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幸田露伴 とは?

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幸田 露伴(こうだ ろはん、慶応3年7月23日1867年8月20日) - 昭和22年(1947年7月30日)は、日本小説家。本名、成行(しげゆき)。別号には、蝸牛庵(かぎゅうあん)、笹のつゆ、雪音洞主、脱天子など多数。江戸(現東京都下谷生れ。娘のも随筆家・小説家。帝国学士院会員。帝国芸術院会員。第1回文化勲章受章。

出典: 『ウィキペディア(Wikipedia)』


幸田露伴はてなダイアリーを別ウィンドウで表示  :  1867年生まれ、1947年没。 小説家。尾崎紅葉と並び称されることが多い。また、尾崎紅葉、坪内逍遥、森鴎外と並んで「紅露逍鴎」時代を築き上げた。 本名は成行(しげゆき)。別号は蝸牛庵。江戸下谷生れ。 東京英学校中退。逓信省電信修技校卒。西鶴などの江戸文学に親しんで作家を志した。儒教・仏教・道教に造詣が深く、東洋的精神主義や神秘主義のからまった浪漫的作品が多く、理想主義的傾向をもつ擬古典派に属する。 小説『五重塔』『連環記』、史伝『運命』『頼朝』『蒲生氏郷』『平将門』、戯曲『名和長年』、長編詩集『出廬』 ...

出典: 『はてなダイアリー』


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 五重塔の建立を任されることになった「のっそり」十兵衛の妥協のない一途な意志と、作者露伴の作品構築への漲るような意志がシンクロして物語りはハイテンションで進む。才能はあるもののうだつの上がらない仲間の評判もイマイチの十兵衛がリベンジすべく、一世一代の起死回生の大勝負に出る。しかしその行く手を阻む棟梁の源太との熾烈な駆け引きが繰り広げられる。命を下す感応寺大上人の深謀遠慮の采配とその行方、互いの妻の心的葛藤、火花を散らせる二人の矜持、義侠心、友情、謙譲、崇敬、畏怖、復讐、憐憫、恩義、同情、嫉妬等々といったありとあらゆる物語的パッションが縦横に炸裂する。ドラマは否が応でも盛り上がる。一旦物語に引き込まれてしまった読者はこの蜘蛛の巣から逃れることはほとんど不可能にちかい。しかしこの作品は、イメージの安易な造形に頼る小説ではない、あくまで言葉の構築力、つむぐ力が何にもまして圧倒的なのだ。ドストエフスキーばりの、露伴に憑依したかのようなドライヴのかかった登場人物の語りの饒舌と臨場感溢れる訴求力に息を呑む。あたかも十兵衛が柱に心血を注いで鉋をかけるように露伴は言葉に繊細な鉋をかける。映画化を嫌った露伴にとって言葉は命にほかならなかった。十兵衛の五重塔の完成が言葉の構築つまり作品としての五重塔の完成なのだ。それをこそ露伴は己に課した。露伴二十四歳の偉業である。突然の嵐にも倒壊しない自信をもって構築された「五重塔」が永遠に文学史に屹立することは疑いようがない。でも評価としては三星かな。晩年の作品の膂力に比べると力を意識しすぎた  (ワインドアップバード さんのレビュー)

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幸田 露伴(こうだ ろはん、慶応3年7月23日1867年8月20日) - 昭和22年(1947年7月30日)は、日本小説家。本名、成行(しげゆき)。別号には、蝸牛庵(かぎゅうあん)、笹のつゆ、雪音洞主、脱天子など多数。江戸(現東京都下谷生れ。娘のも随筆家・小説家。帝国学士院会員。帝国芸術院会員。第1回文化勲章受章。

『風流仏』で評価され、『五重塔』『運命』などの作品で文壇での地位を確立。尾崎紅葉とともに紅露時代と呼ばれる時代を築いた。擬古典主義の代表的作家で、また古典や諸宗教にも通じ、多くの随筆や史伝のほか、『芭蕉七部集評釈』などの古典研究などを残した。

目次

生涯

慶応3年(1867年7月23日江戸下谷三枚橋横町(現・東京都台東区)に、四男として生を受ける。父は幕臣の幸田利三(成延)で、母は猷。幸田家は江戸時代、大名の取次を職とする表御坊主衆であった。幼名は鉄四郎。もともと病弱であり、生後27日目にして医者の世話になるなど、幼時は何度も生死の境をさまよったことがあった。翌年、上野戦争が起こったため、浅草諏訪町に移る。

下谷に戻った後、神田に落ち着いた。下谷泉橋通りの関千代(書家関雪江の姉)の塾で手習い、御徒士町の相田氏の塾で素読を学んだ。明治8年(1875年)、千代の勧めで東京師範学校下等小学校(後の東京教育大附属小)に入学。このころから草双草、読本を愛読するようになった。

卒業後の明治11年(1878年)、東京府第一中学正則科に入学する。尾崎紅葉上田萬年狩野亨吉らと同級生であった。のちに家計の事情で中退し、14歳になったとき、東京英学校(現在の青山学院大学)へ進むが、これも途中退学。東京府図書館に通うようになり、淡島寒月を知った。また兄成常の影響で俳諧に親しみ、さらに菊地松軒の迎義塾では、漢学、漢詩を学んだ。

16歳の時、給費生として逓信省電信修技学校に入り、卒業後は官職である電信技師として北海道余市に赴任。坪内逍遥の『小説神髄』や『当世書生気質』と出会った露伴は、文学の道へ志す情熱が芽生えたと言われる。しかし明治20年(1887年)職を放棄し帰京。この北海道から東京までの道程が「身には疾あり胸には愁あり、悪因縁は逐(お)えども去らず」に始まる突貫紀行の題材である。

