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内閣総理大臣 とは?

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内閣総理大臣 (ないかくそうりだいじん) は、日本行政府である内閣の首長。国会議員の中から国会の議決で指名され(憲法第67条)、これに基いて、天皇によって任命される(憲法第6条)。

出典: 『ウィキペディア(Wikipedia)』


内閣総理大臣はてなダイアリーを別ウィンドウで表示  :  日本国の内閣の長。略称は総理大臣、総理。通称として首相ともよばれる。 国会議員の中から国会の議決で指名され(憲法67条1項)、天皇により任命される(憲法6条1項)。 また文民でなければならない(憲法66条2項)などの条件もある。 国務大臣を任免する権限を有し(憲法68条)、内閣を代表する(憲法5条)。 2008年9月24日現在(麻生内閣)の内閣総理大臣は麻生太郎衆議院議員(自由民主党・無派閥*1)。 →総理大臣 *1:慣例として自由民主党総裁は派閥を離脱、麻生派出身

出典: 『はてなダイアリー』


和英辞典

内閣総理大臣 [ないかくそうりだいじん] 別ウィンドウで表示  …  (n) Prime Minister or Premier (as the head of a cabinet government)

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ウィキペディア(Wikipedia)記事


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第92代
内閣総理大臣
麻生太郎

内閣総理大臣 (ないかくそうりだいじん) は、日本行政府である内閣の首長。国会議員の中から国会の議決で指名され(憲法第67条)、これに基いて、天皇によって任命される(憲法第6条)。

総理大臣または総理と略され、首相とも通称される。

目次

歴史

憲法制定前

初代
内閣総理大臣
伊藤博文

明治維新以降、日本の政治は五箇条の御誓文に示された「広ク会議ヲ興シ万機公論ニ決スヘシ」の方針を実現するために設けられた太政官制度によって行われてきた。しかし、奈良時代から続くこの政体は古色蒼然としていて新時代にはそぐわないものであったばかりか、制度面においても、天皇輔弼するのは太政大臣左大臣右大臣であり、これによって「指揮」される参議と各省のには輔弼責任がない、また太政大臣が極度に多忙なかたわら左右大臣の職責は不明瞭という、迂遠かつ非効率なものであった。

1880年(明治13年)ごろから参議伊藤博文はこの太政官制の改革を試みはじめたが、これに対して保守派の右大臣岩倉具視が反発した。当時の伊藤には岩倉に対抗するだけの政治力がなかった(明治14年の政変による大隈重信追放が岩倉が宮中を動かして進められたために、伊藤も岩倉との衝突によって「第二の大隈」になる可能性があった。)。そのため、伊藤はいったんこの提案を引き下げて1882年(明治15年)3月から伊東巳代治西園寺公望らとともに渡欧し、ドイツオーストリアイギリスなどで憲法を含む立憲体制の調査に当たったが、この時から「文明諸国と同等の政府」の骨格が具体的に構築されていく。そして、岩倉の死後に帰国した伊藤はドイツで研究した立憲体制に則した政治体制構想の実施を進めようとした。

これに対して、岩倉と同じく保守派の太政大臣三條實美らは、右大臣に伊藤を充てるという人事改革案で応酬した。しかし伊藤はこれを丁重に断り、代わって黒田清隆を推したが、今度は酒乱の気がある黒田に保守派が尻込み、結局この「改革合戦」は引き分けに終わった。だが伊藤もこれにひるまずに提案したのが、内閣制度だった。「君主立憲政体なれば、君位君権は立法の上に居らざる可からずと云の意なり。故に、憲法を立て立法行政の両権を並立せしめ(立法議政府、行政宰相府)恰も人体にして意想と行為あるが如くならしめざる可からずと云」という伊藤の語録にあるように、憲法とセットにして近代的内閣制度をつきつけられては、保守派も反対の名目がない。伊藤の作戦勝ちであった。

大日本帝國憲法

旧憲法制定後
初の内閣総理大臣
山縣有朋

1885年(明治18年)12月22日、太政官達第69号で (1) 太政大臣、左右大臣、参議及び各省卿の職制を廃し、新たに内閣総理大臣、並びに宮内外務内務大蔵陸軍海軍司法文部農商務及び逓信の各大臣を置くこと、(2) 内閣総理大臣及び各大臣(宮内大臣を除く)をもって内閣を組織すること、が定められ、ここに内閣制度が始まった。このとき同時に定められた内閣職権によって、内閣総理大臣には「各大臣ノ首班トシテ機務ヲ奏宣シ旨ヲ承テ大政ノ方向ヲ指示シ行政各部ヲ統督ス」(2条)と、形の上では強力な権限を与えられていた。

