大分トリニータ とは?ページ内リンク ↓ウィキペディア(Wikipedia)記事 ↓Yahoo!知恵袋大分トリニータ(おおいたトリニータ、Oita Trinita)は、日本の大分県をホームタウンとする、日本プロサッカーリーグ(Jリーグ)加盟のプロサッカークラブ。大分フットボールクラブのトップチーム名および呼称。 出典: 『ウィキペディア(Wikipedia)』 大分トリニータ 出典: 『はてなダイアリー』 ウィキペディア(Wikipedia)記事
大分トリニータ(おおいたトリニータ、Oita Trinita)は、日本の大分県をホームタウンとする、日本プロサッカーリーグ(Jリーグ)加盟のプロサッカークラブ。大分フットボールクラブのトップチーム名および呼称。
クラブの概要・歴史クラブ概要運営法人は株式会社大分フットボールクラブ。クラブマスコットは、亀がモチーフのニータン。 1999年、J2が創設された際にJリーグ加盟。ホームタウンは大分県大分市、別府市、佐伯市を中心とした全県。ホームスタジアムは大分銀行ドーム(大分ビッグアイ)。練習は同競技場に隣接する、大分県サッカー協会と大分FCが共同運営する大分スポーツクラブ、大分市営陸上競技場等が使われている。チーム名・呼称は、三位一体を表す英語「トリニティ(Trinity)」とホームタウン名「大分(Oita)」を合わせた造語で、イタリア語で「三位一体」を表すTrinitaと同じ綴りになっている。県民・企業・行政が一致団結することを表している。 2006年、エンブレム、ロゴマーク、チームフラッグが「Tフレアー」と呼ばれるデザインコンセプトにより一新され、クラブとしての略称「大分FC」が「FC大分」に変更された。運営法人名とは無関係。 チームスローガン
JFL時代1994年3月に任意団体「大分フットボールクラブ」として発足。競技登録上のチーム名は「大分」または「大分FC」で、「大分トリニティ」という愛称が付けられる。大分県リーグ(当時は1部リーグのみ)と九州リーグを連覇して1996年に全国地域リーグ決勝大会で2位に入り、設立わずか2年でジャパンフットボールリーグ参戦を果たす。 当初は文正植、朴景和と韓国人監督のもと外国籍選手についても皇甫官、崔大植といった韓国代表歴を持つ選手を中心としたチームだった。 1998年はブラジル人監督のフォルミーガを招聘し、外国籍選手にもウィルを補強するなど韓国路線からへの変更が見られた。 J2時代1999年1月、運営法人「株式会社大分フットボールクラブ」を設立、Jリーグに加盟しJ2に参加。なお、「トリニティ」の名前がブランメル仙台(現:ベガルタ仙台)同様、商標登録の関係で正式なチーム名として使えないため、Jリーグ加盟参加と同時にチーム名及び、呼称を現在の「大分トリニータ」に改めた。 J2参加にあたり、監督にはモンテディオ山形を率いていた石崎信弘を招聘した。J2初年度から昇格争いに加わるが、1999年・2000年とも3位、それも2年続けて「2位との勝ち点差1」で昇格を逃してしまう。2001年は序盤から出遅れたこともあり、シーズン途中の5月で石崎は解任された。新たに監督に就任した小林伸二は守備の建て直しに成功し、チームは最終節まで昇格を争うところまで持ち直したが、結局6位に終わってしまう。 2002年は浮気哲郎やサンドロ、アンドラジーニャ等を補強、昨年作り上げた堅守速攻で悲願のJ1昇格を目指した。 チームは序盤から首位を独走してJ2優勝を達成、悲願のJ1昇格を果たした。また、最終節で史上初のJ2通算100勝を達成した。 2003年小林が引き続き指揮を執り、アルビレックス新潟の寺川能人、前年コパ・リベルタドーレス得点王のロドリゴ等の選手を補強。2年間で作り上げた堅守を武器に初のJ1に臨んだ。しかし、期待のロドリゴは期待されたような活躍は出来ずシーズン途中で退団。