ホームレス とは?ページ内リンク ↓ウィキペディア(Wikipedia)記事 ↓Yahoo!知恵袋ホームレスとは、様々な理由により定まった住居を持たず、公園・路上・公共施設・河原・架橋の下などの場所等を起居の場所とし日常生活を営んでいる野宿者・路上生活者と一時施設居住や家賃滞納、再開発による立ち退き、ドメスティックバイオレンスのため自宅を離れなければならない人など住宅を失う危機にある人のこと。 出典: 『ウィキペディア(Wikipedia)』 ホームレス 出典: 『はてなダイアリー』 関連商品
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日本のホームレスの自立の支援等に関する特別措置法などの定義は非常に狭義で野宿者・路上生活者のみをホームレスと称している。
さらに広義のホームレスの定義には野宿者・路上生活者と住宅を失う危機にある人に適切でない住居に居住する人(危険だったり修理不能、大修理を要する住居、最低居住水準未満世帯)も含める。テント生活をしていても中東のベドウィンやモンゴルの遊牧民、ロマのような不定住民をホームレスとは呼ばない。金銭的事情等で住居を持てないものだけではなく、米国の実業家ハワード・ヒューズのように、自らの意思でホームレスを選択する場合もある。ベトナム戦争期のアメリカでは、志願してホームレスになる若者が現れた。住所不定になれば、召集令状の送付先がなくなるからである。
かつては乞食・ルンペンなどと呼ばれており、特に日本では浮浪者という名称が定着していたが、差別用語との指摘を受け、海外での同様な状況を指す英語の the homeless に由来する「ホームレス」という呼称がマスメディアを中心に外来語として定着した(とはいえ「ホームレス」も直訳すれば「家無し、宿無し」という意味であり、意味のない言い換えでしかない、とも言える)。
高齢者のホームレスの場合、国民年金の掛け金を払っていた人に対しては年金が受給されるようになり、65歳を期にホームレスを脱することが出来る人もいる。
ホームレスは、定住型と移動型に分類される。
日本でも、段ボールやブルーシート等を資材としてテント・小屋掛けをしたりする者が増加し、新たな社会問題となっている。
景気の状況によりホームレス人口の増減があり、バブル崩壊後の不況下でその数は増し、2003年1月~2月の厚生労働省調査では全国で25,296人に達していた。しかし、2007年1月の厚生労働省調査では景気が回復傾向にあるため、全国で18,564人と減少している[1]。
中高年男性が95%を占めており[2]、平均年齢は57.5歳[1]である。まれに子供を伴ったホームレスも確認されているが、開発途上国に見られるような子供単独のホームレス(ストリートチルドレン)は日本では顕在化していない(しかし、2007年に発刊されベストセラーとなった、お笑いコンビ「麒麟」の田村裕による著書『ホームレス中学生』において、一時公園で生活をしていたこと等を明かした事例もある)。
厚生労働省が2007年6月~7月にかけてネットカフェ難民の実態調査を初めて行い、全国で推定約5,400人のネットカフェ難民がいることがわかった[3]。
ホームレスは、廃屋や山小屋等に無断で住み着いていたり、無人島のようなところでテント生活をしている者も含むので、都市のみに限定して分布しているわけではないが、実数としては大都市に多い。
日本においては比較的冬が寒い東日本に9,225人[4](富山県、岐阜県、愛知県以西を西日本とした場合)、比較的冬が暖かい西日本に9,339人[4]とほぼ同数で、気候条件と分布の相関はそれほどでもない。
都道府県別では大阪府が最も多く4,911人[1]、市区別では東京23区が最も多く4,213人[1]となっている。
ホームレスに至るまでの経歴は人により様々であり、時代とともにその全体像が変移している。
日本に関しては、如何に窮しようとも物乞いは恥ずべきことであるという気質もあり、路上で物乞いをする状態にあるホームレスは少ない(タバコを1本せびる程度)。上野公園のテント村で、ホームレス同士が結婚し、家庭を作りホームレスを脱した例もある。
