
この項目では装甲戦闘車両について記述しています。古代に用いられた戦闘用の馬車については
チャリオットを、タロットカードについては
戦車 (タロット)をご覧ください。
戦車(せんしゃ)は装甲戦闘車輌の一種。履帯で走行し、火砲を搭載した旋回砲塔を持ち、なおかつ強固な装甲防御を持つ。現代の戦車はほぼ主力戦車(Main battle tank、MBT)の事を指し、走攻守の能力バランスに優れた兵器である。戦車は戦う車の総称ではないため、自走砲や装甲車とは区別される。
概要
戦車の砲弾で敵主力の戦車の装甲を破壊し、自らは敵戦車の砲弾を正面で受けても長距離ならば破壊されない装甲を持つことが多くの戦車の目標とされている。20世紀末からは砲弾や対戦車ロケット弾が装甲よりも優勢であるが、対戦車兵器でなければ容易に破壊出来ず、正確な射撃によって攻撃出来る戦車は陸上戦闘の主役となっている。
第一次世界大戦時に塹壕戦の突破を目的とした兵器として開発された。戦間期から第二次世界大戦にかけて多種多様な形態の戦車が登場し、戦場で評価されていった。詳しくは戦車#戦車の発展を参照のこと。
第二次世界大戦によって機甲部隊の戦術が確立されると、求められる任務の大半をこなせる主力戦車に集約された。それまで任務によって細分化されていた戦車の種類は今日では主力戦車にほぼ統合されているが、主力戦車を投入しにくい環境に合わせて軽戦車や空挺戦車や水陸両用戦車が使用される場合がある。
戦車(タンク)の語源
イギリスで作られた世界最初の戦車は、当初「水運搬車(Water Carrier)」という秘匿名称が付けられていた。イギリスでは委員会をその頭文字で呼ぶ風習があり、戦車開発のために委員会が設置されたが「W.C.(便所)委員会」では都合が悪い。そこで「T.S.(Tank Supply=水槽供給)委員会」と呼ぶことにした。これにより戦車は「タンク」と呼ばれるようになり、のちに正式名称になった。この語源については「戦車を前線に輸送する際に偽装として『ロシア向け水タンク』と呼称した」など諸説あるものの、以後戦車一般の名称として定着した。
日本においては「war cart」を直訳し「戦車」と呼ばれている。ただし、第二次世界大戦後の自衛隊は攻撃的名称を忌避して、「特車」と呼称していたが、昭和37年1月に従来の「戦車」に戻された。
中国語では「戰車」は古代戦車(chariot)を意味し、近代戦車は tank を音写して「坦克」と呼んでいる。
ドイツ語では Panzerkampfwagen(装甲・戦闘・車輌)の略称として Panzer (パンツァー)が一般的である。本来 Panzer は英語の Armour と同様に中世騎士の金属製の甲冑・鎧を意味するが、現在ではこの意味では Panzer よりも Rüstung という表現が多く使用されている。英語でも Panzer という語は第二次世界大戦のドイツ軍戦車を指す一般名詞と化しており、また日本でも同名の戦車専門誌が発行されている。
戦車の名称
戦車の名称は、兵器としての制式名称と、軍や兵士達によって付けられた愛称とに大別される。愛称については配備国により慣例が見られる。アメリカは軍人の名前から(もともとは供与先のイギリス軍による命名)、ドイツは動物の名前、ソ連・ロシアの対空戦車は河川名に因んでいる。イギリスの巡航(Cruiser)戦車や戦後の主力戦車では「C」で始まる単語が付けられている。日本は旧軍では皇紀、自衛隊では西暦からきた制式名で呼ばれ、前者の場合、カテゴリーや開発順を表す秘匿名称(例・チハ…チ=中戦車のハ=いろは順の三番目)もつけられており、各国の国民性も垣間見られる。
戦車の定義
何を以って戦車と定義するかは曖昧な部分もあり、またそれは時代や国・地域によって変化する。 現在では大まかに
- 全周旋回砲塔を有すること
- 装甲化されていること
- 無限軌道(履帯)であること
- 主に敵の車両ないし陣地を砲撃によって破壊することが目的であること
などが挙げられる。 ただし、前述のとおり戦車の定義にはある程度曖昧な部分があり、運用する側が戦車と呼べば戦車扱いされる可能性もある。例えば、陸上自衛隊が導入を予定している機動戦闘車は装輪式でありながら運用方法が類似し、105mmという戦車砲並みの大口径砲を有することから、財務省はこれを戦車と定義しようとして、それに反対する防衛省と議論が続いている。
戦車の歴史
近代戦車の始まり
1916年、ソンムに於けるMk. I
戦車 "雄型"
近代工業化による内燃機関の発達にあわせて、第一次世界大戦前より各国でのちに戦車と呼ばれる車輌の構想が持たれるようになっていたが、技術的限界から実現されることはなかった。
