パリ・ダカール・ラリー とは?ページ内リンク ↓ウィキペディア(Wikipedia)記事 ↓Yahoo!知恵袋ダカール・ラリー(正式名称ユーロミルホー・ダカールラリー、通称パリ・ダカ)とはラリー競技大会の一つで、「世界一過酷なモータースポーツ競技」とも言われている。 出典: 『ウィキペディア(Wikipedia)』 関連商品
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ダカール・ラリー(正式名称ユーロミルホー・ダカールラリー、通称パリ・ダカ)とはラリー競技大会の一つで、「世界一過酷なモータースポーツ競技」とも言われている。
目次 |
1979年から始まり毎年行われていて、例年1月1日(近年は前年の12月末)にフランスの首都・パリからスタートし、スペインのバルセロナからアフリカ大陸に渡り、セネガルの首都・ダカールまでのおよそ12000kmを走る。1981年より国際自動車連盟(FIA)と国際モーターサイクリズム連盟(FIM)の公認レースとなっている。世界を代表するラリーレイドの大会のひとつである。
途中ほとんど集落や救護施設のないサハラ砂漠を縦断する過酷な競技なため、時折死者・負傷者も出る。競技区間には、西サハラなど政治的に不安定な国も入っていることも「世界一過酷」と呼ばれるゆえんである。
フランスなど欧米を中心とした選手とメーカーがかつて植民地として支配していたアフリカ諸国で行っている競技だけに、植民地主義的だとする批判が根強く存在する(テロの標的にされる理由の一つ)。アフリカの一般住民の住む地域を競技車両が猛スピードで駆け抜け住民と競技車の事故も発生しており、批判されるのもやむを得ないとする見方も多い。
冠スポンサーは2007年はポルトガルでロト(日本でいえば宝くじ)を販売するユーロミルホーが務めた。過去にはテレフンケン(de:telefunken:ドイツの電機メーカー)、トタル(フランスの石油メーカー)、テレフォニカ(スペインの通信会社)等が務めている。日本企業ではパイオニアが1991年に冠スポンサーを務めた。
本ラリーの創始者はティエリー・サビーヌである。「私にできるのは、”冒険の扉“を示すこと。扉の向こうには、危険が待っている。扉を開くのは君だ。望むなら連れて行こう」は、1978年の第1回開催の時に彼が言ったとされる。ティエリーは運営団体としてTSO(ティエリー・サビーヌ・オーガニゼーション)を設立、主催者としてパリ・ダカを象徴する存在となる。しかし、ティエリーは1986年に競技期間中に起こったヘリコプター墜落事故により死去、彼の遺志とTSOは父ジルベールによって引き継がれた。だが、そのジルベールも高齢を理由に1994年1月に引退。TSOは主催者権を売却し、1994年からはフランスのアモリー・グループである「ASO」(アモリ・スポル・オルガニザシオン)が主催している。
1986年の大会では6人の死者を出したことがある。
1988年にはオート部門首位だったアリ・バタネンの車両が盗難に遭うという事態が発生した。
1999年にはテレビ局の取材担当者らがテロ組織に襲われた。今日はテロ組織だけでなく強盗も現れ、ドライバーがその被害・脅迫に遭遇することは少なくない。
2008年は走行区間のアフリカ北西部モーリタニアの治安悪化のため、開幕前日になって全区間開催中止が発表された[1]。2008年の再開催の予定はなし。2007年末のフランス人旅行者殺害事件を契機にフランス政府が事実上のレース中止勧告をしていたほか、主催者にも直接テロの脅迫が届いていたという。レースが全面中止されるのは30年の歴史で初めてである。
主催者側はテロの危険が絶えないサハラ砂漠からの撤退を含めた議論を示唆した[2]。
2008年2月4日、ASOは中止になったダカール・ラリーの代わりに中央ヨーロッパを舞台にしたラリー「ダカール・シリーズ」を創設、4月20日~26日に開催すると発表した[3]。ハンガリーの首都・ブダペストからスタートし、途中ルーマニアを通過、同国西部のバラトン湖までのおよそ4800kmを走る。
