日本料理 とは?ページ内リンク ↓ウィキペディア(Wikipedia)記事 ↓Yahoo!知恵袋日本料理(にほんりょうり・にっぽんりょうり)とは、特に日本でなじみの深い食材を用い、日本の国土、風土の中で独自に発達した料理をいう。日本食、和食とも言われ、生食、素材の味を重視する薄口の味付け、そして繊細な盛り付けの三点がおおまかな特徴とされている。なお、オムライス、ハヤシライス等のいわゆる「洋食」は日本で独自の発達を遂げた料理であるが、通常、和食とは呼ばない。 出典: 『ウィキペディア(Wikipedia)』 日本料理 出典: 『はてなダイアリー』 関連商品
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狭い定義では、日本独特の料理法を用いた日本独特の料理群を指す。この場合、日本人が長い間食べてきた食事であっても、それが日本独特なものでなければ「和食」とは呼ばれないことになる。
日本料理と「日本人が食べてきた食事」とは必ずしも一致しない。時代や社会階層や地域によって差があり、調理法も、古くから東アジア諸国、西洋などからの伝来を発祥とするものが多い。現在、日本人が食べている食事の中で、他国の料理としての度合いが強いものを除いた残りを「日本料理」と言うことが多い。
例えば牛丼や肉じゃがは、味付けに醤油や出汁、みりんなど日本特有の調味料を用いるから、日本料理であると考えられる。また、蕎麦屋、割烹などの日本料理店で出される料理でもある。しかし牛肉を食べる習慣は、「薬食い」と言われて江戸時代からあったものの、主に明治維新以来であり、既に130年以上の歴史があるものの「伝統」と呼べるかどうかは人により判断が分かれる。しかし、外国から見た場合、スキヤキや牛丼などの肉料理もまた日本独特であるから日本料理の範疇に入る。このように、食材にこだわらず、味付け・調理法が日本で発達したものをも「日本料理」と呼ぶのが一般的であろう。
ステーキ・ハンバーグのソースやサラダのドレッシングに大根おろしと醤油を使う場合もあれば、スパゲッティのソースとして明太子、たらこ、納豆、しそ、梅干しなどを使う場合もある。このような食事は、日本料理とはいわず「和風ステーキ」などと呼ばれるのが普通であり、この定義から言えば「恒常的に日本で食べられているもの」+「外国産の調理法」で「和風」という文字を冠するようである。
日本は韓国・ベトナム・カンボジア・タイなどと並んで歴史的に中国の食文化の影響を受けた国であるが、宋代以降の中国料理が大きく変化したこと、日本料理や他のアジアの料理がそれぞれ独自の発達を遂げたことにより、周辺諸国の伝統的な食事と、日本料理とは比較的区別がしやすい。
前項定義の「和風」の他にも、以下のように判断がつき難い場合もある。
おしなべて、比較的交通や文化交流が高速化された近代、さらに国際化にともない電話・インターネット・電子メールなどによる情報伝達手段、航空機などによる交通輸送手段が超高速化して文化交流が盛んになった現代に至って、日本料理、ないし日本式食餌法まで含めた広義の日本料理と、異文化料理との間における相互への影響がはなはだしい。
中国料理で言えば、元来中国料理にはラーメンという調理品目はなく、あくまでラーメンは日本で独自の発展を遂げた料理だが、近年ではこれが中国へ輸出されて中国の高級飯店の品書きにまで載っている。また、現在では中国の高級飯店で常設されている回転式の円形食卓も、元来は横浜の在日中国人調理家が和食と中食の折衷店で使えるものとして日本において発明した和・中兼式料理円卓であるが、現在では中国へ逆輸出されて「中国式」として定着している。
韓国料理においては、元来白米のご飯を主食にして副菜を供している上に日本料理とよく似た調理過程を経て作る焼物・煮物・炒め物も多く、また日韓併合時代に伝播したうどんやおでん、太巻き寿司風のおにぎり(キムバプ)、味噌汁、タクアンなどもいまだ食されている点において日本料理との共通点を持つ。また、中世に日本から伝播した唐辛子を用い、野菜・水産物・一部の畜産物などを漬ける各種キムチのうち、白菜のキムチについては、日本の白菜の漬物と似ていることもあり、日本国内でも恒常的に大量に販売されている。また、本来冷たい器にご飯を盛りその上に各種惣菜をのせて混ぜて食べる韓国料理「ビビンバ」について、近年に在日韓国人調理家と日本人調理家が共同で、岩から切り出した器を熱してその中にご飯と惣菜(通常の韓国料理には用いられない惣菜を載せるものも多い)を盛る「石焼ビビンバ」を考案したところ好評を博し、現在では韓国に逆輸出されて「トル(岩)ソ(焼き)ビビンパプ」と呼ばれて現地で定番化している。これなどは、広義の日本料理(韓風和食)であるにもかかわらず、当の韓国人も日本人も日本料理としてではなく韓国料理であると認識している。しかし「石焼湯葉鰹ビビンバ」など、もはや日本料理なのか韓国料理なのか明確に判別しかねるものも増えている。