第一次世界大戦で主戦場となったヨーロッパでは大陸を南北に縦断する形で塹壕が数多く掘られたが、初期の装甲車では巧妙に構築された塹壕線、機関銃陣地、有刺鉄線などを突破することが出来なかった。鉄条網と機関銃による防御側の絶対優位により生身で進撃する歩兵の損害は激しく、歩兵と機関銃を敵の塹壕の向こう側に送り込むための装甲車両が求められることとなった。また第一次世界大戦では敵対する両軍が互いに激しい砲撃の応酬を行った為、両軍陣地間にある無人地帯は土がすき返され、砲弾跡があちらこちらに残る不整地と化して装輪式車両の前進を阻んでいた。これらの閉塞状況を打破するため、歩兵支援用の新兵器の研究が各国で開始された。このとき注目されたのが、1904年に実用化されたばかりのホルトトラクターであった。これはアメリカのホルト社(現在のキャタピラー社)が世界で最初に実用化した履帯式のトラックで、前線での資材運搬や牽引に利用されていた。
ホルトトラクターを出発点に、イギリス、フランスなどが履帯によって不整地機動性を確保することをもくろんだ装軌式装甲車両の開発をスタートさせた。
イギリスでは、飛行場警備などに装甲車を運用していたイギリス海軍航空隊が陸上軍艦(Landship)の提案を行い、1915年3月、当時海軍大臣であったウィンストン・チャーチルの肝いりにより、海軍設営長官を長とする「陸上軍艦委員会」が設立され、装軌式装甲車の開発が開始された。陸上軍艦委員会による幾つかのプロジェクトののち、フォスター・ダイムラー重砲牽引車なども参考にしつつ、1915年9月にリトルウィリー(LittleWille)を試作した。リトルウィリー自体は、塹壕などを越える能力が低かったことから実戦には使われなかったが、改良を加えられたマザー(Mother)が1916年1月の公開試験で好成績を残し、マーク I 戦車のもととなった。
Mk.I戦車が初めて実戦に投入されたのが1916年9月15日、ソンム会戦の中盤での事だった。
世界初の実戦参加であったソンム会戦でMK.I戦車は局地的には効果を発揮したものの、歩兵の協力が得られず、またドイツ軍野戦砲の直接照準射撃を受け損害を出した。当初想定されていた戦車の運用法では大量の戦車による集団戦を行う予定であったが、このソンムの戦いではイギリス軍が投入できる戦車の数は50輌弱と少なく、結局膠着状態を打破することは出来ず連合国(協商国)の戦線が11km余り前進するにとどまった。
その後の1917年11月20日のカンブレーの戦いで世界初となる大規模な戦車の投入を行い、300輌あまりの戦車による攻撃は成功裏に終わった。この攻撃で形成された突起部はその後のドイツ軍の反撃で奪い返され、投入した戦車も半数以上が撃破されたが、戦車の有用性が示された攻撃であった。しかし、第一次世界大戦中にフランス、ドイツ等も戦車の実戦投入を行ったものの、全体として戦場の趨勢を動かす存在にはなり得なかった。
戦車の発展
初めて「戦車」としての基本形を整えたのは第一次大戦中に登場したフランスのルノーFT-17軽戦車であった。
それまでの車台に箱型の戦闘室を載せる形ではなく、直角に組み合わせた装甲板で車体を構成した。横材となる間仕切りで戦闘室とエンジン室を分離し、エンジンの騒音と熱気から乗員を解放した。小型軽量な車体と幅広の履帯、前方に突き出た誘導輪などによって優れた機動性を備えており、良好な視界を得るために設けた全周旋回砲塔は単一の装砲での360度の射界を確保した。
ルノーFT-17は3,000輛以上生産された当時もっとも成功した戦車であり、第一次世界大戦後は各国に輸出され各々の国で最初の戦車部隊を構成して、初期の戦車設計の参考資料となった。
第一次世界大戦から第二次世界大戦の間、各国は来るべき戦争での陸戦を研究し、その想定していた戦場と予算にあった戦車を開発することとなった。敗戦国ドイツも、ヴェルサイユ条約により戦車の開発は禁止されたものの、農業トラクターと称してスウェーデンで戦車の開発、研究を行い、また当時の国際社会の外れ者であるソ連と秘密軍事協力協定を結び、赤軍と一緒にヴォルガ河畔のカザンに戦車開発研究センターを設けた。
第一次世界大戦中から第二次世界大戦直前までに開発された戦車は、第一次大戦世界大戦において対歩兵戦闘に機関銃が大いに活躍したことから機関銃を主武装にするものが多く見られた。これは当初、想定された戦場が塹壕戦であったためであるが、第二次世界大戦初期には砲を主武装にした戦車に移行した。
戦車の多様化
第二次世界大戦中を含め、各国において開発されたものは巡航戦車、歩兵戦車、多砲塔戦車、豆戦車、軽戦車、中戦車、重戦車など多岐にわたった。これは戦車の運用に対する様々な戦術が新たに研究・提案された結果ではあったが、その多くは一長一短があり、最終的には武装・装甲・機動力でバランスの取れた主力戦車(MBT)としてほぼ統一されることとなるのは第二次世界大戦後である。第二次世界大戦では、戦術的に、戦車を中心に、それを支援する歩兵、砲兵など諸兵科を統合編成された機甲師団がその威力を証明し、戦車は陸戦における主力兵器としての地位を確立する事となった。
なお、用途に応じた戦車として、偵察戦車、指揮戦車、駆逐戦車、火炎放射戦車、対空戦車、架橋戦車、回収戦車、水陸両用戦車、地雷処理戦車、空挺戦車などが存在する。これらの殆どは、既存の戦車の車体や走行装置を流用して製作された。