また、同年2月11日には2009年のダカール・ラリーは南アメリカのアルゼンチンとチリを舞台に行われると報じられた[4]。ブエノスアイレスが発着点となる。この地が舞台となった理由として、ダカール・ラリーの特徴である砂漠や難コースを持ちながらテロの脅威がないことが挙げられている。
開始当初より1991年まで元日(前年末の時もあった)にパリをスタートし、アフリカ大陸に上陸後、サハラ砂漠を経由してダカールをゴール地点とするレースフォーマットで運営されていた。そのため、本ラリーの日本国内での通称は今でも「パリ・ダカ」と言われる事がある(実際には2002年以降パリはスタート地点になっていない)。
近年の大会では、
スタートとなった都市は以下のとおり。
コースはASOのコースディレクターによる事前の試走に基づいて決定される。経由地やルートは毎年変更され、前年と全く同じコースを走行する事はほとんどない。なお、コースディレクションはティエリー・サビーヌの存命中は彼自身の手によって行われ、彼亡き後はルネ・メッジやユベール・オリオールなど、本ラリーの過去の参加経験者の手によって行われている。
日々のコースは、リエゾンと呼ばれる移動区間とSS(通常のラリーではスペシャルステージの略であるが、本ラリーにおいてはセレクティブセクターもしくはそのままエスエスと呼称される事がある)と呼ばれる競技区間とで構成される。リエゾンとSSを合計した1日の走行距離はおよそ500kmから800kmにも及び、過去には1,000kmを越える競技区間が設けられた事もあった。
また、マラソンステージと呼ばれる区間が全コース中1度ないし2度設けられる。これは競技車が到着後、通常はその日のビバーク地で行う事が出来る整備を一部禁じ(具体的にはエンジン、駆動系などの部品交換が禁止される)、そのまま翌日のステージを走行するものである。2日にわたるステージをタイヤ交換などの軽整備のみで乗り切らなければならないため、ステージ内でのエンジンや駆動系の深刻なトラブルは即リタイヤに繋がる。そのため、車両を壊さないように労わりながらも速く走らなければならないという、2つの相反する要素が求められるステージとなっている。
競技期間中には1日ないし2日の休息日が必ず設けられ、競技車両の整備やクルーの休息に充てられる。
競技に使用される車両は基本的にオート(自動車)、モト(オートバイ)、カミオン(トラック)に分類される。それ以外の参加車両としてバギー、ATVなどがある。ごく初期においては2輪車と4輪車にカテゴリー分けされている程度であり、ナンバープレートが取得可能な車両であればどのような車両であっても大抵の場合は参加することが可能であった。そのため、参加車両も街中を走る市販車を改造したものから自動車メーカーのプロトタイプカー、果ては軍用車両を流用したものまで非常にバリエーションに富んでいた。余談だが、かつて2輪部門にスーパーカブやベスパが参戦していた事もある。
※実際には更に燃料の種類や排気量で細分化される。
1997年にワークスチームのプロトタイプカー(競技専用車)とガソリンターボエンジンを搭載しての参戦が禁止されたが、2001年から上述のようにスーパープロダクションという形でプロトタイプカーが実質解禁となった。ガソリンターボ禁止令はなおも続いているため、現在のところはガソリンNAエンジンの市販改造車が主流であるが、一方でヨーロッパではディーゼル車が見直されてきていることもあってディーゼルターボエンジンを採用するチームも増えてきた。三菱・パジェロエボリューションのライバルのひとつ、フォルクスワーゲン・レーストゥアレグはディーゼルターボを採用しており、総合優勝を狙うワークス・チームを中心に主流になりつつある。
今日、日本のメーカーからは四輪部門に三菱自動車工業と日産自動車(日産は2006年より選手のサポート以外の活動を自粛)が、トラック部門(カミオン)では日野自動車といったラリー関連に強いメーカーが参戦している。三菱自動車は2001年以降2007年まで現在総合優勝7連覇を果たしている。