結果、ストライカーが不在となり守備はある程度通用するも深刻な得点力不足に陥った。3年振りの復帰となるウィル等多くの外国人FWを補強するも得点力不足は一向に改善されず、2試合で1点も取れないようなペースが続き、2ndステージでは15試合でわずか7得点しか挙げられなかった。最終節の15位・ベガルタ仙台戦は、負けた方がJ2降格(引き分けの場合大分が残留)という状況となりスタジアムは異様な雰囲気に包まれた。試合は1-1で引き分け大分の年間順位は14位(第1ステージ14位、第2ステージ16位)となり、ギリギリでの残留に成功。小林は成績不振の責任をとりこの年限りで辞任した。 ちなみに、この年の2ndステージの失点数はリーグ最小の16であり、2ndステージではリーグ最小失点で最下位という珍記録を作ってしまった(これには小林が2ndステージ以降、極端な守備的戦術を取っていたことが理由に挙げられる)。 2004年オランダ人監督のハン・ベルガーを監督に迎える。選手の補強は、寺川がわずか1年で新潟に復帰するものの、元ブラジル代表で2003年には全北現代で得点ランキング2位となる27得点を記録したマグノ・アウベス、元オランダ代表でFCバルセロナ在籍経験もあるリチャード・ビチュヘ、ベガルタ仙台で活躍しアテネ五輪代表候補でもあった根本裕一などを補強し攻撃サッカーへの転換を図る。序盤はマグノとビチュヘが期待通りの活躍を見せ、J1昇格後初の逆転勝ちを果たすなど順調に勝ち星を挙げ、1stステージは10位で終える。 しかし、ビチュヘの退団や、1stステージで活躍した木島の怪我などもあって2ndステージでは一気に失速。緊急補強としてDFパトリックを獲得するも歯止めは利かず、終わってみれば2年連続の最下位となった。マグノが11ゴールを決め高松もそれに次ぐ8ゴールなどの活躍もあったが、その他の選手はほとんど点が取れず得点力不足は解決をしなかった。結局年間13位に終わり、ベルガーはシーズン終了後に辞任した。 2005年前監督の解任により皇甫官がヘッドコーチから監督に昇格した。また前年度のゲームキャプテンを務め、3年間ディフェンスの要として活躍したサンドロも退団した。 新外国人FWドドの不調もあり序盤は苦しい戦いが続く。その後は最高8位まで上がり、持ち直したかと思われたが主将吉田孝行の怪我もあり再び失速。ヴィッセル神戸との最下位争いから抜け出せず、直接対決でも1-2で敗戦するなどチーム状態がどん底だったため、皇甫官を8月28日付で解任。後任監督にペリクレス・シャムスカが就任した。 初采配となった浦和レッズ戦を2-1で勝利すると、そこから破竹の勢いで勝利を積み上げ、当初に掲げていた「残り12試合で勝ち点18」の目標をわずか8試合(6勝1敗1分け、勝ち点19)で達成、目標を7位に修正するほど好調だった。この出来事は「シャムスカマジック」と呼ばれ多くのJリーグファンに衝撃を与えた。11月23日のセレッソ大阪戦に1-1で引き分けたことでJ1残留が決定した。この年の最終順位は11位と過去3年で最高順位だった。 2006年シャムスカが引き続き指揮を執った。チーム得点王のマグノ・アウベス、主将を務めていた吉田孝行等、多くの選手が他クラブに移籍、または戦力外となった一方で、マグノに代わるストライカーとして期待されたオズマール、柏レイソルより元日本代表の増田忠俊らを獲得。25人という少数精鋭で2006シーズンに望んだ。序盤戦こそはややつまづいたものの、松橋章太や後述の若手選手の台頭により調子を上げ夏場には4連勝、更にはこの年のリーグチャンピオンである浦和レッズから白星をあげるなどをし一時はチーム最高順位(当時)である5位まで浮上した。その為、シーズン前に掲げた目標を「8位以内」から「4位以内」に修正し10月にはJ1残留が決まった。ただ、そこから疲労の為か失速、下位相手に勝ち星を上げる事が出来ず、8位でシーズンを終えた。 