開発途上国等では社会の最貧困層の中に占めるホームレスの割合が高いものと考えられている。開発途上国のホームレスは家族単位で生活している場合が多く、独自のサブカルチャーを形成している。先進国型は高齢・単身世帯であり、社会における異端者・少数派としての地位をかこっている場合が殆どである。
国や地域によっては、短期で貧困に陥りやすい移民や外国人労働者がホームレスとなる例も多く見られる。一例として、イギリスの首都ロンドンにおいては、そのホームレス人口のうちの3割がポーランド人であると言われている[5]。
西日本、特に大阪では、主にキリスト教系の宗教団体やボランティア組織が多く、それらが炊き出しや援助を行うことがある。
2002年8月ホームレスの自立の支援等に関する特別措置法が施行され、国による本格的な支援が始まり、2003年2月には厚生労働省による初の全国調査が行われた。
ホームレスに身を落とす経緯は千差万別である。ホームレス同士がその経緯を相互に詮索することはタブー視される。一般社会からの乖離(かいり)・疎外が見受けられ、経済的背景と個人的背景が複雑に交絡・交錯している。
失業し住居を失った男性は「働くことが可能」「弱者ではない」と福祉担当者に判断され生活保護を受けられないため、路上生活・野宿生活を余儀なくされる。女性は民間の駆け込み寺(女性団体のシェルター)、子供の場合は児童福祉施設など受け入れ施設がある。このような男女差別意識のある社会環境が、男性に野宿生活や自殺が圧倒的に多い要因となっている。
失業あるいは事業の失敗・倒産などにより経済破綻することで、住居を最終的に失う場合が多い。ホームレス増加の背景は、景気の長期悪化による影響(景気変動)の他、第二次産業の単純労働の需要の減少や、働き方の変化に伴って第二次産業労働における派遣社員(アウトソーシング)や業務請負登録労働者、外国人労働者の増加、さらに日雇い労働のアルバイト化によって、若くて安価な安定労働力が供給されるようになったことである。その結果、年齢の高い単純労働者は職を失いホームレスになる傾向がある。失業や倒産をした場合、以前であれば建設日雇や住み込み店員になることが可能であったが、最近ではそうした道が閉ざされてしまったことがホームレスの増大を招いている。住み込みで働いていた場合、失業がそのままホームレスになることにつながる。
ヤミ金融被害によってホームレスにならざるを得なくなる例も報告されている。非合法な取立や嫌がらせにより、家庭と別離し、路上を漂流する人たちもいる。2005年1月9日の産経新聞の記事にも出ているが、中には、数万円を業者から借りたところ、次々に借り換えさせられ、親兄弟まで取り立てが行き、百万円にもなって、路上生活をして身を隠している例などが報告されている。こういったホームレスは、定職につきたくても、新しい職場にイヤガラセなどを闇金融業者などが行うため、まともに仕事につくことができない。
個人的背景によるホームレスの達成には、家族関係の悩みやギャンブル依存・アルコール依存など精神疾病を抱えている場合、自分から家を飛び出し家族と別離する場合、夫の浮気や離婚・配偶者からの暴力、親から勘当される場合がある。
そして、親族との連絡が絶たれた状態を何十年も続けることとなる。
日本における本格的なホームレス発生は、大化の改新以後である。
西洋におけるホームレスはキリスト教と深くかかわりがある。宗教改革以前、修道院やギルドなどは自発的に「貧しき人々」への救済を行った。キリスト教の伝統は、貧しいことは神の心にかなうこととされ、そうした人々に手を差し伸べることは善行とされた。しかし宗教改革はこうした救貧のありかたを一変させ、マルティン・ルターが1520年に発表した『ドイツ貴族に与える書』で「怠惰と貪欲は許されざる罪であり、怠惰の原因として物乞いを排斥し、労働を神聖な義務である」とした。都市は責任を持って『真の貧民』と『無頼の徒』を峻別して救済にあたる監督官をおくことを提唱した。カルヴァンは『キリスト教綱要』でパウロの「働きたくない者は食べてはならない」という句を支持し、無原則な救貧活動を批判した。
