平成教育委員会 とは?ページ内リンク ↓ウィキペディア(Wikipedia)記事 ↓Yahoo!知恵袋『平成教育委員会』(へいせいきょういくいいんかい)は、1991年10月19日から1997年9月27日まではレギュラー番組として、2000年1月3日からは年数回の特別番組としてフジテレビ系列で放送されている、トークショーとクイズ番組を兼ねた爆笑“教育バラエティ番組”である。略称は一定しないが「平成教育」とする場合が多い。一部では「平教委(へいきょうい)」とも呼ばれている。 出典: 『ウィキペディア(Wikipedia)』 関連商品
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| 平成教育委員会 | |
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| ジャンル | バラエティ番組 |
| 放送国 | |
| 制作局 | フジテレビ イースト |
| 企画 | ビートたけし(レギュラー番組時代は『北野武』名義) |
| 演出 | 上川伸廣(総合演出) (レギュラー末期) |
| 出演者 | ビートたけし(『北野武』名義) 逸見政孝(学級委員長) 中井美穂(学級委員) 小島奈津子(初代助手) 高島彩(2代目助手) ほか |
| 字幕 | 文字多重放送 (特番時代から) |
| 外部リンク | フジテレビ |
| たけし・逸見の平成教育委員会 | |
| 放送時間 | 毎週土曜 19:00 - 19:54(54分) |
| 放送期間 | 1991年10月19日 - 1994年9月 |
| 平成教育委員会(レギュラー) | |
| 放送時間 | 同上 |
| 放送期間 | 1994年10月 - 1997年9月27日 |
| 平成教育委員会(特番) | |
| 放送時間 | 下記参照 |
| 放送期間 | 2000年1月3日の特番から |
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特記事項 : |
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『平成教育委員会』(へいせいきょういくいいんかい)は、1991年10月19日から1997年9月27日まではレギュラー番組として、2000年1月3日からは年数回の特別番組としてフジテレビ系列で放送されている、トークショーとクイズ番組を兼ねた爆笑“教育バラエティ番組”である。略称は一定しないが「平成教育」とする場合が多い。一部では「平教委(へいきょうい)」とも呼ばれている。
スタートから1994年9月までは、『たけし・逸見の平成教育委員会』がタイトルであったが、1994年10月より、『平成教育委員会』と改題された。のちに兄弟番組として『平成教育予備校』および『熱血!平成教育学院』がレギュラー化する(後述)。
目次 |
小中学生の勉強する内容を大人達が悪戦苦闘しながら解き、マルチビジョンを用いて答え合わせを行う。理科の授業では直前に実験を行うことも多い。その日の番組終了時には最優秀生徒を決定し、表彰する、というのが番組開始時から続く基本的なスタイル。レギュラーとしては全220回放送され、平均視聴率は16.2%を記録。
予備校の日能研が問題作成の協力も行っていた。レギュラー放送では、当初は冒頭30分程度に限りツムラの一社提供で、後半はツムラと森永製菓・サンスターなど複数社[1]が、1994年4月からレギュラー回での最終回まではセールス上によりスポンサーが大幅増大したため、ツムラを含め複数社の提供となっていた。
この企画には、番組で先生役を務める北野武の“スランプ期”にも1つの原点があった。不祥事でしばらくメディアに出られなかった北野はようやく復帰したが、やや精彩に欠ける時期があった。北野はここで「基礎から勉強し直そう」と思い立ち、小・中学生が解くようなドリルを使って一所懸命勉強したという。そこで、北野は大人・芸人としての知識や常識と、義務教育で習得し、その後もどこかで役立っているはずの「一般常識の基礎」とのギャップに気づいた。これを事務所やテレビ局に番組原案として出したところ、面白がられて番組が誕生した、というのである[2]。
日本PTA全国協議会による、2006年度「子供とメディアに関する意識調査」によると、「親が子どもに見せたい番組」第9位。
