タミヤ とは?ページ内リンク ↓ウィキペディア(Wikipedia)記事 ↓Yahoo!知恵袋プラスチックモデル、ラジオコントロールモデル、工作キット、 出典: 『ウィキペディア(Wikipedia)』 タミヤ 出典: 『はてなダイアリー』 関連商品
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| 種類 | 株式会社 |
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| 本社所在地 | 〒422-8610 静岡県静岡市駿河区恩田原3-7 |
| 電話番号 | 054-286-5105 |
| 設立 | 1984年3月24日 |
| 事業内容 |
プラスチックモデル、ラジオコントロールモデル、工作キット、 関連製品製造販売 |
| 代表者 | 代表取締役会長 田宮俊作 代表取締役社長 田宮昌行 常務取締役 曽根雅詞 |
| 資本金 | 5,000万円 |
| 従業員数 | 362名 |
株式会社タミヤ(TAMIYA, INC. )は、日本に本社を持つ世界でも有数の総合模型会社。日本国外でもツインスター「星のマーク」と言えば、通じるほどである。旧社名「田宮模型」。本社所在地は静岡県静岡市駿河区恩田原3番地7。
タミヤの象徴する人気シリーズ・アイテムを数多く輩出した艦艇、飛行機、AFV、車などのプラモデル部門、ラジコン・ミニ四駆・ダンガンレーサーといった可動模型、「楽しい工作シリーズ」といった木工工作模型、プラバンなどの素材、塗料・エアブラシ・コンプレッサーなどの塗装道具と模型に関して広範囲に扱っている。
「初心者にも分かりやすく作りやすい」をコンセプトに企画から金型制作、ボックスアートまで自社一貫体制で対応しており、日本国内では随一の開発力を持つ。そのとおり誰にでも組み立てられ、パーツの精度の良さ・かつ完成度の高い作品を作ることができる。
目次 |
田宮模型の創業者・田宮義雄は、第二次世界大戦以前は運送業を営んでいたが、1945年6月の静岡大空襲で事業基盤の大半を焼失してしまったため、戦後製材業に転じ、1946年に田宮模型の母体となる「田宮商事」を設立。翌1947年には木製木工部門を設立し、主に船舶や飛行機の木製模型を製作していた。しかし1951年に漏電が原因で火災が発生し会社社屋や在庫の木材等を焼失し大きな借金を抱え、材木の仕入れにも支障をきたすようになったため、1953年には一般建築材の製材販売をやめ、模型専業メーカーとなる。
1950年代半ばから海外製プラスチックモデルが輸入されはじめ、木製模型の売上が減少していったことから、プラスチックモデルを製造することが1959年に決定された。翌1960年にタミヤのプラモデル第1作目として戦艦大和を発売したが[1]、同時期、栃木の模型メーカー・日本模型(略称ニチモ)に武蔵を350円で発売され、タミヤも赤字覚悟で同価格に設定したものの売上は届かず惨敗、再び木製模型の商品化を行った。その間にも当時の模型業界の流れはプラモデルへと主軸が移り始めていた。
1960年代に入ると、ひょんな事からプラスチック玩具の不要になった金型を借り受けることができ、それを利用して発売したレーシングカーのミニ・キットが幸運にもヒットし、資金的に次のプラモデル製作の目処がたった。第2作目のプラモデルは形状が直線的で金型が作りやすいパンサー戦車に決定し、箱絵はイラストレーター小松崎茂に依頼される。1962年の正月に発売された同キットは、モーターを搭載し、よく走ること、組み立てやすく説明文が丁寧であることから好評となった。
後のミリタリー分野のスケールモデルの定番となる1/35という縮尺はこの時に生まれた。このサイズは戦車内部に単二形乾電池が2本収まることを考えた設計のためであり、当時は正確なスケールを求める模型ファンは少なく、この縮尺は偶然の産物である(後述)。
金型は現在は自社で制作している。以前は外注しており、外注先の納期遅れや不透明な価格設定に苦労していた。そこで金型職人をスカウトし1964年に金型部が発足した。1966年から社員数人を金型製造工場に出向させ、徐々にノウハウを蓄積し自社で金型製造を行うようになった。現在ではCADシステムも導入されている。