主力戦車への集約
大戦後の戦車の開発には、東西の冷戦が大きく影響している。双方で主にヨーロッパにおける地上戦を想定した軍備拡張が行われ、その中心である戦車の能力は相手のそれを上回る事が必須条件であった。そのため、ソ連を中心とする東側諸国が新戦車を開発すると、その脅威に対抗すべく米欧の西側諸国も新戦車を開発するというサイクルが繰り返された。その結果、大きく下記の様に世代分類されている。
世代を経るに従って攻守のバランスが最適な一定規模の火力と装甲、機関と走行系、車体規模を備えた現代型の主力戦車へと集約されていった。米ソが直接交戦する事態こそ無かったものの、朝鮮、中東、ベトナムなどでの代理戦争において、双方の戦車が対峙する事となった。
イスラエルとアラブ諸国が争った中東戦争ではしばしば大規模な戦車戦が繰り広げられた。特に1973年10月に勃発した第四次中東戦争ではアラブ側・イスラエル側併せてのべ6,000輌の戦車が投入され、複数の西側製戦車(イギリス製センチュリオンとアメリカ製M48 / M60)とソ連製戦車(T-54 / T-55 / T-62)が正規戦を行った。これは第二次世界大戦のクルスク大戦車戦以来の規模となり、以後の戦車開発に戦訓を与えた。
なお、東側諸国がソ連・ロシア製戦車の調達で統一されていたのに対して、西側においても開発費・調達費削減などの目的で競作や共同開発による戦車の共通化が幾度か試みられたが(レオパルド1とAMX-30の競作、MBT-70の共同開発など)、各国の戦術思想の違いや自国への利益誘導などによる仕様要求の不一致からいずれも失敗に終わっており、主砲などの装備レベルでのデファクト・スタンダードに留まっている。
第1世代主力戦車
- 第1世代
- M48、T-54/55、61式戦車、センチュリオンなど
- 90mm砲(西側)、100mm砲(東側)を搭載し、丸型の鋳造砲塔を持つ。基本的に第二次世界大戦時の戦車の後継、発展型がほとんどである。ジャイロ式砲身安定装置により走行中の射撃も可能である。
第2世代主力戦車
- 第2世代
M60、T-62、T-64、レオパルド1、Strv 103、チーフテン、AMX-30など
- 西側はイギリス製のロイヤル・オードナンスL7などの105mmライフル砲を搭載(チーフテンのみ120mm砲)、東側は115mm滑腔砲を搭載し、より避弾経始に優れた亀甲型形状の鋳造砲塔と、アクティブ投光器による暗視装置を持ち、夜戦能力を得た。対戦車ミサイルが発達し、随伴歩兵による携帯用対戦車兵器を持つ敵歩兵部隊の掃討がより重要となったことは歩兵戦闘車の開発を加速し、戦車部隊と機械化歩兵部隊がともに行動する戦術がより重視されることとなった。実戦で、歩兵部隊の対戦車ミサイルが大きな威力を発揮したことから「戦車不要論」(機動を防御力とする考え方)が生まれるなど、戦車の防御力が攻撃力に対し立ち遅れていた時代でもあった。
- 第2.5世代
- T-72、74式戦車、レオパルド1A1、メルカバ、96式戦車など
- ソ連の新戦車T-72の登場は西側に脅威を与え、 第3世代戦車開発の起爆剤となった。一方、イスラエル初の国産戦車メルカバは中東戦争の教訓と乗員保護重視の思想を反映した独自の設計と、初陣でT-72を破った事で注目を集めた。
第3世代主力戦車
- 第3世代
- M1、チャレンジャー1、レオパルド2、T-80、90式戦車、98式戦車、K1など
- 西側はドイツのラインメタル社製120mmL44などの滑腔砲を搭載し、複合装甲の導入による平面的なスタイルが特徴。パッシブ型(投光器で光を照射するアクティブ型と違い、敵の発した光を受容する)の暗視装置を持つ。東側は125mm滑腔砲を搭載。車体表面に爆発反応装甲を取り付け、対戦車ミサイルに備えており、複合装甲を装着した物もある。
- 第3.5世代
- ルクレール、レオパルド2A5、M1A2、チャレンジャー2、T-84、T-90、メルカバMk.4、99式戦車など
- 冷戦終結に伴う軍事的緊張の緩和と軍事費削減、更に重量の限界などで本来なら1990年代にも出現した筈の「第4世代戦車」の開発が困難になっている事により、第3世代戦車のアップグレードによる延命が図られた。モジュール装甲や衛星通信ネットワークによる情報システム(C4I:Command,Control,Communications, Computing. and. Intelligence)の導入など、本来は第4世代に用いられる筈であった技術が採り入れられている。
ポスト第3世代
- 以前は140mm級の滑腔砲とそれに耐える装甲が次世代の標準として考えられてきたが、前述の通り物理的な限界などにより実現できていない。更に世界情勢や戦術の変化により、主力戦車同士が直接交戦するような状況が減少傾向にある。
- 一方で非対称戦(ゲリラ戦)への対応やPKFなどに対応するための緊急展開能力(戦術的機動性)の向上など、戦車にこれまで無かった機能が要求されるようになってきており、進化の方向性が以前から変わりつつある。