ここで記述する『生徒』はスペシャル版以降も出演しており、後述の卒業生はレギュラー版終了時の最終回に出席した生徒及び以降の出演の無い生徒を示す。生徒は、学級委員を含め、男女を問わず全て「○○君」と呼ばれる。SPではその時期に放送されるフジテレビの連続ドラマの出演者が、番組の宣伝を兼ねて出演している。磯野貴理に対し番組中でカンニング疑惑が浮上した為に、全席にカンニング防止のフィルターが貼られることになった。
ラサール・辰巳・田中は正解率が高く、とくに辰巳はパーフェクトを達成することもあった。逆に渡嘉敷と岡本夏生は珍解答を続出していた。レギュラー時代中期では寿美・ラサール・田代の3人が班長を務めるグループ戦にもなった。
初期の『たけし・逸見』時代には、「学級委員長」役の逸見政孝も問題に解答者として参加していた。つまり、各教科の例題などでは、北野先生と共に例題問題解説などの進行を務め、本問に移ると自席に戻り、自席にある「ただいま考え中」の札を上げて他の生徒と共に解答に専念するという、他のクイズ番組では例のない役割を担っていた。出題内容は、実際に使用された国・公・私立中学校入試問題から一般企業入社試験、公務員試験、番組オリジナルの問題まで多岐にわたった。
各時間の授業で優秀生徒になると「たけしおとし」という、天神様(菅原道真)を模した北野先生の人形(おそらく、天神様→北野天満宮→北野→北野武の連想)を、ダルマおとしのように横に輪切りしたパーツを下部より獲得。このパーツを下より重ね、10個すべて集めて人形を完成させると(最終的には扇子に「あんたはえらい!」と先生から書かれる)、世界一周留学旅行を獲得することができた。しかし、完成間近の生徒が現れると少しずつパーツを増やす(ホクロを書き加えるなど)といった、北野流のギャグの一環として、海外留学贈呈を引き伸ばすことも行われた。最初に「たけしおとし」を獲得した生徒は藤原弘達である。なお、逸見が「たけしおとし」を完成させ世界一周留学旅行を獲得したものの、先生の強引な番組進行の結果、視聴者へ旅行がプレゼントされると言う事があった。
先生は生真面目な半面、ひょうきんな面も持ち合わせている逸見に「ちょっかい」もどきの言動をし、出席者や視聴者逸見の笑いを誘っていた。自信満々に答えを書いた逸見が誤答の際、先生はわざと「さぁ、ここは逸見君にビシッと決めてもらいましょう!」と振ってから解答をオープンし、勉強小僧の「違う!」とのアナウンスを流させる。先生は「逸見君はすっかり正解と思って、身構えていましたね」「一度、生徒の方を向いて頷いていましたね」とギャグにしてしまう。逸見も「てっきり勉強小僧の『正解者に拍手!』って言うのを、待ってたんですよ」「先生もからかうのは止めて下さいよ」と、苦笑いしていた。1992年初夏に、逸見が着用している学ランが、それまでの黒色から鮮やかなブルーの色に変わった[3]際には、先生から「舟木一夫さんだってこんな(色の)制服を着ませんよ」と茶化される。
この類いの件は、寡黙ながらやはりユーモアなセンスを持ち得ている天本英世や糸川英夫にも、あれこれ「ちょっかい」として出している。
例題・本問共に、事前に先生は問題を実際に解いていた。生徒が解けなかった問題では「私もこの問題は出来ませんでしたからね。さ、次の問題にいってしまいましょう」との発言もしている。
漢字の部首名を答える問題で、ジュディ・オングが「私の国では、こう言いますよ」と反論。先生や逸見が「アグネス君みたいな理由を言わないで下さい。ここは日本ですから、日本語で答えて下さい。お願いしますよ」といったケースが見られ、これらも番組を盛り上げる一要因につながった。
全教科の解答を終え、その日の成績がトップの生徒もしくは先生の裁量で「最優秀生徒」として認められた場合、番組オリジナルブレザーが授与された。初の優等生も藤原弘達であった(先生曰く「早めにあげておかないと、あげられなくなっちゃうかもしれないから」)。
後に放送されることになる特別番組や兄弟番組『教育学院』よりも、「国語・算数(数学ではない)・理科・社会」[4]といった、「国・公・私立中学校入試問題」「小学校の実力テスト」レベルの問題、すなわち義務教育で当然教わっているような問題(それも、小学校で修得しているはずのレベル)が重点的に出題されていた。また解答できないことによるジレンマ、先生・学級委員長と生徒とのギャグの応酬も特徴だった。時折、本問の前に過去の珍解答が引き合いに出されることもあった。
