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ロマン・ポランスキー /
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ポーランド系ユダヤ人の父親とカトリック教徒のロシア人の母親の間にフランスの首都のパリで生まれる。出生時の名前はRajmund Roman Liebling。母親は第二次世界大戦時にアウシュビッツでドイツ人に虐殺された。
また自身も、ドイツに占領されたフランスのヴィシー政権下における「ユダヤ人狩り」から逃れるため転々と逃亡した。この体験がポランスキーの作品に深く影響を与えることとなった。
第二次世界大戦終結後にポーランドへ戻り、冷戦下の1950年代にポーランドで俳優として活動を始める。いくつかのポーランド映画に出演後、自由な表現活動を求めてフランスに移った。
1962年に『水の中のナイフ』で監督デビュー。共産党一党独裁体制のポーランドでは黙殺されたが西側諸国で絶賛された。その評判に惹かれるように1963年にイギリスに渡り映画『吸血鬼』などを製作する一方で、アメリカのヒューストンに居を構える。
『吸血鬼』に出演した女優シャロン・テートと結婚(2度目の結婚)。しかし、ほどなくして1969年8月9日に、チャールズ・マンソン率いるカルト教団にテートを惨殺されるという事件に襲われる。テートは殺害された時、ポランスキーの子を身ごもっていた。
ポランスキーはアメリカに絶望するが、立ち直り作品を撮り続けた。しかし1977年にジャック・ニコルソン邸で、当時13歳の子役モデルに性的行為をした事により逮捕、裁判で法定強姦の有罪の判決(実刑 懲役50年以上という換算)を受ける。
逮捕、収監を避けるため、「映画撮影」と偽ってアメリカを出国し、ヨーロッパへ逃亡した。以後アメリカへ1度も入国していない。1978年にフランスに移り市民権を取得。1989年に女優のエマニュエル・セニエと3度目の結婚をしている。
主に1960年代から1970年代にかけて活躍したものの、それ以降は凡作が続き全盛期は過ぎたと見られていたが、2002年公開の『戦場のピアニスト』でアカデミー監督賞を受賞(上記の問題を恐れ授賞式には参加せず)、この受賞当時ポランスキーは69歳と7ヶ月で同賞の最年長受賞者となった。この記録はクリント・イーストウッドが74歳で受賞した2005年に破られた。
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