広島市民球場 とは?ページ内リンク ↓ウィキペディア(Wikipedia)記事 ↓Yahoo!知恵袋広島市民球場(ひろしましみんきゅうじょう)は、日本の広島県広島市中区基町にある野球場。日本プロ野球・セントラル・リーグの広島東洋カープが本拠地としている。施設は広島市が所有及び運営管理を行っている。ただし球場内の売店などは広島球団側に営業権が認められている。 出典: 『ウィキペディア(Wikipedia)』 広島市民球場 出典: 『はてなダイアリー』 関連商品
奥田民生 /
最安値(新品): ¥ 6,620
最安値(中古): ¥ 6,980
| ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 広島市民球場 Hiroshima Municipal Baseball Stadium |
|
|---|---|
| 施設データ | |
| 所在地 | 広島県広島市中区基町5-25 |
| 起工 | 1957年2月22日 |
| 開場 | 1957年7月24日 |
| 所有者 | 広島市 |
| 管理・運用者 | 広島市 |
| グラウンド | 内野 - 黒土 外野 - 天然芝(高麗芝) |
| 照明 | 照明塔 - 6基 最大照度 投捕間:3073Lx 内 野:2674Lx 外 野:1801Lx |
| 建設費 | 2億5600万円 |
| 設計者 | 石本建築事務所 |
| 建設者 | 増岡組 |
| 使用チーム • 開催試合 | |
| 広島東洋カープ(開場~現在) | |
| 収容能力 | |
| 31,984人(消防法上の定員は 31,686人) |
|
| グラウンドデータ | |
| 球場規模 | グラウンド面積:12,160 m² 両翼 - 91.4 m(約299.9 ft) 中堅 - 115.8 m(約379.9 ft) 左中間 - 109.7m(約359.9 ft) 右中間 - 109.7m(約359.9 ft) |
| フェンス | 2.55 m (約8.4 ft) (ラバーフェンス:1m35cm + 金網フェンス:1m20cm) |
|
ジェット風船(2005年5月)
|
広島市民球場(ひろしましみんきゅうじょう)は、日本の広島県広島市中区基町にある野球場。日本プロ野球・セントラル・リーグの広島東洋カープが本拠地としている。施設は広島市が所有及び運営管理を行っている。ただし球場内の売店などは広島球団側に営業権が認められている。
目次 |
広島東洋カープのホームゲームの他、アマチュア野球の試合にも広く開放され、夏季甲子園大会の広島県予選・決勝戦や都市対抗野球の広島県予選なども市民球場で開催される。カープの試合がある日でも、午前中は市民に貸し出しを行っていることがある。
阪神甲子園球場やスカイマークスタジアムと並び、プロ球団の本拠地球場としては現在では少なくなった天然芝球場(ファウルゾーンを除く)である。両翼91.4メートル、中堅115.8メートルという外野は、プロ球団の本拠地球場の中では一番狭い。内野スタンドは二層式で収容人員約20,000人、外野は収容人員約12,000人、計32,000人ほどを収容できるとされている。また、内野の上層スタンドがかかる同下層スタンドの一部を除き、屋根は設置されていない。
施設の老朽化が進んでいることなどから、2000年代に入り当球場に代わる新しい球場の建設が検討され始め、新広島市民球場が完成する2009年3月31日をもって閉場することが内定している。また、フェンス広告も引っ越すことになる。なお新球場オープンがリーグ公式戦と同時となるため、春季オープン戦が数戦予定されている[要出典]。
1950年代、日本各地の野球場にナイター設備が整備されていくなかで、当時の広島の本拠地・広島総合球場には照明灯がなく、広島市民・ファンから新球場を求める声が挙がっていた。これを受け広島市へ地元財界などから寄付金が集まり、1957年1月31日に新球場建設が決定。同年2月22日に起工式が行われ、5ヶ月後の7月22日にはファン15,000人を集めて完工式・照明点灯式が行われ、2日後に中国地方初のナイター設備設置球場として開場した。