番組開始からしばらくは前述のような科目だったがやがて、オープニングにおいて私立幼稚園の入試問題や○×問題が5問連続で出題される「○×テスト」や、終盤のコーナーにおいて正解者の人数によって得点が変動する(正解者が少ないほど高得点)「3択テスト」も実施されるようになった(後述のリニューアルまで)。
当時のフジテレビの看板番組となり、1992年と1993年のFNSの日は平成教育委員会メインとして『平成教育テレビ』が放送され、1996年まで平成教育委員会の雰囲気を残し制作された。当時のフジテレビの番組対抗特番だった『FNS番組対抗!なるほど!ザ・春秋の祭典スペシャル』のBブロックの全問題の出題を、1992年春1994年春まで担当した。1996年春・秋に放送された『FNS超テレビの祭典』もこの番組をメインとして放送された。
『たけし・逸見』時代にあった特番では、授業の合い間の「給食」は、立食パーティー風の軽食をとりつつ、リラックスしながら授業に参加出来る雰囲気であった。
この番組によって、長く続いたフジテレビ系列土曜夜7時枠の低迷期に終止符が打たれた。裏番組にも大きな影響を与え、既に人気が下火状態であったTBSの「まんが日本昔ばなし」「クイズダービー」の終焉(「まんが日本昔ばなし」は非ゴールデンの時間帯に移動、経緯は番組の頁参照)を決定付けさせ、テレビ朝日の「きんぎょ注意報!」→「セーラームーンシリーズ」(19時台前半)、「おぼっちゃまくん」→「南国少年パプワくん」→「SLAM DUNK」(19時台後半)の子供に支持されるテレビアニメと人気を二分する形となった。
1993年10月に、逸見政孝が癌治療のために降板し、当時同局アナウンサーだった中井美穂が学級委員長代理として出演する。しかし、早期復帰の願いもむなしく、逸見は同年12月25日に逝去。このことを受けて、中井は正式に学級委員(「学級委員長」は逸見のみの永久欠番となった)に就くこととなる。また、逸見の没後の放送日に彼の追悼番組を行った。(この番組には生徒役の1人である天本英世が出演し「テレビ業界は狂っている。先日もスタッフが1人自殺した。逸見さんは2人目の犠牲者だ」と発言し、天本は以降『平成教育委員会』には出演しなかった)ただ、しばらくの間は番組名が『たけし・逸見の平成教育委員会』のままであった。ただし、CM入りの際のタイトルテロップからは『たけし・逸見の』という文字は外されていた。
逸見の死去後も『たけし・逸見の』との番組名が続行されていたのは、 一説によると先生が番組名をそのままにしたかったとの強い思いがあった事、逸見とその家族への配慮があったから事、何より先生が逸見の回復・復帰を願っていたからであると週刊誌などで伝えられている。
1994年8月にたけしが交通事故で入院して一時降板したことにより、同年10月よりついに番組名が『平成教育委員会』となる。この時(1994年10月から1995年2月まで)は『平成教育委員会・毎回がスペシャル』と題し、杉本高文(明石家さんま、たけし同様本名名義)、所ジョージ、大橋巨泉などが週替わりで特別講師と称し、代理の先生を担当し、教育実習生として福井謙二などがサポートするスタイルになった。また授業も国語や算数といったものではなく、ゼミやコースなど大学のような授業タイトルとなった。
この頃は、統計の上位数項目を当てる「統計テスト」、幾つかの項目を指定された順番に並べ替える「選択テスト」、表に並べられた文字を拾って指定された言葉を作る「単語テスト」、国語の問題で一部分だけ表示されている状態から四文字熟語を当てる形式の問題等、徐々にクイズ形式の問題が増加していった。また教科ごとの成績優秀者などに与えられるものが番組特製の懐中時計に代わり、これを10個集めれば海外留学ということになっていたが、この間は出なかった。また、問題ごとの点数は1点から最大10点になった。
特別講師が趣味・得意としてる分野を題材にしたクイズコーナー『○○ゼミ』(○の部分に講師の苗字が入る)が設けられ、いわゆる雑学をベースにした問題が出題された。
この間には『平成教育委員会』としては、1994年12月17日に番組史上1回だけの生放送も行われた『全国○×王決定戦』(「FNSの日」と「平成教育テレビ」で定期的に行われていた企画、司会は所が担当)も行われた。また翌年の1995年1月7日には杉本が担当した『平成教育委員会・今回が本当のスペシャル』と称したスペシャル版(これまでのスペシャル版同様の2時間編成であるため)、その翌週の1月13日には大橋が担当した中学受験を間近に控えた小学生向けの2時間スペシャルがそれぞれ放送された。また大橋が担当したこの回は2部構成になっており、1部は大橋が担当、2部がラサール石井の進行担当となった。
