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冬戦争 とは?

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冬戦争(ふゆせんそう、フィンランド語ではTalvisota)は、第二次世界大戦の勃発から3ヶ月目にあたる1939年11月30日に、ソビエト連邦フィンランドに侵入した戦争である。フィンランドはこの露骨な侵略に抵抗し、多くの犠牲を出しながらも、独立を守り抜いた。

出典: 『ウィキペディア(Wikipedia)』


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ウィキペディア(Wikipedia)記事


冬戦争

冬戦争でのフィンランド軍兵士
戦争:第二次世界大戦
年月日1939年11月30日 - 1940年3月13日
場所フィンランド東部
結果:モスクワ講和条約
フィンランドの領土喪失により翌年継続戦争開始
交戦勢力
フィンランド フィンランド ソビエト連邦
指揮官
カール・グスタフ・エミール・マンネルヘイム クリメント・ヴォロシーロフ
セミョーン・チモシェンコ
戦力
歩兵 250,000
戦車 30
航空機 130
歩兵 1,000,000
戦車 6,541
航空機 3,800
損害
戦死 26,662
戦傷 39,886
捕虜 1,000
航空機 62
戦死・行方不明 126,875
戦傷 264,908
捕虜 5,600
航空機 1,000以上
戦車 2,268
国境線全域にわたってソ連からの侵略を受けるフィンランド

冬戦争(ふゆせんそう、フィンランド語ではTalvisota)は、第二次世界大戦の勃発から3ヶ月目にあたる1939年11月30日に、ソビエト連邦フィンランドに侵入した戦争である。フィンランドはこの露骨な侵略に抵抗し、多くの犠牲を出しながらも、独立を守り抜いた。

第1次ソ・芬(ソ連・フィンランド)戦争とも呼ばれる。なぜなら、1941年6月に両国間に再び戦争が始まるからである。これは第2次ソ・芬戦争と呼ばれ、第1次ソ・芬戦争に継続するという意味で、継続戦争とも呼ばれる。

目次

概要

明らかな侵略行為に対して国際社会から非難を浴びたソ連は、1939年12月14日国際連盟から追放されるが、戦争を終結させる上では何らの実効性も持たなかった。ソ連の指導者ヨシフ・スターリンは、年末までにはフィンランド全土を制圧できると考え、フィンランド軍のおよそ3倍の兵力を投入したが、結局マンネルへイム元帥率いるフィンランド軍の粘り強い抵抗の前に非常な苦戦を強いられた。フィンランドは1940年3月まで戦い抜くが、フィンランドは国土の10%(工業生産の20%が集中する地域)をソ連に譲り渡すという屈辱的な条件の下に講和条約を結び、戦争を終結させた。

スペインフランコ政権やイギリスは、反共という観点からフィンランドに対する支援をノルウェーなどスカンジナヴィア半島北部を経由して行おうとしたが、これによってスウェーデン北部の鉄鉱石産出地帯を押さえられることを恐れたナチス・ドイツが開戦から1ヶ月に満たない内にデンマークやノルウェーに侵攻しその占領に成功した。そのため、イギリスなどはフィンランドを支援することはできなかった。またこの戦争でのソ連軍の弱体ぶりが諸外国に知れ渡ることになり、特にアドルフ・ヒトラーソ連侵攻の決断に影響を与えたと言われている[1]

侵攻の背景

フィンランドは長らくスウェーデン王国の一部として統治されてきた。フィンランドは1809年ロシア帝国により征服されたが、第一次世界大戦末のロシア革命に乗じて1917年12月6日に独立を宣言した。独立に続くフィンランド国内の内戦では、革命ロシアに支援されたフィンランド赤衛軍にたいし、フィンランド白衛軍ドイツ帝国の支援を受けた。戦闘ではドイツが訓練したフィンランド人の航空機部隊とドイツ帝国が派遣した1個師団が決定的な役割を演じた。その後、ドイツ帝国が第一次世界大戦に敗北したことで、フリードリヒ・カール・フォン・ヘッセン=カッセルFriedrich Karl von Hessen-Kassel)を君主とした親独フィンランド王国の樹立は挫折したが、内戦は白衛軍の勝利に終わった。