工業製品としての戦車
多くの現代兵器がそうである様に、戦車は最先端の技術を要求される工業製品である。強力なエンジンと走行装置、強靱な装甲板、高い加工精度を要する戦車砲と砲弾、それを正確に操る精密な火器管制用の光学電子機器、そして乗員を護る空調換気装置。こうした数多くの要素の一つでも欠けていれば優秀な戦車は産み出せない。そのため開発はもちろん大量生産には優れた工業力が不可欠であり、必然的に自国で第一級クラスの戦車の開発・生産を行い得るのは、世界有数の工業先進国に限られている。
そのために戦車配備を欲しながらも工業力に乏しい国はそれらの国から戦車を輸入せざるを得ず、同時に戦車生産国は輸出による外貨獲得と共に、生産数を増やす事で量産効果による調達価格の低減を図ろうとする。あるいは企業が輸出専用の車輌開発を行う場合もある。中には、国内の企業が開発した車輌と他国の車輌とを比較検討した結果、他国製の輸入に決まる場合もあれば、逆にイランへの輸出用に開発したものの革命でキャンセルされ、開発企業救済のために本国イギリス陸軍に採用されたチャレンジャーの例もある。一方で日本やイスラエルの様に、防衛上の方針や政治的制約から価格面のリスクを覚悟で輸出入を行わずに国内での生産・使用に限るケースもある。また西側標準となったL7ライフル砲やラインメタル120mm滑腔砲の様に、一部装備のみの輸出入やライセンス生産が行われる事も多い。
逆に戦車の性能は、開発国の工業力を推し量るバロメータであると言え、それが戦争の結果を左右する事もある。第二次世界大戦中、ドイツは同国ならではの優れた機械技術でティーガー、パンターなどの強力な戦車を開発したが、あまりに複雑な構造故に生産性・信頼性は非常に悪く、稼働率が上げられず能力相応の戦果を得る事がなかなか出来なかった。対するアメリカは、得意の大量生産技術を生かして、M4シャーマンの様にシンプルで個々の性能では劣るが生産性・信頼性の高い車輌を大量に生産し、物量でドイツ軍戦車を圧倒する事で連合国の勝利に大きく貢献したのである。
近年は冷戦終結による軍事費削減や戦車の世代交代停滞による技術の普遍化、経済のグローバル化などに伴い、ますます国内外問わずコストパフォーマンスの高い製品が優先されるようになり、また中古・余剰車輌の輸出入や武装・装甲などのアップデートキットの開発なども盛んになっている。戦車の車体や走行装置などを派生車輌に使用する例は前述のように昔からよくみられたが、近年ではそれをさらに推し進め、開発の時点でファミリー化やモジュール化によりコンポーネント共用を極限まで高め、生産コストを抑えると共にセットでの売り込みを図る例も見られる。加えて装輪装甲車が不整地走破能力などの性能向上や市街戦の増加などで戦車などの装軌式車輌の一部を置換する動きがあり、戦車・装甲車共に第三世界諸国を中心に新規メーカーも多く参入するなど、従来の戦車製造国・企業にとって状況は厳しい物となっている。
戦車の構造
主要な装備

- 走行装置:戦車は無限軌道(履帯、商標名でキャタピラ)で走行する。起動輪と誘導輪があるのは共通だが、転輪には様々な形が存在する。普通は一列に並べてあるが、かつてのドイツ重戦車の場合、転輪が千鳥型に二重になっていたり、三重に並べたり、荷重を分散するようにしていた。ただし保守が困難な上、手間の割に効果的とは言えなかったため第二次世界大戦後は、そのような形式は採用されていない。転輪には騒音と振動を軽減する目的で周辺にゴム製のソリッドタイヤを装着するが、ゴム資源が不足していた第二次世界大戦中のドイツ・ソ連では、転輪内部や車軸にゴムを内蔵したり、やむを得ず全くゴムを用いない鋼製転輪を使用する場合もあった(イスラエルの戦車は砂漠でゴムタイヤの破損が激しい為に一部に完全鋼製転輪を使用している)。
- 主砲:1970年代末以降の主力戦車では120mmクラスの滑腔砲が採用されることが多い。加えて射撃統制に環境センサーとコンピュータの組み合わせを用いることで、あらゆる条件下での精密射撃を可能にしている。射撃時の反動を抑えると共に、砲身後退量を抑えて砲塔を小さく済ませるため、油圧により反動を吸収する駐退器が備えられている。以前は砲口にマズルブレーキを装備した物が多かったが、APFSDS弾の装弾筒が引っかかるため最近の車輌では見られない。先端近くに砲身の歪みをレーザー計測する反射体が取り付けられているものが多い。また中東・アフリカなどの高温地域で運用される車輌には、主砲身に熱による歪みを防ぐサーマル・ジャケット(遮熱カバー)の装着が見られる。
