
この項目では東京有楽町にあった
日本劇場について記述しています。札幌市にあった同名の映画館については
日本劇場 (札幌市)をご覧ください。
日本劇場(にほんげきじょう、日劇)は、かつて東京都千代田区有楽町に存在した劇場である。「陸の竜宮」と称され、戦後、昭和の芸能界を支えた。再開発により、1981年3月に解体、現在の場所には有楽町センタービル(有楽町マリオン)が建てられることになる。
有楽町センタービルが建てられた後も、東宝の劇場名で日劇という名は映画館として引き継がれている。
概要
もともとは高級映画劇場として開場。当初は日本映画劇場株式会社が経営していたが、経営不振となり、いったん閉場。日活が賃借して映画館となるが、日活も経営に失敗。ついで東宝が賃借して直営、さらに会社そのものを吸収合併。
東宝経営後は基幹劇場の一つとして機能し、終戦後も占領軍へは東京宝塚劇場を提供することで接収を免れる。
戦後は東宝映画と実演の二本立て興行を行い、特に実演は日劇ダンシングチーム(NDT)のレビューと人気歌手のショーが注目を浴びた。とりわけ「日劇の舞台に出る事」が人気芸能人のステータスとなっていた時期があった。昭和30年代はロカビリー旋風に乗り、「ウエスタン・カーニバル」は大盛況となった。
1981年、娯楽の殿堂も老朽化には勝てず、閉鎖。劇場としての歴史は現在の日劇PLEXに繋がっている。
日劇ダンシングチーム
毎年、春・夏・秋の三大おどりを見せ物としていた。 しかし昭和50年代に入り、テレビなどの普及と宝塚歌劇団のようにダンスと劇の2部構成ではなく、踊りのみであったために安定したファンをつかむことができず、団体客でも入らないと客席はガラガラという状態に陥った。 なんとか乗り切るためにミュージカルなども行われたが、結局事態が転向することはなかった。 このためレビュー公演は昭和52年をもって打ち切られた。
歌謡ショー
- 一時期日劇の舞台に立つことが、一流芸能人の証というステータスがあった。
- 基本的には一日3回公演を数日~一週間程度行うというものであり、必ずと言っていいほどNDTダンサーが出演し、それ以外のダンサーの出演を禁じた。
- しかし世間が騒ぐほど舞台の質は決して高くなく、あくまでもNDT公演の合間を埋めるための中間ショーであったため、違う曲なのに同じ振り付けを使いまわししたりと、全くずさんなものだった。
- 昭和55年3月からは一切のショーを打ち切り、映画上映専門となった。
沿革
(これ以後は有楽町センタービルを参照)
構造
- 設計は渡辺仁、建築は大林組、解体は竹中工務店。地上7階、地下3階建。地下2階は一般の客は入ることのできなかったNDTダンサーのレストラン、地下1階は当初東京會舘のランチルームや、理髪店が入居していた。戦後は映画館「丸の内東宝」と居酒屋などが入居。1階は正面玄関と4階までの大劇場、2階有楽町側には内外どちらからも入れた喫茶「らせん」。4階は稽古場、2台の映写機が置かれた映写室、照明室、パブレストラン「チボリ」、明治の喫茶店。5階は日劇ミュージックホールがあった小劇場。屋上は取材の場所としてよく使われたという。
- 地階は劇場内部からも行けたが、1階正面玄関の外側にも地階へ行く階段があった。
- 客席は3階席まであり、1階1060席、2階540席、3階463席の計2063席。両壁際にはロイヤルボックスと呼ばれたボックス席が10個(2階6個、3階4個)あり、2階席前3列とともに日劇唯一の指定席となっていた。立ち見の客を最大限入れた状態で「4000人劇場」と呼んだ。
- もともと映画館として建設されたため、舞台の奥行きは狭く、回り舞台も無く、使用していた大階段もかなり急なものとなっていた。わずかなセリとオーケストラピットがあった。
- 開場当時、劇場内外部はステンドグラス、大理石、さまざまなデザインのレリーフなどで豪華絢爛に彩られ、人々の目を驚かせたが、昭和35年に大改装。しかし、解体時に長年の改装で覆われたベニヤ板をはがしたところ、正面ホールの壁からギリシャ神話をモチーフとした陶器モザイクの壁画が現れた。これは川島理一郎による作品で「平和」「戦争」「舞踊」「音楽」の4テーマにわかれていた。この壁画がベニヤ板で覆われてしまったのは、昭和33年のこと。理由はタイアップ商品をホールで販売する計画があり、背景としてはこの壁画はあまりにも芸術的過ぎて、そぐわないというものであった。こうして23年ぶりに発見され新聞などでも話題になった。記念として有楽町マリオンに残そうという話があったが、壁画はモルタルで固められているうえに、背後には上層階を支える大柱があったために難工事になると考えられた。そのため保存されることは叶わず、そのまま建物の廃材とともに廃棄となってしまった。
- 古い設備であったこと、あとから無理やり付け足したスピーカーであったため、音響効果はあまりよくなかった。
- また完成当初から最盛期はファサードも華麗にライトアップされていたが、閉館間際になるとライトアップもしなくなり、あちこちの壁に広告がさがり、完成した当時の美しさは失われつつあった。また赤字経営をなんとかやりくりするために、全館にファーストキッチンやディスカウントショップ、甘栗屋、雑貨、洋服屋、マージャン、ビリヤード店が入居するなど、劇場にはふさわしくないテナントが目立つようになり、雑居ビル化が進んでいた。
関連事項
外部リンク

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