その後のソ連とフィンランドの関係は、先の内戦でフィンランド赤衛軍を革命ロシアが支援していたことから敵対的な緊張状態にあったが、1932年にソ連はフィンランドと不可侵条約を締結し、1934年に再度、1945年までを期限とする同協定の継続を確認した。

ロシア革命後の列強による対ソ干渉戦争とスターリンの領土的野心は東ヨーロッパにおけるソ連の安全保障体制の確立を押し進めた。また、ソ連第二の大都市であるレニングラードの港は、フィンランドとエストニアに挟まれたフィンランド湾に面しており、フィンランド湾を軍事的に支配することはソ連にとって重要なことであった。

1939年8月23日、ソ連とナチス・ドイツの間に相互不可侵条約が調印された。この協定には、独ソによる東欧諸国の分割に関する秘密議定書が含まれており、この中でドイツはフィンランドがソ連の勢力圏に属することを認めた。同年9月1日、ナチス・ドイツがポーランドに侵攻して第二次世界大戦が始まると、これに呼応して9月17日にソ連が東よりポーランドを挟撃して、9月20日までにポーランド東半分を支配下に置いた。ポーランド政府は降伏しなかったが、10月1日までにドイツ軍とソ連軍はポーランド全域を完全に制圧した。

独ソ不可侵条約でソ連の勢力範囲とされたバルト三国とフィンランドであったが、まず9月29日エストニア10月5日ラトビア10月10日にはリトアニアが、領土内にソ連軍の駐屯する基地の設置を認めさせる自動延長の相互援助条約を強制的に結ばされた。ソ連にとってはロシア革命の失地回復を意味したが、独立国である三国にとっては事実上の属国化だった。

戦争の経緯

ソ連の要求

1938年4月から、ソ連は非公式にフィンランドに対してフィンランド湾内の島々の租借を要求していたが、これをフィンランド政府は拒否していた。ソ連によるポーランド侵攻後の1939年10月11日、モスクワで行われたモロトフ外相からフィンランドのパーシキビー外相に伝えられた提案は次のようなものであった。

  1. フィンランド主要部を守る防衛陣地帯マンネルハイム線の撤去
  2. フィンランド南西部バルト海に面したハンコ半島の30年間の租借と基地の設置
  3. フィンランド湾に浮かぶ島嶼の30年間の租借と基地の設置
  4. カレリア地峡付近の国境線をフィンランド側に30km後退させる領土割譲

特にハンコ半島へのソ連軍の駐留はフィンランド国内でのソ連軍の移動を認めることになり、その移動ルートは首都ヘルシンキ付近を通過するもので、フィンランドとしては認められるものではなかった。さらに国境線から32kmに位置するレニングラードをフィンランド領内の長距離砲の脅威から守るためとして要求されたカレリア地峡の領土割譲は、フィンランドにとって文化的、また経済的にも非常に大きい損失となるものだった[2]10月21日、フィンランド国家評議会はソ連側の要求を討議し、譲歩案の作成と、不測の事態に備えるための国防公債募集を決定した[3]10月23日にモスクワで交渉が再開され、フィンランド側は譲歩案としてフィンランド湾内でソ連に近い位置にあるいくつかの島々の譲渡やカレリア地峡付近の一部の国境線の後退をソ連側に提案したものの、11月3日に交渉は決裂した。

戦争の勃発

1939年11月26日午後、カレリア地峡付近の国境線でソ連軍将兵13名が死傷する砲撃事件が発生したとソ連側から発表された。ソ連はこの砲撃をフィンランド側からの挑発であると強く抗議した。この事件は実際には、ソ連が自軍に向けて故意に砲撃したのをフィンランド軍の仕業にして非難し、この攻撃を国境紛争の発端に偽装したものであり、このことは最近明らかになったソ連時代の機密文書によっても裏付けられている。しかしソ連は同日、ソ芬不可侵条約の破棄を通告。11月29日に国交断絶が発表された。

