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ヤクルトスワローズ とは?

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東京ヤクルトスワローズ(とうきょうヤクルトスワローズTokyo Yakult Swallows)は、日本プロ野球球団でセントラル・リーグの球団のひとつ。東京都保護地域とし、都内新宿区にある明治神宮野球場専用球場(本拠地)としている。また、二軍(イースタン・リーグ所属)の本拠地は埼玉県戸田市にあるヤクルト戸田球場である。

出典: 『ウィキペディア(Wikipedia)』


ヤクルトスワローズはてなダイアリーを別ウィンドウで表示  :  東京都新宿区に本拠地を置くプロ野球チーム。セ・リーグに所属。 ホームグラウンドは明治神宮野球場。 親会社は株式会社ヤクルト本社。 チームカラーは紺と黄緑。 球団応援歌は「とびだせヤクルトスワローズ」「東京音頭」。 マスコット・キャラクターは「つば九郎」と妹の「つばみ」。 2005年より「燕太郎(えんたろう)」が加わる。名前は一般公募。 リーグ優勝6回(1978,1992,1993,1995,1997,2001)。日本一5回(1978,1993,1995,1997,2001)。 沿革 1970年、ア ...

出典: 『はてなダイアリー』


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ウィキペディア(Wikipedia)記事


東京ヤクルトスワローズ(とうきょうヤクルトスワローズTokyo Yakult Swallows)は、日本プロ野球球団でセントラル・リーグの球団のひとつ。東京都保護地域とし、都内新宿区にある明治神宮野球場専用球場(本拠地)としている。また、二軍(イースタン・リーグ所属)の本拠地は埼玉県戸田市にあるヤクルト戸田球場である。

東京ヤクルトスワローズ
チーム名 東京ヤクルトスワローズ
会社名 株式会社ヤクルト球団
加盟団体 セントラル・リーグ(1軍)、イースタン・リーグ(2軍)
創設年度 1950年
チーム名の遍歴 (1軍)
国鉄スワローズ(1950年 - 1965年
→サンケイスワローズ(1965年途中)
→サンケイアトムズ(1966年 - 1968年
→アトムズ(1969年
→ヤクルトアトムズ(1970年 - 1973年
ヤクルトスワローズ1974年 - 2005年
→東京ヤクルトスワローズ2006年 - )
(2軍)
国鉄スワローズ(1950年 - 1953年
→国鉄フレッシュスワローズ(1954年 - 1955年
→(リーグ中断のため不明)
→国鉄スワローズ(1961年 - 1965年)
→サンケイスワローズ(1965年途中)
→サンケイアトムズ(1966年 - 1968年)
→アトムズ(1969年)
→ヤクルトアトムズ(1970年 - 1973年)
ヤクルトスワローズ(1974年 - 2005年)
→東京ヤクルトスワローズ(2006年 - )
フランチャイズ
の遍歴
東京都1952年 - )
本拠地 一軍:明治神宮野球場(東京都新宿区)、二軍:ヤクルト戸田球場
収容人員 36011人(神宮)
オーナー 堀澄也
運営母体 ヤクルト本社
監督 高田繁
タイトル リーグ戦:6回、日本シリーズ:5回
優勝年度 (リーグ戦)
197819921993199519972001
(日本シリーズ)
1978、1993、1995、1997、2001
  