- サスペンション:初めて実戦投入されたMk.I戦車にはサスペンションは存在しなかったが、その後におけるサスペンション形式はさまざまで、スプリングの種類も、リーフスプリング、コイルスプリング、渦巻きスプリング、クリスティー式(コイルスプリングと大型転輪の組み合わせ)、横置きトーションバー、縦置きトーションバーなどがある。現用戦車では主に横置きトーションバーが採用されている。スウェーデンのStrv.103は前後左右の油圧を変える事で車体の角度を変えられる油気圧(ハイドロニューマチック)式サスペンションを史上初めて実用装備した。陸上自衛隊の74式戦車も同様の油気圧式サスペンションを採用しているが、この機能は地形を利用した待ち伏せ砲撃に有利であり、専守防衛を旨とする両国の防衛策に適していたと言える。また、90式戦車や韓国のK1は横置きトーションバー式と油気圧式を混合装備している。いくらエンジン出力の大きな車両でも、サスペンションの性能が悪ければ車体や乗員の負担が大きくなり十分な機動性は発揮できず、逆にエンジンが非力であっても、サスペンションの改良により機動性を向上させる事が可能である。
- 発煙弾発射機(スモーク・ディスチャージャー):多くの戦車で見られ、防御戦闘時に敵の視界を遮ったり、随伴歩兵の進撃を支援したり、ミサイル防御に用いられたりと用途は様々である。一部の車輌には、エンジン排気に燃料を吹き付けて煙幕を発生させる機構を装備する物もある。
- 砲塔:第一次世界大戦で登場した極初期の戦車は、車体に火砲を直接搭載したり車体左右の張り出しに搭載していたが、第一次世界大戦末期にフランスで開発されたルノーFT戦車が、車体上部に360度旋回する砲塔を世界で最初に搭載した。死角を減らしたこの設計思想を持つ同戦車は、それ以降のほとんどの近代戦車の原型となった。第二次世界大戦に入るまでは複数の砲塔を持つ多砲塔戦車もあったが、非効率性や高コストが明らかとなり、360度旋廻可能な砲塔一基を持つものが主流となった。砲塔前部には主砲が装備され、後部は弾薬庫として使用されることも多い。砲塔内には車長、砲撃手、装填手の座席があることが多い。第二次世界大戦前半までは全てを車長一人が行うものや二人で行うものも存在したが、車長が戦闘指揮に専念できる三人用砲搭が一般化した。車体同様リベット留めの問題があり、現在では溶接式か鋳造式が用いられている。戦車の中で最も被弾率の高い部位であり、なるべく形状を低く抑える事が望ましいが、T-62ではそのために主砲の俯角がほとんど取れず、中東戦争では地形を利用した伏せ撃ち射撃ができず却って撃破されてしまった事例がある。
- エンジン:通常は被弾による損傷を防ぐために車体後部にあり、現在では多くの戦車がディーゼルエンジンを搭載する。ヘリコプターのものから発展した加速性に優れるガスタービンエンジン装備の戦車もあるが、燃費が非常に悪い上に技術的ハードルも高い。かつてはガソリンエンジンが使われることも多かったが、被弾時に引火・爆発しやすいため、第二次世界大戦後は次第に使われなくなった(ディーゼルエンジンもガソリンに比べると軽油は引火性が低いというだけで、被弾時に引火・爆発しない訳ではない)。戦車用エンジンは開発が難しいため、第二次世界大戦時には航空機用エンジンをデチューンした物で代替することもあった。大戦中の戦車の多くは車体後部のエンジンからドライブシャフトで前部の変速機に動力伝達する前輪駆動であったが、戦後はエンジンと変速機が直結した後輪駆動が主流となっている。一方でイスラエルのメルカバやスウェーデンのStrv.103の様に、乗員保護を優先してあえてエンジン・変速機を車体前方に配して装甲の一部としている例もある。西側の戦後戦車の多くは、現場でエンジンデッキを開放してエンジンや変速機を迅速交換できるパワーパック構造になっているが、東側戦車はそうした配慮は行われていない。
- キューポラ(司令塔):車長や装填手の外部視認用に砲塔上面に設けられた円筒の突起。防弾ガラスごしに直接覗くタイプや、ペリスコープで間接的に見るタイプ等がある。物によっては機関銃が装備してあり、同軸機銃や車体前部の機銃と共に、周囲の歩兵に対する攻撃や対空用として使用される。特にイスラエル軍では対人用として機銃が増設されることが多く、反面少しでも車高を抑えるためキューポラを装備しなかったメルカバのような例もある。また同軍では直接目視による外部状況確認を徹底しており、メルカバ、マガフ、ショットでは車長用ハッチを僅かに持ち上げて眼部以外の暴露を避けた視察が可能な機構が組み込まれている。
- 同軸機銃:主砲の横に並べる形で装備される機関銃で、非装甲の敵歩兵や敵火点(機関銃などを備えた陣地)への掃射に用いられる。この同軸機銃を、主砲発射に先んじて射撃しその着弾を見て照準する、スポッティングライフルとしての利用が考慮されている場合もある。
- 車体:強固な装甲で守られている。初期の戦車においては当時の溶接技術が低かったため、装甲板がリベット留めされた車体が大半であった。しかし、被弾時に千切れたリベットが車内を跳ね回り、乗員が死傷する事故が相次いだ。また、近くでの爆発による衝撃波にももろく、装甲板がバラバラになることもあった。第二次大戦前のフランス戦車には分割された溶接車体をボルトで接合した物もあったが、貫通しなくても被弾の衝撃でボルトが折損し装甲が脱落することがあった。そのため点ではなく線で接合される溶接式か一体鋳造式、または鋳造部品の溶接接合で製造されるようになった。現代の主力戦闘戦車においては、複数の装甲材をサンドウィッチ状に重ね、防御力の向上を狙った複合装甲が主流である。これは車体や砲塔の前面等の主要部に用いられるが重量があり、1990年代以降の主力戦闘戦車の総重量は50-70t 程度であることが多く、これに対して1000-1500馬力級のエンジンで機動性を確保している。