またチーム創設以来初めて、A代表に西川周作と梅崎司、後に高松大樹も招集され、梅崎と高松は試合にも出場した。これもリーグ戦での好調さを評価されてのことである。また、若手が台頭、西川や梅崎以外にも高橋大輔や福元洋平、森重真人らが試合に起用され、特に高橋はレギュラーの座を梅田高志から奪った。 2007年エジミウソン、トゥーリオのボランチコンビが去り、新たにジュニオール・マラニョン、宮沢正史を穴埋めとして補強した。しかし、その二人が組んだ新ボランチコンビが機能せず、第7節 横浜F・マリノス戦で0-5、第8節 ガンバ大阪戦で0-4と、大量失点で負ける試合も少なくなかった。第13節には最下位の横浜FCにも1-2で敗北を喫するなど不振が続き、前半戦(第18節)終了時点で自動降格圏内である17位と低迷した。 J1残留のためにリーグ後半戦をリベンジ16と銘打ち、アルビレックス新潟より鈴木慎吾、元アビスパ福岡のホベルト、そして3度目の加入となるエジミウソンの「リベンジ三戦士」を獲得した。その結果、後半戦はチーム状態が回復し、コンスタントに白星を重ねるようになる。中でも第31節は同じく残留争いをしていた大宮アルディージャとの直接対決で、激しい雨の中後半43分に前田俊介が劇的なゴールを決め2-1で勝利、残留をほぼ確実にした。その2節後の第33節 ジュビロ磐田戦を1-0で勝利しJ1残留を確定させた。 2008年チームの財政事情もありシーズン前に梅崎司、松橋章太、三木隆司等主力級選手が他クラブに次々と移籍。その穴を埋めるべく、ガンバ大阪よりオリンピック代表としても期待された家長昭博、前サンフレッチェ広島で、歴代外国籍選手のゴール数1位の記録を持つウェズレイらを獲得した。また、マスコットであるニータンもこの年に誕生した。 ところが、シーズン前に家長が実戦練習中に負傷、全治6ヶ月の大怪我を負い、不安が残る中での開幕を迎えることとなる。しかし、その代役に抜擢された2年目の金崎夢生が見事な活躍をみせる。更には守備陣が好調を維持し、リーグトップレベルの堅守(サッカーイタリア代表の「カテナチオ」とクラブマスコットであるカメのニータンを掛け合わせ「カメナチオ」と呼称)をみせ、J1リーグ過去最少の24失点(1試合平均0.706点)を記録した。ナビスコカップでは見事優勝を果たし、クラブ初のタイトルを獲得した。九州のチームがJリーグの主要タイトルを獲得するのは初めて。また、J2からスタートしたチームとしてはFC東京に次ぎ5年ぶりで、西日本のチームとしても前年のガンバ大阪に続いての制覇となった。 一方、Jリーグでも優勝争いを演じ、チーム最高の4位でシーズンを終え、前述のナビスコ杯制覇も含めクラブとしても大きく成長したシーズンであった。ただ、得点数が33得点(リーグワースト2位)と攻撃力不足の改善が来期以降の大きな課題となったシーズンでもあった。 2009年2009年の補強はヴィッセル神戸から坪内秀介を期限付きで獲得と新人2人と非常に少ない補強となったが、FC岐阜にレンタル移籍していた梅田高志と、ベガルタ仙台にレンタル移籍をしていた宮沢正史の2人のベテランがそれぞれ復帰。一方、主力の退団はレンタル移籍で加入していた小林亮ほどで、ほぼ前年と同じメンバーで戦う事となった。シーズン開幕前に、ロサンゼルスで行われたチーム史上初の国際大会となるパンパシフィックチャンピオンシップ2009にナビスコカップ優勝チームとして出場し、3位となる。 しかし、リーグが始まると、パンパシ杯があるにも拘らずチーム始動が遅く、フィジカルトレーニングが充分に行えなかった事や、九州石油ドームの芝の張り替えに失敗した事による怪我や累積警告で、多くの主力選手の欠場が相次ぎ、最下位に低迷。5月23日のサンフレッチェ広島戦で敗戦を喫した事で10連敗となり、延長戦が廃止された2003年以降のJ1では、2007年の横浜FCの9連敗を抜いてワースト記録となった。