免官の処分を受けたため父が始めた紙店愛々堂に勤め、一方で井原西鶴を愛読した。明治22年(1889年)、北海道の赴任先から帰京した露伴は、「露団々」を起草し、寒月を介して「都の花」に発表された。これが山田美妙の激賞を受け、さらに天王寺をモデルとする『五重塔』『風流仏』などを発表し、作家としての地位を確立していく。

この頃に同世代の尾崎紅葉ととも「紅露時代」と呼ばれる黄金時代を迎える。「写実主義の尾崎紅葉、理想主義の幸田露伴」と並び称され明治文学の一時代を築いた露伴は、近代文学の発展を方向づけたとされる。また尾崎紅葉、坪内逍遥森鴎外と並んで、「紅露逍鴎時代」と呼ばれることもある。

『新羽衣物語』を発表後の明治37年(1904年)、それまで何度も中絶のあった「天うつ浪」の執筆が途絶えた。これ以後、主に史伝の執筆や古典の評釈に主眼を移した。史伝の作品としては「頼朝」「平将門」「蒲生氏郷」などがある。一方、井原西鶴や『南総里見八犬伝』を評釈し、沼波瓊音太田水穂ら芭蕉研究会の6人との共著『芭蕉俳句研究』を出した。大正9年(1920年)には『松尾芭蕉七部作』の注釈を始め、17年かけて晩年の昭和22年(1947年)に評釈を完成させる。

明治39年(1906年)に旧友である狩野亨吉に請われて京都帝國大学文科の国文学講座の講師となったことがある。同時期に内藤湖南も東洋史講座の講師に招聘されている。この両名はそれぞれ小説家として、ジャーナリストとして当時から有名であったが学者としての力量は未知数であり、狩野の招聘は破天荒とさえいわれた。

露伴の指導を仰いだ青木正児によると、日本文脈論(日本文体の発達史)・『曽我物語』と『和讃』についての文学論・近松世話浄瑠璃などの講義内容で、決して上手な話し手ではなかったが学生の評判は非常によかったという。ただし、黒板の文字は草書での走り書き、しかも体格ががっちりして頭が大きいのでその文字を覆ってしまい学生達はノートを取ることが難しかったという。露伴は学者としても充分な素養があったのだが官僚的で窮屈な大学に嫌気が差して夏季休暇で東京に戻ったまま僅か一年足らずで大学を辞してしまった。

明治44年(1911年)、文学博士の学位を授与。昭和12年(1937年)4月28日には第1回文化勲章を授与され、帝国芸術院会員となる。昭和22年(1947年7月30日、戦後移り住んだ千葉県市川市において、79歳で没。墓所は池上本門寺

家族・親族

露伴は幸田成延、猷夫妻の四男である。長兄の成常は実業家で相模紡績社長などを務めた。次兄の成忠は海軍軍人、探検家で、郡司家へ養子に出された。弟は歴史家の成友で、妹のはともに音楽家である。なお、兄弟は露伴以外全員キリスト教信者である。

娘のは、露伴が没する以前から露伴に関する随筆を書き注目を集め、これで認められて随筆家となり、後に小説も書いた。その子であるも随筆家で、またその子である奈緒はエッセイストである。

主な作品

小説
  • 風流仏(1889年、吉岡書籍店)
  • 露団々(1890年、金港堂)
  • 五重塔(1892年、嵩山堂『小説 尾花集』収録)
  • 連環記
  • 雪たたき
  • いさなとり
  • 新羽衣物語(1897年8月、村井商会)
  • 天うつ浪(1906年1月 - 07年1月、春陽堂)
史伝
  • 運命(1919年、雑誌『改造』4月創刊号)
  • 建文帝永楽帝に追われて、何十年も潜伏して生活していたという伝説について書かれた話。『明史紀事本末』などを参考にしている。近年、高島俊男が著書[1]の中で、この本と中国の歴史家の研究との突合せを行っている。高島によると、谷崎潤一郎斎藤茂吉小泉信三等がその「文体」に感激したというこの史伝は、元ネタの『明史紀事本末』を、漢文訓読文で単純に読み下したものにすぎず、文学的に評価するのはおかしいという。また、露伴が執筆時に事実と信じていた内容は伝説の類であり、歴史的事実ではないという。
  • また今東光が書くところによるとこの作品を『運命』と名付けたのは谷崎である。当初は『零』という表題であったが、改造社社長山本実彦が露伴の書き下ろした原稿を一読の為持参すると、谷崎は直ちに目を通し「素晴らしい作品であるが、この『零』という表題では何人も容易に会得することが出来ないであろうから、甚だ失礼ながらこの方が良いのではないか」と言い。作品を『運命』と題したという。[2]
  • 頼朝
  • 蒲生氏郷
  • 平将門
随筆・評論
  • 潮待ち草(1906年、東亜堂)
  • 蝸牛庵夜譚(1907年11月、春陽堂)
  • 小品十種(1908年6月、成功雑誌社)
  • 普通文章論(1980年10月、博文館)
俳諧評釈
  • 冬の日記抄(1924年9月、岩波書店)
  • 春の日・曠野抄(1927年6月、岩波書店)
  • ひさご・猿蓑抄(1929年12月、岩波書店)
  • 炭俵・続猿蓑抄(1930年1月、岩波書店)
紀行・日記
  • 枕頭山水(1893年9月、博文館)
  • 蝸牛庵日記(1949年8月、中央公論社)

脚注

  1. ^ 高島俊男「しくじった皇帝たち」(2008年)、ちくま文庫 ISBN 978-4-480-42399-3
  2. ^ 今東光『東光金欄帖』(中央公論社1978年

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