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ダイエー とは?

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株式会社ダイエーは、ゼネラルマーチャンダイズストア (GMS)[1]およびスーパーマーケット (SM)[2]を全国的に展開している会社である。

出典: 『ウィキペディア(Wikipedia)』


ダイエーはてなダイアリーを別ウィンドウで表示  :  大規模小売店、丸紅・イオンの元で再建計画を実施中。 東証1部(主市場)、大証1部、名証1部、札幌、福岡、証券コード8263。 英文社名 Daiei, Inc. 本店所在地 〒650-0046 神戸市中央区港島中町4-1-1 TEL:078-302-5001 東陽町オフィスセンター 〒135-0016 東京都江東区東陽2丁目2番20号 Tel:(03)6388-7100(代表) ※ダイエーには所謂「本社」はなく、本社的機能を有するのは 東陽町オフィスセンター*1とされる。 設立 1957年4月10日 ...

出典: 『はてなダイアリー』


和英辞典

ダイエット 別ウィンドウで表示  …  (n,vs) (1) diet (2) losing weight by any method (e.g., exercise) (P)

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森高千里 /  最安値(新品): ¥ 730  最安値(中古): ¥ 1 
おすすめ度5.0(全レビューの平均)1曲目の「ユートピア」のアコギの1音目からラストの「SNOW AGAIN」まで極上の曲のオンパレード。 このアルバムのせつなさは、最後に向かうビートルズの「アビーロード」に近い。 しかし、森高本人は、当時まだまだ、やる気まんまんで、肩の力の抜け具合はどちらかというと、ポールの「ラム」に近い。 歴史的にどう聞くかは、個々人の趣味の領域をでないが、傑作に、間違いない。 この後、メンバーたちが、モーニング娘のバックを務めたりするが、なぜか、森高の絶対的不在を埋め切れていないと思うのは、私だけであろうか?モー娘は、「祭りの後」なのかもしれない。平家みちよには、森高の代わりは、酷だったし、モー娘の物量作戦で、なんとかするしかなかったのか?・・。しかし、初期の「モーニングコーヒー」などは、実は森高後の曲の気がするが、時代がいい意味ののんきさを、許さなくなったのかもしれない。そういう意味では、この「SAVA SAVA」は幸せなアルバムである。  (詐欺には手を出すな さんのレビュー)

本  カリスマ―中内功とダイエーの「戦後」〈上〉 (新潮文庫)別ウィンドウで表示

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おすすめ度5.0(全レビューの平均)元・ダイエーグループの社員だった私としては、どれも納得できる内容ばかりでした。 そして、著者である佐野氏については、よく調べよく取材されたと感心する。 佐野氏は昔、ダイエーによって実家の小売店をなきものにされたそうだが、決して 私怨に走らず中立的かつ客観的にまとめているあたりは流石一流のジャーナリストと言える。 プロローグは店舗のバックヤードに”従業員の生活を助ける為にもどうか当社の商品を 買ってください”と懇願する張り紙が貼られたところから始まる。 現在も続くダイエーの惨状を物語る張り紙である。 中内氏の名前(功いさお)からとった会員制スーパー「Kou'S」について触れられているが、 この本にもあるように従業員は否応無く3000円の会費を払わされ、強制的に会員にさせられる。 私もそうだったが、会員にならない従業員には会員になるまで勤務中でもお構いなしに 入会を促す内線電話がひっきりなしにかかる。 季節毎に変わるスポット商品は強制購入は当たり前。 業績が悪くなり始めた1995年あたりから、社員をグループ会社へ強制出向。 ようするに今までの仕事とは全く畑違いなグループ会社に出向させるのだ。 これで大抵の社員は挫折して退職してしまう。 体のいいリストラである。 中内功・潤親子のワンマンで傍若無人な経営スタイルは今の惨状のフォーマットではないだ ろうか? それを思うと今のダイエーの惨状はある意味、天罰といえる。 では何故、中内氏はこうまでして傍若無人な経営スタイルだったのか? その秘密はこの本に書かれている。  (ノンナナ さんのレビュー)

本  カリスマ―中内功とダイエーの「戦後」〈下〉 (新潮文庫)別ウィンドウで表示

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おすすめ度5.0(全レビューの平均)全盛期のダイエーは仕入れから物流・警備・サービス・宝石から呉服・ファミレス・ハンバーガー屋からレコード屋まで全国展開できる無敵の帝国でした。 しかしながら最強の帝国は「最強」となったときから崩壊の第一歩が始まっていたのでした。 大きすぎて融通が利かず、地場のスーパーの小技に負け、少し高くても本物を求める時代なのに安かろう悪かろうのまま(そう安くもなかったし)本業の利益を副業で無駄遣いしていました。流通王となった中内氏は孤独な王様でした。高度成長という時代に彗星のように忽然と現れ、日本の流通業を根本から打ち砕き、大量消費時代としたものの、バブル崩壊の低成長時代に、役目を終えたようにさびしく去っていった中内氏。 「勝ち組」「負け組」「善」「悪」といった単純な物差しでは測りようもなく、著者の言葉を借りれば棺を覆って評価が決まるはずが棺を覆う蓋さえ見つからない人でした。もうこんな経営者は二度と現れないような気がします。 そういった中内氏のさまざまな側面まで筆を緩めず記した資料的価値の高い作品でもあります。文庫版は迷走をきわめ失敗に終わった自主再建の様子が最終章として加筆されています。 同じ著者の続編的性格の「戦後戦記」もおすすめです。  (間 抜作 さんのレビュー)