しかし1889年(明治22年)に大日本帝国憲法が発布されると、「国務各大臣ハ天皇ヲ輔弼シ其ノ責ニ任ス」(55条1項)との定めから、行政権は形式上各国務大臣の輔弼により天皇が自ら行うものとされ、内閣は各大臣の協議と意思統一のための組織体と位置付けられた。これを受けて、同年12月24日に公布された、内閣官制により、「内閣総理大臣ハ各大臣ノ首班トシテ機務ヲ奏宣シ旨ヲ承ケテ行政各部ノ統一ヲ保持ス」(2条)と、その権限は弱められ、その結果「首班」とは「同輩中の首席(ラテン語:PRIMUS INTER PARES)」を意味するものと解釈されることになった。

日本国憲法

新憲法制定後
初の内閣総理大臣
片山哲

1946年(昭和21年)11月3日に公布された日本国憲法には、「内閣は、法律の定めるところにより、その首長たる内閣総理大臣及びその他の国務大臣でこれを組織する」(66条1項)とあり、これにともない翌1947年(昭和22年)1月16日に施行された内閣法では、「内閣総理大臣は、閣議にかけて決定した方針に基いて、行政各部を指揮監督する」(第6条)など、その権限は大幅に強化された。これらの改革は、旧憲法下における内閣総理大臣の権限が極めて弱かったために軍部の独走を許したことを反省したものである。

旧憲法下の内閣総理大臣は、それぞれが天皇に対して輔弼の責任を負う各国務大臣の「首班」という位置付けでしかなかった。したがって、いったん閣内に意見の不一致が起こると、内閣総理大臣にできることといえば反対派を説得することくらいで、これが失敗すれば内閣総辞職するしかなかったのである。これを利用したのが陸軍だった。「陸海大臣に任じられるものは現役の大将中将に限る」という軍部大臣現役武官制をテコに、内閣が軍部の意に沿わない場合、陸軍大臣は単独で天皇に辞表を提出して辞めてしまい、かつ軍は後任を推薦しないのである。陸軍大臣を欠いては内閣は存続し得ない。

新憲法下の内閣総理大臣は、閣内に意見の不一致が起こった場合は、反対派に辞職を迫るか罷免して自らの意見を通すことができる。また何らかの理由で大臣が突然辞職しても、内閣総理大臣はその後任を任意に任命することができる。この顕著な例が解散権である。憲法上、衆議院の解散は内閣の助言と承認により天皇が行うことになっているが(7条3号)、これはつまり「解散権は内閣に属す」ということであり、「閣議決定なしには解散はできない」ということである。しかし一般には「解散権は内閣総理大臣の専権」だと解釈されている。これは解散に反対して閣議書への署名を拒否する大臣がいたとしても、内閣総理大臣はその大臣を罷免した上で、自らが兼務して閣議書へ署名することができるからである。仮に全閣僚が反対したとしても、内閣総理大臣はすべての大臣を罷免・兼務してでも解散を閣議決定できる(一人内閣)。したがって、内閣総理大臣が解散を行うと決めた場合、これを阻止する手立ては法令上はないのである。このように、大臣に対する任意の罷免権の効果は極めて大きい。

職務

歴代内閣総理大臣の花押(初代から第44代まで)。閣議で作成される文書には、署名の代わりに花押が用いられる。

日本国憲法と現行の内閣法が規定する内閣総理大臣の地位は次の通り。

地位

  • 行政権は、内閣に属する(憲法65条)。
  • 内閣は、法律 (内閣法) の定めるところにより、その首長たる内閣総理大臣及びその他の国務大臣でこれを組織する(憲法66条1項)。

内閣総理大臣は「行政府の首長」と位置付けられている。

資格

  • 内閣総理大臣その他の国務大臣は、文民でなければならない(憲法66条2項)。
  • 内閣総理大臣は、国会議員の中から国会の議決(首班指名)でこれを指名する(憲法67条1項)。
  • 内閣総理大臣は、25歳以上であること(日本国憲法には明記されていない。公職選挙法の衆議院議員の被選挙権規定にのっとり25歳)。
  • 天皇は、国会の指名に基いて、内閣総理大臣を任命する(憲法6条1項)。

内閣総理大臣に指名される時の資格は、文民であり、国会議員であること、この2点のみである。ただし実際には、衆議院において最大勢力を占める政党党首、又は連立を組む複数の党のいずれかの党首がその責に任じる。また国会議員として首班指名を受け続ける限り、内閣総理大臣の再選に制限はない(ただし、実際には内閣総理大臣の所属する党の党首としての任期制限が内閣総理大臣の任期制限となっている)。定年も存在しないが、この点でも与党内部の国会議員の定年制が一つの歯止めとなる。