目次

球団の歴史

国鉄・サンケイ時代

  • 1949年シーズンオフ、リーグ拡張方針に伴うプロ球団乱立の煽りを受け、各地の国鉄鉄道局(当時)の野球部から選手が引き抜かれる事態が発生した。国鉄は同年の大幅な合理化で労使関係が悪化していることもあり、国鉄職員の団結と意志発揚を目的にプロ球団設立を発案した。当時の加賀山之雄総裁が大の野球好きだったことも、参入実現の一要因となった。
  • 日本国有鉄道法に抵触するため国鉄が直接親会社になることは出来ず、国鉄の外郭団体である財団法人交通協力会が主体となり、財団法人鉄道弘済会日本通運日本交通公社(現JTB)などの企業により「国鉄野球株式会社」を設立。球団名を国鉄スワローズとした。国鉄参入直前のセ・パはともに7球団であり、切りの良い8球団にしたいという思い、それも大企業である国鉄のプロ参入にセ・リーグ関係者は色めき立っていたが、パ・リーグとの勧誘合戦により参入が立ち消えになってしまうことを恐れ、セ・国鉄内部ともに極秘扱いで計画は進められた。参入の下準備も佳境に差し掛かる頃には巷間でも国鉄参入の噂が立っていたが、国鉄がプロ球団など作るはずがないとパ・リーグは高を括っており、参入は至って順調に成功した。
  • 参入が他新球団より遅れていたため選手確保がままならず、自前の鉄道局野球部を中心に他の社会人や大学などのアマチュア野球に残っている人材をかき集めたが、プロ経験者は戦前の一時期阪急に在籍した中村栄ただ1人という状態で、アマチュア野球では強豪の鉄道局野球部もプロでは通用せず、打てばゲッツー守ればエラーという散々な状態。エース・金田正一の投球がチーム成績を左右した。金田の活躍で最下位こそ少なかったが常に4位、5位。順位こそを振るわなかったものの、こと巨人戦では互角かそれ以上の試合を見せ、後楽園の国鉄・巨人戦は関東で最も人気のある対戦だった。
  • 1961年に初めて3位になりAクラス入り。翌年の1962年、年々増大する経営費のために経営主体は交通協力会から鉄道弘済会へと変わっていたが、公共企業・国鉄の球団であるという体面もあり相当の緊縮財政だった。新人選手の契約金は高騰する一方で満足な補強もできず(当てになる戦力は金田だけだった)、更に前年に起こった三河島事故による批判は球団にも飛び火していた。同年8月、球団譲渡を前提とした業務提携を産経新聞社、フジテレビジョン(現・フジ・メディア・ホールディングス)と結び、フジサンケイグループとの関係が生じる。この時点で経営主体はフジサンケイグループに移る。
  • 1964年、主催試合を系列のフジテレビジョンで中継するために、本拠地を後楽園球場から神宮球場へ移転する。同年オフ、当時の林義一監督の更迭・留任を巡り産経新聞と国鉄は激しく対立。エース・金田が「林監督がそのまま続投した場合移籍するが、解任された場合は残留する」との声明を出したことから国鉄は頑として林の更迭を主張、一方の産経サイドは他社マスコミ(読売新聞(巨人軍の親会社)、朝日新聞毎日新聞)により「林監督更迭」のスクープを先取りされていたことがあり、両者とも平行線を辿り最終的には経営主体の産経サイドが意見を押し切った。林は留任し、金田は10年選手の特権を行使して巨人に移籍した。金田を失ったことにより国鉄は経営意欲を完全に喪失し、フジサンケイグループへ経営権を全て譲渡して経営から撤退することとした。もとより国鉄球団は業務提携後フジサンケイグループの資金力に丸々依存しており、移譲は時間の問題と見られていたが、喧嘩別れで球団譲渡という結末となった。
  • 1965年5月10日、産経新聞とフジテレビジョンへ正式に球団を譲渡し球団名をサンケイスワローズに改称。
  • 1966年、少年野球ファン開拓のため鉄腕アトムをペットマークに使用しチーム名をサンケイアトムズに改称。同年ヤクルト本社が株式を取得し球団運営に参加。
  • 1969年、産経新聞は本体の業績不振のため株式の一部をヤクルト本社へ売却。球団経営に積極的だった産経新聞・フジテレビジョン社長の水野成夫が病に倒れ、後を継いだ鹿内信隆がフジサンケイグループの事業見直しを行った結果、不採算だったプロ野球からの撤退を決めたもの。当時、ヤクルト本社は水野とは旧知の間柄だった南喜一が代表者を務めていた。表面上は共同経営とし球団名をアトムズと改称運営会社名を株式会社アトムズ球団としたが、実質経営権はヤクルト本社が握った。
  • 1970年1月7日、ヤクルト本社が公式に単独で経営権を持ちヤクルトアトムズに改称。