同社の金型は極めて精度が高いことで知られ、その精度は組み立てた際の仕上がり具合にも影響する。かつての設計図と金型職人の職人芸によってプラモデルが製造されていた時代には、他社製品が細部のボルトを単なる半球の突起で表現していた頃に、きちんと小さな六角柱で表現、このような徹底した造型へのこだわりは海外でも高く評価された。
タミヤがプラモデルを初めて発売するにあたって、田宮俊作(義雄の子、後に社長となる)は、新しいマークを当時東京芸術大学デザイン科の学生だった弟の督夫(まさお)に依頼し、誕生したのが「星のマーク」である。当初はマークのまわりに英文があしらわれていた。1960年代のスロットレーシングカー発売のときにデザインを変更、現在のものになった。
尚、左側の赤い星は「情熱」右側の青い星は「精密」を表している。
タミヤニュースとは、田宮模型が発行する自社の模型に関する情報誌。月1回発行。 1967年創刊で当初は隔月刊、たまに臨時増刊号が発行された。長らく一部50円であったが後に100円に値上げされた。独特の細長い版型は、定形郵便物として発送するために封筒に合わせたものである。新製品、模型店、模型クラブの紹介記事のほか、模型改造の記事、有名・無名の模型愛好家の記事などがある。姉妹誌として、ミニ四駆やダンガンレーサーの記事を中心に扱うフリーペーパー(かつては模型店で20円で販売されていたが、現在はタミヤのサイトからPDF形式ファイルでダウンロード可能)の「タミヤ・ジュニアニュース」がある。
他の模型に関連する刊行物は、人形改造コンテスト、情景写真コンテストを行いその結果発表用の冊子を発行している。
初期のタミヤ製品(1961-1967)は、まだボックスアートは外注で対応しており、主に依頼したのが小松崎茂、高荷義之、上田信、平野光一などが担当し、商品イメージ・世界観を広げる「動きのある構図・絵物語風」な迫力のあるボックスアートが主流を占め、タミヤの商品イメージ向上に大いに貢献したが、1968年発売のスロットレーシングカーから背景を書かず商品だけを描いた白バック「ホワイトパッケージ」が登場して、より精密に書き込まれたボックスアートへの路線変更が行われた。この試みは評判がよく、その後発売されるタミヤ製品は航空機・艦船模型など一部の模型を除きホワイトパッケージに切り替わっていく。初期のタミヤブランドイメージ作りに寄与した小松崎茂のボックスアートは、上記のボックスアート戦略の変更、商品の絶版に伴い現在のタミヤ製品から殆どが姿を消す。
戦車模型のボックスアートの背景に描かれた「箱に入っていないアイテム」が、タミヤ製品の輸出に際して問題になり始め「誇大広告」に該当する可能性があると指摘を受け、背景のアイテムを加筆修正で消される処理も行われた。
『ミリタリーミニチュアシリーズ』(MM) 1/35という国際標準と異なるスケールは、もともと「パンサータンク」を開発した際、モーターライズ用の電池ボックスやギヤボックスを組み込むために偶然発生したもので、後にこれに合わせて1/35戦車シリーズが展開され、MMシリーズに引き継がれ一般化したものである。
タミヤが1/35戦車シリーズを展開し始めた当初は、このクラスの戦車模型は飛行機模型でも使われていた1/32が標準であった。しかし、模型趣味としてすでにある程度の歴史を重ねていた飛行機に比べ戦車模型はキット数もさほど多くなく、その後、タミヤが製品群を増やし、組み立てやすさと完成後の姿の良さ、そして部品精度の良さといった理由で好評を得るに従い、このスケールが世界でも受け入れられていった。
しかし、モーターライズを前提とした1/35戦車シリーズは、規格化されたギヤボックスを組み込むために、ものによっては実物より幅が大きくなったり装甲板の角度が異なる、またそのための穴がシャーシに空きっぱなし、走行のための強度を保つためスケール不相応にパーツが厚いなど、正確なミニチュアではないという批判も、ファンの間で実車のリサーチ等が一般化するにつれて存在した。