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ウィキペディア(Wikipedia)記事


株式会社ダイエー
The Daiei,Inc.
種類 株式会社
市場情報
東証1部 8263
NASDAQ DAIEY
本社所在地

本店
兵庫県神戸市中央区港島中町4-1-1

東京本社
東京都江東区東陽2-2-20
設立 1949年2月7日(和泉商工株式会社)(注1)
業種 小売業
事業内容 商品の小売・卸売業ほか
代表者 西見徹(代表取締役社長)
資本金 565億17百万円
2008年2月29日現在)
売上高 単体8,360億円、連結1兆1,960億円(2008年2月期)
総資産 単体4,685億円、連結4,920億円(2008年2月29日現在)
従業員数 5,882人(2008年2月29日現在)
決算期 毎年2月末日
主要株主 イオン株式会社19.41%
丸紅株式会社18.55%
有限会社DRF11.79%
丸紅リテールインベストメント株式会社10.08%(注2)(2008年2月4日現在)
主要子会社 関連会社・団体の項目を参照
関係する人物 中内功(創業者)
林文子(元代表取締役会長兼CEO)
外部リンク www.daiei.co.jp
特記事項:注1:1970年3月に株式額面変更のための合併を実施。同日以前にダイエーを運営していた法人の設立は1957年(昭和32年)4月10日(大栄薬品工業株式会社)。
注2:丸紅グループ全体では29.51%を保持しており、実質的筆頭株主は、丸紅株式会社。
丸紅保有の全部、イオン保有の約4分の3、丸紅リテール保有の半分の株式は、議決権はあるが配当がない甲種類株式である。
有限会社DRFは、有限責任中間法人DRFホールディングス出資の会社で、株式会社アドバンテッジパートナーズ機関投資家らが組成するファンドが匿名組合員として出資する匿名組合の営業者。
  

株式会社ダイエーは、ゼネラルマーチャンダイズストア (GMS)[1]およびスーパーマーケット (SM)[2]を全国的に展開している会社である。

目次

概要

創業の地および創業者中内功の生誕地である[3]大阪市内と、中内の育った地である(現在の登記上本店もある)神戸市内を中心に商圏を築くとともに、流通インフラの整備にあわせて1960年代後半~1970年代に大きく発展し全国展開を進めた。1980年代には、全国各地の地場スーパーマーケットと提携し傘下に納める形でグループを形成(のちに、九州地区のユニードと首都圏の忠実屋については1994年に吸収合併)した。

小売業に関しては、創業以来一貫して「価格破壊」をスローガンとする拡張路線を進めてきた。価格破壊とともに質への需要などニーズが多様化すると、子会社も含めて「ダイエー」のほかに「トポス」「イタリアーノ」「Dマート」「バンドール」「Kou's」「プランタン」など業態ブランドを拡大化し多様化する消費者ニーズにこたえながらも流通革命により価格破壊を志向する「よい品をどんどん安く(GOOD QUALITY BEST PRICE)」の方針で事業が進められてきた。また、1975年6月には角川文庫より城山三郎著「価格破壊」が出版されている。

小売業以外にもホテル大学プロ野球出版金融など事業分野の多角化に乗り出し、特に、創業者の故郷である神戸市内とプロ野球球団の本拠地に定めた福岡市内で、グループ子会社とともに事業を数多く手がけた。

だが、バブル崩壊後の1990年代後半から業績悪化が表面化。経産省出身の雨貝二郎会長から引き続いて、高木邦夫社長時代の2004年から産業再生法の適用及び産業再生機構からの支援を経て、現在は丸紅およびイオンとの連携のもと、非主力事業の譲渡やコア事業である小売部門の縮小などの再建策が行われている。連結有利子負債は2001年2月期には2兆5,641億円に達していたが、2007年5月末には6,031億円まで縮小した(なお、2007年8月2日に三井住友銀行に株式売却したオーエムシーカードを除いた2007年5月末時点の連結有利子負債は1,991億円となった。2,000億円を割ったのは1975年2月末の1,594億円以来だが、当時のこの有利子負債額はダイエー単体での数字である)。

経営不振後は「バブルの負の遺産の象徴」として語られる向きもあるが、高度経済成長下の時代においては、新しい業態を開発し、流通業界を牽引する役割を果たしていた。

なお、旧ダイエーグループ本社ビル(大阪府吹田市豊津町9番1号の江坂東洋不動産ビル)に、一部の事業所が残っている。


コーポレートアイデンティティ (CI)

ダイエー 所沢店(旧ロゴ)埼玉県所沢市東5-22
ダイエー 所沢店(旧ロゴ)
埼玉県所沢市東5-22
ダイエー 光明池店大阪府和泉市室堂町841-1
ダイエー 光明池店
大阪府和泉市室堂町841-1

名前の由来は、創業者・中内功の祖父・中内栄の名前の「栄」に、「大」をつけた「大栄」であり、「大阪より栄える」「大いに栄える」という意味もこめられている。また、1975年から2005年11月30日までダイエーグループのスーパーマーケット共通に使われていた「D」を意匠化したシンボルマークは、「上弦の月」をイメージさせるとともに、真円の一部が欠けたデザインとすることで、不完全な円=「永遠の未完成」(=成長し続ける)を意図している。しかし一部の顧客には何か物足りないスーパー(真円になれない)という意味だと揶揄された。

それ以前のマークは、流線型のDの中心にS(Store・Shop・Shufuの頭文字と思われる)が入ったもので、旧電電公社のマークと類似していた。

2005年12月1日から、新しいキャッチコピーごはんがおいしくなるスーパー」の採用とともに、ロゴ(社章)・シンボルマークが一新された。ロゴの「Daıeı」(iの上のドット符号がなかった)は「daiei」になり、その書体も、Helveticaゴシック体)から、丸みを感じさせる書体に変更された。シンボルマークは、「Dマーク」に代わり、発見や歓びを表わす「!(感嘆符)」とdaieiの「d」とを組み合わせた(ハート型を連想する)イメージに変更されたが、コーポレートカラーオレンジは変更されずに継承されている。