11月30日、ソ連は23個師団45万名の将兵、砲1,880門、戦車2,385輌、航空機670機を以ってフィンランド国境全域で攻撃を開始し、迅速にマンネルハイム線へと進撃した。

12月1日、開戦当日の夕方にはソ連軍に占領された国境地帯の町テリヨキ(現在のゼレノゴルスキ)において、1918年の内戦で敗れてソ連に亡命していた共産党員オットー・クーシネンを首班とするフィンランド民主共和国が樹立された[4]。この政府は新たなフィンランド人民の代表としてソ連に承認された。ソ連はこのクーシネン政権の掲げる「白色富農政権からの人民の解放」への援助要請を受け、今後この政府以外とのいかなる交渉も行わないことを声明した。つまり既存のフィンランド政府との交渉を今後一切行わない事を宣言したのである。これは第三国による調停斡旋を全て拒否するのと同様である。事実上ソ連の傀儡政権であったこの国の存在意義は、政治的には現フィンランド政府を外交的に抹殺すること、軍事的にはフィンランド国内の社会主義者・共産主義者を脱走させ、新たに組織したフィンランド赤軍に取り込むことであった。しかし、フィンランド国内の反乱分子の構成は、1918年以来共産党が非合法化されていたことと、開戦直前に予防拘禁が行われたためにたいして成功しなかった。合法的活動をしていたソ連寄りの社会主義者も、親ソ的な活動はほとんど行わなかった。

ソ連やフィンランド政府の予想に反して、フィンランドの社会主義者共産主義者のほとんどはこのソ連の侵略を支持しないだけでなく、フィンランドの独立の維持の為に戦った[5]。フィンランドの多くの共産主義者が1930年代に「社会主義建設」のためにソ連に移住したが、結局スターリンの大粛清の犠牲になるという結末を迎え、これによりソ連に対する幻滅が広がっていただけでなく、フィンランドの社会主義者の間にはむしろ敵意さえ生まれていた[6]。彼らからソ連の実体を知ったフィンランド軍はどうせ殺されるのなら最後まで戦う覚悟の兵士が多く士気も非常に高かった。これに対しソ連軍の兵士は本質的に奴隷のような扱いしかされていなかったため、士気は低下していた。

なお、この傀儡政権は最終的にはモスクワ講和条約が結ばれた1940年3月12日に、ソ連の構成国であるカレロ=フィン・ソビエト社会主義共和国に統合された。

雪中の奇跡

フィンランドのスキー兵
フィンランド兵

開戦当初のフィンランド軍は、後に救国の英雄と称えられるカール・グスタフ・マンネルヘイムを総司令官として、自動車化された16万人の戦力を保有していたが、広い国土に分散して配置されており、兵力的には圧倒的に劣勢であったため、戦術として遅滞戦術、焦土戦術ゲリラ戦を用いて対抗した。実働部隊としては、森林地帯の地理に熟知し、年少より狙撃に慣れ親しんだ者を集め、白色の服などで十分にカモフラージュされたスキー部隊が活躍した。その他に、スペイン内戦を起源とする即席のガソリン製手投げ弾や火炎瓶が製造され、ソ連戦車に対して大きな効果を挙げた。当時のソ連外相であったモロトフをこの爆弾で迎えてやろうという意味で、モロトフ・カクテルと呼ばれたことは有名である。これは、モロトフ外相がフィンランドへの空爆を「人民にパンなどを投下している」などと発言したことに対する皮肉と言われているが、真相は定かではない。

ノモンハン事件などで自信を強め、ドイツ軍による電撃戦ポーランド侵攻)を自らの手により再現することを夢見ていたソ連は戦争の勝利を楽観しており、冬季戦闘の準備がまったく不十分であった[7]。特に森林での戦いを想定しておらず、鈍重で攻撃されやすい車両を多く使用していた。1939年から1940年にかけての冬の気象条件は、マイナス40度になる日が連日続くなど非常に厳しく、これもフィンランド軍に有利に働いた。一説によると、ソ連軍の戦死者の80%は凍死によるものだと言われている。

