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三重県(みえけん、英語表記:Mie Prefecture)は、近畿地方東部および中部地方南部に位置する日本の県の一つである。
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江戸時代から、お伊勢参り(お蔭参り)の名で知られる伊勢神宮を擁する地域として発展した。令制国では、伊勢国、志摩国、伊賀国の全域と、紀伊国の一部より構成される。
三重県は南北の長さは約180km、東西の幅は10~80kmと、非常に細長い形をしているため、地形も、伊勢平野をはじめとする平野部から、山脈、青山高原などの高地、盆地、低地など様々な地形を有する。
現在の三重県は江戸時代には伊賀、伊勢、志摩、紀伊(東端のみ)の4つの地域に分かれていた。この時は伊勢は尾張、美濃(現在の愛知県、岐阜県)と、伊賀は近江、山城、大和(現在の滋賀県、京都府、奈良県)との関わりが深かったが、廃藩置県後にこれらがすべてが「三重県」に編入された関係上、近畿地方の一部とされたり、中部地方の一部とされたりしている[1][2]。
ケースによって、両方の地域にまたがっている場合がある。例えば電力会社の供給エリアは、熊野市・御浜町・紀宝町は関西電力のエリアであるが、それ以外は中部電力のエリアとなっている。また、中部地域の民放と関西地域の民放が両方とも受信できる地域(伊賀地域の一部)があり、全13チャンネルのうち11チャンネル見ることが可能となっている[3]。
新聞の項で後述するが、新聞全国紙に関して、三重県の多くは名古屋版を利用しているが、伊賀と東紀州地域は大阪に近いということで大阪版が使われている。(但し東紀州地域の読売新聞は名古屋版、産経新聞は全県大阪版である)。番組表に関しても、名古屋発行の多くは在名テレビ局の番組表をメインに扱っているが、伊賀・東紀州地域向けの新聞では在阪テレビ局の番組表がメインに扱われている。
一方、東海地方と関西地方(近畿地方)で分割する場合においては、東海地方に分類されることがほとんどである。特に「東海三県(四県)」と表現する場合は「愛知・岐阜・三重(・静岡)」を示す。
なお類似例として、山梨県は地方区分では中部地方に属するが、首都圏整備法では首都圏に属していることと行政機関の大半が東京管轄であるため関東地方に分類されている場合もある[4]
この他にも、志摩半島南部から熊野市にかけての海岸は、リアス式海岸になっているので、多数の湾がある。
三重県は一般的に温和な気候だが、南北に長いため地域差が大きい。
北 : 養老山地と木曽三川を境に、愛知県や岐阜県と接している。
西 : 鈴鹿山脈・信楽山地・布引山地・台高山脈及び紀伊山地を隔てて、滋賀県、京都府、奈良県、和歌山県の各府県と接する。
東 : 伊勢湾と熊野灘が開けている。
明治維新以前の伊勢国、伊賀国、志摩国および紀伊国の東部よりなる。
「三重」の名称は、ヤマトタケルが東方遠征を終えて尾津前(尾津浜)(桑名市)から能褒野(亀山市)へ向かう途中、『古事記』に「『吾が足は三重の勾がりの如くして甚だ疲れたり』とのりたまいき。故、其地を號けて三重と謂ふ。」とあることに由来するとされている。
江戸時代に置かれた藩には伊勢国には、桑名藩、長島藩、伊勢亀山藩、神戸藩(かんべ)、菰野藩(こもの)、久居藩、津藩、志摩国の鳥羽藩、津藩の支城の伊賀上野城、津藩の一族の名張陣屋、紀州藩の支城の田丸城、松阪城がある。
年齢5歳階級別人口
平成17年国勢調査
総計 [単位 千人]
年齢5歳階級別人口
平成17年国勢調査
男女別 [単位 千人]
| 三重県と全国の年齢別人口分布図(比較) | 三重県の年齢・男女別人口分布図 |
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■紫色は三重県
■緑色は日本全国 |
■青色は男性
■赤色は女性 |
| 総務省統計局 / 国勢調査(2005年) | |