ダイエーグループの誓い

かつて、以下のような「ダイエーグループの誓い」が存在し、朝礼に際して唱和されていた。

ダイエーグループの誓い」
「私たちダイエーグループの従業員は次のように誓います。」
ひとつ この仕事を通じて、お客さま全てのより豊かな暮らしに奉仕致します
ひとつ 真心を込めて、よい品をどんどん安く売る事を働き甲斐と致します
ひとつ 人を愛し、店を愛して、日々美しい努力を続けます

※ファーストフードのドムドムは、この2番目の「どんどん」が語源である。

プライベートブランド

多くのプライベートブランドを有するが、一部のみを挙げる。

また、ダイエーグループだけで販売されている「エレーヌ ヘアスプレー」は、コストパフォーマンスや使い勝手のよさから人気商品となっている。その人気ぶりは、近くにダイエーがない場合(或いは撤退した場合)、わざわざ遠征してまで店に買い来るほどである。ローソンで発売している類似パッケージの「エレラ ヘアスプレー」と混同されることが多い。なお通称は「ダイエースプレー」である。バブル期にバンドブームが訪れた折、頭髪をツンツンに逆立てた若者御用達のスプレーでもあった。

現存するブランド

トップバリュ
イオンとの業務・資本提携により、セービングに代わり順次導入されているイオンのプライベートブランド。
2007年11月に24色カラーランドセル、2008年1月に「セービング」では導入されていなかったチューハイの数量限定発売(※)を経て、2008年3月20日より本格的な取り扱いを開始した。

※反対に、イオングループでは当社のオリジナル商品「バーゲンブロー ノイヴェルト」を同じ時期に限定発売している。

セービング (Savings)
現在、主力となっているブランド。品目は食料品衣料品(主に下着)・日用雑貨。現在のロゴは3代目で、2006年6月8日に食料品と日用雑貨を皮切りに、このロゴでの販売が開始された。iを逆さにして!のようにし、パッケージによって、ロゴの地の色を変えている。なお、「セービング」の商品は「トップバリュ」の本格導入に伴い、2009年2月までに順次販売を終了する。
旧ロゴデザインのうち、1991年から採用された2代目は、黒地に大文字の白抜きで、Iの部分のオレンジが縦に波のようになっていた(採用当初は、食品がオレンジ、日用品が緑、衣料品が青と色分けされていた)。また、初代のデザインは、Century(セリフ)書体で「SAVINGS」の文字が縦横に繰り返し書かれたものが背景となるデザインであった。
おいしくたべたい!
2006年3月9日から展開されている新しいブランド。低価格を売りにした「セービング」や「トップバリュ」とは対照的に、味や素材にこだわり、高付加価値をアピールしている。当初は加工食品が中心だったが、2008年3月20日からのリニューアルで生鮮食品惣菜まで範囲を拡大。食品に関する当社のプライベート・ブランドはこの「おいしくたべたい!」に一本化された。
  • おいしくたべたい! - 原材料・製法・省添加物にこだわった加工食品ライン。
  • おいしくたべたい! すこやか育ち - 栽培・飼育方法にこだわった、生鮮食品・を対象としたサブブランド。青果物の栽培情報をウェブサイトで検索できるようにするなど、「安心」を前面に打ち出している。以前は「すこやか育ち」として展開していたが、「おいしくたべたい!」のリニューアルに伴い、サブブランドに移行した。
  • おいしくたべたい! らく楽 - 辻学園クッキングスクール監修。簡単に作れて、無駄がない惣菜・鍋セットのサブブランド。
  • おいしくたべたい! ヘルシー仕立て - 不必要なものは減らし、必要なものは補い・整える健康志向の食品向けサブブランド。
  • おいしくたべたい! うまさ発掘 - その地域でのみ食べられている地産地消品や全国のおいしいお取り寄せ食材を提供するサブブランド。
サリブ (SALIV)
日用品生活雑貨などに使われているブランド。かつては家電製品もこのブランドで発売されていた。
2008年3月から洗濯清掃用品と自転車の発売を開始し、生活用品全般に範囲を拡大した。
愛着仕様
シンプルさを売りにしたブランド。当初は無印良品に似たコンセプトで「愛着仕様デイリーユース」として様々な商品を展開していたが、後に婦人衣料へ特化。2008年3月に紳士服・子供服・肌着も取り扱うようになり、衣料品全般を扱うブランドに生まれ変わった。
フィット (FIT)
衛生用品に使われているブランド。かつては医薬品にも同じブランドが使われていた。

かつて使われていたブランド

ブブ (BUBU)
1970年、13型カラーテレビを当時としては破格の5万円台で発売し、大変な話題となったが、その際に使われたブランドである。テレビ以外にも様々な家電製品がこのブランドで発売されたが、後に「サリブ」ブランドが家電PBのメインとなる。
AMPM
紳士服などに使われていたが、現在使用されているかどうかは不明。1998年ダイエーエーエム・ピーエム・ジャパンコンビニエンスストア運営)などに対し、「自社の商標に似た商標を使用している」として、商標の使用差し止めと損害賠償を求め提訴したことがある。
プライスセーバー
セービングと同様の品揃えだったが、ディスカウントストア業態向けだったために、セービングよりもわずかに価格を低く設定していた。プライベートブランドとしての役割を終えた後は、書体マークをそのままに「お酒のディスカウントストア プライスセーバー」として店舗名・コーナー名に流用された。
暮らしの88
100円ショップと同等の商品を、より安価に提供する事を目指した商品。
キャプテンクック (Captain Cook)
かつては食料品の主力ブランドであった。ほとんどの商品が「セービング」ブランドに移行した。
コルティナ (COLTINA)
家電製品、生活雑貨等に使用。
ダイエーインスタントコーヒー
PB第1号商品として1961年9月に発売。ラベルは当時の包装紙に用いられていた「赤いバラのマーク」を貼っていた。当時のインスタントコーヒーは湿気やすい蝋引きのパックであったのに対し、アルミパックで販売したため、常にサラサラの状態が保たれ、飛ぶように売れた。