また、スターリンの大粛清により将校が骨抜きになっていたため、数に任せた第一次世界大戦さながらのばらばらな銃剣突撃を繰り返すだけという無能無策ぶりをさらけ出していた。森の中の道を行進するしかないソ連軍部隊は、白い服装で隠れていたフィンランド兵の格好の餌食となり突然攻撃を仕掛けられ、待ち伏せにより大損害を被った。待ち伏せ攻撃はモッティ戦術といわれる包囲戦術に発展した。スキー部隊等を活用して行進するソ連部隊の先頭後尾を叩いて、身動きを取れなくし、包囲殲滅していく戦術である。

フィンランド軍の武器、弾薬、装備が極度に不足していたことも特筆すべきことである。開戦時、基礎訓練を修了した兵士にだけ軍服と武器が支給され、残りの者は、自前で武器を調達し軍服を製作しなければならなかった。これらの自作の軍服に対しては、当時のフィンランド政府の首相アイモ・カヤンデルにちなんで、カヤンデル・モデルという愛称がつけられた。またソ連軍から鹵獲した装備、武器、弾薬が積極的に再利用された。フィンランド独立後に小銃口径を変更しなかったため、ソ連の弾薬がそのまま使えるということも幸いした。

特に12月9日から開始されたスオムッサルミの戦いでは、フィンランド第9師団が1月初頭にかけてソ連第9軍の第163狙撃兵師団および第44狙撃兵師団を撃破している。

国際社会の反応

国際世論は圧倒的にフィンランドを支持していた。当時、第二次世界大戦は「いかさま戦争」と呼ばれる小康状態にあった為、実際に戦闘が行われている冬戦争に注目が集まった。イギリスでは労働党がソ連の行為を非難し[8]アメリカ合衆国はフィンランドに対し1000万ドルの借款を提供する一方で、ソ連に対しては、同国向けの軍需物資の供給を遅らせる行為(“精神的”禁輸)を開始した。また、アメリカ合衆国やカナダに移住したフィンランド人の中には、祖国に戻り義勇兵となった者もいた。後に俳優となったクリストファー・リーもその一人である。隣国スウェーデンからは軍事物資、資金、人道支援の他に、9千人余りの義勇兵が派遣された。ソ連軍の戦闘機は彼ら義勇軍の乗った輸送列車も攻撃した。

フランスでは反ソ感情が高まり、ダラディエ首相はカフカース地方からソ連を攻撃し、フィンランド軍と連合軍でソ連を挟撃する計画をイギリスに提案している。しかし英仏両国は対独戦の最中であり、イギリスはこの提案を拒否した。後にモスクワ講和条約が結ばれると、ダラディエはフィンランド支援失敗の責任を追及され辞職に追い込まれた。

ドイツは秘密議定書によりもはや頼みにならなかった[9]。しかし、他に頼みとするスカンジナヴィア諸国や連合国の各国政府の反応もフィンランドへの積極的な支持とはいかなかった。戦争に巻き込まれる懸念や自国の戦争準備に手一杯であったりしたため、傍観するか中立を貫ぬくといった状況であった。しかし、フィンランドの首都ヘルシンキにいた外国の特派員が「雪中の奇跡」としてフィンランドの予想外の善戦を報じるなどすると、英仏には軍事支援を行う積極的な動機が生じた。1940年2月、連合国はフィンランドに対する支援を企図し、ノルウェーのナルヴィク港に10万人の兵士を上陸させ、スウェーデン経由で支援することを予定した。しかし、ノルウェーとスウェーデンは、この作戦の目的が、ナチス・ドイツへの鉄鉱石の輸出を停止するためではないか、またそれにより国内が戦場になるのではないかという恐れから、連合軍の通過を拒絶した。

スウェーデンは冬戦争において中立を宣言していたわけではないが、連合国にもドイツやソ連にも与しなかった。スウェーデンの首相ペー・アルビン・ハンソンは、他国の軍隊を通過させることは、国際法上の中立性を破ることになるという理由を表明するだけでなく、フィンランド政府の再三に渡るスウェーデン正規軍の派遣要請も頑なに拒絶し、最終的には、武器・弾薬の供給も停止されることとなった[10]