二輪部門では現在日本メーカーのワークス参戦はないが、過去ヤマハ車は9回(メーカー別最多)、ホンダ車は5回の優勝を手にしている。
プロトタイプ(実際に市販されていない競技専用車両)も参加可能であったため、日産・テラノのシャシーに日産・パルサーGTi-R風のボディーを被せたものや三菱・パジェロを国産初の四輪駆動車PX33風に改造した車両もあった。
四輪市販車無改造部門にはトヨタ自動車がランドクルーザー100にて参戦、市販車無改造部門ディーゼルクラスで1.2.3フィニッシュをしている。国産車で参戦実績があるのは前出のパジェロとランドクルーザー、レンジャーの他、トヨタ・ハイラックスサーフ(主に海外チーム)、三菱・チャレンジャー、日産・サファリ、日産・テラノ、いすゞ・ビッグホーン、いすゞ・ミュー、スズキ・エスクード等のクロスカントリー四輪駆動車だけではなく、初期の大会では、構造上砂漠で不利なトヨタ・スターレット、トヨタ・カリーナといった二輪駆動の乗用車で参戦した強者もいた(その後のレギュレーション改定にて、オフロード車である事が義務付けられた)。
市販車無改造部門とは乗員の安全を確保する装置(多点式シートベルト、補強材、補助前照灯など)、長距離を無給油で走行するため燃料タンクの増設、競技の安全を確保する装置(追い越し時の警告装置など)を装着する以外の改造が認められていない部門で、車台・駆動系・エンジン系は市販車と全く同じである。
カミオン部門では日野自動車が中型トラックのレンジャーで同社のワークスチームまたは菅原義正選手のプライベートチームから参戦して17年連続完走、1997年には部門1-2-3フィニッシュを達成している。
日本国内における大会のテレビ放送は、かつてはテレビ朝日がダイジェストを大会中毎日のように放送し、一部のニュース番組のスポーツコーナー内でも取り上げられた。総集編はテレビ東京系列や一部の衛星放送などで放映される。国内ではプロ野球やサッカー人気に加え同じモータースポーツであるF1とは異なり放送頻度が低く、認知度が低いのが現状である。
サーキット系レース以上に地域や企業のイベントで競技車両を展示したり、自動車メーカーの販売促進の一環として全国のメーカー系販売会社やショールームを選手が回って報告会を行うなどの取り組みが見られる。特に後者は三菱自動車が熱心で、篠塚建次郎選手が参戦して以来ほぼ毎年続けられ、現在は増岡浩選手の報告会が毎年2月~3月に開催されるのが恒例となっている。開催日が平日でも他府県から報告会を見に来るファンが多い。
篠塚選手が三菱自動車を退職する2002年まで篠塚・増岡両選手の報告会が開催された期間があり、2人揃って行動した年と別行動の年があった。別行動の場合は参戦車種の関係で篠塚選手がパジェロを扱うギャラン店系販売会社、増岡選手がRVRやチャレンジャーを扱っていたカープラザ系販売会社を担当した。
| 回 | 開催日程 |
|---|---|
| 第1回 | 1978年12月26日~1979年1月14日 |
| 第2回 | 1980年1月1日~23日 |
| 第3回 | 1981年1月1日~20日 |
| 第4回 | 1982年1月1日~20日 |
| 第5回 | 1983年1月1日~20日 |
| 第6回 | 1984年1月1日~20日 |
| 第7回 | 1985年1月1日~22日 |
| 第8回 | 1986年1月1日~22日 |
| 第9回 | 1987年1月1日~22日 |
| 第10回 | 1988年1月1日~22日 |
| 第11回 | 1988年12月25日~1989年1月13日 |
| 第12回 | 1989年12月25日~1990年1月16日 |
| 第13回 | 1990年12月29日~1991年1月17日 |
| 第14回 | 1991年12月25日~1992年1月16日 |
| 第15回 | 1993年1月1日~16日 |
| 第16回 | 1993年12月28日~1994年1月16日 |
| 第17回 | 1995年1月1日~15日 |
| 第18回 | 1995年12月30日~1996年1月14日 |