沿革

ダイエー発祥地である大阪市旭区千林商店街(2007年5月撮影)
ダイエー発祥地である大阪市旭区千林商店街(2007年5月撮影)
ダイエーショッパーズ福岡店(福岡市中央区)新ロゴ
ダイエーショッパーズ福岡店(福岡市中央区)新ロゴ

1950年代

  • 1957年4月10日 - 創業者・中内功が「大栄薬品工業株式会社」を神戸市長田区片山町5-5に設立
  • 1957年9月23日 - 1号店が千林駅前(大阪市旭区千林町)に開店(後年「千林駅前店」に改称し1974年閉店。なお、2005年10月31日に閉店したトポス千林店は1961年7月開店の別店舗)。
  • 1958年1月25日 - 本店を大阪市旭区千林町3丁目236番地に移転。
  • 1958年12月 - 三宮店(神戸市)を開店。チェーン店展開の開始。この年、創業の理念を制定。
  • 1959年3月25日 - 大栄薬品工業株式会社が「株式会社主婦の店」に社名変更(店名は「主婦の店ダイエー」)。
  • 1959年4月 - 衣料品の取り扱いを開始(三宮店1階・30坪)。日用品の取り扱い開始。
  • 1959年6月 - 三宮店の拡張に伴い、肉の取り扱い開始。

1960年代

  • 1960年 - 鮮魚及び青果の取り扱い開始。
  • 1961年4月15日 - 三宮店を大拡張。日本最大のスーパーとなる。
  • 1961年9月 - プライベートブランド「ダイエー」(インスタントコーヒー)販売開始。
  • 1962年3月 - 公募により初代シンボルマークを制定(3月16日の新聞広告より使用)。
  • 1962年7月2日 - 株式会社主婦の店が「株式会社主婦の店ダイエー」に社名変更
  • 1962年 - 売上高100億円突破。従業員数1000人突破。
  • 1963年1月26日 - 西宮市に西宮本部社屋が完成。流通センターや食肉加工センターを併設。
  • 1963年2月 - 「株式会社フクオカダイエー」を設立。九州へ進出3月10日天神店を開店)。
  • 1963年4月18日 - 第1回「お客様重役会」募集(5月16日、13名が決定)。
  • 1963年7月 - 専門店複合型のショッピングセンター「SSDDS(セルフサービス・ディスカウント・デパートメントストア)」(のち三宮第一店)を開店。
  • 1963年 - 『ダイエーの誓い』できる。パンチカードシステム導入。
  • 1964年1月15日 - 「株式会社一徳」(後に「株式会社トウキョウダイエー」に社名変更)を買収。首都圏へ進出。4店出店。
  • 1964年4月5日 - 庄内店オープン。日本初の大型ショッピングセンター方式の実験、銀行と専門店が別棟式。
  •  1964年2月27日 株式会社四国ダイエー設立
  • 1964年4月18日 - 大街道店(愛媛県松山市)のち「ダック松山店」オープン。四国へ進出
  • 1964年9月 - プライベートブランド「グンゼブルーマウンテン」肌着発売開始。
  • 1965年2月 - 社歌I制定。
  • 1966年 - 従業員のアメリカ研修制度スタート。
  • 1967年8月2日 - 日本チェーンストア協会設立。中内社長が初代会長に。
  • 1967年10月1日 - ダイエー厚生年金基金設立。
  • 1968年7月1日 - ダイエー健康保険組合設立。
  • 1968年11月30日 - 日本初の本格的郊外型ショッピングセンター(香里店)を開店。
  • 1969年5月28日 - 「株式会社ゼノン」設立(時計・眼鏡の専門店)。
  • 1969年6月 - 「株式会社キャプテンクック」(現:オレンジフードコート)設立(ファーストフード専門店)。
  • 1969年6月20日 - レインボー作戦(首都圏本格進出の基本戦略)1号店原町田店オープン。
  • 1969年8月1日 - 「株式会社コルドバ」設立(靴の専門店)。「株式会社ロベルト」設立(紳士服専門店)。
  • 1969年8月 - 「株式会社フクオカダイエー」、「株式会社トウキョウダイエー」および「四国ダイエー株式会社」を合併し、全国店舗を親会社へ集約(直営化)。
  • 1969年9月 - 「株式会社ダイエーサカエミート」(現:アルタックフーズ)設立(食肉の加工・製造・販売)。
  • 1969年11月 - 「和泉商工株式会社」を買収し「株式会社ダイエー」に商号変更。同月、本部を兵庫県西宮市から大阪市大淀区(現:北区)中津に移転。
  • 1969年11月25日 - 「阪神運輸倉庫株式会社」設立。