その後も負け続け14連敗、それによって1勝1分15敗(勝ち点4)の最下位でシーズンを折り返す。このため、同月14日に成績不振によりシャムスカの解任を発表。後任にはかつて広島でコーチを務めたランコ・ポポヴィッチが就任した。7月18日の第18節・浦和戦では強化部の松山博明が監督代行を務め、1-0で浦和に勝利。これで連敗を14で止め、3月21日の第3節・新潟戦以来の勝ち点、3月14日の第2節・京都戦以来の勝ち星をあげた。 その後、4連敗があったもののチームの状態は少しずつ上向いたが、チームを残留圏内まで浮上させるには至らず、翌30節の京都戦(勝利が残留の必要条件)で引き分け,リーグ戦4試合を残して、J2降格が決定。次年度は2002年以来8シーズンぶりにJ2で戦うこととなった。J1在籍期間は7年にとどまることとなり、九州のJリーグクラブとしてそれまでJ1在籍期間(J2との分割前を含む)が最も長かったアビスパ福岡の在籍期間計7年(1996―2001年、2006年)に並ぶも、追い抜くことはできなかった。しかし、9月13日のジュビロ磐田戦から10戦負けなし、またこれまでリーグ戦未勝利だった千葉にも2-0で快勝するなど10戦負けなしでリーグを終了し、リーグ終盤に遅ればせながらチームの復調を遂げた。 8月5日にはスルガ銀行チャンピオンシップ2009OITAが開催され、コパ・スダメリカーナ王者・SCインテルナシオナルと対戦し、1-2で惜敗。 一方、連覇を懸け望んだナビスコ杯予選は、終盤に追いつかれる等勝ち切れない試合が多く、結局無敗(1勝5分)ながら予選敗退となった。ただ、最終節の新潟戦は2-1で勝利し、リーグ戦も通算して実に17試合振りの公式戦白星を挙げた。 2010年後述するように、チームの経営危機で強化費を削減。そのため、ポポヴィッチ監督を含む実にチームの3分の1以上の選手・スタッフを放出。新監督には前副社長の皇甫官が2005年以来5年ぶりに指揮を執ることになった。 補強の面では、ユース・大卒選手を3人獲得、更には現韓国代表のキム・ボギョンとチャン・ギョンジンの二人の韓国人選手をレンタルで獲得、また、一度は戦力外となった選手の再契約などで限られた予算の中で放出した選手の穴埋めを行った。 チームの特徴アウェーでの大物喰いシャムスカ監督就任後、上位陣のチームに対して勝利する番狂わせを演じている。特にアウェー戦での「大物喰い」が目立つ。アウェーで勝利した「大物」は以下の通り。
2005年はG大阪、浦和に勝ち、C大阪、鹿島にも勝ち点3を与えなかったことが優勝争いを混沌とさせた一因になった。その結果、シャムスカ就任後は「大分は手強い」と他チームから評されるようになっている。 一方、ホームでは、2007年現在、強豪である浦和や川崎とは2005年以降2勝1分けである。中でも2007年の対浦和戦は後半44分、土壇場でドローに持ち込むという劇的な試合を演じている。 開幕戦
サッポロビールサンクスデーJ1昇格後、年に1回開催されるサッポロビールがマッチスポンサーにつく「サッポロビールサンクスデー」では2009年の開催までで5勝1分1敗と抜群の相性の良さを誇っている。2009年、天敵の千葉を相手に敗戦、「サッポロビールサンクスデー」初の黒星となった。 他チームとの相性
チームの補強資金力に乏しい地方クラブという事情もあり、大物選手(特に日本人)の獲得は難しい状況にある。その為、若手の育成やレンタルでの補強がチーム強化の生命線といっても過言ではない。 若手の育成
このようなトップチームの強化策を継続してきた結果、今ではスタメンの半分以上が生え抜きで占められることも多くなり、毎年着実に順位を上昇させていく原動力となっている。 レンタルでの補強
エピソードカラーボード開幕戦など重要な試合ではサポーターがカラーボード(人文字)を掲げて試合を盛り上げる。
