戸田氏 とは?ページ内リンク ↓ウィキペディア(Wikipedia)記事 ↓Yahoo!知恵袋戸田氏(とだし) 出典: 『ウィキペディア(Wikipedia)』 関連商品
成迫 政則 /
最安値(新品): ¥ 1,785
最安値(中古): ¥ 1,500
|
目次 |
森頼定から数えて12代目 森可秀の末男 成恒の次男、直高外家の号を冒し、戸田姓を称する。家紋は鶴丸に六星。子孫は旗本。鶴丸は本来、森氏の家紋。六星は三河戸田氏の家紋であることから、三河戸田氏の家号を冒したものか。なお、戸田直高は森三左衛門可成の又従兄弟にあたる。(可秀嫡男 森越後守可行の子が森可成)
可秀以前は森氏の項を見よ。
森越後守可秀-森越後守成恒-戸田主計直高-戸田嘉兵衛高善-戸田平八郎高畳-戸田頼母高猶…
戸田氏 森頼定の十男・戸田信義の子孫。家紋は六星。松本藩主となる宗家は六星以外に徳川将軍家拝領紋である三つ葉葵が許されていた。大垣藩主の系統を引く一族は六星ではなく、九曜の紋を用いた。
三河国の戸田氏ははじめ尾張国海部郡戸田(愛知県名古屋市中川区戸田(旧、海部郡富田町大字戸田)一帯)、後に三河国渥美郡二連木城(愛知県豊橋市)や田原城(愛知県田原市)に拠った国人領主であった。朝倉川南岸の二連木城(現在、大口公園)や愛知県田原市をはじめとする渥美郡一帯を(渥美半島のみならず豊橋市の朝倉川の南岸までは渥美郡である)支配した。宗光(全久)以降、戦国武将として活躍した。もともとは松平氏とは対等の関係にあったが、やがてその家臣に組み込まれ江戸時代は譜代大名や高家、旗本、親藩の家老など有力家臣として活躍する武将を多く輩出した。戸田氏の嫡流は徳川家康の異父妹と婚姻して松平姓を授けられた松平康長以降、松平丹波守の称号を継承し、葵の紋所を許されるなど江戸幕府より厚遇された。嫡流は主に松本藩(松本城参照。)を与えられている。支流には主に宇都宮藩として七万石を与えられていた光忠系、主に美濃国大垣藩主として美濃に十万石を許されていた一西系など戸田氏だけで6家の譜代大名を輩出する。その他、幕臣つまり高家や旗本として活躍する子孫や、甲州藩、水戸藩に仕える子孫も輩出する。
開発領主の血筋と見られる。
別の資料では、清和源氏の流れである河内源氏の棟梁、鎮守府将軍・八幡太郎源義家の血筋といわれている。宗光(全久)の父綱光が正親町三条家(藤原氏の傍流)より養子に入る。
清和源氏以来の系譜(それ以前は天皇の一覧参照。)
人皇第56代清和天皇―57代陽成天皇―三品弾正尹式部卿宮元平親王―贈正一位鎮守府将軍経基王(賜源朝臣姓)―贈正一位鎮守府将軍多田新発地満仲―贈従二位鎮守府将軍源頼信―贈正三位鎮守府将軍源頼義―贈正三位八幡太郎義家―陸奥七郎義隆(源姓毛利氏の祖)―若槻伊豆守従五位下頼隆(若槻氏の祖)―安嘉門院判官代正五位下森伊豆守二郎頼定(森氏の祖)―戸田伊豆守従五位下左衛門尉十郎信義(戸田氏の祖)―戸田彦太郎義成=戸田孫二郎頼重(弟)=戸田十郎義房(弟)―戸田十郎頼方―戸田十郎頼房―戸田弾正忠宗忠―戸田三郎綱光―戸田弾正左衛門宗光(全久)―戸田弾正忠憲光―戸田左近丞政光―戸田弾正少弼康光(徳川家康の継母の父)
尾張国海部郡戸田庄発祥。鎌倉時代の建保年間には、源義家五世孫の戸田十郎信義が御家人として同地の地頭となった旨が当時の記録から確認できる。
南北朝時代は戸田弾正忠宗忠という武将が、南朝に属して信濃宮宗良親王に供奉し、信濃を転戦したという記録が残されている。その後、宗忠は族党を率いて信濃国大河内城を出て、尾張国海部郡に至ったとあり、旧領に帰参したものと考えられる。室町時代は幕府政所執事の伊勢氏の被官であった豪族として確認されている。戸田宗光(全久)は、文安年間(1444年~1449年)に代官を務める碧海郡上野(愛知県豊田市)に上野の古城を築城するという。文明7年(1475年)には戸田宗光が、三河国渥美郡大津村(大津城)に入った。さらに、文明11年(1479年)には田原に入って、旧領主 一色七郎を追って大草に隠居させた。応仁の乱の折には松平氏(後の徳川氏)とともに東軍に味方して勢力を広げ一族の支配基盤を確立していった。