1970年代

  • 1970年2月27日 - 「株式会社サンコー」と業務提携。
  • 1970年3月18日 - 「株式会社ダイエー」が存続会社となり「株式会社主婦の店ダイエー」を合併(株式の額面変更のため)。
  • 1970年3月 - 初のFCとして高知スーパーマーケットと契約締結(4月18日大橋通店オープン)。
  • 1970年5月12日 - 日本初のハンバーガーショップとしてドムドム原町田店をオープン。
  • 1970年7月1日 - 「株式会社フォルクス」設立(ステーキレストランに進出)。
  • 1970年7月22日 - 「株式会社ダイエーセントラル牧場」(現:鹿児島サンライズファーム)設立。
  • 1970年8月28日 - 「株式会社消費経済研究所」設立。
  • 1970年9月6日 - 神戸流通センター竣工。
  • 1970年11月16日 - ダイエー品質管理センター開設。
  • 1970年11月25日 - 5万円台の格安13型カラーテレビ、プライベートブランド「ブブ」を発売。翌年製造元の株式会社クラウンと資本提携。
  • 1970年 - 売上高1000億円突破。
  • 1971年1月26日 - 「株式会社ダイエーレジャーランド」(現:ファンフィールド)設立。
  • 1971年3月1日 - 大証二部に株式上場。
  • 1971年6月15日 - ショッパーズプラザ福岡がオープン(国内最大)。
  • 1971年9月1日 - スーパー大学校設立。第1回新店幹部養成講座開校。
  • 1971年9月1日 - 本店を大阪市大淀区中津本通1-2に移転。
  • 1971年9月1日 - クレーム110番制度発足。
  • 1972年1月4日 - 大証一部に指定替え。
  • 1972年3月1日 - 東証一部に株式上場。
  • 1972年3月24日 - 物価値上がり阻止運動を宣言。
  • 1972年7月1日 - 「株式会社ボンテ」設立(パン製造・販売)。
  • 1972年8月 - ハワイに「ダイエーUSA」設立(11月19日、1号店ダイエーパールリッジ店オープン)。
  • 1972年8月 - 三越を抜き、小売業売上高日本一を達成
  • 1972年11月29日 - 「株式会社大中」設立(中国雑貨の専門店)。
  • 1972年12月9日 - 「ジョセフ・マグニン・ジャパン株式会社」設立(婦人ドレス専門店)。
  • 1972年12月20日 - ディッパーダン・アイスクリーム1号店を東京・八重洲地下街にオープン。
  • 1973年1月 - 社歌Ⅱ、愛唱歌制定。
  • 1973年3月 - 物価値上がり阻止運動を1年間延長。
  • 1973年5月19日 - 「株式会社サカエ」(現在のグルメシティ近畿の前身)と提携。
  • 1973年11月25日 - 札幌店を開店(北海道へ進出)。
  • 1974年9月29日 - 創業第1号店千林駅前店閉店。
  • 1975年4月15日 - 「ダイエーローソン株式会社」を設立し、コンビニエンスストア業界へ進出
  • 1975年5月1日 - 本店を大阪府吹田市豊津町9 - 1に移転。
  • 1975年6月 - コンビニエンスストア「ローソン」1号店、桜塚店(豊中市)を開店。
  • 1975年10月21日 - Daieiの頭文字"D"と「上弦の月」をイメージしたシンボルマークとロゴを制定、24日開店の一宮店より使用開始。
  • 1975年10月 - クレジットカードの取り扱い開始。
  • 1975年 - 那覇ショッパーズプラザ(のちのダイナハ → ダイエー那覇店:2005年11月20日閉店)を開店。
  •  1976年1月24日 「株式会社ダック松山」 設立 「グルメスーパーの1号店」国内海外の高級商品を販売。
  • 1976年8月25日 - 「北海道ダイエー株式会社」設立。
  • 1976年12月23日 - 「ダイエー水産株式会社」(現:セリティフーズ)設立(水産物の加工・製造・販売)。
  • 1977年1月18日 - 客の目につくよう、店長がオレンジ色のジャケットを羽織り、意見を聞く「オレンジエスコート作戦」開始。
  • 1977年4月25日 - 「株式会社マルシェ」設立(雑貨小売業)。
  • 1978年2月1日 - ダイエーオレンジカード(1983年5月1日にはグループ企業にも拡大し「オレンジメンバーズカード」に改称、現在のOMCカード)を発行
  • 1978年8月20日 - 日本ではじめてノーブランド商品発売。
  • 1978年10月 - 「株式会社中合」(百貨店)と提携。
  • 1978年 - 商品券システム開始。
  • 1979年8月20日 - 「株式会社ビッグ・エー」設立(加工食品のディスカウント店)。11月4日に宮原店(さいたま市)をオープン。
  • 1979年10月6日 - 「株式会社アシーネ」設立(書籍の専門店)。