内閣総理大臣就任後に国会議員でなくなった場合(議員辞職をした場合、除名された場合、落選した場合、参議院議員の首相が参議院の改選選挙において立候補しない場合)の内閣総理大臣の地位について法律では明記されていない。しかし、法理論上は内閣総理大臣の資格は国会議員とされている。また内閣の見解として、内閣総理大臣が国会議員でなくなった場合は「内閣総理大臣が欠けたとき」に該当し、内閣総辞職しなければならないと解釈している。

代理

  • 内閣総理大臣が欠けたとき、または衆議院総選挙の後に初めて国会の召集があったときは、内閣は、総辞職しなければならない(憲法70条)。
  • 旧内閣は、次の内閣総理大臣が任命されるまでは引き続きその職務を行う(憲法71条)。
  • 内閣総理大臣に事故のあるとき、または内閣総理大臣が欠けたときは、その予め指定する国務大臣が臨時に内閣総理大臣の職務を行う(内閣法9条)。

内閣総理大臣が外遊などの一時的な理由で国内で職務を行えない場合にも、この内閣法第9条に基づいて国務大臣の1人が内閣総理大臣臨時代理としてその職務を行う。以前は組閣時に内閣総理大臣臨時代理予定者に指名された国務大臣を副総理と呼ぶ慣行があったが、2000年(平成12年)4月以降、組閣時に内閣総理大臣臨時代理の就任予定者5名を指定して官報に掲載するように方針が改められた。これにより、原則として内閣官房長官たる国務大臣が第1順位となった。

「内閣総理大臣が欠けたとき」とは、「内閣総理大臣が死亡又は失格などの理由によって欠けたとき」と内閣では解釈している。

主任の大臣

内閣総理大臣内閣府主任の大臣であるが、自らを助けるものとして内閣府に特命担当大臣を置くことができる。内閣総理大臣は、また内閣官房内閣法制局の主任の大臣でもあるが、こちらは内閣官房長官内閣法制局長官が事務を統括している。

権限

首相政府紋章、「五七の桐花紋
自衛隊で用いられている内閣総理大臣

日本国憲法及びその他の法令が規定する内閣総理大臣の権限は次のとおり。

  • 他の国務大臣を任命し、任意に罷免すること(憲法68条)。
  • 在任中の国務大臣に対する訴追に同意すること(憲法75条)。
  • 内閣を代表して議案を国会に提出すること(憲法72条)。
  • 内閣を代表して一般国務及び外交関係について、国会に報告すること(憲法72条)。
  • 内閣を代表して行政各部を指揮監督すること(憲法72条)。
  • 法律及び政令への連署をすること(憲法74条、権限であると同時に義務でもある)。
  • 閣議を主宰すること(内閣法4条2項)。
  • 内閣総理大臣及び主任の国務大臣の代理を指定すること(内閣法9条、10条)。
  • 行政各部の処分又は命令を中止せしめ、内閣の処置を待つことができる(内閣法7条、「中止権」)。
  • 緊急事態の布告を発すること(警察法71条)。
  • 布告時における警察の統制(警察法72条)。
  • 自衛隊の最高指揮監督権を有する(自衛隊法7条)。
  • 武力攻撃事態又はその発生が切迫していると認められるに至った事態に際して、自衛隊の全部又は一部に出動を命ずる(自衛隊法76条、「防衛出動」)。
  • 間接侵略又はその他の緊急事態に際して、一般の警察力をもっては治安を維持することができないと認められる場合には、自衛隊の全部又は一部に出動を命ずる(自衛隊法78条、「命令による治安出動」)。
  • 防衛出動又は治安出動による自衛隊の全部又は一部に対する出動命令があった場合において、特別の必要があると認めるときは、海上保安庁の全部又は一部をその統制下に入れること(自衛隊法80条)。
  • 武力攻撃事態等に至り、対処基本方針が定められたときは、内閣に設置される「武力攻撃事態対策本部」の対策本部長(内閣総理大臣をもって充てる場合)として、所要の権限を行う(武力攻撃事態平和確保法14条)。
  • 上記14条の総合調整に基づく所要の対処措置が実施されない場合、内閣総理大臣として地方公共団体の長等に対し、対処措置を実施すべきことを指示すること(武力攻撃事態平和確保法15条)。
  • 気象庁長官から地震予知情報の報告を受けた場合において、地震防災応急対策を実施する緊急の必要があると認めるときは、閣議にかけて、地震災害に関する警戒宣言を発する(大規模地震対策特別措置法9条)。
  • 裁判所による行政処分等の執行停止に対して異議を申し述べる(行政事件訴訟法27条)。