ディスプレイ専用のMMシリーズは、当初は1/35戦車シリーズに添えるアクセサリーとして兵士や砲、小型車両のキットを出すだけのものだったが、モーターライズせずにディスプレイ専用で組み立てるほうが戦車模型趣味の主流となるにつれ、通常の戦車もこちらのシリーズで発売されることになった。しかしその後もしばらくは、MMシリーズで出る戦車と1/35戦車シリーズで出る戦車は基本的に同一キットで、単にギアボックス等のパーツが同梱されているか否かの差であることが多かった[2]。モーターライズを考慮せず、なおかつ非常に正確なスケールモデルとなったのは、リニューアルされたタイガーI後期型あたりからであろう。
以後、きわめて優れた製品群を世に送りだし、他社からより精密なキットが販売されている現在でも、組み立てやすさでは他社の追従を許さない。また戦車キットに限らず、製品によっては完成後の見栄えを良くするためのデフォルメも加えられている。一方でこのデフォルメに対し違和感を覚えるモデラーもおり、例えばキングタイガーのように同社と他社の製品がユーザーの好みにより選択、共存できる理由ともなっている。2004年からは新たに1/48スケールのシリーズを開始、大戦物アイテムを驚異的なペースでリリースしている。
2000年代に入ってタイガーI初期型からはじまる1/16RC戦車シリーズをラインナップ。1/16ビッグタンクシリーズと金型を共有してはいるがキットサイズが大きい事もあって、プロポーションを崩すことなくRCメカを組み込むことに成功している。また同シリーズは見た目と同時に音、動き、発光にもリアルさをもとめており、エンジン音等現存する実車からサンプリングされている[3]。
『ウォーターラインシリーズ』 1/700という小さな製品であるが、同社の技術力が遺憾なく発揮され発売当時から好評の名キットが多かった。発売から数十年を経た現在の視点で眺めても遜色がない優れた製品も存在する。リニューアルされたキットはさらに磨きがかかっており、満足度は極めて高い。ウオーターラインシリーズの殆どのボックスアートを艦船に造詣の深い上田毅八郎が手がけている。
タミヤは1974年に電動RCモデルの第一弾としてM4シャーマン戦車を発売しラジコン市場に参入[4]。1976年、電動RCカーの第一弾として「ポルシェ934ターボRSR」を発売したところ、これが初年度に約10万台を売り上げる大ヒットとなる。以後タミヤでは継続してRCカーをリリースし、登場してから30年以上を経た現在では国内・海外RC市場で販売され、現在のタミヤの成長を支える大きな収益源の一つにまで成長した。国内外で高いシェアを持つ為、RCカー競技のレギュレーションはタミヤの製品が基準となることが多々あり、RS540サイズモーター、1/12オンロードカー、1/10ツーリングカー等がそれに該当する。日本国内のストックモーターのレギュレーションにおける巻き数23T・メタル軸受けと言う基準も、タミヤスポーツチューンモーターのスペックを基準にしている。
これまで発売されてきたRCカーで培った技術、経験を生かした「RCカー30周年」を記念したモデルを2006年12月に限定発売した。タミヤラジコン開発史の1ページを飾った「ポルシェターボRSR934レーシング」を現在のタミヤ技術を集めたフラッグシップモデルとして新規に開発。
嘗てRCヨットをリリースしていた時期があったが、基本的には地上RCのみラインナップを揃えており、航空機や船舶のRCモデルは現時点では存在しない。 一方、1/16フルオペレーションRC戦車、1/35RC戦車のラインナップが充実しているあたりは、戦車からRCの歴史が始まり、MMシリーズ等ミリタリーモデルに強いタミヤならではと言える。
タミヤ製RCカーは電動式が圧倒的に多く、エンジンカーは1/10ナイトロフォースやXB-Gシリーズなどごく一部である。90年代にはイタリアBMT社のGPレーシングカーの輸入代理店業務を行っていたが、BMT社の業績悪化などから現在では輸入されていない。
なお、RCカーの世界では京商とは常にライバル関係にあり、京商ミニッツシリーズに対してはタムテックギアで対抗している。こちらは田宮模型時代の過去モデルを小型化したボディが採用されることが多く、過去これらで遊んでいたファンが所有することが多い。
詳細はタミヤのRC製品一覧を参照
詳細はミニ四駆を参照