1980年代

  • 1980年2月16日 - 売上高が業界初の1兆円を突破
  • 1980年3月1日 - 柳川店を業態転換し、トポス1号店としてオープン。
  • 1980年4月1日 - 社員共済会「若葉会」スタート。
  • 1980年9月1日 - 「株式会社ジョイント」設立(ジーンズカジュアル専門店)。
  • 1980年11月18日 - 「株式会社九州ダイエー」設立。
  • 1980年12月 - プライベートブランド「セービング」を発売。衣料品・日用品等41品目。
  • 1981年2月 - 高島屋と業務提携開始。
  • 1981年3月6日 - フランスの百貨店「プランタン」との合弁会社「オ・プランタン・ジャポン」を設立し、神戸市中央区にPrintemps(プランタン神戸)を、現在の三宮オーパの地に開店(日本におけるプランタン1号店)。
  • 1981年3月20日 - 神戸ポートアイランド博覧会にダイエーパビリオン出展。
  • 1981年5月 - プライベートブランド「サリブ」(家電トータルシリーズ)発売。
  • 1981年7月31日 - 株式会社サンコー(ダイエーグループ企業)を株式会社マルエツが吸収合併し、ダイエーグループとなった「株式会社マルエツ」が発足。
  • 1981年9月1日 - 株式会社九州ダイエー(1980年11月設立、1981年5月九州地区のダイエーの営業を継承)を株式会社ユニードが吸収合併し、ダイエーグループとなった「株式会社ユニード」が発足(株式会社ユニードは1991年9月1日に株式会社ユニードダイエーに商号変更)。
  • 1981年9月1日 - 「株式会社天津大栄」(現:テンダイ)設立(衣料品・食品・雑貨等の輸入販売)。
  • 1981年 - POSシステム(日本IBM製)導入開始。
  • 1982年1月24日 - 第1回大阪女子マラソン協賛参加(第20回大会まで協賛)。
  • 1982年 - 本社機能を芝パークビル(港区芝公園2丁目、通称「軍艦ビル」)に移転。
  • 1982年1月 - 「オレンジ合衆国」発足。ユニード・マルエツ・CGCなどが参入し、ダイエーグループの象徴となる[4]
  • 1982年3月 - 「株式会社十字屋」と業務提携。
  • 1982年5月1日 - ハワイ・アラモアショッピングセンターを取得。
  • 1982年11月16日 - プライベートブランド「カット&プラス」(健康志向食品)発売。
  • 1982年11月18日 - 女子バレーボール部「ダイエーオレンジアタッカーズ」設立。
  • 1983年2月16日 - 「株式会社丸興」と業務提携。
  • 1983年3月25日 - 陸上競技部「ダイエーオレンジランナーズ」設立。
  • 1983年8月1日 - 「株式会社流通システムサービス」(現:富士ソフトディーアイエス)設立(情報処理等)。
  • 1983年9月10日 - プライベートブランド「すこやかベジタ」(自然順応栽培野菜)発売。
  • 1983年10月27日 - プライベートブランド「リブニー」(キッチンコーディネイト商品)発売。
  • 1984年4月27日 - プランタン銀座を開店(ダイエーグループがプランタンとして開店した店舗群では唯一現存するプランタン)。
  • 1984年7月 - 株式会社丸興と朝日クレジット株式会社が合併(1987年9月「株式会社ダイエーファイナンス」へ)。
  • 1984年9月1日 - 本店を、神戸市中央区港島中町4丁目1番1号に移転。
  • 1984年9月1日 - プライベートブランド「ニューセービング」発売(「ノーブランド」と「セービング」を統合)。
  • 1984年9月22日 - プライベートブランド愛着仕様「デイリーユース」発売。
  • 1985年3月1日 - 「V革作戦」開始。
  • 1985年3月17日 - 国際科学技術博覧会にダイエーパビリオン「詩人の家」出展。
  • 1985年3月25日 - 「株式会社日本流通リース」設立(総合リース業)。
  • 1985年6月17日 - 生活便利マガジン「オレンジページ」創刊。
  • 1986年5月29日 - プライベートブランド「ディナーマーム」(調理済オーブンレンジ商品)発売。
  • 1987年 - 会社更生法を申請していた、ミシンメーカーのリッカーの再建支援を引き受け。
  • 1987年 - 株式会社ディッパーダン・アイスクリーム・ジャパンと株式会社キャプテンクックが合併。
  • 1987年3月10日 - プライベートブランド「アザド」(1人暮らしのための88品目など)発売。
  • 1987年3月 - POS全店導入開始。
  • 1987年4月2日 - プライベートブランド「ニューキャプテンクック」発売。
  • 1988年4月1日 - 流通科学大学開校。
  • 1988年9月 - 新神戸オリエンタルシティC3オープン。OPAのルーツとなる新神戸オリエンタルパークアベニューが誕生[5]
  • 1988年9月 - 南海電気鉄道からプロ野球「南海ホークス」の経営権を譲り受けることを決定
  • 1988年10月1日 - ダイエーグループ福祉会発足。
  • 1988年11月1日 - 福岡ダイエーホークス (FDH) が発足。当初の本拠地は1978年までライオンズの本拠地だった平和台球場
  • 1989年7月3日 - 福岡オフィスセンター設置。
  • 1989年11月23日 - ハイパーマート1号店「釧路店」オープン。

1990年代

  • 1990年9月26日 - 消費者志向優良企業として通産大臣表彰を受ける。
  • 1990年11月 - 1991年4月からの牛肉輸入自由化に対応し、輸入牛肉を大規模に取り扱う専門店「ミートパビリオン」(翌年「カンザスシティ」に改称)を三宮第一店に設置。
  • 1991年1月2日 - OMCエコロジーカード発行。
  • 1991年1月11日 - 同業他社の先陣となる、東北・関東・近畿の8店舗で「お買物袋スタンプカード」を試験導入。
  • 1991年3月1日 - 「株式会社北海道ダイエー」を吸収合併。
  • 1991年3月28日 - セービング商品の見直しとパッケージデザインを変更。
  • 1991年7月25日 - 空き缶プレスカー「ぷれすくん」導入。
  • 1991年8月 - 商品受発注をグループ各社でJANコードに統一。
  • 1991年10月 - 子会社の「株式会社関西ユニード」・「株式会社酒田ダイエー」・「株式会社名東ショッピング」の店舗(富雄店・酒田店・メイトピア店)を譲受し、これら3社を清算。
  • 1992年3月4日 - 「株式会社忠実屋」と業務提携。
  • 1992年10月1日 - 会員制ディスカウントストア1号店「Kou'S」の1号店を、神戸ハーバーランドにダイエーが開店した「ハーバーランドシティ」[6]内「Kou'Sホールセールメンバーシップクラブ」としてオープン(当時は直営)。
  • 1993年4月2日 - プロ野球団取得の後に発表していた福岡ツインドームシティ構想の一環である、開閉式ドーム「福岡ドーム」が開業。平和台球場に代わりFDHの本拠地となる。
  • 1993年11月 - 阪神輸送倉庫が「株式会社ジャパン・カーゴ・システムズ」他から営業譲渡され、「株式会社ダイエー・ロジスティクス・システムズ」(現:ロジワン)設立。
  • 1993年 - 全店で盲導犬の受け入れ開始。
  • 1994年2月 - 丸紅と包括提携。
  • 1994年3月1日 - 「株式会社ダイエー」が、「株式会社忠実屋」(首都圏)・「株式会社ユニードダイエー」(九州)・「株式会社ダイナハ」(沖縄県)を吸収合併し、SMでの日本初のナショナルチェーンを完成させる。
  • 1994年3月1日 - 大中とマルシェが合併し、新「株式会社マルシェ」誕生。
  • 1994年4月12日 - 地球環境大賞の環境庁長官賞を受賞。
  • 1994年9月1日 - 「株式会社ダイエーファイナンス」・「株式会社朝日トラベルエージェンシー」・「リッカー株式会社」の3社が合併し、「株式会社ダイエーオーエムシー」(現:オーエムシーカード)発足。
  • 1995年1月1日 - ハーバーランドシティが流通大手初の元旦営業。
  • 1995年1月 - 阪神・淡路大震災発生。「がんばろや We Love KOBE キャンペーン」展開。三宮などの神戸市内の店舗が被災。特に、三宮の「ダイエー村」は、この震災で事実上消滅した。震災翌日には、建物が新しく被害の小さかった灘店が被災地のキー店舗の機能を果たすようになっていた。また、グループの建物で被害が小さく済んだ建物に、被災者の求める商品を扱う小売店舗を出店した[7]