ヤクルト時代

東京ヤクルト時代

  • 2006年シーズンからは、古田敦也選手兼任監督として指揮を執ることになった。2005年12月19日のプロ野球実行委員会において、古田の悲願だった「東京ヤクルトスワローズ」へのチーム名変更が全会一致で承認され、ユニフォームに国鉄以来となる「Tokyo」の文字が復活した。
  • 2006年も前年同様、リック・ガトームソンノーヒットノーラン等の活躍で交流戦2位になるなど、交流戦で順位を上げたが、交流戦終了後ほぼ5割ラインに停滞し続ける。結果3位となり2年ぶりにAクラスは確保したが、優勝争いにからむことはほとんどなかった。
  • 2007年は怪我に泣かされ続けた1年となった。五十嵐、石井弘寿のいわゆるロケットボーイズが2006年オフに行った手術の影響で1年を棒に振ったのを皮切りにディッキー・ゴンザレスアダム・リグス高津臣吾など主力級が次々と離脱、まったく戦力が整わなかった。シーズン143試合目で1986年以来、21年ぶりの最下位が確定。
  • 8月から東京のUHF東京メトロポリタンTV(TOKYO MX)で今年度初のテレビ中継が開始。以前から年間数試合は中継があったが、近年は1試合も中継が無い年もあった。
  • 2007年9月、古田監督の現役引退及びヤクルト球団からの退団も併せて発表された。なお伊東昭光ヘッドコーチも辞意を表明しているため、最年長のコーチである八重樫幸雄打撃コーチがヘッドコーチ代理を兼任していた。10月25日に日本ハムのゼネラルマネージャーを退任した高田繁が次期監督に就任し、翌26日には西武ライオンズの投手コーチを退任した荒木が次期一軍投手コーチとしてチームに復帰することが決定した。年明けの2008年1月には藤井秀悟などを交換要員する3対3のトレードを日本ハムと行った。

主な株主

2008年10月1日現在

  1. 株式会社ヤクルト本社(80%)
  2. 株式会社フジ・メディア・ホールディングス (20%)

チーム成績・記録

1950年以降の順位の変遷。赤い丸は日本シリーズ優勝を示す
  • リーグ優勝 6回 -(1978年、1992年 - 1993年、1995年、1997年、2001年)
  • 日本一 5回 -(1978年、1993年、1995年、1997年、2001年)
  • Aクラス 15回 -(1961年、1974年、1977年 - 1978年、1980年、1991年 - 1993年、1995年、1997年、2001年 - 2004年、2006年)2003年は巨人と同率3位であり開幕権はなし
  • Bクラス 44回 -(1950年 - 1960年、1962年 - 1973年、1975年 - 1976年、1979年、1981年 - 1990年、1994年、1996年、1998年 - 2000年、2005年、2007年 - 2008年)
  • 最下位回数 13回 -(1953年、1960年、1962年、1965年 - 1966年、1970年 - 1971年、1979年、1982年 - 1983年、1985年 - 1986年、2007年)
  • 最多勝 83勝(1997年)
  • 最多敗 94敗(1950年)
  • 最多引分 16分(1978年、1981年)
  • 最高勝率 .631(1995年)
  • 最低勝率 .264(1970年)

チーム個人記録

  • ノーヒットノーラン最年少記録 18歳1ヶ月 金田正一投手(1951年)
  • 交流戦ノーヒットノーラン リック・ガトームソン投手(2006年)

その他の記録

  • 年間最多併殺打 140個 (1996年、セリーグ記録)
  • 最小ゲーム差 4.5ゲーム(1973年)
  • 最大ゲーム差 57.5ゲーム(1950年)
  • 最高連勝数 12連勝(1991年)
  • 最低連敗数 16連敗(1970年)
  • 最多本塁打 181本(2004年)
  • 最少本塁打 36本(1951年)
  • 最高打率 .283(2003年)
  • 最低打率 .201(1962年)
  • 最高防御率 2.29(1961年)
  • 最低防御率 4.76(1984年)

歴代本拠地

フランチャイズ制度の実施は1952年から)

チーム特徴

球団名

「スワローズ」の名称は、国鉄が当時最速を誇った特急列車だった「つばめ」号に由来する。球団旗には列車に使用されていたつばめマークを採用。「スワローズ」のロゴデザインは国鉄のデザイン室がデザインしたものを今日まで使用している。