開場当時から1992年までの35年間使われた初代のスコアボード(右中間に設置)はパネル式。イニングスコア部を挟んだ両サイドにそれぞれのチームの出場選手名を表示していた。また表示方式にも特徴があり、現在の打者をランプ(信号灯)で、出塁している走者は打順ランプの外側を囲うネオン管を点灯させて表示していた。またスコアボード棟の内部は3層構造でクーラーも無く、夏場は涼むためスコアボードのパネルを空けて係員が涼をとっていた(のちにスパイ容疑が掛かることになる)。中央に得点掲示板、審判団、カウント表示、下段には他球場(セ・リーグのみ)のスコア、さらに次回試合日程が出ていた。パネル式時代のスコアボードは最大16回までと合計得点、安打、エラーを書き記すことが可能だったが、スコアが見づらくなるという理由から晩年は合計得点を表す「R」部分には表示をしていなかった。
1994年のアジア競技大会開催に合わせて1992年オフに改修を行い、1993年からスコアボードは中堅バックスクリーン上に移設され電光式に。松下電器産業製の大型映像装置「アストロビジョン」も設置された。しかし旧来の放電管方式だったため保守部品の消耗が早く、設置から10年を経過してそれらの入れ替えもままならなくなった。例えば2004年、グレッグ・ラロッカ選手が打撃練習した際、メンバー表の表示画面にボールが直撃、3週間以上そこの部分だけ何も表示されず、例として緒方の表示が「緒_」、または木村拓が「木村_」となっていた(“_”は空白)。そのため、2005年にLED式に改装され、ポジションの数字が大きくなり、ネーム部分は幅がやや狭くなった。表示部は1993年以来の配置を踏襲し、横スクロールで左翼側に映像装置、右翼側に得点(10回まで)と出場メンバー表示が出来るようになっている。また打者はもちろん、塁に出た走者に対しても白地の文字が黄緑色で表示されるという他球場にはない特徴も、パネル式時代の表示方式を踏襲し続けている。スコアボードの得点表示部は、電光化当初は「青地に白文字」で表示していたが、放電管の消耗が著しくなった2000年頃から「黒地に白文字」に設定を変更して点灯部を減らし、放電管の負荷を軽減させていた。LED式に改装後は以前と同様「青地に白文字」に設定を戻している。
電光化以降、スコアボードの球団名は「~ズ」といったチーム名表記ではなく、頭の地名などを使用している。そのためセ・パ交流戦では北海道日本ハムファイターズが「北海道」、千葉ロッテマリーンズが「千葉」、福岡ソフトバンクホークスが「福岡」、など、マスコミが多用する企業名表記とは違うために違和感を覚える表示だった。2006年からは北海道日本ハムファイターズは「日本ハム」、東北楽天ゴールデンイーグルスは「楽天」の表記になった。東京ヤクルトスワローズはこれまで通り「ヤクルト」だった。なお、中日ドラゴンズに在籍しているトマス・デラロサの表示方法は、「デ ラ ロサ」。また審判員の表示部が設置されていない。広島戦では試合前の先発メンバー発表時にビジョンの画面上で表示し、試合中の表示は一切行わない。
本塁を南南東に置く構造のため、西側の左翼スタンド背後に沈む太陽の直射日光が打者や捕手のプレー、特に三塁側からの送球に対する一塁手の捕球を妨げたり、ホームチーム側の一塁ベンチを直撃するようになっていた。ルール上、どちらのベンチを使用するかはホームチームに決定権があり、このためデイゲームでは、ホームチームの広島が三塁側のベンチを使用することがあった他、ナイトゲームでも太陽が完全に沈むまで試合を開始しない措置がとられることもあった。
現在では左翼スタンド最上段に西日避けの可動式大型広告板が存在し、このような心配はなくなっている。
場内アナウンスは試合前の両チーム先発投手の紹介の際、名前・背番号のみならず、その投手のシーズン成績(その時点まで)を「○○投手は□試合目の登板、○勝△敗セーブ□でございます」のように読み上げる。これはかつて市民球場に大型映像装置など情報を表示するための設備がなかった頃から続けられているもので、その名残りといわれている。2007年までは試合前だけでなく、継投の際にもアナウンスが行われていたが、2008年からはビジョンに勝敗とセーブを表示するようになったため、アナウンスは省略されている。
広島・相手の選手に関わらずホームランが出たときには球場独特のファンファーレが鳴る。ほぼ10年周期で曲は変わり、1982年から1992年まで使われていたファンファーレが特に有名だが、2005年以降は鳴らなくなった模様。 かつて1980年頃までは7回裏の開始時(ラッキーセブン)にも当時のホームランのファンファーレとよく似たファンファーレが鳴り、そのあとラッキーセブンのアナウンスが行われた。
