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山崎まさよし /
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広島市(ひろしまし)は、中国地方の中南部、広島県西部(安芸地方)の都市で、同県の県庁所在地、政令指定都市であり、中四国地方一の人口を有する。
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世界史上初の核兵器(原子爆弾)被災都市として(広島市への原子爆弾投下も参照)、またそれゆえ国際平和文化都市として世界的に有名である。戦前が軍都であった(後述)のとは対照的である。
中国・四国地方では第一の人口を抱える都市。江戸時代には広島藩の城下町、明治期から第二次世界大戦終了までは軍事都市であった。特に日清戦争時には大本営(広島城内)が置かれた。現在では広島県の県庁所在地で、政令指定都市となっており、東京特別区を含めて全国第11番目の人口を抱える。
山陽地方のほぼ中南部に位置しており、広島市を中心とした広島都市圏の中心を形成する。畿内と北九州のほぼ中間に位置しているため、中国地方や中国・四国地方を統括する政府機関や、全国規模で展開している企業の地方拠点も多く置かれている、また、西日本有数の工業都市でもあり、沿岸部は工業地帯となっている。
地場資本も比較的強い方であり、製造業の本社・本部が多く置かれている。地元で効率よくまとめようとする傾向が目立つとも言われるが、広島経済の堅実さの表れである。
近年では、人口の郊外へ流出も引き続いて見られる一方で、中区の人口密度が地方圏で最も高くなるなど、都心部での人口増加が著しく進んでいる。平和大通りでは80mを超える高層ビルが相次いで建設され、政令指定都市の中でも有数の「高層ビル街」であった平和大通りはさらに変貌を遂げつつある。
広島駅周辺でも新幹線口の若草町、広島駅南口の再開発が始まった。また、宇品や緑井、段原などでも開発が行われ、商工センターや西風新都と併せて、副都心としての機能をさらに蓄えつつある。建設中の広島高速道路などと合わせて、広島市は大きく変わりつつある。
南は瀬戸内海に面し、広島湾となっている。市の中心部を流れる太田川の河口に開けた三角州上に市街地が形成されている。太田川デルタを中心に広島平野が形成されているが、それを取り囲むように市の西部・北部・東部は丘陵地帯となっている。
「広島」の都市名の由来は、1589年(天正17年)からの毛利輝元による広島築城の際に、1591年(天正19年)命名されたものであり、築城を決定した島が三角州の中で最も広いことに由来するとも言われている(しかし、実際には2番目の大きさである)が、他の説では、毛利氏の祖である大江広元の「広」と、城普請の案内を務め、この界隈の地勢に詳しかった普請奉行である福島元長の「島」を合わせて「広島」と命名したと云う由来も伝わる。大江広元(毛利氏の祖)以来、毛利氏は最も頻繁に用いられる「元」の通字以外、「広」も諱に使用する字の一つとしていた。毛利元就の時代には、完全に臣従したもの(吉川元春、天野元貞、出羽元祐など)には、「元」を一字書出として与えたが、そうでない国人衆(平賀広相、阿曽沼広秀など)には、明白に傘下に組み入れられたと示す「元」の字を避け、「広」の字を与え始めたとされる。この慣習は「広島」の命名者である毛利輝元にも引き継がれ(輝元が「広」を一字書出として与えた者には、吉川広家、山内広通、益田広兼などがいる)、輝元が命名に関与する場合、「広」はこのような重要な意味合いを持った。従ってこの説の方が有力ではないかと思われる。
なお、柳田國男は「廣島へ煙草買ひに」という著作の中で、「ヒロシマ」は「会津檜枝岐などの狩詞で人里のことであった」、「ヒロシマへユク」は「壱岐では死ぬの隠語に代用して居ることが最近刊行せられた山口君の続方言集(*山口麻太郎・続壱岐島方言集・春陽堂・1927)に見えて居る、ヒロシマといふ語にもし斯ういふ感覚が伴なふことを知って居たら、藝州の殿様も是を御城下の名にはしなかったかも知れない。」と記し、さらに「タバコ」を「関西地方は殆ど一般に、休息の同義語に用いられている」とし、「廣島へ煙草買ひに行く」というのは、伊予の内海側では「死ぬ」という代わりに時々使われる気のきいた忌み言葉になっている、と説明している。
また「広島」の命名の由来に限らず、広島市には海に関連する由来の地名が多い。
| 広島市と全国の年齢別人口分布図(比較) | 広島市の年齢・男女別人口分布図 | ||||||||||||||||||
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■紫色は広島市
■緑色は日本全国 |
■青色は男性
■赤色は女性 |
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| 総務省統計局 / 国勢調査(2005年) | |||||||||||||||||||
安土桃山時代の開府以降、山陽道沿線の行政の中心地として、広島市は発展した。
(特徴:地方王国たる広島藩の首府)
(特徴:中央集権国家での地方統治の拠点。軍事都市)
(特徴:中央集権国家での地方統治の拠点。工業都市)
原子爆弾が投下された歴史を踏まえ、広島市は自らを平和記念都市として、平和の確立と核兵器の廃棄を求める活動を活発に行っている。
爆心地周辺は、広島平和記念公園として整備され、原爆ドームは1996年ユネスコの世界遺産に登録された。
核被爆地としての意味を強調する場合、カタカナでヒロシマと表記することがある。これは長崎(ナガサキ)も同様である。
広島市は1889年4月1日の市制制度制定時に市制が施行された全国31都市の1つで、それ以後は周辺の郡に所属する町村を吸収合併していった。その中で安佐郡全域は1973年までに広島市に吸収され(同地域には1980年に安佐北・安佐南の2区が設置)、佐伯郡も大竹市・廿日市市・江田島市などとに分割されて消滅した。 これに対し、安芸郡の町村も広島市(一部はそこから成立した呉市)への統合が進んだが、周囲が全て広島市に囲まれた府中町、あるいは三方が広島市に接する海田町などは広島市との合併を選択せず(海田町は2004年8月22日の住民投票で合併反対が過半数(得票率65%)を占めた[2])、現在でも独自の町制を維持している。これは府中町にマツダの本社、海田町にも同社の関連企業があり、法人税などによって財政基盤が強い事も理由と考えられている。そのため、広島市では1975年に合併した旧矢野町地域が飛地となっている。 しかし、合併を選択しなかったこれらの町でも住民の日常生活や社会基盤整備では広島市との関係が深く、広域での水道や交通網の整備が進められている。
広島市は以下の8区で構成される。
旧市内(おおむね1970年代以前から広島市だった区域。主にオフィスビル、商業施設が集積し広島市のみならず広島県、中国地方の中枢を担っている)
新市内(おおむね1970年代以降合併により広島市となった区域。旧市内とは対照的に住宅団地、マンションなど、中心部へのベッドタウンとして機能している)
「国際平和都市・ヒロシマ」の歴史や知名度を背景として、第二次世界大戦で大規模な被害を受けた都市と姉妹都市・友好都市関係を締結する例が多い。以下、< >内にその都市が受けた戦災の項目へのリンク、ないしその被害状況を示す。 なお、ハワイのホノルルに関しては、広島県が日本有数の日系人移民送出県だったという関係も持っている。