2005年3月、ゲーム製作会社のケイブと業務提携し、同年6月より携帯電話向けコンテンツを展開。 同年11月のミニ四駆PRO発売に合わせ、10月よりミニ四駆情報サイト「ミニ四駆オンライン」を開設するとともにオンラインゲーム「ミニ四駆オンラインレーサー」を発表。当初は2006年春のサービス開始予定だったが、開発の大幅な遅延のため2007年4月20日より体験版の配信を開始、同年10月31日よりベータテストを開始。(2008年2月時点で正式サービス開始予定は未定)
2006年1月31日にはミニ四駆に関するビジネスを展開する子会社「ミニ四駆ネットワークス株式会社」をケイブと共同出資で設立、同年7月にはミニ四駆に特化したSNS「ミニヨンクラブ」のサービスを開始。
楽しい工作シリーズのような、工作少年が様々な動く玩具・模型を作るための部品や、あるいは簡単なロボットを作るためのキットを発売している。この中には往年のマブチモーター人気商品であった水中モーターの継続商品も含まれている。
現在、タミヤ製品の半数以上はフィリピンの工場で製造され、近年の食玩ブームに見られる「彩色完成品モデル」需要の拡大に着目して1/48ミニタリーAFVモデルをウェザリング塗装まで施したモデル、ダイキャスト製のミニチュアカーなど約1,200人の工場の人員を駆使して完成品モデルの製造、全世界のホビー市場に出荷されている。
1960年代のホンダF1(RA273)を皮切りに数多くのF1マシンのプラモデル化を手がけてきた関係から、1991年には当時経営難に陥っていたチーム・ロータスをスポンサードしたこともある。また1976年のティレル・P34からは、F1マシンのモデル化に当たりロイヤリティーをチーム側に支払うようになっている。完成したモデルのクオリティの高さなどもあってF1チームとは概ね良好な関係を築いており、F1チームが機密保持に厳しくなった後も「模型メーカーで唯一タミヤだけはF1マシンの設計図面(CADデータ)を見せてもらえる」と評されるほどであったが、近年ではタミヤといえどチームからの設計図面の提供を受けられなくなり、報道写真等を元にしたモデル化を行わざるを得なくなっている。
2001年以降F1マシンの新製品が発売されないことについて、チーム側からのロイヤリティー条件が厳しくなったため商売として成り立ちにくいからとしているが、同様の問題は一部の航空機や軍用車両の模型でも発生しており、1/48のB-17は決定版と言われるキットを出せるだけの資料が集まっているが、ボーイングからのロイヤリティーの要求が厳しいため商品化できないと言った事を同社社長がイベントで暴露した例や、1/48のジープを小型四輪駆動車の名称でフィギュアセットのおまけとして出荷するなど、金銭が絡む問題で商品化を見送ったり単品販売を断念する例が増えている。
リアルな表現のための海外での実車取材は、1966年のアメリカ、メリーランド州のアバディーン戦車博物館からスタート。軍事機密等のため撮影もスケッチも不許可で見るだけとなった取材の場合は、現場を出てすぐにスケッチを描き資料としている。過去には旧ソビエト製AFVの製品化の際に取材をソビエト大使館(当時)へ申し込んだが断られた上、しばらく正体不明のグループによる監視が付いたこと等を公表している。
この取材は、博物館の展示品や復元した物、ゲートガードに使用されている機材が中心となるため、微妙な個体差によりパッケージの物とキットが異なる(パッケージはXX戦線のAという車両だが、取材した車両を基にしたキットは○○戦線にしかいなかったA'という車両)場合がある。
博物館での実車取材の際には同時に寄付を行うことが多く、特に1990年にはイギリスのボービントン戦車博物館の新館建設に当たり2000万円を拠出したことから、新館には「タミヤホール」の名が付けられた。またアメリカ・スミソニアン博物館内の国立航空宇宙博物館にて行われていた、日本の水上攻撃機・晴嵐の復元作業にも資金を提供している。
1/16RC戦車レオパルト2A6は、実車の製造元であるクラウス・マッファイ・ヴェグマン社からのオファーで開発され、同社の協力により詳細な取材が行われ、エンジン音のみならず、砲塔旋回音、砲身俯仰の作動音、さらには主砲発射音、主砲同軸機銃発射音まで実車からのサンプリングが行われている。
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