政府開発援助 とは?ページ内リンク ↓ウィキペディア(Wikipedia)記事 ↓Yahoo!知恵袋政府開発援助(せいふかいはつえんじょ, 英語:Official Development Assistance, 略称:ODA)は、国際貢献のために先進工業国の政府及び政府機関が発展途上国に対して行う援助や出資のこと。 出典: 『ウィキペディア(Wikipedia)』 関連商品
渡辺 利夫 /
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世界恐慌によって進んだブロック経済による長引く不況や、第二次世界大戦によって混乱した世界経済の安定のため、1944年にブレトン・ウッズ体制(IMF体制)が確立した。そして、1945年12月、戦後の世界の復興と開発のため、国際通貨基金 (IMF) と国際復興開発銀行(IBRD、通称「世界銀行」)が設立される。1947年6月には、欧州復興計画(マーシャル・プラン)の構想が発表される。アメリカの支援によって、ヨーロッパは目覚しい復興を果たす。
オリバー・フランクスによって指摘された先進国と発展途上国の間にある大きな経済格差が問題(南北問題)を発端に、途上国支援のために1960年に国際開発協会(IDA、通称は第二世銀)、1961年に開発援助委員会項目名 (DAC) と立て続けに支援体制が整っていく。1961年、アメリカのケネディ大統領が国連総会演説で先進国の国民所得の1%の移転と、途上国の年率5%の成長を目標とした「開発の10年」を提唱する。
先進国側が直接、発展途上国に有償、無償の資金などを援助する。
日本政府は国連世界食糧計画 (WFP) 、国連開発計画 (UNDP) 、国連児童基金 (UNICEF) 、世界銀行 (IBRD) 、アジア開発銀行 (ADB) などの国際機関に資金を拠出して、多国間援助を行っている。
特に、アジア開発銀行に対する日本の出資比率は16パーセントで第1位であり、歴代総裁は日本の財務官僚が就任している。アジア開発銀行を経由した対中援助は、日本の対中ODAを強力に補完する関係になっていて、1986年から2007年までの間に2兆3000億円の資金援助が行われている。さらに2008年から2011年までの間に5000億円の資金援助が決定している[3]。
ODA大綱とは、政府開発援助(ODA)に関する基本理念や重点事項などを集大成したものである。
1992年、閣議によって決定された。2003年8月に、現在の大綱に改定される。
ODAが貧困な発展途上国であれば、どの国にでも援助できるかといえばそうではない。
援助の選定となる基準と呼ぶべき4原則がある
国際連合憲章の諸原則(特に、主権、平等及び内政不干渉)及び以下の諸点を踏まえ、開発途上国の援助需要、経済社会状況、二国間関係などを総合的に判断の上、ODAを実施するものとする。
(以上、外務省のサイト『政府開発援助大綱』[4]から)
日本は敗戦後の1946年から1951年の間に、アメリカの「占領地域救済政府資金」 (GARIOA) と「占領地域経済復興資金」 (EROA) から約50億ドルのODAが援助された。カナダ、メキシコ、チリ、ブラジル、アルゼンチン、ペルーなどからも生活物資や食料などが援助された。1953年には、世界銀行から多国間援助である有償資金を使用し、東海道新幹線、東名高速道路、黒部川第四発電所などを建設(1990年に完済)。こういった経験から、現在のダム建設などのインフラ整備の日本の政策に重点を置いているとも言われる。
最近のODA実績の推移に関しては[5]参照。
日本がODA大国となった理由として、以下の事由が挙げられる。
日本のODAの問題点として、以下の点がしばしば指摘される。
タイド援助とは、援助国がインフラ整備などの開発プロジェクトなどのODA事業に関して、資材の調達先や服務などの工事事業を日本企業に限定することである。「ひも付き援助」とも言う。事業を請け負う企業(商社・ゼネコン等)と政治家の癒着が問題視されてきた。
