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岐阜県(ぎふけん、英語表記:Gifu Prefecture)は、日本の中部地方に位置し、海洋国家である日本において、数少ない内陸部に位置する県である。日本の中央部に位置する。
『岐阜』の『岐』は、『岐山』から来ており、殷が周の王朝へと移り変わる時に鳳凰が舞い降りた山とされ、周の文王はこの山で立ち上がり、八百年の太平の基を築いた。そして『阜』は学問の祖、孔子の生誕の地である『曲阜』から来ている。この2つの地の文字を取って『岐阜』と名づけられ、太平と学問の地であれという意味が込められている。
目次 |
内陸県のひとつであり、その地形は変化に富んでいる。
北部の飛騨地方の大部分は、標高3000メートル級の飛騨山脈をはじめとする山岳地帯であり、平地は高山盆地などわずかである。一方、南部の美濃地方は、愛知県の伊勢湾沿岸から続く濃尾平野が広がり、低地面積が広い。特に南西部の木曽三川(木曽川、長良川、揖斐川)合流域とその支流域には、水郷地帯が広がり、海抜0メートル以下の場所も存在する。この地域には水害から身を守るための輪中と呼ばれる堤防で囲まれた構造あるいはその集落がある。このような岐阜県の地形の特徴を表して、飛山濃水という言葉がある。
岐阜県の河川は6つの水系からなる。飛騨地方北部は日本海へと注ぐ神通川水系および庄川水系流域、飛騨地方南部は太平洋に注ぐ木曽川水系流域である。美濃地方の河川は大部分が太平洋へと注ぐ。西濃・岐阜・中濃地方と東濃地方北部は木曽川水系流域、東濃地方南部は、庄内川水系および矢作川水系流域である。なお、旧越前国である郡上市白鳥町石徹白地区は日本海へと注ぐ九頭竜川水系流域である。
各県との県境は、ほとんどが山地山脈である。ただし、愛知県尾張地方との県境の大部分および三重県との県境の一部は、木曽川、長良川、揖斐川などの河川が県境となっている。
美濃地方は低い山に囲まれているということもあって、夏は暑く冬は寒い。特に東濃の多治見市では毎年国内の最高気温を記録する(2007年8月16日、国内過去最高気温となる40.9度を記録した)。夏期には内陸性の気候に加え、近年のヒートアイランド現象、さらに西風が吹いた際には関西地方の熱風が伊吹山系によりフェーン現象を起こしてさらに気温が上昇するため、高温を記録することが多く「岐阜が日本で一番暑苦しい」と言う人も多い。一方飛騨地方は標高も高いこともあり気温は美濃地方と比べると平均して低いが、夏期には猛暑日を記録することもしばしばである。冬期は内陸山間部では気温が低く、特に高山市荘川町六厩(むまや)は、本州の人が住んでいる土地では一番寒いと言われている。
| 地点名 | 年平均気温 (℃) |
最寒月 平均気温 (℃) |
最暖月 平均気温 (℃) |
年間降水量 (mm) |
最少雨月 降水量 (mm) |
最多雨月 降水量 (mm) |
観測史上 最高気温 (℃) |
観測史上 最低気温 (℃) |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 岐阜(美濃地方) | 15.5 | 4.3 (1月) |
27.5 (8月) |
1,915.3 | 47.3 (12月) |
273.4 (7月) |
39.8 (2007/8/16) |
-14.3 (1927/1/24) |
| 多治見(美濃地方) | 14.6 | 2.9 (1月) |
27.1 (8月) |
1,674.0 | 40.4 (12月) |
263.8 (9月) |
40.9 (2007/8/16) |
-9.3 (1996/2/3) |
| 高山(飛騨地方) | 10.6 | -1.6 (1月) |
23.7 (8月) |
1,733.5 | 79.3 (12月) |
257.8 (9月) |
37.3 (1994/8/8) |
-25.5 (1939/2/11) |
| 六厩(飛騨地方) | 7.0 | -5.2 (1月) |
20.0 (8月) |
2,451.0 | 120.7 (12月) |
352.5 (9月) |
33.5 (2001/8/2) |
-25.4 (1981/2/28) |
主な旧国名は、「飛騨国」「美濃国」であるが僅かに「越前国」「信濃国」の区域も含む。
四世紀の中頃には、ヤマト政権の勢力下に入っていた。
美濃国は、日本のほぼ中心として、昔から雌雄を決する合戦の舞台となった。古くは大海人皇子がこの国を拠点に挙兵した壬申の乱(672年)があり、関ケ原町の藤古川付近で激戦が行われた。
中世に入ると、美濃国は土岐氏が、飛騨国は京極氏が守護を務める。戦国時代になると、美濃国は斎藤道三や織田信長の活躍の舞台となり、その後、徳川家康と石田三成による関ヶ原の戦い(1600年)も行われた。飛騨国は姉小路氏が支配し、その後羽柴秀吉に従った金森氏が支配した。
県名の由来 太田牛一の信長公記によると、織田信長が、美濃国を攻略した際に、稲葉山の城下の井口を岐阜と改めた。江戸時代中期の尾張藩の記録の安土創業録;名古屋市蓬左文庫蔵書(旧蓬左文庫所蔵・尾張徳川家蔵書)、濃陽志略(別名、濃州志略);国立公文書館所蔵にも信長命名とある。明治18年出版の岐阜志略;長瀬寛二著にも、岐阜二字之事、信長が始めて岐阜と命名し、その逸話の詳細に安土創業録の記述を引用している。
ただし、岐阜市案内;岐阜市教育会編:大正4では、一説には、古来、岐府、岐陽、岐山、岐下と書き、明応永正の頃より旧記に岐阜と見えたれば、信長の命名にあらずと、記載している。一説および旧記の出典は掲載がなく不明。
岐阜市史などでは、仁岫宗寿の仁岫録(成立年代不明):原題:当寺創建仁岫大和録:南泉寺(岐阜県山県郡大乗村):撮影・複本作成1921年・東大史料編纂所、万里周九の梅花無尽蔵;東大史料編纂所・国立公文書館など所蔵、東陽英朝の語録;1709年(寶永6年)刊・駒澤大学図書館、などに岐阜、岐阜陽、岐陽という語句があるという。
江戸時代、徳川幕府は豊かな美濃に強大な大名が生まれることを恐れ、美濃を小藩に分割した。最大でも大垣藩の10万石であった。その他に苗木藩、岩村藩、八幡藩、高富藩、加納藩、尾張藩附家老の竹腰氏の今尾藩、尾張藩分家の高須藩そして交代寄合旗本の竹中氏陣屋。飛騨国は、古くは大変貧しい国であったため租庸調の税を免れたが、その代わり、都で飛騨の匠としての大工の労役を課せられた。江戸時代は、当初飛騨高山藩の金森氏があったが、元禄期に木材や神岡鉱山に目をつけた幕府が金森氏を転封し、直轄の天領として統治した。