での運行となる。また、進駐軍専用列車の運用を終了する。
- 1950年(昭和25年) - 「鬼怒」にトク500形展望車連結を再開。
- 1949年にオープンデッキ方式から密閉式への改造を受けた上で団体用車両として使用されていたが、定期列車用車両として使用を再開したのは同年からである。しかし、5700系の就役に伴い翌1950年には定期列車での使用が中止される。
- 1951年(昭和26年) - 5700系就役。この頃より列車名も「けごん」「きぬ」の平仮名表記となる。また新たに鬼怒川線発着の特急に「おじか」、日光線・鬼怒川線併結特急に「さち」の愛称名が付される。
- 1952年(昭和27年) - 急行券の制度を座席指定制に変更。
- 1953年(昭和28年) - 5700系の増備に伴い5310系を観光用「快速」列車として使用を開始する。また、浅草駅-東武宇都宮駅間で運転されていた無料急行・準急に加え、愛称無しの有料急行1往復が新設された。現在の特急「しもつけ」とほぼ同じダイヤ設定であった。
- 1956年(昭和31年) - 特急専用車両として1700系の運用を開始。
- これにより一部の5700系を急行専用車両に格下げ、伊勢崎線急行のみではなく日光線でも急行券を要する急行に使用されることとなった。なお、同系列の急行用車両には車体に青帯を描いたことから「青帯車」と称し、特急専用車両である1700系と5720系は白帯を描いたことから「白帯車」と称された。また、この急行の運転に伴い従来の日光線特急に要した「急行券」を「特別急行券」の名称に変更。この時設定された日光線発着特急に「きりふり」「たかはら」(「たかはら」は鬼怒川線発着併結便にも使用された)、鬼怒川線発着特急に「ゆのはな」の愛称名が付された。また同時に有料急行にも愛称が付され、日光線発着急行に「あかなぎ」「なんたい」「にょほう」、鬼怒川線発着急行に「いかり」「ゆにし」「りゅうおう」、宇都宮線発着急行に「しもつけ」が使用された。
- 1957年(昭和32年) - 1700系を増備し特急専用車両を同形式に統一。また「けごん」に浅草駅~東武日光駅間ノンストップ列車の運行を開始。
- これには1956年に運行を開始した国鉄日光線準急「日光」に対抗するための輸送量と速度の向上ということが理由として挙げられる。
- 1958年(昭和33年) - 「準快速」運行開始。
- 1959年(昭和34年) - 浅草駅-東武宇都宮駅間運行の有料急行を廃止。浅草-東武宇都宮直通列車は準急・快速のみとなった。これら無料準急・快速は宇都宮線内各駅停車であった。なお、「しもつけ」の愛称は、その後鬼怒川線発着急行の愛称として使用された。また同じく鬼怒川線発着の特急に新たに「かわじ」の愛称が使用された。
DRCの登場と東武特急の繁栄
- 1960年(昭和35年) - 1720系が特急に就役。
- この新車投入は、1959年(昭和34年)に国鉄が「日光形」157系を準急「日光」に投入し時間短縮と客室居住性向上を図ったことへの対応策であり、折からの世界規模の国際観光ブーム到来に対応するための外国人観光客対策でもあった。なお、本車両の詳細は車両記事項目を参照。
- 1962年(昭和37年) - 1720系の特急に「けごん」「きぬ」の愛称を専属で付与され、上り・下りとも「けごん」「第2けごん」のように2番目以降の列車に番号を振った。
- 東武日光駅発着特急に、新たに「ようめい」の愛称が使用された。
- 同時に1720系使用列車の営業最高速度を110km/hに引き上げた。
- 1963年(昭和38年) - 上りの特急と急行の全列車を、営団地下鉄日比谷線(1969年からは千代田線も)および都心方面へ直通する国鉄常磐線との乗り換えのために北千住駅への停車を開始。
- 1964年(昭和39年) - 快速専用車両として6000系の運用を開始する。同時に座席指定席を快速の一部車両に導入。
- 後に6000系は5700系とともに急行列車にも使用される。
- 1967年(昭和42年)- 東上線池袋-東武日光間の臨時列車として「にっこう」が運転される。