その後、「平成教育委員会」としてタイトルを改めた1995年3月4日の放送からたけしが復帰した。この回の視聴率は35.6%(ビデオリサーチ 関東地区調べ)で、ビデオリサーチ「クイズ・ゲーム」部門の史上高視聴率番組・第6位に記録し、1990年代以降のクイズ番組では最高視聴率である[8]。 北野が復帰したこの回は番組開始からすぐにの登場ではなく、所が進行の下で進められ番組後半部分に差し掛かった頃に北野が笑いを取るための扮装した姿で登場するという形であった、その翌週も所が進行で北野は解答者として参加する形式で同年3月18日に晴れて先生へ復帰を果たした。その翌週放送の春のスペシャルからは、後の特番でも恒例の「給食」の時間が始まった。
また特別講師をしていたさんまは同年の「FNSの日」で『平成(教育委員会)は俺のもんや!と密かに思ってたのに』と冗談交じりではあったがたけしの目の前でレギュラー獲得を狙っていたような発言をしていた。
たけしが復帰した直後は空席期間の特別講師以前のスタイルに戻すと思いきや、たけしを含めた製作スタッフが味をしめ、北野先生復帰後も1994年秋以降の構成が継続された。
1995年秋頃から97年1月までは独創力テスト、ひらめきパズル等、クイズ形式のコーナーがメインになっていた。
主なコーナーは、早抜け形式の頭の体操「IQ早押し(後に回転力テストに変更)」、従来通り授業形式で行われる「北野ゼミ」、答えが複数ある問題が出題されて他の人(北野先生も含む)と被らない答えを書いていく「独創力テスト」、提示されたテーマに当てはまらない言葉が読み上げられたら目の前のえんぴつのオブジェを素早く奪取する「瞬間判断力テスト」(このコーナーは後に『ロンQ!ハイランド』でリメイクされた)、チームメイトがカズーで吹いた曲を当てる「音楽リレーテスト」、二つの値を3秒以内に比較する「等号・不等号テスト」、漢字のブロックを並べ替えて二文字熟語のしりとりを完成させる「漢字しりとり」、早書きクイズの「ひらめきパズル」などがある。
また最大10点から400点までに変更された(また逆に200点減点の大目玉を食らう生徒もいた。この体制はレギュラー終了まで続いた)。ラサール石井はオープニングに登場せず、10点の問題に正解したものの200点減点の大目玉を食らった。本人によると本番前に「トイレの大きい方」に行っていてラサール不在のままオープニングが始まった。
一時期、ハンデ制が導入され(この時期は得点制だったため)、過去の成績などを元にハンデを設定していた。そのため渡嘉敷は常に500点からのスタートだったが、優勝できなかった。
この頃は、本編とは別にエンディングで早抜け方式の問題が1問出題されて、時間内に抜けられなかった生徒は放課後残されるという演出があった。
まれに北野先生も解答に参加することがあり、「瞬間判断力テスト」で優勝したために、最終的に優勝してしまったことも一度あった。
このリニューアルの理由は、1995年10月から裏番組として始まった『筋肉番付』(TBS系)が躍進したことへの対抗と、これまでの授業形式がマンネリ化しつつあったこと、また同様にクイズを一新して当時高視聴率をマークしていた『マジカル頭脳パワー!!』(日テレ系)にならったためといわれる。
しかし、このリニューアルによって番組初期のコンセプトが失われたため視聴者には不評で、結果的に視聴率を落とすこととなった。後の特別番組でもこの時代の形式は1度も出題されていない。
1996年10月に3チームの対抗戦(田代班・席は青、ラサール班・席は緑、寿美班・席は赤)になり、10月 - 12月は生徒が12人から9人に減らされた。これに伴い、中井は司会兼業から解答者専任となった。
この頃は、レギュラー放送でも「給食」が実施されるようになったが、パズルを解くのではなく、制限時間以内に指定されたテーマの言葉やしりとりを5つ答えていくクイズ形式になっていた(正解したらダッシュして、ベルトコンベアで流されていくプレートを取る。取ったプレートに書かれている人前分の料理が食べられる)。
1997年1月に、新たに助手が登場。初代小島奈津子の後、高島彩。なお、小島は中井同様制服風の衣装で登場したが、高島から助手風の衣装で出演になった。授業も国語や算数といったものに戻され、初期に近い形となる。