こうした思想はイングランドに持ち込まれ、囲い込みなどによって増えつつある貧民への視線は神とのかかわりにおいて罪と見なされるようになった。16世紀に始まった救貧活動はこの観点からなされ、1531年、王令によって貧民を、病気等のために働けない者と怠惰ゆえに働かない者に分類し、前者には物乞いの許可をくだし、後者には鞭打ちの刑を加えることとした。また矯正院(ブライドウェル)の実態は健常者に強制労働を強いる強制収容所・刑務所と変わらない状態にあった。(⇒救貧法)
明治の産業革命以降は、景気とホームレスの増減が連動するようになる。
なお、寺や教会などの宗教施設は、納税の義務が免除されていることが多く、その競争力のある経済基盤と知識の集約により、近代まで医学・薬学・農業・高利貸しなどの産業を担ってきた。
日本の行政・企業・社会は、失業した人間を受け入れる体制を十分には整えていないため、リストラ(=整理解雇)に伴う生活破綻に備えての消費行動の自発的自粛や日本経済の悪循環を引き起こしている。
政策の見直しについては、かつてルックイースト政策を提唱したマレーシアのマハティール元首相のように、日本は米国式を脱却する必要があるという意見があり、その論調によりホームレス問題を欧米式の雇用形態に根拠を求める説が主張される。
アメリカなどでは教会を中軸とした市民レベルの支援活動が行われている。
ホームレス襲撃事件が後を絶たず、少年等を加害者とするホームレス殺害・傷害事件が発生している(横浜浮浪者襲撃殺人事件など。加害少年たちは「ケラチョ(虫けらっちょ)狩り」「街の掃除」と嘯いており、罪悪感を持たない。東京・北区赤羽では、たまたま公園でごろ寝していたネットカフェ難民の男性が、ホームレスだと思い込んだ少年達にライターオイルをかけられ火を点けられる事件が起きた (男性は火傷で重傷)。また、冬季の凍死など毎年数百人もの路上での死者(官報では行旅死亡人)が出ている。この他に、ホームレス同士による事件(相手を殺害するケースもあり)も発生している。理由は金欲しさ、また住むところがなく困っていることなど。
住所不定となるため、住民票が削除されたり(職権消除)、それにともない選挙権が行使できなくなったりすることがある[8]。長年行方不明であったために親族から役所へ失踪の届けがなされ、戸籍が抹消されている例も見られる。住民票を消されると、選挙権・被選挙権を失う他、生活保護や運転免許取得など、行政の手続きが必要な行為のほとんどが実質的に受けられなくなる[9]。さらに、就職でも不利になるため、自力での住民票回復は極めて難しくなる。
釜ヶ崎#住民登録問題も参照
大阪市では、あいりん地区(釜ヶ崎)の釜ヶ崎解放会館などに便宜上の住所登録を行うことが黙認されていた。市職員が登録を勧めた事例もあるという[10](また、横浜市でも寿町会館に便宜上の住所登録が黙認されているという)。
しかし、2006年12月に、解放会館の住民票を不正利用した男が逮捕された事件により、大阪市の事例が明らかになった。この事件はホームレスは単なる被害者であったが、これをきっかけにマスコミ、特に『讀賣新聞』12月16日号は、市民権行使による参政を「違法投票」と報じるなど、ホームレスへの非難報道を行った。
2007年2月27日、關淳一市長は「居住実態のない」ホームレスの住民票削除を発表。建設労働者の男性が大阪高等裁判所に削除差し止めの仮処分申請を行い、3月1日に認められたことなどから、大阪市は3週間の延期を発表。
大阪市選挙管理委員会は3月26日、早急に住民登録の適正化を図るよう求める依頼書を関市長に提出。選管はホームレスなど側との交渉の席上「野宿者は選挙権を行使できない」と主張したとされる(「緊急抗議行動呼びかけ」)。統一地方選挙による大阪市議選告示前日の3月29日、「選挙が無効となる恐れがある(ホームレスの選挙権行使を理由に、選挙無効で訴えられる恐れがある)」として、大阪市はホームレスら約2,000人の公民権を剥奪した[11]。
ホームレスになる直前の職業は、日雇い労働を代表とするもともと不安定な就労形態であった者が多く、建設不況などにより日雇い労働市場が縮小した現在、高齢化の問題も手伝って、仕事に就くのに困難な状況が伴っており、職業訓練や新たな雇用の創出などの対策が求められる。また、アルコール依存症などによる心身面の問題を抱える者については、一旦、生活を立て直した後で、また再び野宿に戻る場合があるなどの問題を抱えている。