| 第19回 | 1997年1月4日~19日 |
| 第20回 | 1998年1月1日~18日 |
| 第21回 | 1999年1月1日~17日 |
| 第22回 | 2000年1月6日~23日 |
| 第23回 | 2001年1月1日~21日 |
| 第24回 | 2001年12月18日~2002年1月13日 |
| 第25回 | 2003年1月1日~19日 |
| 第26回 | 2004年1月1日~18日 |
| 第27回 | 2004年12月31日~2005年1月16日 |
| 第28回 | 2005年12月31日~2006年1月15日 |
| 第29回 | 2007年1月6日~21日 |
| 第30回 | (2008年1月5日~20日) |
| 第31回 | 2009年1月3日~18日 |
※第30回はモーリタニアの政情不安定を理由に中止。
| 回 | 参加台数 | 完走台数 | 優勝ドライバー | 優勝マシン |
|---|---|---|---|---|
| 第1回 | 80台 | |||
| 第2回 | 116台 | 49台 | ||
| 第3回 | 170台 | 60台 | ||
| 第4回 | 233台 | 94台 | ||
| 第5回 | ||||
| 第6回 | ||||
| 第7回 | 362台 | 101台 | ||
| 第8回 | 282台 | |||
| 第9回 | 154台 | |||
| 第10回 | 311台 | |||
| 第11回 | 241台 | 100台 | ||
| 第12回 | 236台 | 64台 | ||
| 第13回 | 184台 | |||
| 第14回 | 133台 | 68台 | ||
| 第15回 | 65台 | |||
| 第16回 | 96台 | 57台 | ||
| 第17回 | 86台 | 58台 | ||
| 第18回 | 99台 | 61台 | ||
| 第19回 | 282台 | 71台 | ||
| 第20回 | 115台 | 55台 | ||
| 第21回 | 88台 | 54台 | ||
| 第22回 | 135台 | 95台 | ||
| 第23回 | 133台 | 53台 | ||
| 第24回 | 117台 | 52台 | ||
| 第25回 | 130台 | 61台 | ||
| 第26回 | 142台 | 60台 | ||
| 第27回 | 165台 | 75台 | ||
| 第28回 | 174台 | 67台 | ||
| 第29回 | 180台 | 109台 | ||
| 第30回 | - | - | - | - |
| 回 | 参加台数 | 完走台数 | 優勝ライダー | 優勝マシン |
|---|---|---|---|---|
| 第1回 | 90台 | |||
| 第2回 | 90台 | 25台 | ||
| 第3回 | 106台 | 28台 | ||
| 第4回 | 129台 | 33台 | ||
| 第5回 | 132台 | 29台 | ||
| 第6回 | 114台 | 50台 | ||
| 第7回 | 135台 | 25台 | ||
| 第8回 | 131台 | 29台 | ||
| 第9回 | 154台 | 26台 | ||
| 第10回 | 183台 | 34台 | ||
| 第11回 | 155台 | 60台 | ||
| 第12回 | 136台 | 46台 | ||
| 第13回 | 113台 | 46台 | ||
| 第14回 | 98台 | 45台 | ||
| 第15回 | 46台 | 12台 | ||
| 第16回 | 96台 | 47台 | ||
| 第17回 | 95台 | 27台 | ||
| 第18回 | 119台 | 50台 | ||
| 第19回 | 126台 | 58台 | ||
| 第20回 | 173台 | 41台 | ||
| 第21回 | 161台 | 40台 | ||
| 第22回 | 200台 | 107台 | ||
| 第23回 | 133台 | 76台 |