大分の呪いJ1昇格後、開幕戦で対戦したチームがJ2に降格、または下位に低迷するため、一部で「大分の呪い」として恐れられている。ちなみにいずれも大分に勝利したチームである。
※いずれのチームもシーズン途中で監督が交代している。 しかし2007年は、アルビレックス新潟が第18節で3位まで上がり、過去最高の6位という成績でシーズンを終了、2008年も、清水エスパルスは序盤こそ下位に低迷したが、5位でシーズンを終えている。2007年は引き分け、2008年は大分が勝利したため、この呪いは消えつつあるか、大分に勝利しないと発動しないのではないかと言われている。 守備放棄試合2003年3月8日のナビスコ杯・対京都パープルサンガ戦(西京極)でその出来事は起こった。スコア1-1で迎えた後半17分、大分・高松大樹が負傷したために京都・松井大輔がボールを一旦フィールドの外に出した。 京都側がボールを出したので大分ボールのスローインとなる。サッカー界ではこのように試合を中断させるためにわざとボールを出した場合、相手(この場合は京都)にボールを返すのが「暗黙の了解」とされている。ボールを受けた寺川能人も京都の選手に向かって蹴ったが、そのボールをロドリゴがカットし、そのまま強引にボールをゴールに押し込んでしまった。あくまで「暗黙の了解」であるため、ルール上は大分の得点として認められる。しかし京都側はマナーに反する行為であるとして猛烈に抗議し、会場は一時騒然となった。 その後京都側のキックオフで試合が再開されたが、当時大分の監督だった小林伸二は選手に対し守備を放棄するように指示。京都・中払大介のシュートを大分守備陣は見送り、スコアは2-2と再びイーブンになった。 奇しくもこの試合はtotoGOALがスタートして最初の試合だった。「totoGOAL」は指定されたチームの得点を「0点」「1点」「2点」「3点以上」で予想するものであるため、今回の出来事がtotoGOALの結果を変えてしまったという点で問題となったが、日本サッカー協会・川淵三郎キャプテンは大分の守備放棄という行為に対して「あの状況では仕方がなかった」という見解を示し、Jリーグ側も大分を処罰しなかった。 しかし「いくら暗黙の了解を破られたといっても、ロドリゴのゴールを防ぐことができなかった京都にも問題はある」という声もあり、この出来事は「フェアプレーとは何か」という大きな問題をサッカー界に投げかけた。 サポーター居残り事件2007年6月30日のJリーグ前半戦最終日、ホーム九州石油ドームでの対横浜F・マリノス戦にて、0-3にて惨敗。連敗続き、そして自動降格圏17位でチームに対し、約1000人のサポーターがスタジアムに試合終了後2時間居残り、不甲斐無いチームや経営陣に不満への爆発させた。サポーターに対し、一度はスタッフが説明を行ったが、「社長出て来い」とサポーターは収まらず、最終的にはシャムスカ監督と話し合いを行った後に溝畑宏社長がサポーターの前に現れ、「本当に、すいません。近日中に、サポーターとの話し合いの場を設ける」ことを約束した。この試合は午後7時からで9時に試合終了のナイトゲームだったため、事態は深夜までかかったという。その後、7月8日にサポーターズカンファレンスが行われ、経営陣とサポーター代表との話し合いが持たれた。
リベンジ16上述の居残り事件を受け、危機感をより強く感じたチームは、2007年リーグ後半戦の16試合を「リベンジ16」と銘打って巻き返しを図った。「リベンジ三戦士」として鈴木慎吾・ホベルト・エジミウソンを獲得、即戦力の補強を行なうと、「リッジー」がこのプロジェクトのキャラクターとして登場し、これを盛り上げた。この16試合を8勝7敗1分と、ほぼ五分の成績で終え、「前半戦で降格圏内にいるチームはJ2に降格する」というジンクスを見事に破り、J1残留を果たした。 「リベンジ16」の中で唯一対戦していなかった横浜F・マリノスについては、2007年に2戦とも大敗かつ無得点(第7節・A0-5/第18節・H0-3)だったことから、2008年のホームゲームで「リベンジ」と銘打ってリッジーも再登場のもと行なわれた。