応永年間には田原城をはじめ、その後も上野城、朝倉川南岸の二連木城などを築城するなど渥美郡での勢力基盤を固めていった。室町時代を通して三河国の守護は足利氏一門である一色氏・細川氏を経て吉良氏が務めてきたが、守護の支配力は弱体化していく。その一方、戦国時代初期には、独自路線を歩む渥美の戸田氏に今川氏との協調路線を歩む宝飯郡の牧野氏が対抗。今橋城の争奪戦に代表される、両氏による度重なる争いが繰り広げられると、これに西三河の雄・松平氏が絡むという、三つ巴の拮抗状態に陥っていく。やがて、同国における松平氏の台頭が顕著になるにつれ、戸田憲光は駿河守護の今川氏との関係を凍結し、一時的に松平氏の配下となるなど戸田氏は、今川氏や尾張の織田氏・松平氏の勢力の中で従属先を変転していった。
戸田氏の運命が大きく揺れたのは、松平氏の勢力が弱まった戦国中期である。戸田氏や牧野氏を抑え、三河を統一しかけていた松平清康の急死により、同氏の隆盛には陰りが見えはじめていた。清康の跡を継いでいた松平広忠は織田氏の圧迫を受け、嫡男の竹千代(後の徳川家康)を今川氏の人質に出すことを条件に後援を申し入れていた。この時、竹千代の今川領・駿河国までの護衛を命じられていたのが戸田氏である。護衛役を命ぜられた戸田家の当主・戸田康光は、三河における今川方の有力な戦国武将であったが先年今川義元に一門の戸田宣成が滅ぼされたことを深く恨み、同じ末路をたどることを恐れて尾張の織田氏に寝返ろうとした。康光は竹千代を駿河に送ると見せかけ、今川氏の仇敵・織田氏に届けたため、今川氏の追討を受け康光・尭光は討ち死にした。分家して仁連木戸田家を立てていた康光次男・宣光は今川方について、その命脈を保ち宣光及びその嫡流をもって戸田宗家となす。今川家により陥落された戸田家重代の居城 田原城は故康光の弟 光忠が回復して田原戸田家の初代となるが、織田信長の家臣・水野信近と合戦して敗死し、田原戸田家もまた滅亡した。
今川義元が上洛を目指して大軍を催して尾張に侵攻するものの、桶狭間の合戦にて織田信長に討たれた。その後、義元嫡男・今川氏真は愚鈍なるが故に、配下であった徳川家康の独立を許し、かつての今川の支配勢力を大きく損なった。そんな中、宜光の跡を継ぎ仁連木城主となっていた重貞は氏真を見限るや、徳川家に従属して東三河の国人に対して徳川に味方する様に周旋するものの、今川方の吉田城を攻略の途上にて討ち死にした。重貞には子がなかった為、家康は重貞弟・戸田忠重の子・康長を以って跡目となした。伯父同様、父・戸田忠重も徳川家に仕え功ある武将であったが早くに没した為、不憫に思った家康は康長をして所領を与え、異父妹の婿となし松平姓を授けた。一方、かつて田原戸田家を興した康光弟 光忠の子・戸田忠次は父の討ち死にの後、落魄し、三河一向一揆に加わっていたが、一揆軍が徳川氏と争った折は、一揆勢のうちに忠次がかつて徳川家と数代にわたって縁戚及び主従関係にあったことから、内通を疑われ、ついに忠次は徳川方に寝返って一揆鎮圧に功を挙げた。これにより光忠にはじまる田原戸田家も名跡を回復し以降、戸田氏は仁連木戸田家(戸田宗家)、田原戸田家ともども徳川家の譜代家臣として、重要な役割を果たすこととなった。田原戸田家は江戸幕府開府以降、当主の中から幾度と老中を輩出するなど重要な役割を果たした。また、戸田氏には支藩・支族ことの他多く、高家、旗本、甲州藩主徳川家や、水戸藩など親藩の重臣を輩出した。
爵位
※それ以前は天皇の一覧を見よ。
田原戸田家(戸田康光弟・戸田光忠流)歴代当主。下野国宇都宮藩主。
高徳戸田家(田原戸田家傍系)歴代当主。下野国高徳藩主。
足利戸田家(田原戸田家傍系)歴代当主。下野国足利藩主。