- 操縦席:車体前部にあり、普通の自動車同様、アクセル・ブレーキ・クラッチで操縦する。車体の操行は左右のレバーを引く古い方式(乾式クラッチ式からシンクロメッシュ方式まで様々)と、自動車やバイクのようなハンドルを用いるオートマチック式がある。戦闘中の視界は、かつては小さな覗視孔付きの小窓から直接覗くしかなかったが、その後ペリスコープや最近ではTVカメラによる間接視認法が用いられている。
その他
- 弾薬庫:初期の戦車では砲弾は車体側面・砲塔後部・床下・砲塔バスケット周囲など、詰め込めるだけ詰め込まれ、被弾時の砲弾の誘爆に関してあまり考慮されていなかったが、第二次世界大戦時のM4中戦車は誘爆が問題となり、ウェット(湿式)弾薬庫を採用した。しかし、誘爆を根絶するには至らなかった。現代の西側戦車は砲塔後部に砲弾を格納することが多いが、これは被弾によって内部の弾薬が誘爆した際に爆圧で上面の装甲が比較的早期に吹き飛ぶことで内部への被害を最小にするように開発された「ブローオフパネル方式」になっていて、弾薬庫と戦闘室とは隔壁で仕切られ、1発の砲弾装填ごとに小さなドアが開け閉めされるものが多い。ソ連戦車は自動装填装置が装填し易い様に砲弾を砲塔基部を取り囲むように配置しているが、被弾時の誘爆で被害が拡大する場合が多く、チョールヌィイ・オリョールのように西側同様の方式に改造された試作車もある。
- 自動装填装置:射手の選択指示に従って、装填手に代わり自動装填装置が砲弾を弾薬庫から受け取り、主砲へ自動的に装填する。人間の占有スペースが削減出来、人的損耗や給餌等の補給、人件費や教育訓練の負担等が軽く出来るが、故障リスク増大や人的冗長性の低下、戦闘時以外での保守整備と警備人員の減員が問題となるため、早計に機械化が有利とは決められない。一方で、装填速度も錬度の高い装填手であれば数発までは同等の速度が可能だが、荒地での走行間射撃や長い連続発射時には差が生まれる。1人の装填手が扱える一体化砲弾カートリッジは現用の120mm弾や125mm弾までが上限であるといわれており、これを越える140mmや152mmといった砲弾は発射薬が分離されるか、完全に自動装填装置によって扱われる必要がある。現代型の戦車では完全自動の装填装置でなくとも半自動で装填手の負担を軽減する装置が搭載される。被弾時の火災の延焼を避けるため、従来の油圧は避けて電動になる傾向がある[1]。
- ペリスコープ:キューポラなどから頭を出し直接視認するのが危険な戦闘中は、鏡を組み合わせたペリスコープから視認する。固定式のものを複数環状に配置し全方位を監視できる物や、それ自体が回転する物もある。更に最近では、車体各部のTVカメラの映像を処理して全周の外景を映し出す画像システムや、銃声から敵の位置を特定するシステムも開発されている。
- 近接防御兵器:各々の戦車が独力で歩兵を排除するために、砲塔などに車内から装填・発射できる擲弾筒を装備する例もある。一例として第二次世界大戦時のドイツ軍戦車の一部は“Sマイン”と呼ばれる対人地雷を射出することが出来た。これが車体上方で爆発すると大量の金属球を撒き散らし、付近の敵兵を殺傷する。また、近接防御兵器とは別に、かつては戦車の各部にピストルポートと呼ばれる、拳銃やサブマシンガンを撃つための穴が設けられることもあった(もちろん、撃つとき以外は閉められる形式が主流)。最近の車両では、市街戦対策としてRWS(Remote Weapon System)と呼ばれる遠隔操作式の銃座を備え、車内から安全に対人機銃などを操作できる様になっている物がある。またイスラエルのメルカバは砲塔に迫撃砲を装備しており、特にMk.II以降は車内からの装填が可能になった。
- 砲塔バスケット:砲塔下に吊り下げられた「かご」状の構造。これがあると、床(プラットフォーム)に装填手が立つことで砲塔の回転に煩わされることなく装填作業が可能になる。しかし戦車長や砲手は、砲塔に付いた座席に座っているので関係ない。T-34のように床下に砲弾が収納されている戦車や、自動装填装置を備えた戦車には付いていない。またT-64、T-72、T-80などはここに弾薬が環状に置かれており、やはり自動装填なので装填手が立つためのプラットフォームは無い。
- OVM(車外装備品):予備の覆帯や牽引用のシャックル・ワイアー、ハンマー、ピッケル、シャベル、消火器、雨よけシート、テントなどを車体外部に付けていることが多い。整備・修理に用いるジャッキや履帯張度調節器、工具も重要である。第二次世界大戦時のドイツ戦車の砲塔後部にはゲペックカステン(Gepäk Kasten)と呼ばれる用具箱がつけられており、中に工具などが入れられていた。ソ連/ロシア戦車では悪路脱出用の丸太と多用途の防水シートが標準装備されている。予備履帯は防御上の効果を狙って、車体前面や砲塔側面にびっしりと取り付けられる場合があった。