試合は1-0で勝利し、リベンジを果たした。 夜8時キックオフ2009年第23節のヴィッセル神戸とのホームゲームは、当初本来開催されるべき8月22日・8月23日を含めた8月19日から8月24日まで、九州石油ドーム・大分ビッグアイで全国中学陸上競技大会が開催されたため、開催日時未定で当初発表されたが、その後8月24日の中学陸上最終日の競技終了後、会場の観客入れ替えや設営作業などのため20時からと、通常のナイターでは異例の時刻での開催となった。 なお当時ビッグアイは芝生のコンディション問題が指摘されていたため、大分市営陸上競技場での振り替え開催処置を取ることも検討されていたが、興行的な問題もあるため、当初の予定通りビッグアイを使用した。 経営問題スポンサー問題2005年になって、前ユニフォーム胸スポンサーの小室哲哉が代表を務めるレコードレーベル・企画会社トライバルキックスのスポンサー料未払い問題が発覚し、クラブの債務超過が問題となりチーム存続の危機に立たされた。大分県スポーツ文化振興財団が資本を2億円融資(2009年10月現在約1億2千万の債務)、さらに6月にユニフォーム胸スポンサーとなったマルハンが2006年から6年間の年間シートを購入したことにより、当面の危機は回避された。このスポンサーに関してはJリーグの規定に抵触するのではないかとの指摘があったものの、特例として認められた。 なお、このスポンサーが本当に抵触するのかどうかの結論ははっきり出ていない。過去にはリーグスポンサーにパチンコ製造メーカー(平和)や消費者金融が傘下にあるノンバンクが名を連ねていたことがあり、鹿島アントラーズはプロミスがパンツ部分のユニフォームスポンサーになっていたことがある。現在は「スポンサー自粛カテゴリー」として「本体もしくは傘下企業がパチンコホールを経営している場合はアウト」となっているとのことで[1]、実際アビスパ福岡の大株主である大都技研も、子会社にパチンコホールがあることを理由にユニフォームスポンサーを断られている。 Jリーグ側はマルハンのトリニータを通じた社会貢献活動を評価しているが、「テレビ放映の規制等の問題より来期以降のユニフォームスポンサーは継続は難しい」との見解を出している。2007年以降もマルハンとスポンサー契約を結んでいるが、もしこのままユニフォーム胸スポンサーが承認されない場合、クラブ側は他企業にこの枠を与えることはせず、胸部分を空白(またはチームロゴ)にする方針だとコメントした。実際に2009年8月29日にフォーリーフジャパンが胸スポンサーに就くまでは胸の部分が空白のままだった。また、マルハンの韓昌祐会長も「胸スポンサーという形でなくとも、トリニータを今後とも応援していきたい。」とこの件に関する2006年12月2日のマルハン・大分FC共同記者会見で明言している。 しかし2009年9月14日に、「ユニホームに企業名が入らず広告対価が伴わない」ことを理由に、ついにマルハンがスポンサーを撤退することが発表された[1][2]。またフォーリーフジャパンについてもスポンサーとしての適格性に対してサポーター・関係者から疑問符がつけられており(詳しくはフォーリーフジャパン#トリニータのスポンサー問題を参照)、スポンサー問題が現在も大きな経営課題となっている。 観客動員入場料収入に直結してくる観客動員数は2007年度が19,759人。これは浦和レッズ・アルビレックス新潟・FC東京・横浜F・マリノスに次いでJ1で5番目である。J1昇格後は、各年で平均2万人を超える動員を維持しているが、今後はクラブが打ち出している「3万人プロジェクト」の達成のためにより一層の工夫などが求められる。2006年までは、観客動員数はほぼ横ばいで推移してきたが、2007年から減少傾向である。