また試合開始のプレイボールがかかると、フランツ・フォン・スッペ作曲の「軽騎兵序曲」が流れる。広島市民球場での1回裏の広島の攻撃が始まるとき、そしてビジター球場でも1回表の広島の攻撃が始まるときにも広島応援団のトランペットでこの曲が演奏され、それが応援開始の合図となっているほどこの曲はファンの間で定着している。
放送ブースはバックネット裏(グラウンドの最前列)と、1階席と2階席の中間の2箇所に設置されている。テレビの中継でも頻繁に映っているバックネット裏のブースはラジオ放送用に使われ、選手のプレイを間近で見る形で放送することとなり1塁寄りから順番に第1放送席から第4放送席まである。第2放送席はNHKが、第3放送席はRCCが所有している。
2006年6月、広島市に常石造船(現ツネイシホールディングス)が市民球場の施設命名権購入を申し出た。希望額は年間2億円。この他イズミ、章栄不動産も市民球場の命名権の購入を申し出た他、7月に広島郷心会がマツダに対して命名権購入の提案を行うなどの動きがあった。市は命名権の売却を進めるか否か、市議会や市民の意見などを聴いた上で検討作業を開始。そして2007年春、市は同年シーズン後半から命名権を売却する方針を一旦内定し、より具体的な検討に入った。
しかし、同年が市民球場の開場50周年にあたることもあって、市民・ファンの関心がより高まりつつある中で、売却に対する慎重論が強まりつつあった。さらに、仮に売却に踏み切ったとしても、契約期間は新市民球場完成までの僅か2年弱に限られる点が大きなネックとなったことなどから、同年6月8日に定例記者会見を行った広島市長秋葉忠利は「歴史の重みと市民の愛着の強さを感じる。“市民球場”という名称に愛着が深く、市民の関心が想像以上に盛り上がっている中で命名権を導入するのは難しい」として売却を見送る考えを表明し、結局導入には至らなかった。
2007年9月24日に行われた広島対東京ヤクルト第20回戦は降雨の影響で、試合開始時間が本来予定していた18時から1時間29分遅れ、19時29分に開始された。これはセ・リーグ公式戦の開始時間最長遅延記録である。
また、それに次ぐ遅延記録も当球場で、1994年8月20日の広島対巨人第21回戦が1時間27分遅れで開始されている。
1985年8月17日の阪神戦で、同年8月12日の日本航空123便墜落事故で犠牲になった阪神球団社長の中埜肇を追悼するセレモニーが行われた。中埜はかつてこの球場の建築に携わった一人であり、両チームの選手や首脳陣らが試合開始前に同球場建設への貢献に対する感謝と、哀悼の意を込めて黙祷した。また、当日はスコアボード上にある広島・阪神両チームの球団旗を半旗の状態にして試合を行った。
2007年9月27日の東京ヤクルト戦では、この年を最後に引退する古田敦也選手兼任監督が代打で登場。両軍のファンからエールを送られ、広島の応援団は古田の応援歌をトランペットで演奏、広島ファンは恒例のスクワット応援を行った。第一打席は今シーズン初安打の中前打。第二打席は中越え2塁打だった。対戦投手は先発投手の黒田博樹。試合終了後、敵地では異例のお別れセレモニーがあり、広島のマーティ・ブラウン監督から花束を渡された。セレモニー終了後、古田はグランド一周し、サインボールを36球投げ入れ、両軍ファンは、古田の引退を惜しんだ。
騒音問題などを理由に、他の野球場では行われている大規模コンサートは当球場では開催を認められていなかった。広島市出身で大のカープファンとしても知られている奥田民生は、「ギター一本のアコースティックライブ」という自らのスタイルを主張して説得を続け、初の市民球場コンサート開催にこぎ着けた。このコンサートを行なうにあたり、
以上の3つが条件として提示され、奥田側もこれを了承、2004年10月30日に開催された。
2007年8月9日には、球場開設50周年記念として、前年の2006年を以って終了した平和祈念コンサート『夏 長崎から さだまさし』の広島版『広島市民球場開設50周年記念「2007 夏 広島から さだまさし」』がさだまさしによって開催された。この日さだは本球場の50周年にちなんで背番号50の広島カープのユニフォームで登場、郷里で同じ被爆地・長崎からの想いを込めて「やっと来たぞ!」と叫び、喝采を浴びる。さだは奥田と違い通常のバンド構成でコンサートを行ったが、翌日球場長へ挨拶に行ったところ、平和祈念コンサートだったということもあってか「音の苦情は一件もありませんでした」と言われたという[2]。