1970年代頃、援助される国にはインフラなどが整備されるだけで、援助国(請負企業)の一方的な利益追求によって事業が推進される恐れがあると懸念されていた。 1980年代以降、これらの批判を受け、資材の調達先や工事事業の受注先などを特定しないアンタイド援助が増加していった。現在では、90%後半がアンタイド援助である。日本企業の受注率も、1993年には29%と減少続けている。
いずれも正常なコスト意識がないので、取引そのものが非常に利益率が高く設定され、仲介する個人・業者がいくらでもコミッションを取れる構造で政商、黒幕と呼ばれる人物や政治家が私服を肥やしてきており、それを税金で大盤振る舞いしているのが現状である。
日本のゼネコンや地元の政治家が私腹を肥やす目的でODAによって不必要な施設が作られ、それによって住民が援助ではなく被害を受ける事例が現在でも多々あるとされ、2002年にはインドネシアのコトパンジャンダムの建設によって住処を奪われた住民らが、その正当性を巡って受注したゼネコンと日本政府・JBIC・JICAを東京地裁に提訴するに至り、大きなニュースとなった。
中国やミャンマーなどの非民主的国家に対するODAは、大綱の「開発途上国における民主化の促進、基本的人権及び自由の保障状況に十分注意を払う。」という項目に違反しているという批判がある。
特に中国に対する二国間援助やアジア開発銀行などを経由した多国間援助は、その多くが西部大開発等の少数民族地域のインフラ整備に使われるため、日本の援助が結果としてチベットや新疆ウイグル自治区に対する漢民族の入植を進めることになり、資源の収奪や文化的弾圧を促進しているのではないかという問題提起がなされている[6]。
中国の東シナ海ガス田での採掘、日本のEEZでの無断海洋調査、日本に対する領海侵犯や、繰り返される反日暴動、中国の経済発展、日本の常任理事国入り妨害に向けた途上国の票集めなどの政治工作、アフリカ地域での資源の囲い込みなどが理由で、日本国民の対中ODAに対する反対意見が強まってきたため、日本政府は、中国へのODAに関しては有償資金協力(円借款)と無償資金協力に限り、2008年度の援助を最後に打ち切ることを明らかにしている。これに対して中国側は反発をみせている。
しかし、日本政府は、日本国民向けには対中ODAを削減すると表明する一方で、かわりにアジア開発銀行を経由した対中援助を増加させることで日本の対中ODAを強力に補完させる方針を打ち出している。アジア開発銀行を経由した対中援助は1986年から2007年までの間に2兆3000億円が行われてきたが、さらに2008年から2011年までの間にその金額を増加させた5000億円の資金援助が決定している[7]。
日本は国民総所得(GNI)の数値が高く、GNIの分母が巨大な為、GNIに対する政府開発援助の額は、他国に比べて小さい。一方で2007年現在、国税収入に対する割合では引き続き先進7か国(G7)中1位である。
ODAの委託費を巡る不正流用問題も発覚している。大阪市立環境科学研究所(大阪市天王寺区)に於いて、ODAによる開発途上国途上国からの技術研修員受け入れ事業を巡り、2000-2003年の間に委託費274万円を不正流用していたことが判明している。また、同研究所が、不正流用に関わった職員に対して、厳重注意処分に留め、流用分の返還請求も行っていないことが、問題を大きくしている(ウィキニュース短信より)。
2007年9月26日、ベトナム南部のビンロン(Vinh Long)省で、日本の政府開発援助(ODA)約248億円をかけて建設中の橋が崩落し、作業員など少なくとも52人が死亡、100人以上が負傷する事故があった[1]が、日本国内ではほとんど報道されなかった。これに対して木村外務副大臣が現地を視察、被害者に遺憾の意を示している[2]。 邦人に犠牲者はなく、遺族には各75万円、重傷者に各57万円の一時金が支払われる事となった。
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