※震災被災による閉店の詳細は、過去に存在したダイエーの店舗#兵庫県を参照

  • 1995年3月30日 - プライベートブランド「AMPM」メンズビジネススーツ発売。
  • 1995年4月 - ホークスタウンを開業(当初は福岡ドームとシーホーク・ホテル&リゾートのみだったが、2000年に商業施設が「ホークスタウンモール」としてオープンした)。
  • 1995年8月24日 - Kou'sポートアイランド店24時間営業開始。
  • 1995年10月1日 - 中国初出店の大栄天津商場店オープン。
  • 1995年 - POSシステム(第2期)を導入。
  • 1996年1月1日 - 339店舗で元旦営業。
  • 1996年1月24日 - プライベートブランド製造業者協会から優秀杯賞を受賞。
  • 1996年2月1日 - 業態別に準分社化したカンパニー制度を導入。食品SM業態の店舗を順次「グルメシティ」に改称。
  • 1996年3月1日 - 「株式会社ロベリア」と「ジョセフ・マグニン・ジャパン株式会社」が合併。新「株式会社ロベリア」誕生。
  • 1997年6月1日 - ホログラム入り新商品券を導入。
  • 1997年10月 - 神戸市の三宮およびハーバーランドでのSCJによるICカードおよび電子マネーの実験に参画(OMCカードが、流通系の一般向けクレジットカードではいち早くICチップ付きのクレジットカードになったのは、この実験のため)。
  • 1997年12月 - 持株会社「株式会社ダイエーホールディングコーポレーション (DHC)」[8]に子会社などを移管。中内功がグループCEO、長男の中内潤COOに就任。
  • 1997年 - 全店で聴導犬受け入れ開始。
  • 1998年3月 - 陸上部「オレンジランナーズ」休部。
  • 1998年4月3日 - ホームページ「d'club」開設。
  • 1998年5月 - 女子バレーボール部「オレンジアタッカーズ」休部。
  • 1998年9月23日 - ダイエーグループ各店で5%割引の「ダイエーOMCカードご優待デー」を開始(毎月23日に実施)。
  • 1998年12月10日 - 若葉会解散。
  • 1999年1月20日 - 前年の経常赤字への転落を受けて、味の素社長を務めた鳥羽董(ただす)が副社長から社長に、中内功は会長に就任。
  • 1999年3月25日 - ダイエーグループ再生3ヵ年計画発表。
  • 1999年7月 - ハワイのアラモアナ・ショッピングセンターを米投資企業に売却。
  • 1999年7月19日 - 希望退職受付(希望者802名)。
  • 1999年8月1日 - ハイパーマート26店舗を、直営から株式会社ダイエー・ハイパーマートに譲渡。残るハイパーマート12店舗はGMSに転換すべく直営を維持したが、2000年9月1日に両社のハイパーマート36店舗中29店舗を株式会社ディー・ハイパーマート(旧商号:株式会社さかえビルディング)に譲渡、残る7店舗は閉鎖。
  • 1999年 - 全店で介助犬の受け入れ開始。