また、行政府である内閣府の長としての、各種許認可権を持っている。特に、内閣府の外局の一つである金融庁に関連する許認可権が多い。(銀行法貸金業法金融商品取引法などが挙げられるが、具体的な法律名は多岐に渡るため割愛。) また1991年までは、都道府県知事の罷免権も認められていた。

語源と呼称

「ニコポン宰相
桂太郎

呼称

内閣制度の設立にあたって、英国式の「プライムミニスター」の訳語をどうするかが問題となった。内閣制度が発足する前から伊藤や彼の側近だった伊東巳代治金子堅太郎などは日記や備忘録などに「首相」「宰相」という語を用いていた。しかし保守派の太政大臣・三條實美を納得させるためには、日本の指導者の呼称は大化の改新から連綿と続く「〜大臣」である必要があった。

内閣制度発足当時から内閣総理大臣のことは一般に「首相」と呼ばれた。それにならって「外務大臣」は「外相」、「大蔵大臣」は「蔵相」などと他の「大臣」も「相」と呼ばれるようになり、「枢密院議長」までもが「枢相」と呼ばれた。これはかつて「太政大臣」を「相国」、「左大臣」を「左府」、「内大臣」を「内府」などと縮めたのと似ている。

語源

首相の「相」は、かつて中国で皇帝の下で政務を司った官職の「宰相」や「丞相」の「相」が語源。日本でも平安時代以降には太政大臣を「相国」または「大相国」と呼んでいたことがある。後に宰相が複数になると、その首席のものを「首相」または「首揆」と呼ぶこともあった。

表記

テレビのニュース番組の内閣総理大臣の呼称のテロップは、各社ごとに表記が異なる。在京キー局においては、NHK日本テレビTBSフジテレビでは「首相」と表記し、テレビ朝日テレビ東京では「総理」または「総理大臣」と表記している。新聞のラテ欄の表記もそのようになっている。

ラジオのニュース番組では、アナウンサーの発音の容易さや聴取者の聞き取りやすさ等を考慮し、「首相」ではなく「総理」、「総理大臣」と表現することが多い。

新聞においては、内閣総理大臣を「首相」と略して表記することが多い。全国紙5紙では読売新聞朝日新聞毎日新聞日本経済新聞産経新聞の5紙全てで「首相」との表記が日常的に使用されている。ブロック紙3紙も、北海道新聞中日新聞東京新聞北陸中日新聞日刊県民福井含む)、西日本新聞の3紙全てで、「首相」との表記が全国紙同様に使用されている。内閣総理大臣の6文字より首相の2文字を用いたほうが、より伝えるべき多くの記事を載せるスペースが確保できるためである。

日本以外の「内閣総理大臣

詳細は首相を参照

日本以外においても、議院内閣制半大統領制の政治形態を採る国を中心に、首相の役職が置かれている。しかし、「内閣総理大臣」は日本固有の官職名であり、外国の首相に対しては原則として使用しないこととなっている。

たとえば、イギリスの首相(Prime Minister)も、ドイツの連邦首相(Bundeskanzler, -kanzlerin。英:Federal Chancellor)も、イタリアの閣僚評議会議長(Presidente del Consiglio dei Ministri。英:Presidents of the Council of Ministers)も、ロシア連邦政府議長(Председатель Правительства Российской Федерации。英:Chairman of the Government)も、国ごとに正式名称は異なるが一律に「首相」と呼ぶことが多い。

また、漢字文化圏の国においては、首相の職名に「総理」の語を含む例もある。たとえば中国国務院総理(国务院总理。英:Premier of the State Council)などが挙げられるが、その場合も一律に「首相」と呼んでいる。

