名鉄揖斐線 とは?ページ内リンク ↓ウィキペディア(Wikipedia)記事 ↓Yahoo!知恵袋揖斐線(いびせん)は、岐阜県岐阜市の忠節駅から岐阜県揖斐郡大野町の黒野駅を経て岐阜県揖斐郡揖斐川町の本揖斐駅までを結んでいた名古屋鉄道(名鉄)の鉄道路線。 出典: 『ウィキペディア(Wikipedia)』 ウィキペディア(Wikipedia)記事
揖斐線(いびせん)は、岐阜県岐阜市の忠節駅から岐阜県揖斐郡大野町の黒野駅を経て岐阜県揖斐郡揖斐川町の本揖斐駅までを結んでいた名古屋鉄道(名鉄)の鉄道路線。 2005年4月1日に全線が廃止された。この日廃止された名鉄の600V電化区間で唯一の鉄道事業法適用区間であった。 運賃計算区分はC(運賃計算に用いる距離は営業キロの1.25倍)。
路線データ※特記なければ路線廃止時点のもの。
概要宅地化が進む岐阜市西郊の通勤・通学路線であった。 かつては、途中の黒野駅から分岐して谷汲村(現揖斐川町)にある谷汲駅までを結ぶ谷汲線が延び、谷汲山華厳寺への参詣の足となっていたが、揖斐線黒野 - 本揖斐間とともに2001年に廃止された。廃線後もしばらく本揖斐駅は残されたが、現在は撤去され、枕木等は一般に売却され、沿線近辺でよく見かけられる。 その後も車社会の進展で利用客の減少に歯止めがかからず、2004年に名古屋鉄道は岐阜市内線・揖斐線・美濃町線・田神線の600V電化区間について運営撤退を正式に表明。軌道法に基づく廃止許可申請書と鉄道事業法に基づく廃止届を同年3月に提出し、2005年4月1日に廃止された。 名鉄の廃止表明を受けて、地元の岐阜市などでは協議会を設置し、公設民営方式での存続の可能性について模索したが、2004年7月27日、岐阜市長は利用客減少や財政難などを理由に存続断念を発表した。一時は、岡山電気軌道が支援検討も表明していた。 なお、廃線後も地元の企業を中心として、営業再開へ向けた動きも模索されており(名鉄岐阜市内線#復活運動を参照)、軌道は一部を除き撤去されずに残されている。 運行形態廃止前時点では、揖斐線のすべての列車が岐阜市内線と直通運転を行っており、15分間隔で運行されていた。昼間時間帯には急行も運転されており、近ノ島駅、旦ノ島駅のみを通過していたが、設定当初はこのほかにも通過駅があった(又丸駅など)。ワンマン運転を実施していた。 車両は、一部岐阜市内線と直通運転のため、路面電車タイプのものが使用されていたが、名古屋本線、瀬戸線の架線電圧直流600Vから1500Vへの昇圧によって余剰となったモ700形・モ750形、ク2320形などの半鋼製車が走っていた。1997年までは、同線と岐阜市内線はモ770形やモ510形の一部の直通運転を除いて独立した運転をしており、忠節駅で乗り換えが必要であった。これは半鋼製車が市内での乗り降りに必要な折りたたみステップの改造がされていなかったため、すべて忠節駅終発着の普通列車として運転していた。しかし、同年から増強されたモ780形より、半鋼製車は廃車となり、すべての列車が岐阜市内線からの直通運転する路面電車形となる。なお、モ510形・モ770形・モ780形は車両の幅が狭いため、同線内の駅に停車するとホームと車両間に隙間が空いてしまう。そのため、同線内では乗車ステップを格納せず走っていた。 歴史岐北軽便鉄道により開業し、美濃電気軌道を経て名古屋鉄道の路線となった。岐阜市内線と繋がるのは戦後のことである。
駅一覧
所要時間・運賃(2005年、路線廃止前時点)
関連項目
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