- 1969年(昭和44年)3月21日 - 1720系の特急を「D特急」とし、1700系のものを「特急」という種別呼称を使用する。また、列車の発車順に付与される番号を改変し、上りを偶数、下りを奇数とする。
- 「D」=1720系の称「デラックスロマンスカー」とされるが、区別が付きづらいためか6月11日付けで「D特急」「特急」から「A特急」「B特急」と種別呼称を変更する。またこの時点でB特急列車の列車名も東武日光駅発着を「なんたい」、鬼怒川公園駅発着を「たかはら」、急行列車名も東武日光駅発着を「だいや」、鬼怒川公園駅発着を「おじか」と統一している。
- 1969年(昭和44年)9月27日 - 不定期だが大宮駅発着の急行「りゅうおう」「きりふり」の運行を開始する。
- 「りゅうおう」は鬼怒川温泉駅行、「きりふり」は東武日光駅発着で土・日曜日を中心に運行され、途中岩槻駅・春日部駅・下今市駅に停車した。なお、春日部駅ではスイッチバックが行われた。
- 1971年(昭和46年) - 1700系による特急の運転を終了し、すべての特急が1720系による運行となる。なお、1700系も1720系と同様の車体に改められて再び特急「DRC」として使用されることになる。
- 1972年(昭和47年) 不定期列車としての「りゅうおう」「きりふり」の運行を終了する。なお、廃止以降も散発的に団体扱いで運行されることがあった。
- 1973年(昭和48年) - 新栃木-東武日光間の複線が復旧。
- これにより、下り「けごん」のノンストップ列車は浅草~東武日光間を1時間41分で走破し、表定速度は80km/hを超えた。
- 1976年(昭和51年) - 「だいや」「おじか」の列車種別を「急行」から「快速急行」へ変更。快速の座席指定席を廃止。
- 「だいや」「おじか」には6000系・5700系が充当されており、同種別の伊勢崎線系統急行「りょうもう号」専用1800系に比して内装やサービスが落ちるため取られた措置である。また、同時に同じ車種を用いた「快速」の座席指定制を廃止し、「快速急行」を座席指定制列車に特化した。急行券も「快速急行」と称号を変更したことにより「快速急行券」と名称を変更する。なお、停車駅は下り列車が北千住駅通過である以外、2005年時点での有料急行停車駅と同等となっている。
- 1984年(昭和59年)12月15日 - 18時15分頃に家中駅付近で17時に浅草を発車した鬼怒川温泉行特急「きぬ」号が乗用車と衝突する事故が発生。これにより、1756号の前面部と車内および1755号の車内が焼損し、復旧まで1か月を要した。
- この時期は年末年始の繁忙期だったので、その間の代行を5700系の6連が担当したが、性能面やサービス面で1720系と差があり、特に運転ダイヤは1720系のそれに対応できないので、5700系のそれに合わせた。そのため、乗客には特急券の払い戻しや乗車予定だった乗客にはそれを了解の上で乗車した。
- 1985年(昭和60年)1月12日 - 1756号+1755号の先の踏切事故からの復旧工事が完了した。
- 1985年 - 快速・快速急行用車両として6050系の使用を開始。
- 1986年(昭和61年) - 特急全列車が下今市駅に停車開始。
- 1988年(昭和63年)8月8日 - 定期列車から5700系が退役。
- 1988年(昭和63年)8月9日 - 野岩鉄道会津鬼怒川線会津高原駅(現・会津高原尾瀬口駅)発着快速急行「おじか」と宇都宮線乗り入れ快速急行「しもつけ」の運行を開始。これに伴い快速急行券の名称を「座席指定券」とする。また、新栃木駅に一部特急が停車開始。
スペーシアの就役と特急の変容
- 1990年(平成2年)6月1日 - 特急専用車両として100系が就役。
- 公募により「スペーシア」の車両愛称が与えられ、これ以降特急「けごん」「きぬ」の総称としても使用される。この愛称は「宇宙」「空間」を表す"SPACE"と温泉の"SPA"とを合成して固有名詞化させたものである。
- また、JR以外の鉄道会社では初めて同車両に個室を採用した。
- 1990年(平成2年)9月25日 - 快速急行「しもつけ」を「ビジネスライナー」に指定、定期券での