冬戦争末期、フィンランドからの要請があれば、連合国より50,000名の兵士が派遣されることになっていたが、実際にフィンランドに向かうのは6,000名で、残りはスカンジナビア半島北部の鉄鉱石産出地域の防衛の任に就くことになっていた。戦後明らかになったことによれば、連合国の遠征部隊の司令官はソ連軍との直接的な戦闘は避けるように命令されていた。このように、他国からの支援のほとんどは、全く不十分であるか、時期を逸していた。

また、世界各国から兵器が供与されたが、いずれも旧式な兵器ばかりであり数も少なく、フィンランドを決定的に有利にする支援はついぞ行われなかった。

停戦

冬季装備も満足にしていなかったソ連軍は各地で撤退を余儀なくされていた。スターリンは小国相手に無様に惨敗する自軍からの報告に怒り狂い、敗北の責任は大粛清で赤軍の優秀な指導部が失われたことに求めず、ソ連の国防相(国防人民委員)であるクリメント・ヴォロシーロフに擦り付け彼の責任を厳しく追及した。ヴォロシーロフはロシア革命以来のスターリンの友人であったがこの時の侮辱には我慢できず、遂に目の前の独裁者に向かって「敗北について責められるのはあなたの方だ!あなたは我が軍の優秀な将校を処刑したのだ」と怒りの声をあげて反論した[11]

1940年1月、初期の敗戦の責任を取らされる形でヴォロシーロフは罷免され他にも数名の将校が銃殺された。そして、ソ連軍の新しい総司令官にチモシェンコが任命され、態勢の立て直しが図られた。12月末にはソ連第7軍に加えて第13軍が増援として送られており、この2個軍はさらに砲兵などの増援部隊を加えて北西正面軍として再編制が行われていた。これらの兵力をもってカレリア地峡のマンネルヘイム線に対して、2月1日攻撃が再開された。2月10日までは、空襲と砲撃を行い、2月11日より軍の前進が開始された。ソ連側は多大な死傷者を出しながらも、圧倒的な物量により鉄壁だったマンネルヘイム線の突破に成功した。

ソ連指導部は、戦争開始から1ヶ月も経たないうちにこの戦争の落としどころを考え始めていた。死傷者の増加や戦争の長期化、泥沼化は、ソ連国内の政治課題ともなっていた。また春の訪れと共にソ連軍は森林地帯のぬかるみにはまる危険があった。ソ連は攻撃と並行して、1月12日に和平交渉の再開をフィンランドに提案した。1月末にはスウェーデン政府を経由した和平の予備交渉にまで至っていたが、フィンランド政府は、ソ連の提示した厳しい講和条件に躊躇せざるを得なかった。

しかし、スウェーデン王グスタフ5世がフィンランド支援のために正規軍を派遣しないことを公式に表明したことに加えて、2月末までにフィンランド軍の武器・弾薬の消耗が激しく、マンネルヘイム元帥はこのまま戦争を継続した場合、敗北は必至で、フィンランドの独立さえ危うくなるという政治的な判断により、講和による決着を考えていた。これを受けた政府は2月29日より講和の交渉再開を決定した。同日、フィンランド第二の都市であり、首都ヘルシンキへの最後の防衛拠点であるヴィープリに対してソ連軍が殺到しており、フィンランド政府にもはや猶予はなかった。

和平交渉の結果、両国は3月6日に停戦協定に達した。4ヶ月間の戦闘で、ソ連軍は少なくとも12万7千人の死者を出していた[12]。フィンランド側は、約2万7千名を失い、さらに講和の代償も決して安いものではなかった。

フィンランドが失った領土(オレンジ)

モスクワ講和条約

1940年3月12日、モスクワ講和条約が結ばれた。フィンランドは国土面積のほぼ10%に相当するカレリアの割譲を余儀なくされた。カレリアは産業の中心地であり、フィンランド第二の都市ヴィープリを含んでいた。カレリアの住民はソ連への帰属を拒み、全人口の12%にあたる42万2千人がソ連側が示した10日間の期限内に、故郷を離れて移住するか難民となった。その他にも、サッラ地区、バレンツ海のカラスタヤンサーレント半島、及びフィンランド湾に浮かぶ4島を割譲し、さらにハンコ半島とその周辺の島々はソ連の軍事基地として30年間租借されることとなり、8,000人の住民が立ち退いた。