2000年代

  • 2000年4月 - ダイエー成増店(東京都板橋区)に本社機能の一部を移転。
  • 2000年9月 - ジョイント事業をロベルトに営業譲渡。
  • 2000年9月7日 - ダイエー開発商品『暮らしの88』(88円均一)を発売開始。
  • 2000年10月10日 - 中内代表取締役会長が辞任し、取締役最高顧問に。鳥羽社長が、自身の保有株式の売買に絡むインサイダー取引疑惑から引責辞任し、取締役に。髙木邦夫が社長含みで顧問に就任。
  • 2000年11月24日 - 修正再生3ヵ年計画(フェニックスプラン)発表。
  • 2000年12月 - ニコニコ堂と業務提携(2002年6月11日に提携解消)。
  • 2001年1月30日 - 中内功がグループの職を全て辞任し、ダイエーからリクルートに移籍していた髙木邦夫新体制が発足。
  • 2001年2月28日 - サカエ(現在のグルメシティ近畿の前身となる、別の法人)の株式76%を、マルナカ興産(中内一族の資産保有会社)より取得。
  • 2001年3月29日 - 1000名の希望退職者を募る。
  • 2001年8月 - ローソン株式を売却し、関連会社から外れる。
  • 2001年12月27日 - オレンジページ株式を売却。
  • 2001年 - 優先株9000万株を発行し、資本金増強。
  • 2002年2月27日 - ダイエーグループ「新3ヵ年計画」発表。
  • 2002年3月1日 - 近畿3社(サカエ・丸栄商事・ミドリ)を合併。
  • 2002年4月26日 - 産業活力再生特別措置法認定。
  • 2002年6月14日 - プランタン銀座株式を売却。
  • 2002年8月 - ハイパーマート、Kou's事業から撤退。
  • 2002年 - 希望退職1100名の実施。60店舗の閉鎖決定。
  • 2003年1月27日 - 総合家電事業撤退を発表。
  • 2003年12月 - 福岡ドームとシーホークホテル&リゾートをアメリカの投資持株会社コロニー・キャピタル社に譲渡することを発表。
  • 2004年2月 - 新神戸オリエンタルシティC3を営業譲渡。
  • 2004年3月 - 「株式会社福岡ドーム」、「株式会社福岡ダイエーリアルエステート」、「株式会社ホークスタウン」の事業を譲渡。
  • 2004年 - ダイエー開発商品『暮らしの88』を発売終了。
  • 2004年 - ダイエー開発商品『バリュー』(100円均一)を発売開始。
  • 2004年10月12日 - 今後の経営方針について産業再生機構の支援を得ずに、自主再建で臨む方針を発表。
  • 2004年10月13日 - 主力の取引銀行3社(UFJ三井住友みずほ)が、産業再生機構を利用しない場合は追加支援を行わない方針を強く示したため、同機構にて再建に取り組むことを決定。産業再生機構への支援申し込みの事前申請。
  • 2004年11月30日 - ダイエーの持つFDH株式98%を50億円でソフトバンクに譲渡することを決定(残り2%は元オーナー中内正が保有)。ダイエーは3年間、同球団を利用した特別セールを無料で行うことができるとした。
  • 2004年12月24日 - プロ野球オーナー会議にてFDHのソフトバンクへの譲渡が承認。
  • 2004年12月28日 - 産業再生機構はダイエーと傘下の11社(十字屋、キャナルシティ・オーパ、中合、サカエ、九州スーパーマーケットダイエー、日本流通リース、浦安中央開発、オレンジエステート、セリティーフーズ、デイリートップ、西神オリエンタル開発)の支援を正式決定
  • 2005年 - ダイエー開発商品『バリュー』を発売終了。
  • 2005年1月28日 - ソフトバンクにFDH株式を正式に譲渡ダイエー厚生年金基金解散。
  • 2005年2月1日 - 閉鎖・撤退の店舗のリストを公表、計53店舗が閉店対象になる。
  • 2005年2月25日 - 「株式会社フォルクス」株式売却。
  • 2005年3月7日 - 支援スポンサーが「丸紅株式会社」、「株式会社アドバンテッジ・パートナーズ」に決定。
  • 2005年3月30日 - 前ビー・エム・ダブリュー東京社長の林文子が、代表取締役会長兼CEOに就任。
  • 2005年4月11日 - 傘下の55ステーションが、会社更生法の適用を東京地方裁判所に申請。
  • 2005年5月26日 - 林文子会長・樋口泰行社長体制発足。
  • 2005年8月31日 - 香里店閉店(日本初の本格的郊外型ショッピングセンターとして開店)。
  • 2005年9月1日 - 野菜「新鮮宣言」。
  • 2005年9月19日 - 創業者の中内功が死去。
  • 2005年10月14日 - 「新生ダイエーグループミッション」、「新ロゴデザイン」、「スローガン」誕生。
  • 2005年11月1日 - 衣料品売場の活性化を図るため、丸井グループから人材の派遣を受ける。
  • 2005年11月20日 - 沖縄県ダイエー那覇店、浦添店が閉店。
  • 2005年11月30日 - この日までに東北地方、北陸地方、中国地方、四国地方の全店舗(仙台店等一部店舗を除く)を閉鎖
  • 2005年12月1日 - 社章・ロゴマーク、スローガンなど、CIを変更
  • 2005年12月8日 - ハワイオアフ島にある4店舗、および現地子会社をドン・キホーテに売却する事で合意。
  • 2005年12月10日 - 東京都世田谷区に新規業態の食品SM、「フーディアム三軒茶屋」を開店、グルメシティ関東が運営。
  • 2006年1月12日 - 「おいしいデリカ宣言」。
  • 2006年1月26日 - ファーストリテイリングと業務提携。
  • 2006年2月24日 - ハワイ現地法人および店舗のドン・キホーテへの売却手続終了。同日をもって全ての海外事業から撤退。ダイエーUSA売却。
  • 2006年3月1日 - 「北海道スーパーマーケットダイエー株式会社」を「株式会社グルメシティ北海道」に、「株式会社セイフー」を「株式会社グルメシティ関東」に、「株式会社サカエ」を「株式会社グルメシティ近畿」に、「九州スーパーマーケットダイエー株式会社」を「株式会社グルメシティ九州」にそれぞれ商号変更。
  • 2006年3月1日 - 十字屋を会社分割し、「株式会社OPA」設立。
  • 2006年3月9日 - 食品におけるダイエー開発商品の新ブランド「おいしくたべたい」の発売開始。
  • 2006年3月30日 - 「株式会社ダイエースペースクリエイト」発足[9]
  • 2006年4月 - POSシステム(第3期)を導入(2007年8月までに店舗ごとに順次更新)。
  • 2006年6月5日 - 本社機能を、