2008年5月19日、広島市民球場の最後のイベントとして『ありがとう!! ベースボールフェスタ』を2008年12月6日に開催することが発表された[3]。
当日は広島OBによる紅白戦や、広島市民球場の歴史を振り返る写真パネル、広島の歴代のユニホームなどを展示し、広島市民球場に別れを告げるセレモニーが挙行される。
広島市の中心部にあり、旧太田川の左岸(東側)、広島市中央公園の敷地内にある。原爆ドームがある広島平和記念公園とは道路を挟んで向かい合っている。また、繁華街の紙屋町にも近く、そごう広島店、基町クレド、デオデオ本店やシャレオ等の商業施設、広島県庁舎や広島市立広島市民病院等の行政機関も近い。日本の屋外球技施設の中では数少ない都心に立地する球場である。
市内の中心部でネットワークを作る広島電鉄の路面電車や、市北西部の住宅地まで延びるアストラムラインでの来場は便利である。また、高速バスをはじめ、市の内外に路線が延びる広島バスセンターからもほど近い。一方、広島駅からは少し離れているため、JR西日本を利用した郊外からの観戦には若干不便である。広島駅からの交通手段は路面電車で2号線・6号線(広電宮島口行と江波行)と、バス、タクシーがある。
球場の外には、カープに掛けた勝鯉の森(しょうりのもり)があり、日本一及びセ・リーグ優勝の記念碑がある。また、衣笠祥雄の連続試合出場記録を記念した石碑もその中にある。その他世界の子供の平和像も敷地内にある。
施設では、広島商工会議所や広島市青少年センター、ハノーバー庭園(ドイツ・ハノーファーとの友好を記念して作られた公園)、広島県立総合体育館(広島グリーンアリーナ)があり、建て替え議論の時には移転を含めて協議された。
戦前まで廣島護國神社がこの地にあった。広島市への原子爆弾投下で建物は完全に破壊されたが、鳥居は唯一残り、中国放送横に移設され、現存している。
勝鯉の森は新球場が完成しても現在の場所に保存されることになっている。
詳細は新広島市民球場を参照
広島駅東方の貨物ヤード跡地に新広島市民球場を建設中で、2009年春の完成を予定している。
新球場の整備計画に平行して、現在の広島市民球場の跡地利用に対し、広島市は多くの意見を集めている。
この土地は、広島平和記念公園・原爆ドームの平和祈願地区、広島そごう・基町クレドなどの商業地区、広島市中央公園の三つが接する広島の中心地で、現球場の集客人員に匹敵する年間150万人の集客が見込める土地利用とすることとした。ただし都市公園法の制限を受け、またこの場所が国有地であるため、建てられるのは文化施設、スポーツ施設、防災施設などに限定された。
その中で、公園、サッカー専用スタジアムに改修しサンフレッチェ広島のホームスタジアム化する計画、水族館、観覧車などさまざまな計画が挙がったが、世界遺産である原爆ドームに隣接しており、危機遺産への登録を回避するため、大型施設の建設は回避されるようになった。まず2007年4月に「平和祈念堂」「ビオトープ型水族園」「多目的広場を中心とした都市公園」の3案から最優秀案を選ぶことが発表された。その後2007年8月23日に広島市は、「平和祈念堂」「ビオトープ型水族園」の2案を優秀案としたものの最優秀案は「該当なし」とし、各優秀案を提案した事業者に対して、「周辺商業施設や商店街と連携したにぎわい創出などを求める」として計画案の一部修正を要望、2案を軸に跡地利用案を決定したいとしている。
一方で、地元経済界には「優秀案では集客力が不足している」として不満が残っており、2007年8月に広島市中央部商店街振興組合連合会が広島市に対して、「(跡地に)広島市が選考対象とした3案はいずれもふさわしくない」とする自ら実施したアンケート結果を提出した。また完成後の新球場使用と並行し、「戦後の広島復興の象徴」として現広島市民球場の保存・活用を希望する声も一部であがっている。
2008年2月、広島商工会議所が、球場跡地の一角に位置する自らの建物について移転を具体的に検討する考えを表明。改めて広島市と球場跡地全体の活用策を話し合いたいとしており、広島市側も「いい結果が出るまで少々の時間の調整が必要なら、それも視野に入れたい」と応じる構えではある。同年6月には、国連機関や国際機関を誘致する候補地に挙げられていることが報道されるなど、跡地の今後の活用方法については流動的である。
| 前本拠地: 広島総合球場 1950 - 1957 |
広島東洋カープの本拠地 1957 - 2008 |
次本拠地: 新広島市民球場 2009 - |
|
||||||||||||||