  • ニックネーム決定の際、最終案として残ったのが「スワローズ」と「キリバース」(国鉄の紋章“動輪”に由来)の2つである。しかし、“動輪に桐”は一般にそれほど知られていたわけではなく、国鉄内部向けの印象が強かった。一方ツバメは古来よりスピードの象徴でありスピードを重視する野球チームの愛称にふさわしく、またツバメは人の生活圏に営巣する習性があるので、人に愛される球団名として適切であることが考慮され、スワローズの方に決定した、といういきさつがある。
  • 元来「燕」は国鉄の象徴的な存在だった。1950年に、国鉄自動車局(国鉄バス)がシンボルマークに「燕」を一般公募で採用しており、現在のJRバス各社がツバメをマスコットキャラクターとして継承しているのもその名残であり、旧丸善石油(現在のコスモ石油。「Oh!モーレツ!!」のテレビコマーシャルで有名。)がツバメのマークを使用していたのも、開業当初鉄道省(国鉄の前身)との繋がりが深かったからである。
  • 『国鉄は当初「コンドルズ」にしようとしたが、本業の鉄道が「“混んどる”ず」ではマイナスイメージだから取り止めた』『「“座ろう”ず」にすれば鉄道業としては快適なイメージだから「スワローズ」を採用した』という俗説が有名であるが、これは誤りである。なお、似たような俗説は南海ホークスにも存在する(『都市伝説』の該当項目参照)。

マスコット

球団マスコットはツバメのキャラクター。

1993年以前

  • ヤー坊-1981年登場。つば九郎登場まで存在したツバメのキャラクター。神宮球場での着ぐるみのみだったようで、ペットマーク等に起用されず、ファンの間でも存在を忘れられている。
  • スーちゃん-ヤー坊と同時期に存在したツバメのキャラクター。
  • ボールの顔をしたマスコット-ヤー坊、スーちゃんからつば九郎の間のマスコット。神宮にはボールをモチーフにした絵、キャラが多く、かなり神宮を意識したものと思われる。

1994年以降

  • つば九郎 - 1994年登場。スワローズのヘルメットをかぶったツバメ。尻が重いせいか、じれったいほど動きが鈍い。12球団のメインマスコットで唯一ユニフォームを着ていないため、背番号なし。名前は公募により決定され、ツバメの別名「つばくろ」と9回・9人で行う野球の性質を合わせた名前となっている。「つばぜり合いに強く、苦労しながら接戦をものにする」という意味も込められている。自身のブログでは文を全てひらがなで書いている。アトムズのユニフォームを着ている背番号は「2896」になっていた。2008年7月10日、主催試合での連続出場1000試合を達成した。
  • つばみ - つば九郎の妹。
  • 燕太郎(えんたろう) - 2005年から登場した新顔。ユニフォームを着込むなど動きがいいように設計されている。当初の背番号は「102」(登場当時、チームスタッフのつけていた最大番号が「101」だったため)だったが、2008年シーズンより打撃投手となった石堂克利が背番号「102」をつけるようになったため「8960」(ヤクルトのもじり)に背番号が変更となった。
    • この内、つば九郎、つばみはフジテレビのイメージCMに出演したことがある。内容はつば九郎(の役者)がつばみ(の役者)に「結婚してくれ」と愛を告白するが、それをたまたま盗み聞きした石井一久が(兄妹だろ、こいつら)と何故か「兄妹」の立場からツッコミをいれるという内容。

応援スタイル

東京音頭に合せて踊るスワローズファン(神宮外野席)

鳴り物応援および チャンステーマも参照

応援歌では、オリジナルで作曲したものと、従来のポップス曲に声援を加えたものとに分かれる。そして、得点が入るとビニール傘を振りながら東京音頭を歌うのが、スワローズの応援の特色。東京音頭を初めて応援に使用したのは東京オリオンズであるが、東京オリオンズの本拠地移動もあって、1978年の優勝と前後して始められた。神宮の応援団から始まったが、現在は全国で行われている。

  • 近年はチャンステーマにJITTERIN'JINNの「夏祭り」が使用される。
  • 東京音頭で振る傘は、緑(または青)のビニール傘もしくは球団が発売している傘が一般的であるが、特に決まっているわけではない。もともと「傘を振る」という応援方法自体が「応援グッズを買わずとも、家にあるもので応援に参加してもらえる」という趣旨で始まった、ということもあり、他の色のビニール傘や普通の傘を振っても、いっこうにかまわない。この傘を使った応援スタイルは、当時の応援団長だった岡田正泰が「少しでもファンが多くいるように見せるために」考え出した苦肉の策だった。
  • 傘応援については危ないという意見があり、横浜スタジアムでは一時期傘を使用した応援が禁止されていた。球場で販売されている応援用の傘は、危なくないように石突の部分を柔らかい素材にしているとされている。
  • 他球団のファンは、7回や勝利時にジェット風船を飛ばしているが、多くのヤクルトファンは上記の傘を使った応援をするため、「ゴミになるだけ」との理由で飛ばさない。
  • 本拠地とする神宮球場では、太鼓を使っての応援は禁止されている。詳しくは、明治神宮野球場の項目を参照のこと。そのためにホームの神宮球場ではリズムが取りづらく、全体的にテンポが速くなりやすい。
  • 2006年から選手を紹介する場内アナウンスは2人体制になり、ビジターチームについては通常のウグイス嬢、ホームについては男性DJが担当している。