別家 大垣戸田家歴代当主。美濃国大垣藩主。
別家 畑ヶ村戸田家(大垣戸田家傍系)歴代当主。美濃国大垣新田藩主。
勝則流戸田家
六条家支流戸田家(大垣戸田家遠祖・戸田一西の子・為春の跡を冒す)幕府高家。血筋は村上源氏六条家の家柄。
深坂戸田家
その他
大垣戸田家支流
戸田三衛門家(宗家・仁連木戸田家傍系) 水戸藩士
子孫不詳。
戸田十衛門家(宗家・仁連木戸田家傍系) 松平式部大輔(榊原家)に仕官。
子孫不詳。
河和戸田家 尾張藩士
子孫在別。
戸田権太夫家
子孫不詳
通称・外記。戸田家14世孫、大垣藩祖・戸田氏鉄の七男・権太夫利鉄の次男戸田小七郎が入嗣する。
氏鉄の四男、五郎左衛門氏頼を初代とする。子孫に五郎左衛門義頼、頼及(戸田睡翁)がいる。
戸田与五右衛門家
品川城主・戸田家
子孫不詳。
波上戸田家
子孫在別。
※〔世代数〕戸田康光以降に分裂した戸田家では嫡流を仁連木戸田家、支流を田原戸田家とするが、田原戸田家は分家故にその初代である光忠をもって初代として数える。仁連木戸田家はあくまで戸田康光の後継として家を存続しており、戸田家初代 信義を初代として数える。なお、戸田氏の項及び、戸田一門の項では、当主の代数のみならず、嫡流支流に関わらず戸田家の家祖 信義からの世数をも記した。さらに宣光の孫・康長は戸田宗家(仁連木戸田家)を継ぐが、家康より松平姓を授けられることを以って康長とその子孫を戸田松平家という。よって、戸田松平家代々の当主には、戸田信義以来の代数とともに、康長を初代とする戸田松平家の代数をも記す。なお、同じ兄弟といえども兄弟間に養子縁組がある場合は養子となった兄弟の代数はあくまで兄の子の代数にて記す。
凡例 実子は太線、養子は細線。 戸田信義 ┣━━━┳━━━┓ 義成 頼重 義房 ┃ 頼方 ┃ 頼房 ┃ 宗忠 ┃ 綱光 ┃ 宗光 ┏━━━━━━━┻━━━┓ 憲光 家次 ┣━━━━━━━┳━━━━━━━━━━━━━━┓ 政光 宣成 氏一 ┣━━━━━━━━━━━━━━━┓ 下の別家系図へ 康光 光忠 ┣━━━┳━━━┓ ┃ 尭光 宣光 松平広忠継室 忠次 ┏━━━╋━━━┓ ┃ 重貞 忠重 重政 尊次 ┃ ┣━━━┓ 康長 忠能 忠次 ┏━━━╋━━━┓ ┣━━━━━━━━━━━━━━━━━━┓ 永兼 忠光 庸直 忠昌 忠時 ┃ ┏━━━╋━━━━━━┓ ┣━━━┓ 光重 秋元喬知 忠真 忠章 忠勝 忠囿 ┃ ┃ ┣━━━━━━━━┓ ┃ 光永 忠久 忠余 忠胤 忠位 ┃ ┏━━━┳━━╋━━━┓ ┃ ┃ 光煕 秋元喬求 忠盈 忠寛 木下俊胤 忠諏 忠言 ┏━━━╋━━━┓ ┣━━━━━┓ ┣━━┓ ┣━━┓ 光慈 光清 光雄 忠翰 忠舜 忠従 氏宥 忠如 忠喬 ┃ ┣━━━┳━━━┓ ┏━━┫ ┃ ┃ ┣━━┓ 光為 光徳 光和 光悌 忠延 忠温 忠至 忠偲 忠居 忠禄 ┃ ┃ ┏━━╋━━┓ ┃ ┃ ┃ 光行 光年 忠明 忠文 忠恕 忠綱 忠友 忠行 ┃ ┃ ┃ ┃ ┃ 光庸 光領 忠義 忠庸 忠雄 ┏━━━╋━━━┳━━━┓ ┃ ┃ ┃ 小笠原長国 光則 内藤政恒 松平康載 忠粛 忠和 忠孝 ┣━━━┓ ┃ ┃ 康泰 氏懿 忠邦 忠武 ┃ ┃ 康保 氏徳 ┃ ┃ 康英 氏昌 | 英冠
凡例 実子は太線、養子は細線。 宗光 ┃ 憲光 ┣━━━┓ 政光 氏一 ┃ ┃ 康光 氏輝 ┃ ┃ 尭光 氏光 (滅亡) ┃ 一西 ┃ 氏鉄 ┃ 氏信 ┃ 氏西 ┣━━━┓ 氏定 氏成 ┣━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┓ 氏長 氏房 ┃ ┃ 氏英 氏之 | ┃ 氏教 氏養 ┣━━━┳━━━┳━━━━━━━┓ ┃ 氏庸 本多助賢 遠藤胤統 氏綏 氏興 ┣━━━┳━━━┳━━━┓ 氏正 土井利順 堀田正義 北条氏久 ┣━━━┳━━━┓ 氏彬 氏良 氏共 | 氏秀 ┣━━━┓ 氏忠 氏直