なお、かつて韓国中国にも「内閣総理大臣」という名称の役職が存在した。

主要8ヶ国における首相の例
「総理」の語を含む首相の例
内閣総理大臣」と呼称された首相の例

逸話など

「最後の太政大臣
三條實美
三條實美の処遇
内閣制度移行に際し、誰もの関心は誰が初代総理になるかであった。衆目の一致するところは、太政大臣として名目上ながらも政府のトップに立っていた三條實美と、大久保利通の死後事実上の宰相として明治政府を切り回し内閣制度を作り上げた伊藤博文だった。しかし三條は、藤原北家閑院流の嫡流で清華家の一つ三條家の生まれという高貴な身分公爵である。一方伊藤といえば、貧農の出で武士になったのも維新の直前という低い身分の出身、お手盛りで伯爵になってはいるものの、その差は歴然としていた。太政大臣に代わる初代内閣総理大臣を決める宮中での会議では、誰もが口をつぐんでいる中、伊藤の盟友であった井上馨は、「これからの総理は赤電報(外国電報)が読めなくてはだめだ」と口火を切り、これに山縣有朋が「そうすると伊藤君より他にはいないではないか」と賛成、これには三條を支持する保守派の参議も返す言葉がなく、あっさりこれで決まってしまった。初代総理を決めたのは英語力だったのである。
伊藤の内閣総理大臣就任に伴い、三條は内大臣として宮中に回り、天皇の側近として明治天皇を「常侍輔弼」することになったが、そもそも内大臣府は三條処遇のために創られた名誉職で、その実は二階に上げてはしごを外したようなものだった。これに対して、かつて三條に仕えていたことがある尾崎三良元老院議官)は、三條に対して強く抗議すべきであると進言したが、三條は「国家将来のためのことであり、私自身の問題ではない」として、尾崎に対して軽挙を戒めている(『尾崎三良自叙略伝』)。また、さすがの明治天皇も気の毒に思ったのか、1889年(明治22年)10月25日に第2代内閣総理大臣黒田清隆条約改正をめぐる政局混乱の責任を取って内閣総辞職すると、天皇は黒田の辞表をのみ受理して他はすべて却下し、三條に内閣総理大臣を臨時兼任させた。臨時「代理」ではなく、「兼任」であり、しかも天皇が次の山縣有朋に組閣の大命を下したのはそれから2ヵ月も経ってからのことだったので、この2ヵ月間は一つの内閣が存在したものとして「三條暫定内閣」と呼ばれる。ただし、それでも三條實美は歴代内閣総理大臣には数えないことになっている。
「小日本主義」
石橋湛山
選挙
現職内閣総理大臣が選挙で落選した例はないが、内閣総理大臣経験者が選挙で落選した例として片山哲(1949年・1963年)と石橋湛山(1963年)の例がある。
学歴
歴代の内閣総理大臣には東京帝国大学出身の者が多いが、新制大学移行後の東京大学出身者はまだいない。
年齢
内閣総理大臣は国会議員でなければならない。法理論上、衆議院議員の被選挙権を得る25歳から就任することができる。法的には、衆参いずれの議院に属するかを問わず、国会議員であれば誰でも立候補が可能であるが、政治経験等が重視されることが多く、1年生議員が就任する確率は極めて少ない(細川護煕が衆議院当選1回で首相に就任しているが、就任以前に参議院議員・熊本県知事の経験があった)。
日本の歴代総理大臣の中で最年少記録を保持しているのは、1885年の初代伊藤博文(当時44歳)で現在も破られていない。歴代最年長記録は1945年鈴木貫太郎(当時77歳)である。戦後最年少としては、2006年安倍晋三(当時51歳)である。
栄典
内閣総理大臣経験者に対する栄典については、在任期間に応じ、位階従一位正二位又は従二位勲等勲章大勲位菊花章頸飾大勲位菊花大綬章又は桐花大綬章(旧・勲一等旭日桐花大綬章)のいずれかに叙される。ただし、辞退・不祥事等による見送り事例は除かれる。

各種記録

「政界の團十郎
佐藤榮作
「首相宮」
東久邇宮稔彦王
「古狸」
岡田啓介
五摂家筆頭」
近衛文麿
「今太閤」
田中角榮
「最後の元老
西園寺公望
在任
  • 最長在任数記録: 桂太郎
    2886日
    第一次:1901年6月2日〜1906年1月7日
    第二次:1908年7月14日〜1911年8月30日
    第三次:1912年12月21日〜1913年2月20日
  • 最長連続在任数記録: 佐藤榮作
    2798日
    第一次〜三次:1964年11月9日〜1972年7月7日
  • 最短在任数記録: 東久邇宮稔彦王
    54日
    1945年8月17日〜10月9日
  • 最年長在任記録: 大隈重信
    78歳6ヵ月
    1916年10月9日の退任時。
  • 最年少在任記録: 伊藤博文
    44歳3ヵ月
    1885年12月22日の就任時。
  • 最年長就任記録:鈴木貫太郎
    77歳
    1945年4月7日の就任時。
  • 最多回数任命(指名)記録: 吉田茂
    5回
    1回目:1946年5月22日
    2回目:1948年10月15日
    3回目:1949年2月16日
    4回目:1952年10月30日
    5回目:1953年5月21日
病気