近年の戦績

  • 近年、Aクラスを維持する一方で試合消化の遅さが影響して、マジック対象チームになることが多く、2002年から「ヤクルトの敗北で優勝球団のマジックが0となり優勝決定」が3年続く珍事がおこった。
  • 一昔前は常に最下位争いをしていたが、野村監督以降チーム力が格段と上がり1987年から20シーズンにわたり最下位に落ちることがなかった。1991年以降は2006年まで4位以上と安定した成績を保っていた。それに伴って監督在任期間も長くなり平成の19年で監督を務めたのは関根1年、野村9年、若松7年、そして昨年までの古田監督2年の計4名である。一時期に常に最下位争いしていた横浜(当時大洋)の10人、阪神の7人に比べると非常に少ない。
  • Bクラスに低迷していた武上四郎、土橋正幸、関根潤三監督時代は、優勝チームの胴上げ試合がヤクルト戦となることが多かった。(83年巨人、85年阪神、86年広島、88年中日、90年巨人)広沢克己は「目の前で何度も胴上げを決められて、いつか俺たちが優勝してやると誓った」と後に語っている。また何故か星野仙一監督時代の中日での2度の優勝と阪神でのリーグ優勝は全てヤクルト戦に絡んだ試合である(88年はナゴヤ球場で99年は本拠地神宮球場でそして03年は阪神甲子園球場での対広島戦でこの時のヤクルトとの対戦相手は横浜である)。ちなみに78年のヤクルト初優勝決定試合の対戦は同じく神宮球場での中日戦である。
  • ヤクルトは日本シリーズに強く、通算6回出場し5回優勝している。唯一日本一を逃した1992年も、黄金時代の西武ライオンズ相手に3勝4敗だった。しかも最終戦は延長に入っての敗退で、当時の評論家たちからも「ヤクルトは大健闘した」と讃えられた。また日本一になった時は、1993年を除いては、ホームで胴上げを行っている(ただし、1978年のみ後楽園球場)。神宮での最後の敗戦は1995年第4戦で、翌第5戦から1997年、2001年の第5戦まで7連勝中。また日本シリーズで出場経験のない楽天と日本シリーズで敗退経験のない横浜を除く全10球団で日本シリーズの敗退経験が1回しかないのは現在ではヤクルトだけとなった。
  • 1990年代は、日本一(奇数年)になった次の年(偶数年)に、その反動で成績を落として(94・96・98年4位)、そのまた次の年に日本一に返り咲くパターンを繰り返したため、球団史上5度の日本一の中で4度が奇数年で記録されている。1992年の西武を最後に日本シリーズを連覇するチームが出ていないが、このようなヤクルトの戦績が、少なからぬ影響を与えていると言える。
  • 2007年に21年ぶりの最下位となる。これにより、平成になって最下位が一度もないのは巨人、西武の2球団だけとなった。