地元サポーターの動員力はあるが、アウェイサポーターは浦和戦を除き少ない。理由としては2008年時点でJ1の18クラブ中14クラブのホームタウンが東日本にあり、相手チームから見ると長距離かつ大分県の交通事情が芳しくない為平日や日曜開催の試合に行けないことや、交通費が掛かること等が挙げられる(2003年には横浜FMサポーターが「大分遠すぎ」という横断幕を掲げ話題になった)。従来は無料招待に依存していた部分もあったが2006年から原則的に一般への無料招待を廃止しており、有料入場者を増やし入場料収入を得ることも経営問題を解決する一つの手段であるといえよう。なお、「地域招待」等に関してはマルハンシート等を活用している。 2010年シーズンは開幕前に売り切るはずであったシーズンパスが目標としていた13000席を半分程度しか売り切れず(2月19日時点で7249席)、急遽販売期間を4月25日まで延長(但し、大分市のクラブ事務所と大分ビッグアイでの主管試合開催日のみ)した。 公式試合安定開催基金2008年から続く世界的な経済情勢の悪化もあり、2009年1月期現在で累積赤字が11億円、債務超過額が5億5800万円を計上[3]。更には成績不振による入場料減収や監督交代に伴う人件費増加、主要スポンサーであるマルハンの撤退[4]、ユニフォーム胸スポンサーにフォーリーフジャパン内定後の騒動(上記#スポンサー問題参照)やユニフォーム背中スポンサーのオメガプロジェクトHD役員逮捕に伴うスポンサー料収入減見込み[5]、翌2010年度の運営費を前倒しで使う自転車操業のような経営方針もあいまって[6]、2009年11月現在でリーグ戦残り3節(うちホーム2試合)の運営が困難な状況になった。 そのため2009年11月11日、日本プロサッカーリーグが設立した公式試合安定開催基金からの緊急融資を申請することが発表された[7]。既に2010年度からJ2に降格していることが決定しているとはいえ、J1に所属しているクラブが同基金からの融資を申請するのは史上初となる[8]。申請の際、本年度のみで2億円程度不足とみられていた[8]が、同月16日広瀬勝貞大分県知事が定例記者会見で本年度のみで約4億円不足すると異例の発表を行った[6]。 翌11月17日、Jリーグ理事会にて融資を決定、当初3億5千万円、2010年1月末に2億5千万円、合計6億円を融資すると発表した。ちなみに基金10億円のうち過半数を今回の融資で使った事になる。この会見で鬼武健二Jリーグチェアマンは「経営破たんに近い、あってはならない経営」と発言している[9]。これを受け同月20日、溝畑宏社長が12月5日の公式戦終了後に引責辞任すること、辞任後は皇甫官副社長が社長代行に就任することが発表された[10]ものの、12月12日、皇甫副社長および原靖強化部長が辞表を提出、受理されたため、青野浩志経営企画部長が代表取締役代行を務めることとなった[11]。その後の調べで、実質債務超過額が9億円以上になると判明した[12]。 チーム側は再建計画書をJリーグに提出するも、12月14日のJリーグ理事会で追加融資分2億5千万円の承認が否決された。理由は「12月10日までに後任の社長が決まるはずが未だ決定していない上、運営予算も年間9億円規模が望ましいとしたのにチームから提出された予算では11億円規模となっており経費削減が不十分」というもの[12][13]。同年12月23日のJリーグ臨時理事会でも同様の理由により否決されたため、チーム側ではやむを得ず地元銀行からのつなぎ融資を受け当座の資金を確保[14]した。 一方で大分県では、県や地元企業らが中心になって新たに「大分トリニータを支える県民会議」が発足[15]。また大分市では市役所内にチーム支援のための募金箱を設置し、当面「5000万円を目標」として募金を募っている[16]。