- ウインカー:戦後の日本・ドイツ・イギリス・フランスなどの戦車には、一般道路走行用のウインカーが装備されている。
- バイザー:ドイツ戦車では「クラッペ」と呼ばれる、外部を視察するための直接視認型の覗き窓。単なる小ハッチである物や、銃弾や弾片が飛び込まないように細く空いたスリットから覗く物や、そこに防弾ガラスをはめ込んだ物がある。構造上被弾に弱いため、第二次大戦中には多くが間接視認型のペリスコープへと移行し、現在では軽装甲車輌にのみ使われている。
- 床下脱出口:戦闘下、車上から脱出するのは極めて危険である。この為、車体底面に脱出口が設けられる場合があった。ただし、これには車体底面と地面との間に十分なクリアランスがあることが必要である。また、トーションバー・サスペンションを採用している車輌では床下に横棒が通る構造上、脱出口の設置位置に制限がある。近年の戦車では地雷に対する下部の装甲強化の為に持たないものが多い。イスラエルのメルカバ戦車では車体後部に乗降ハッチが設けられており、乗員の脱出や弾薬補給に有利である。
- 換気装置:戦車砲弾は発砲時に煙と一酸化炭素などの有毒ガスが発生し、排莢時に砲身から戦闘室内へこの発射ガスが逆流しないようエバキュエータ(排煙器)と呼ばれる空洞部が砲身に取り付けられている。また、戦車内の汚濁した大気を効率的に車外に排気し、搭乗員の戦闘に支障が出ないようにするために換気装置が設けられている。第二次世界大戦までの戦車は単に換気扇で排気するだけであったが、冷戦下、核戦争下や化学戦下でも作戦を実行できるように、核物質や毒ガスを除去できる空気清浄装置を備えた換気装置を標準装備するようになる。
- 自動消火装置:戦闘室やエンジン室に取り付けられ、被弾時の延焼拡大を防ぐ。
- 補助燃料タンク:車内に置ける油槽には限界があり、車体側面・後部に補助燃料タンクが接続される物もある。これらは中身が引火点の高いディーゼル燃料であっても、榴弾の爆発の高温では着火し、装備位置によっては車体にかかり延焼して危険であるため、非常時や戦闘時のために車内から操作して投棄可能なものが多い。戦後のソ連製戦車の場合、フェンダー上などにも露出した固定式の燃料タンクが搭載された物が多いが、中東戦争ではこれらに着火してしまうケースが実際に多かった。また第二次大戦中に燃料補給の利便化のためにジェリカンが発明され、補助タンク代わりに車体外部に大量に搭載している例も見られた。
- 迷彩塗装:初期の戦車はその存在を誇示して敵兵に脅威を与えるのも大きな目的だったが、対戦車兵器の登場と共に隠密性が求められるようになり迷彩が施される様になった。現地の風土や植生に適合した色やパターンが求められるため、塗装が不適合だった場合は現地であり合わせの材料で応急的に迷彩が施される事もある。また冬期には石灰や水性塗料などを用いて一時的に白色迷彩が施される事が多い。近年は低強度紛争(LIC)の増加を受けて、市街地戦闘で有効な迷彩の研究が進められている。
- 潜水筒:74式戦車やレオパルド1、T-62など一部の戦車は、河川を潜水して渡るために、キューポラや吸排気口に装着する潜水筒が用意されているが、装脱着に時間がかかる事や浸水などのトラブルが多かった。すべての車輌に使用頻度の少ない渡河器材を装備することの非効率性もあり、現在では架橋車両を用いる事が多い。
- てすり:装甲兵員輸送車を作る余裕のなかった第二次世界大戦中のソ連の戦車・自走砲は、車体や砲塔に手すりを付けて跨乗歩兵(タンクデサント)を輸送した。彼らは当然無防備で、また戦車は戦場では最優先破壊目標なのであらゆる火器の十字砲火を受けるため死傷率が高く(訓練2週間・平均寿命4週間(!)と言われる)、実質懲罰部隊であった。しかし見た目は勇ましいので、戦後も東側のプロパガンダ映像によく登場した。これ以外にも戦車への乗降用に設置された手すりもあり、現地改造で追加されたものも見られる。
- ツィメリット・コーティング:(ツィンメリットと表記される場合もある)第二次世界大戦において磁力吸着地雷を使用したドイツ軍は、同様の兵器への対策として一時期ツィメリット剤の塗付を行ったが、連合軍は磁力吸着地雷を使用せず、生産の手間や重量を増加させるだけだったので大戦末期には廃止された。重量軽減や剥離防止の為に独特のパターンが刻まれており、大戦後期のドイツ戦車の表面がギザギザして見えるのはこのためである。「セメントコーティング」ともいわれるが、実態は硫酸バリウムにおがくずや黄土顔料を混ぜたものである。なお、ツィメリット(またはツィンメリット)とはこの塗料(?)を開発した会社の名前である。
- トラベリング・ロック:移動・輸送中に主砲身を固定して、振動による破損・故障を防ぐ為の支持架。一般に車体後部に位置しており、砲塔を後ろ向きにして固定する形式の車両が多い。