その他

  • 同じ東京都を本拠地としているだけに、ファンの間では昔から巨人への対抗心は強い。球団も、国鉄時代は「巨人にだけは勝ち越せ」がスローガンだった。しかし松園尚巳オーナー時代は、オーナー自身が巨人ファンであることを明言するなど、後の桑原潤オーナー・野村監督体制まで、フロントの対抗心が比較的希薄だった点は否めない。松園オーナーは球団に愛情を持ってはいたが、いわゆる「出来の悪い子」が好きだったらしく、「(ヤクルトの販路はオフィスでの手売りが大きな割合を占めているので)ヤクルトが巨人に勝つと売り上げが下がるから、巨人には勝たなくていい」と公言していた。1978年のシーズン終盤に当時の広岡監督と面会した際も、「ここまでよく頑張った」と暗に優勝を巨人に譲れと言わんばかりの発言をし、これに監督以下選手たちが反発して初優勝を遂げたという話も伝えられている。
  • 1990年代以前は、スワローズでプレーしたことのない外部招請監督がほとんどであり、特に松園オーナー時代は一貫して巨人軍の大物OBを監督に据えている。このため、生え抜き監督は国鉄時代の藤田宗一、ヤクルト以降は武上四郎若松勉古田敦也の4人しかいない。すなわち古田の監督就任は、球団史上初の「生え抜き同士の監督交代」だった。
  • 国鉄時代には金田、サンケイ〜ヤクルトになってからも若松や松岡弘など球史に残る大選手を擁しながらも人気の面では一貫して低迷を続け、本拠地の主催試合でもスタンドの大半は対戦チームのファンで埋まることが常だった。1978年の初優勝の際にも巨人戦ではジャイアンツファンに囲まれる中でのプレーを余儀なくされたが、1980年代に荒木大輔ボブ・ホーナー長島一茂などのスター選手を獲得してからは徐々に人気を伸ばし、90年代の飛躍へと繋がっていった。
  • 神宮球場の他に、主催試合を行う地方球場として秋田県立野球場(こまちスタジアム)、ひたちなか市民球場いわきグリーンスタジアム松山中央公園野球場(坊っちゃんスタジアム)等がある。
    • 千葉マリンスタジアムでも、毎年5月末の東京六大学野球(早慶戦)の際に主催試合が開催されていたが、セ・パ交流戦開催に伴い2005年は7月開催となり、2006年は実施されないことになった。
  • 帽子マーク"Ys"の原型は、1969年 - 1970年のアトムズ時代に遡る(当時は"Ya"マーク)。1994年から変更されている。
  • 帽子マークは、左に大きく「Y」・右に小さく「S」だが、チームのアルファベットでの略称はスワローズの頭文字である「S」としていることが多い。週刊ベースボールの2軍戦日程表では一時球団略称をYsとし、湘南シーレックス横浜ベイスターズ2軍)をSとしていたが、「Sが1軍と2軍で異なるチームを表すのはおかしいのではないか」という意見もあり、ヤクルトをS、湘南をSRに変更した。

ファンクラブ

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    • 5試合の外野自由席無料券(ただしオールスターゲーム、プレーオフ、日本シリーズ、東京ドームのアジアシリーズには適用されない)
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    • 全試合外野自由席が無料で試合観戦(ただしオールスターゲーム、プレーオフ、日本シリーズ、東京ドームのアジアシリーズには適用されない)
  • その他特典
    • 戸田球場は元々無料である為、誰でも試合観戦は無料である、その他、大田スタジアム、スワローズ主催の地方球場、東京ドーム(ビジター)、神宮球場の東京ヤクルトの2軍戦が無料で試合観戦が可能。
    • 東京ドームにある野球博物館が割引価格で入場可能
    • スワローズオンラインショップ及びグッズカタログ通販で購入時に10%割引特典
    • オフシーズン、マスターズリーグの試合観戦が当初提示すれば指定席以外内外野自由席が無料で見られたが、観戦割引が適用。

ファンクラブの歴史

  • 2007年度のファンクラブ会員にプレミアム会員が誕生
  • 2008年度のファンクラブ会員では子供会員以外長年続けていたファンクラブ用の帽子が打ち切りとなった。