フィンランド人はこの過酷な講和条件に衝撃を受け、戦い続けた場合に失った領土よりも多いのではないかとさえ言われた。これにより多くのフィンランド人が領土の奪還を誓うとともに、フィンランドは軍事援助を受けることを目的としてナチス・ドイツに接近した。しかしナチスと同盟を結ぶことで、フィンランドに同情的だった国々の支持を失うこととなった。

このことでフィンランドはソ連によってこの後の第二次世界大戦では枢軸国側であったとされ、現在でも日本ドイツ等と一緒に国際連合敵国条項に含まれうるとの解釈が可能である。

その優れた軍事、政治手腕でフィンランドを亡国の淵から救ったマンネルヘイム元帥は、救国の英雄として称えられ、1941年からの継続戦争においても、再び総司令官として戦い抜くことになった。

脚注

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  1. ^ 梅本弘『雪中の奇跡』エピローグ 268頁
  2. ^ この会談に先立ち、スウェーデン・ノルウェー・デンマークのモスクワ駐在公使がモロトフ外相宛てに覚書を提出し、フィンランドの独立と中立を危うくする行為をおこなわないよう要望した。しかし、モロトフは覚書の受理を拒否した。
  3. ^ 予定金額の5億マルッカに対して7億マルッカの応募があった。
  4. ^ テリヨキの住民は少数の共産主義者を除き、ソ連軍の到達前に全員が脱出している。
  5. ^ 但し、共産主義者の多くはフィンランド国軍の徴兵対象から外されている。
  6. ^ 「フィンランド民主共和国」首班であるオットー・クーシネン個人に対する評判も芳しくなく、ヴィドクン・クヴィスリング との比較においてもさらに悪いといわれていたほどだった。
  7. ^ フィンランド侵攻に先立って開かれた軍事会議では、1-2週間分の弾薬供給で十分とされた。万全を期して2-3ヵ月分の確保が必要であるとする意見もあったが、少数意見として黙殺された。
  8. ^ 労働党は1940年に配布したパンフレット『フィンランド ‐ スターリンとヒトラーの犯罪的陰謀』の中で「赤いツァーリ(スターリン)は帝政ロシア以来の伝統的帝国主義を推進し、民主主義の小さな拠点に対して侵略戦争をおこなっている」と非難した。
  9. ^ ドイツ外務省は冬戦争の開始前から、秘密議定書の内容を遵守する事を明確にし、全ての在外外交官に対してソ連側の立場を支持するように訓令していた。
  10. ^ ドイツ政府は戦争開始直後、スウェーデン政府に対し、スウェーデンが何らかの形でフィンランド側に加勢すれば、直ちにドイツ・スウェーデン両国が戦争状態に入るであろうと警告した。
  11. ^ 深夜にスターリンの別荘で開かれていた酒宴で起こった両者の罵り合いは、激高したヴォロシーロフが子豚の丸焼きをのせた大皿をひっくり返すまで続いた。周りの者は誰しもこれでヴォロシーロフの政治生命も終わったと予想した。彼はこの後国防人民委員を解任されたが、引き続きクレムリンで政治家として生き残り、ソビエト最高会議幹部議長に就任した。
  12. ^ ソ連軍の戦死者は20万人以上ともいわれ、ニキータ・フルシチョフは100万人としている。

関連文献

日本語で読める冬戦争の記録としては最もまとまっており、かつ入手が容易と思われる。
  • 植村英一『グスタフ・マンネルヘイム フィンランドの白い将軍』(荒地出版社、1992年) ISBN 4-7521-0069-X
  • WILLIAM A. TROTTER『THE WINTER WAR : The Russo-Finnish War of 1939-40』(Aurum Press Ltd、2003年)ISBN 1-854-10932-4
  • ニコライ・トルストイ 著\新井康三郎 訳『スターリン その謀略の内幕』(読売新聞社、1984年) ISBN 4-643-54360-4

関連項目

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