1997年9月27日の最終回では、ラサール石井や清水圭などの優秀な生徒32人が総出演(この時の解答席は青・緑・赤に橙の4色だった)。これまで出題した難問を総復習し、優等生と成績最不良の生徒を決定した。最後に生徒の田代まさしとラサール石井が謝辞を読み上げた。北野もこの番組に対して想いが深かったこともあって、感極まり涙を見せた。
エンディングでは第1回放送の放課後の映像が流れ、北野と逸見が語り合い、お互いに肩を組んで教室を去っていくシーンで番組を締めくくった。
こうして1997年9月にレギュラー放送は終了し、一旦幕を下ろすこととなる。なおこの当時は番組をスペシャル版で継続することまで視野に入れていなかった。
2000年1月3日、2000年を記念して『平成教育委員会』が特別番組として復活した。これが20%近い視聴率だったことから、以降毎年1月3日前後には特別番組が放送されることとなる。復活当初の何回かは考え中の音楽、CMアイキャッチ音、エンディング曲などは各時間ごとに「初期→中期→後期」と順番に再現する趣向が行われていたが、やがて全時間、初期のものに統一された。唯一オープニングのみ別のものとなっている。
2003年からは夏休み期間中にあたる8月最終日曜日にも、2004年からは5月のゴールデンウィークと11月3日前後にも放送されるようになった。レギュラー番組の『予備校』『学院』とも連動する形での季節ごとの特番として放送されている。
基本的には入試問題から出題するものの、番組オリジナル問題も多い。改編期特別番組では、国語→理科→給食→社会の順に行われることが多い。
1時間目は国語であることが恒例となっている。問題は漢字や慣用句に関するものが多い。理科の授業は、物理学の分野から問題が出題されることが多く、化学や生物学の分野が問題になることは少ない。地学の問題は化学・生物学に比べ多い。科学的論拠がなくても結果的に正解であればよいので、偶然当たるということも多い。中学程度の物理知識がないと解けない問題もある。
5時間目に算数が行われることがあるが、1問しか出題されないため、北野の独断で優等生を決定することが多い。その際、問題に正解しなければならないのは当然だが、論拠の正確さはあまり考慮されていない。
2005年からは通常の書き問題の他にも、国語で早押し形式の問題、社会で3つのヒントから連想される人物や場所を当てる問題といった特殊な問題が出題されることが多くなった(『予備校』『学院』の方でも同様の問題が出題がある)。お正月スペシャルの社会の時間は去年を振り返る「○○年重大ニュース」がお決まり。
以前には実力テストという筆記試験が行われていた。生徒の実力を示すテストであり、本授業の成績には影響しないが、後述の「給食・団体戦」でのスタッフによるチーム編成の資料となる。この結果を基に各チームの力が公平になるように編成された。なお、このテストは問題作成者以外のスタッフも受験しており、最後のエンドロールで点数が発表された。ここで北野先生の点数がさほどよくないこともあった。
夏休みスペシャルは、北野先生と高島が課外授業を行うコーナーが毎年恒例となっている。北野扮するおじさんの家に小学生役の高島が遊びに行くというコント仕立てだが、必ず北野が高島に「風呂入ろう」と誘うものの逃げられてしまうというオチがついている。
復活以降は各授業の優秀生徒[10]になると豪華商品(授業にちなんだものであることが多い)が与えられるようになった。また温泉などの旅行がどれか一つの授業に入っている。
さらに最優秀生徒、すなわち総合成績でトップになった生徒には旅行が与えられる。複数いる場合は優等生の場合に準じる。
正解しないと高級料理が食べられない「給食」も恒例企画となっている。個人戦と4人1班で4班に分かれての判別対抗戦の2種類が行われ、どちらも早抜け制となっている。個人戦は正解した生徒が過半数の8人正解で終了となる。判別対抗戦は3班が正解した時点で終了となる。正解できないと“おあずけ”になる。知識を問う問題は少なく、パズル的な問題が多い。
2005年正月スペシャル以降は、4班による判別対抗が中心となり、パズル問題だけでなく、「リレーおみくじ」(各班の代表者1名が問題カードを1つ選んで、カードに書かれた問題に答える。正解なら襷を次の代表者に渡し、4人全員が正解すれば勝ち抜けで求職獲得。最後まで残った1班は給食おあずけ。なお、2〜3枚だけ「大吉」があり、それを引けば問題免除で襷を渡すことができる。)、「花火大会・問題駅伝」(「リレーおみくじ」の夏バージョン。「大吉」のくじは無く、3番目に抜けた班は給食が1品しか貰えない。)、「初夢すごろく」(代表1人が双六の駒になり、残り3人が○×クイズに答え、正解した人数だけ駒を進めることができる。途中で“おみくじチャンス”のマスがあり、おみくじによって出題された問題に正解してすればさらに1マス進むことが出来るが、おみくじの中には「凶」が入っているため、それを引いてしまうと「ふりだしに戻される」「最下位のチームと入れ替え」など一気に不利になるペナルティが課された。双六を上がった先着3班が、給食獲得)、「みんなでドリルスペシャル」(『学院』で行われている「みんなでドリル」の拡大版)等、様々な企画が行われている。