- ヴェトロニクス(Vetronics):近年は戦車にも高度な電子機器が装備されるようになり、航空機のアビオニクスに倣ってVehicleとElectronicsの合成語でヴェトロニクスと呼称されている。主な物に、動力系制御機器や火器管制装置、GPSや敵味方識別装置、通信・情報共有システムや攻撃警戒システムなどがある。
- タンクトランスポーター(戦車運搬車):戦車の走行装置は不整地の走破能力に特化しているため、長距離の自走移動は故障を誘発し戦場への到着を遅らせる。そのため、長距離移動には「タンクトランスポーター」と呼ばれる専用の大型トレーラーで輸送される事が多い。また鉄道による輸送も行われる。
戦車の火力
従来からの「戦車の敵は戦車」という考え方から、主火器はこれを撃破するための装備となる。これに加えて対人および対空火器として機関銃などの副火器を装備する。主火器には現在、対戦車砲が主に装備され、補助として対戦車ミサイルが使用される場合もある。車内から砲口を通して対戦車ミサイルが発射可能なガン・ランチャーも用いられたが、現在は通常の戦車砲から発射可能な対戦車ミサイルも開発されている。
主砲に使用される弾薬であるが、攻撃する対象により弾種が選択される。
硬目標に対しては、運動エネルギーによって装甲を貫徹するAP(徹甲弾)とその各種発展型、現代ではダーツのような細長い弾芯を持ち貫通力を高めたAPFSDS(装弾筒付翼安定徹甲弾)炸裂時の衝撃によって目標の内部を破壊するHESH(粘着榴弾)、モンロー/ノイマン効果を狙ったHEAT(成形炸薬弾)(対戦車榴弾)が使用される。
軟目標に対しては伝統的な榴弾と共に、成形炸薬弾も使用される。対人用としては、副火器として装備される主砲同軸機銃や砲塔の上に搭載された機関銃も使用する。
砲戦距離は地形条件により変化するが、1967年のゴラン高原での戦車戦では900mから1,100mの射程で戦闘が行われており、ヨーロッパでは2,000m程度で生起する想定がされている。一般に、1,000〜3,000mの距離で敵戦車と対峙した場合、三発以内で命中させないと相手に撃破されると言われているが、そのためには主砲の発射速度は毎分15発程度が求められる。装填は今なお人の手で行われることが多いが、人力で円滑な装填動作を行うには砲弾重量は20kg程度が限界とされており、近年では自動装填装置により装填が自動化されている戦車もある。また車内への砲弾の搬入は多くは砲塔上の装填手用ハッチから行われるが、労力軽減のため砲塔側面や車体に搬入口や自動装填装置の給弾口を設けている車輌もある。
一時期は火炎放射機能を有する戦車も存在したが、被弾した際の引火のリスクが高い為に採用されなくなった。
戦車の乗員
通常は車輌を指揮する車長、運転を行う操縦手、主砲の照準・射撃を行う砲手、装填・排莢を行う装填手の4名である。初期はこれに通信を担当する無線手が加わっていたが、無線機が進歩して車長が自分で扱える様になると廃された。また車体に前方機銃を備えた車輌では、操縦手の隣に副操縦手(または無線手)兼機銃手が配置されていた。また第一次世界大戦の戦車などでは、エンジンルームとの仕切りが無く走行中でも点検できたこともあり、機関手も乗っていた。
最近は自動装填装置の導入により装填手を廃する方向に進んでいるが、整備や履帯交換、塹壕構築などの非乗務作業を考慮すると3人では少なすぎるとの意見もある。イスラエル陸軍では戦訓により「戦車を守るには最低4人必要」としている。
車外活動や脱出後のために全員が拳銃を持つことが多い。また、車内に短機関銃やカービン銃、手榴弾が装備されている。通常これらは標準装備として内壁に固定されている。第二次世界大戦において車輌放棄時に余裕があれば、車体据え付けの機関銃を外して出ることもあった。アメリカ軍などは戦車に三脚を装備していた。日本でも、車輌放棄後は機関銃を持ち出し、臨時機関銃隊として歩兵戦闘に加入することもあった。また、旧日本陸軍では士官などが個人的に軍刀を持ち込むこともあった。
戦車兵の軍服は狭い車内で活動するため、他の兵科より裾を短くするなど、引っかからないように工夫されている。第二次世界大戦後になるとつなぎタイプの軍服を採用する軍隊が多数を占めるようになる。さらに破片などから身を護るために上から防弾チョッキを着用する事も多い。また戦闘帽は、単なるベレー帽や略帽を着用する場合も多かったが、頭部を保護するためのパットが内蔵されているものも多い。またヘルメットの場合、車内装備やヘッドホンに引っかからないように、縁が切り落とされているものもあった。車内はエンジン音や履帯の走行音などで騒がしいため、耳の保護と通話のためのヘッドホンを装着していることが多い。通話用には手持ち式のマイクや、ヘッドホンと一体化したインターコム式、喉に当て振動を拾って音声化するタコホーン式などがある。第二次大戦後の戦車では、車体後部に外付けされた通話器で、随伴歩兵が乗員と通話できる様になっているものも多い。
戦車の装甲