ユニフォームの変遷

  • 1950年 - 1954年 ロゴは「Swallows」で縁取りが白。1951年の途中から国鉄のワッペンが外され、シンプルな形となった。また、ビジター用は「TK」マーク、ツバメに「SWALLOWS」のマークを経て1953年から「Tokyo」となる。また、1954年のみホームユニフォームが緑色(帽子のツバとロゴ、アンダーシャツとストッキング)でまとめられていた。
  • 1955年 - 1960年 袖・パンツにラインが入る。また、ストッキングに赤が入った。1960年から胸番号が装着され、同時にビジター用の「Tokyo」の書体が変更。
  • 1961年 - 1965年 縁取りに赤を使用されストッキングのラインが廃止。1963年から「Tokyo」の書体を変更。1965年のみラインがWラインとなる。同時に国鉄最後のユニフォームとなった。
  • 1965年 国鉄から産経へ営業権が変わり(球団名「サンケイスワローズ」)、チームカラーが赤と黒に変更される。ホーム用の左袖にカタカナで「サンケイ」のロゴが入り、ビジター用の左袖には「TOKYO」のロゴが入る。ビジター用は「SANKEI」と変更された。
  • 1966年 - 1968年 球団名がサンケイアトムズとなり、レターのスペルが全て小文字(斜体文字)の「atoms」が登場。チームカラーが赤とブルーに変更され、アンダーシャツ・ストッキングもブルーに変更される。夏からビジター用も全て小文字(同じく斜体文字)の「sankei」となる。(※それまでは「SANKEI」)。帽子はブルー地で飾り紐が付き、マークは赤で「a」。人気ブランド「VAN」が作成。背番号も斜体文字が採用される。左袖には『鉄腕アトム』のキャラクター・ワッペンが付く。
  • 1969年 - 1970年 チーム名がニックネームのみの「アトムズ」(アトムズは1969年のみ、この年からヤクルトと業務提携)になり、ラインが赤とブルーの組み合わせとなり、背番号の上に選手名が入る。帽子のマークが「a」から「Ya」(「Y」は赤、「a」はライトブルー)に変更。
    • ビジター用はスカイブルー地。胸ロゴが「Yakult」となり、シーズン途中からロゴもブルーに変更。
    • 1970年からは球団名が「ヤクルトアトムズ」になり、ホーム用の左袖に「Yakult」のマークが入る。
  • 1971年 - 1973年 三原脩監督就任により、読売ジャイアンツと同じ黒とオレンジを基調としたものへと大幅変更される。帽子、アンダーシャツ、ストッキングが黒、胸ロゴ、背番号、胸番号、選手名が黒にオレンジの縁取り。左袖の「鉄腕アトム」のキャラクター・ワッペンが廃止され「atoms」のマークになり、帽子のマークがYとAを重ねた形になる。
    • ビジター用はグレー地になる。
  • 1974年 - 1977年 スワローズの愛称が復活し、球団名が「ヤクルトスワローズ」となる。同時に荒川博監督就任に伴い、ニット素材の丸首ブルオーバー、ベルトレスになり、基本カラーが紺と赤へと変更。背中の選手名が消え、背番号、胸番号は丸ゴシック体になる。
    • 帽子、アンダーシャツ、ストッキングは紺、帽子のマークはYとSとを繋げた白になり、帽子のツバは赤。
      • ホーム用は、2005年までの31年間に渡り使用された赤のストライプを採用、「Swallows」ロゴは国鉄時代のものが復活。ロゴ、背番号、胸番号は紺地に赤の縁取り。首、袖、腰、パンツには紺・赤・紺の3本ライン。
      • ビジター用は、鮮やかなスカイブルー地に白のストライプ。ロゴ、背番号、胸番号は赤地に紺の縁取り。首、袖、腰、パンツには紺・白・紺の3本ライン。
        • 1975年より、ビジター用の胸ロゴ、背番号、胸番号の縁取りが紺から白になる。
        • 1976年より、ビジター用の首、袖、パンツのラインのうち白部分が赤になる。
        • 1977年より、広岡達朗監督の要望により、ベルト式になる。また、従来のニット地に加え、サプライヤーであるデサント社の技術により、快適性、軽量化を図ったストライプを施した上でのメッシュ地の上着を阪神タイガースのホーム用と同時期に採用する。
  • 1978年 - 1989年 基本デザインが当時のアトランタ・ブレーブスを意識したものにモデルチェンジされ、これまでの紺・赤から青・赤になり、帽子が青一色になる。さらに首、袖、パンツのラインが赤一色、赤のVネックに、ベルトが赤になる。背番号の上には1973年以来、選手名が復活、背番号、胸番号の書体がオリジナルロゴの角文字に変わる。胸ロゴ、背番号は紺に赤・白の縁取りになり、胸番号の縁取りは消える。またスパイクの色が赤地に白ラインとなる。
    • ホーム用は赤ストライプが太くなり、左袖に紺地の「Yakult」のロゴ刺繍が入る。
    • ビジター用はスカイブルーの色がやや落ち着き、白ストライプが消える。左袖には紺地の「Swallows」のロゴ刺繍。
