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明治維新の東京行幸により、天皇が東京の皇居(旧江戸城)に移ったため、明治10年(1877年)保存された。明治以降は京都皇宮(きょうとこうぐう)とも称される。
元々平安京での正式な皇居は平安京の中央部付近に位置する内裏であったが、戦乱などによって荒廃したために里内裏に移った。土御門東洞院内裏は、この里内裏の一つで、後に北朝と呼ばれる事になる持明院統の天皇家が歴代居住した御所であった。ちなみに南朝と呼ばれる事になる大覚寺統の天皇家の御所は二条富小路内裏であった。現代の京都御所は土御門東洞院内裏そのものではなく、土御門東洞院内裏を基に拡充されたものである。広さは約20.2ヘクタール。[1]
普段は申し込みする事で参観出来るほか、春と秋には一般公開される。
京都御所は、明治2年(1869年)の東京行幸まで歴代天皇の居所・執務所であった。現在(21世紀)の京都御所は国有財産で、宮内庁が管轄する「皇室用財産」に分類されている。隣接して京都大宮御所、仙洞御所があり、また北隣の今出川通を挟んで同志社大学と同志社女子大学(両校とも今出川キャンパス)が位置する。
現在は京都御所、京都大宮御所と仙洞御所を宮内庁が管理し、その周囲の国民公園である京都御苑を環境省が管理している。京都市民は京都御苑も含めて、単に「御所」(ごしょ)と呼ぶ事が多い。なお、海外のお城とは違い、御所を覆う塀はあまり高くはないが、これは東洋と西洋での支配者(天皇やなど皇族)に対する庶民の親近感の違いが現れているという考察がある。例えば、フランス革命の際、支配者(王)の居城であったベルサイユ宮殿に庶民が侵入するという出来事があったような事例が、日本では発生していないのがこうした考察の根拠の一つである。
平安京建都当初の内裏は現在の京都御所よりかなり西方にあり、JR西日本二条駅の近くの千本丸太町交差点北東の位置にあった。現存の京都御所はもとは里内裏の一つで、土御門東洞院殿(つちみかどひがしのとういんどの)と言い、元弘元年(1331年)、北朝の光厳天皇が最初に使用したものである。当初は、一町四方の敷地であった。ここにあった内裏は江戸時代だけで8回再建されており(うち6回は火災焼失による再建)、現存する建物は江戸末期の安政2年(1855年)、平安様式にならって再建されたもので安政内裏と呼ばれるものである。
明治10年(1877年)、東京の皇居に移っていた明治天皇が京都を訪れた際、東幸後10年も経ずして施設及び周辺の環境の荒廃が進んでいた京都御所の様子を嘆き、御所を保存し旧観を維持するように命じた。
主な建物としては、紫宸殿(ししんでん)、清涼殿、小御所(こごしょ)、御学問所、常御殿(つねごてん)、迎春(こうしゅん)、御涼所(おすずみしょ)、皇后御殿などがある。
即位の礼は代々京都御所の紫宸殿で行なわれ、明治維新の際に天皇が東京へ移ってからも、明治22年(1889年)制定の旧皇室典範により、即位の礼と大嘗祭は京都で行なうと定められ、大正天皇と昭和天皇も京都御所で即位の儀式を行った。
また、第二次世界大戦後制定された現在の皇室典範では京都で行うというような場所の規定がなくなり、平成2年(1990年)今上天皇の即位にあたり、史上初めて即位の礼が東京で行われた。
即位の際に天皇が着座し、その即位が象徴的に示される天皇の正式な御座所である高御座並びに皇后の正式な御座所である御帳台は京都御所の紫宸殿に常設されているため、今上天皇の即位の礼「正殿の儀」(「紫宸殿の儀」に相当)に際しては、高御座と御帳台を解体した上で皇居宮殿のある東京まで運ばれた。
御所正面入口の正門。素木、切妻造、桧皮葺(ひわだぶき)、柱間1間の四脚門である。開門されるのは天皇や国賓の来場や一般公開など、特別な行事の時のみである。左右の築地塀(ついじべい)には5本の筋(水平の線)が入っているが、これも塀として最高の格式を示すものである。この門を入り、丹塗り瓦葺の承明門(じょうめいもん)を潜ると正面が紫宸殿である。
紫宸殿も参照
御所の正殿で、天皇の即位式、立太子礼などの最重要儀式が執り行われた最も格式の高い建物である。白砂の南庭(なんてい、だんてい)に面して南向きに建つ。入母屋造、桧皮葺の高床式宮殿建築の建物で、平面は33メートル×23メートルほどの規模がある。建具は蔀戸(しとみど)が使われている。規模は大きいが、華美な装飾のない、簡素な建物である。構造は中央の母屋の東西南北に庇を付した形になる。内部は板敷きの広い空間となり、中央に高御座(たかみくら、天皇の座)、その東に御帳台(みちょうだい、皇后の座)が置かれている。高御座、御帳台ともに高さ約5メートル、平面八角形で、柱と柱の間に帳(とばり、カーテン)をめぐらし、内部には椅子が置かれている。高御座、御帳台の背後の襖は「賢聖障子」(けんじょうのしょうじ)と呼ばれ、中国古代の賢人32人の肖像が描かれている。これは平安時代からの伝統的な画題である。現在の高御座と御帳台は、大正天皇の即位礼に際し、古制に則って造られたものである。今上陛下の即位礼の際には、一度解体した後、東京の宮殿に運ばれて使用された。建物正面の階段の左右には「左近桜」と「右近橘」の木がある。
清涼殿も参照
紫宸殿の背後西側にあり、東を正面とした建物。入母屋造、桧皮葺の寝殿造の建物で、建具に蔀戸(しとみど)を使う点などは紫宸殿と共通する。本来は天皇の居所兼執務所であったが、天皇が常御殿に居住するようになってからは、清涼殿も儀式の場として使われるようになっている。
本来、居住の場であった名残で、建物内は紫宸殿よりは細かく仕切られている。中央の母屋には天皇の休憩所である御帳台(みちょうだい)がある。その手前(東側)には2枚の畳を敷いた「昼御座」(ひのおまし)がある。ここは天皇の公式の執務場所である。母屋の北側(建物正面から見て右側)には四方を壁で囲われた「夜御殿」(よんのおとど)がある。
これは天皇の寝室であるが、天皇の居所が常御殿に移ってからは形式的な存在になっていた。この他に西側(裏側)には鬼の間、台盤所(だいばんどころ)、朝餉の間(あさがれいのま)、御手水の間(おちょうずのま)、御湯殿があり、南側には殿上の間がある。これらの部屋の障壁画は宮廷絵師の土佐派が担当している。また、建物正面の庭には「漢竹」(かわたけ)、「呉竹」(くれたけ)が植えられている。
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