ただ大分県内でもチーム支援に対する考えは地域によって温度差があり、大分市以外では「なぜトリニータばかり優遇するのか」という不満の意見もある[17]。 その後、青野浩志が新社長に就任し運営予算を削減した計画書を再提出、2010年1月19日Jリーグ理事会は新社長就任と地元のサポートが得られたことを確認し残り2億5千万円の追加融資が決定するも更なる予算圧縮を要望[18]、同年2月16日予算を更に修正した計画書を再々提出し追加融資が正式に了承された[19]。 なお、融資完済と債務超過が解消するまでJ1昇格は認められず、たとえJ2で3位以上になっても大分を除外した2チームがJ1昇格することになる[19]。また現状の再建計画では、J1昇格が認められる債務超過額1億円を切る目安が2012年1月となるため[20]、少なくとも2012年度まではJ1昇格は認められないことになる。 その他
所属選手
チーム成績・歴代監督
対戦通算成績
国際試合
クラブ記録試合記録リーグ戦連続無敗記録 リーグ戦ホーム連続無敗記録
連続無失点試合 ホーム最多連勝記録 リーグ戦最多連敗記録
得失点記録(Jリーグ加盟後)最多得点試合ホーム
アウェー
最多失点試合ホーム
アウェー
その他年間総失点数
リーグ戦年間完封試合数
獲得タイトル個人別タイトル
ホームスタジアム・練習場ホームスタジアム
練習場2002年頃までは、リバーパーク犬飼等各地のグラウンドを転々として練習を行ってきたが、大分スポーツクラブ完成以降は、主練習場として大分スポーツクラブを使用している。 大分市営陸上競技場や、別府市野口原総合運動場陸上競技場でも練習を行うことがある。 スタジアムDJユニフォーム
ユニフォームについて
ユニフォームのあれこれ
ユニフォームスポンサー
ユニフォームサプライの遍歴歴代ユニフォームスポンサー年表
オフィシャルパートナー脚注
関連項目外部リンク
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↓ニュース ↓YouTube ↓テレビ番組 ↓はてブ ↓ヤフオク ↓このページへのリンク ニュース記事●サッカーJ1で過去最高のリーグ戦4位の成績を収めた大分トリニータの選手が28日、大分 ... 大分市のパークプレイス大分. サッカーJ1で過去最高のリーグ戦4位の成績を収めた大分トリニータの選手が28日、大分 ...●大分トリニータに県内から救い つなぎ融資2.5億円. 2009年12月24日23時5分 ... Jリーグからの追加融資が保留となっている大分は24日、県内3金融機関から計2億5千万円のつなぎ融資を受けられることが決まった。 ... ●大分トリニータ 新社長に県出向の青野氏. 2009年12月28日15時30分. 印刷. 青野浩志・トリニータ新社長(左)=大分市. サッカー大分トリニータを運営する大分フットボールクラブ(FC)の新社長に、大分 ... ●観光庁長官に溝畑氏 大分トリニータ運営会社の前社長. 前原誠司国土交通相は25日、観光庁の本保芳明長官(60)を更迭し、後任にサッカーの大分トリニータの運営会社、大分 ... 溝畑氏は自治省(現総務省)出身で、大分トリニータの立ち上げに尽力した。 ... ●大分トリニータの資金不足、1月までに7〜8億円 ... また16日、広瀬知事はトリニータの本拠地になっている大分県の「九州石油ドーム」の命名権について、現在、権利を持つ新日本石油との契約が来年2月末で終了、新たなスポンサー企業を募集すると発表した。 ... ●(1/18)J1昇格への思い込め・大分の朴景浩さんが著作. サッカーのJリーグ2部(J2)大分トリニータの発足当初に韓国から駆けつけ、チームの成長を見守ってきた朴景浩さん(70)が、日韓共催のワールドカップ(W杯)を前に、 ...
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