法制度的な問題としては、生活保護法によれば、生活に困窮し資産能力を活用し他に手段がない場合には保護の適用を受けて最低限度の生活を営むことが出来るはずである。
生活保護の申請に際して、住所不定者の「稼働能力」を争点とした裁判が起こされている。
1993年7月、住所不定であった男性(当時55歳)が、名古屋市中村区社会福祉事務所へ医療扶助、生活扶助、住宅扶助といった生活保護の申請をした。
裁判において男性側は「不況で仕事が少なく、能力を活用しても、最低限度の生活は維持できなかった」「稼働能力があっても、生活が困窮している場合は、生活保護が受けられる」と主張。
1997年8月、名古屋高等裁判所は、1審判決を覆し男性敗訴の控訴審判決を言い渡した。
男性は最高裁に上告したが、2001年2月、最高裁判所第三小法廷は男性の上告を棄却した。
彼らの僅かな収入源の一つに、回収業者が廃品の買取をする方法や直接販売可能な廃品の買取がある。前者が段ボールやアルミ缶、後者は週刊誌などの雑誌である。段ボール集めの場合、古紙回収業者がホームレスにリヤカーを提供し、安い料金で街中の段ボールを無断で集めさせる。 ホームレスにとってはいつでも好きな時間にマイペースで仕事ができ僅かだが適当な収入になる仕事である。しかし最近では、段ボールも無料での引取りがなくなり、放火の危険性からも街中では見られなくなりつつある。缶に至っては、“資源ゴミは自治体が所有権を留保する有価物”との方針が広まり、集積所からの持ち出しも窃盗罪に問われる可能性が生じ始めている。
バブル経済崩壊後の企業倒産激増等により、インテリや芸術家もホームレスとなり、JR新宿駅西口地下街では、ピーク時で300名のホームレスが段ボール・ハウスで寝泊りしていた。1995年からは、若手芸術家(武盾一郎ほか)やホームレスとなった芸術家が、段ボール・ハウスに絵画を描き始め、1998年までに800軒の絵画が描かれた。 2005年には、その10周年を記念して「新宿区ダンボール絵画研究会」が結成され、武盾一郎が会長、深瀬鋭一郎が事務局長、深瀬記念視覚芸術保存基金が事務局となり、美術評論家の中原佑介、毛利嘉孝なども参加して、研究叢書として「新宿ダンボール絵画研究」が発刊された。
日雇い労働市場(寄せ場)には多数の簡易宿所(いわゆる「ドヤ」)が集まった街があり、日雇い労働者がひしめく独特の雰囲気がある。
ホームレスの中には、暴力団にからむ非合法勢力による犯罪に巻き込まれてしまったため親族・家族に迷惑をかけないようにと絶縁しホームレスとなり、遺体となって初めて家族のもとに帰る人がいる。また近年、ホームレスが中国から覚せい剤の密輸を行う運び屋として利用されるという事件が発生している。
これは、公園等で見知らぬ男から報酬と渡航費や偽造パスポートなどを渡され、詳しいことがわからぬまま覚せい剤を日本に持ち込ます手口といわれる。すでに2004年2月、中国当局によって麻薬密輸罪で日本人1人に執行猶予付きの死刑判決が言い渡されている。2007年、新たに麻薬事犯で2人の日本人男性に対して、執行猶予が付かない死刑が中国で言い渡された(最高人民法廷での執行許可待ち状態に置かれている)。
反社会的勢力(暴力団など)が夜の間にホームレスの枕元にそっと食料をおいておき、朝起きたホームレスがそれを誰から受けたとも知らずに食べた後、反社会的勢力が来て名乗りをあげ、以降そのホームレスを勢力範囲下におく(反社会的業務への「雇用契約」が成立したと恐喝する)という手法が取られるという[要出典]。
貧富の差が激しいインドはホームレスの数では世界でも群を抜いており、ホームレスはごく日常的に見られる光景に過ぎない。特に子供のホームレスが多いのが特徴である。彼らの多くは乞食、停車中の自動車の清掃サービス、物売り、ゴミあさり、窃盗などをして糊口をしのいでおり大きな社会問題となっている。ダージリンなどの高地にもホームレスは存在し、凍死するものも少なくない。