      • 1980年 - 武上四郎監督就任時より、スパイクが白地に赤ラインになり、ゼット社のスパイクとなる。
      • 1982年 - ビジター用の首、袖、パンツのラインが赤から赤・青・赤の3本ラインになる。
        • 1978年の日本一に輝いたゲンのいいユニフォームで、計12年間使用された。
  • 1990年 - 1998年 野村克也監督就任により、パンツのラインと、胸ロゴ、背番号の赤白の縁取りが消え、二桁の選手の背番号の間隔がやや狭くなる。
    • ホーム用は、マイナーチェンジ。赤ストライプ、Vネックの幅がやや細くなる。
    • ビジター用は大きく変更。光の加減でストライプに見える「シャドゥ・ストライプ」を採用。1977年のストライプメッシュ地のユニフォームを製造したデサント社の技術により実現。胸ロゴ、背番号には白いシャドゥがつき、シャドゥ・ストライプと併せてサッカーのユニフォームを意識したものになる。首、袖のラインは青・白・青となり、胸番号と左袖の「Swallows」ロゴが赤色になる。
      • 1994年には、ホーム用の袖の赤ラインが消え、帽子のYSマークがアトムズ時代に使われた「Ys」型になり、左袖には、ホームのYakult、ビジターのSwallowsのロゴの上に「つば九郎」のペットマークがつく。
      • 1997年には、ビジター用の袖ラインも消え、スパイクの個人契約メーカーでの使用が認められる。
        • ID野球に象徴される、強いヤクルトのイメージがあり、4度のリーグ優勝、3度の日本一をもたらしたユニフォームである。
        • 1970年代 - 1980年代、各球団ともビジター用のユニフォームの色はスカイブルー地が定番だったが、1990年代に入ると、各球団が徐々にグレーやチームカラーを施したものを採用しつつあったが、1998年まで12球団で唯一スカイブルー地を使用し続けた。
  • 1999年 - 2005年 若松勉監督就任に伴い、ホーム用が9年ぶりモデルチェンジ。青から紺に戻る。ホーム、ビジター用共ボタン式になり、背番号、選手名の書体が中日ドラゴンズに続いて、メジャー・リーグで採用されているタイプになる。
    • ホーム用は、首周りのラインが消え、赤ストライプがさらに細くなり、幅も狭くなる。
    • ビジター用は、大幅にモデルチェンジし、提携していたクリーブランド・インディアンスのロード用のデザインを世襲したものになる。
    • 1999年夏場からビジター用のアンダーシャツ、キャップのツバ部が赤くなる。2000年には紺に戻るが、一時ホーム・ビジター用で、また赤が採用。赤いアンダーシャツ、キャップのツバは2002年に廃止された。2002年に1試合だけ若松監督のゲン担ぎでホームの試合で使用したのが最後である。なお最後に着た先発投手は入来智元投手であり、対巨人戦だったものの負け試合だった。ただし、2005年までユニフォームの登録はしていた模様。
      • ビジター用は、本来1998年から導入される予定だったが、前年日本一になったことからゲン担ぎのために当時の監督・野村克也が導入を止めさせた。
  • 2006年 - 古田敦也選手兼任監督就任、球団あげての観客増員プロジェクト「F-PROJECT」の一環として、「BEAMS」が手がける。ホーム、ビジター共基本カラーは変わらないが、首周りと袖に赤ラインが入り、肩から袖、パンツの腰から足首にかけて細くなる太ラインが入る。ホーム・ビジターともに右肩に「Tokyo」のロゴが入り、さらに選手名の書体が変わり、背番号、胸番号の書体が角が丸い角型に変わる。こちらを参照
    • ホーム用は、1974年より32年間採用されていた赤ストライプが消える。胸ロゴに赤、白、水色の縁取りが入る。
    • ビジター用は、背番号が赤地に白縁取りだったものが、白一色になる。
    • 2008年3月31日、5月の神宮球場主催試合などにおいて、『ヤクルトアトムズ復活シリーズ』と題して、ヤクルトアトムズ時代のビジターユニホームを復刻し、一軍全選手が着用して試合に臨むことが発表された。手塚治虫の生誕80周年記念事業として、彼の個人事務所手塚プロダクション協賛で行われる。対象となるのは5月3-5日の読売ジャイアンツ戦、9-11日の広島東洋カープ戦、13-15日の中日ドラゴンズ戦の神宮球場ホームゲーム3カード9試合と、交流戦開幕シリーズの5月21-22日・埼玉西武ライオンズ戦(西武ドーム)のビジターゲーム1カード2試合。なお、西武ドームでの埼玉西武戦では、同じく手塚プロのレオとの共演となる[1]

スポンサー

セ・リーグでは、各球団の申し合わせにより、2002年度からホーム用ユニフォームに限定して、スポンサー広告を掲載できるようになった。スワローズでは2005年まで掲載していなかったが、2006年のユニデンから広告が入る。

歴代監督

※太字は優勝監督