給食に登場する店について、番組内で先生が、「美川憲一、うつみ宮土理らと、『おいしいものを食べよう会』という会を作って、そのメンバーで行ったお店だ」と語ったことがある。店の選定に北野武自身が深く関わっていることがうかがえる。
2005年1月3日のスペシャルの放送の際、北野先生が「あまりに生徒(解答者)の成績の出来が悪いので、いっそのこと予備校を設立して、そこで優秀な生徒に委員会に出席してもらいたい」ということから、2005年1月16日から『平成教育2005予備校』をスタートさせ、専任講師(司会)としてユースケ・サンタマリア先生を招くこととなった。
2006年10月から『熱血!平成教育学院』に改題、1時間番組に拡大された。
両者は「『予備校』もしくは『学院』での成績優秀者は『教育委員会』の出演を果たし、逆に『教育委員会』で成績の芳しくないものは『予備校』『学院』に送られる」という、Jリーグを思わせる関係となっている。
この番組をきっかけに、司会を務めた北野武と逸見政孝は唯一無二の親友として交友を深め、家族ぐるみでの交流をもっていた。逸見に癌が見つかった際には、北野は全快を祈って酒断ちをし[11]、お祓いを受けたパジャマを逸見にプレゼントしていた。ワイドショーのインタビューにも北野は「気持ちは直接伝えてある。テレビを通じて気持ちを伝えるほど離れた仲じゃない」とだけ答え、これを聞いた逸見は感激していたという。また逸見が亡くなる直前に家族以外で面会を許された数少ない人物の1人が北野であったという。面会の際の逸見の変わり果てた姿にショックを受けた北野は、それ以降逸見の告別式の日まで仕事をすべてキャンセルした。
番組最終回の直後の記者会見で北野は、逸見の名を出し「最後まで逸見さんと一緒にやりたかったなぁ・・・それが心残りです」という言葉で締めくくっている。
なお、逸見が生前に出演していた番組で2008年現在も放映中のものはこの『平成教育委員会』だけとなる。
『パロディウスだ!』や『スーパーマリオブラザーズ』、『熱血硬派くにおくん』などレトロゲームのBGMや効果音の使用が多い。2006、2007年に発売されたニンテンドーDSのゲームソフトでも『スーパーマリオブラザーズ3(ファミコン版)』の効果音をほぼそのまま使用している。
番組開始時から登場している、番組のマスコットは勉強小僧(べんきょうこぞう)と呼ばれる学生服にメガネ姿の少年を模したキャラクターである。勉強小僧は様々な語彙をもって番組の進行をフォローする。セリフにはいろいろなパターンがあるため、独立項目として列挙する。
なお、勉強小僧は発音がはっきりしており、たとえば「必要」の「う」は、通常では「0(オ)」に近い音になるが、「U(ウ)」と発音する。
北野先生は、多忙のためか編集後のビデオや放送をあまり見ていなかったため、番組開始からしばらくの間、勉強小僧の存在を知らなかった。放映開始から半年以上経過したある回で「こないだビデオを観ていて、『こいつが勉強小僧か』と知りましたよ」と発言。それまでは「勉強小僧が…」と出席生徒たちが話しているのを聞き、先生が「勉強小僧って何ですか?」と問い返す場面があった。
レギュラー終了後の特番「2000年正月スペシャル」の際、実際に勉強小僧の姿をした少年が登場、時間ごとの優等生及び最優秀優等生に目録を手渡す役目を担った。
視聴者プレゼント用の問題が番組ラストで「宿題」として出題され、また最初期の内容は主に理数系の問題や公務員試験に出されるような問題が多かった。はじめは逸見が前回の宿題の解説及びその回の宿題の出題をしていたが、その解説は「おぼろげながら」と先生が指摘するように、いつもの逸見らしかぬ言動で一所懸命暗記したと思われる解説文を、時に大汗をかきながら行うものだった。“プロのアナウンサー”で“平成教育委員会の学級委員長”を務め、“模範的”キャラクターとされた逸見が、違った一面をのぞかせるエピソードであった。
このためか、1992年学