寿司については、古代に東南アジア特にタイやメコン川流域で発明された魚肉と米を合えて発酵させる酢飯から考案されたもので、平安時代から江戸時代にかけて日本独自の酢飯文化として発展・定着した。近年、その「日本料理としての寿司」は世界各国で「日本料理」として認識されているものの、米国・中国・韓国・英国・ドバイ・ロシアなど、寿司に人気のある各地で独自の改変が施され、アボカド・畜肉・ハンバーグ・キャビアなど従来寿司ネタとして使われることなど予想もされなかった食材を使った寿司が日本に逆輸入されている。
その他、一般の日本人向けの商業商品においても、タイのスープ料理として名高い「トムヤム」スープ風味の「トムヤム茶漬けの素」、ベトナム麺を本来ベトナム人は食べない高菜を用いてうどん風に再現した「高菜フォー」、平壌冷麺を麺質を全く変えてご当地化した「盛岡冷麺」、牛肉の照り焼きを米で挟んだ「ライスバーガー」など、果たして日本料理なのか異国料理なのか判別に悩むものも多数存在する。
いずれにしても、他の料理と同じく「日本料理」も、古来の伝統保守の傾向とともに異国料理との混合や相互影響を受ける面を持ち、同時に日本食ブームに後押しされ他国の料理文化に対しても多くの影響を及ぼしている。
総じていえば、日本料理は近代化の洗礼を受けながら、自分で食材を採集し、食器を整えた前近代の食事事情の名残を今なお残しているといえよう。
一般的に米をはじめとする穀物、野菜、豆類、果物などの農作物、魚介類や海藻といった海産物、鳥類の肉などがよく使われる。仏教の影響ゆえに獣肉の利用は比較的発達しておらず、乳製品をほとんど使わず、これらのたんぱく源の代用として大豆加工品が好まれる、といった特徴をもつ。特に、海産物を生食すること、海藻を好んで食べることは海外ではあまり見られず、日本料理の大きな特徴といえる。
調味は出汁を基本とし、塩味をつけるのには塩のほか、うま味を豊富に含んだ醤油、味噌などの大豆発酵調味料が基本的な調味料として用いられる。日本酒や米酢などの米発酵調味料も多用される。甘みには水飴・みりんが使われるが、現代では砂糖を使うことも多い。ナタネ油、ゴマ油などの植物油を少量使い、ラードなどの動物性油脂はほとんど使用されない。
総じて低脂肪、高塩分であるとされることが多い。野菜としても扱われる ネギは別として、香辛料やハーブの類は少量使われ、大量に用いられることはない。
他の料理に比べて食材を洗ったり煮たりする事が多く、水を多用する。
西洋料理や中華料理などより調味料の種類は少ないが扱う食材の種類が多いため、必然的に料理人の修行期間はそれらよりも長くなる。
彩りを出し、素材の味を楽しむために、味付け前の下処理に手間をかける。日本料理の料理長を『板前』という事から分かる通り、食材の切り方に凝る傾向がある。これは、平安時代の包丁式に由来し、珍しいものばかり食べる事によって権威を見せつけ、尚且つ、仏教の影響から味の美味いまずいを論じてはいけない、という考えからと、加熱調理は誰でも出来る、という考えから来たもので、『焼く』という意味の単語が由来とされる、フランス語で台所や料理法を意味する『キュイジーヌ』(cuisine)とは対照的である。焼き物の場合、下処理の済んだ食材に塩を振り、炭火で焼き上げるものが多い。
煮物、蒸し物の場合、出汁を基本に味噌や醤油を用いて味付けが行われる事が多い。香辛料の類はあまり使われない。香味野菜を刻んだりすりおろしたりした物を好んで使用する(薬味もしくはかやくと呼ばれる)。
日本料理は素材に手を余り加えず、素材そのものの風味、よさを引き立たせる素朴な調理法が尊重される傾向が強い。これは濃厚な調味料を使い、素材の外見や生の風味が失われるぐらいに複雑に調理したフランス料理や中華料理と比較すると明白である。
日常的な食事の構成としては、ご飯(白米やその他の穀物を炊いたもの)、汁物、おかず3品(主菜1品と副菜2品)という組み合わせを取り、一汁三菜と言う。 これらを好みにより交互に食べる。 この際、口の中で味を混ぜる事も多い。御新香(おしんこ)のような塩気の強いものとご飯とをあわせて食べる。 そしてその後に味噌汁を啜る、など口内調味を行う。こうすることでそれぞれを単独で味わうより美味しい、とされる.
一方、懐石料理・会席料理のように改まった席では一品(あるいは一膳)ずつ順番に料理が供されるのが普通である。 西洋料理には「コース」という概念があり、何段階かに分けて異なる種類の料理(前菜、スープ、主菜など)を食べるが 日常の日本食ではそのような構成をとらないのが一般的である(日常食を提供する食堂・レストランも同様)。
また食器や食事室の統一性にも配慮が払われるなど、日本料理は料理そのものより、採集、雰囲気など、 食を巡る総合的な工夫が調理者側から一方的になされることが多い。 これも調理、接客、管理などの分業化が進んだフランス料理と比べると引き立つ特徴である。
盛付けの美しさは、日本料理の大きな特徴である。調理した食材を彩りよく並べるだけでなく、器の質感や絵柄なども吟味し、季節や風情を盛り込むことも、調理の一つとされる。料理の盛り付けの作法は、次のとおり。
また、他文化の食事方法とは大きく異なる点が多い。 日本の食事作法をも参照せよ。
食器は、漆器、陶器、磁器など、多くの種類を併用する。器には多彩な絵付けが施され、盛り付けに工夫が凝らされる(後述)。特に陶器は造形の制限が緩やかで、濃い色の皿・角型の皿、花や果実の形を模した器など、伝統的な欧米の料理の食器とは大きく異なる。近隣国で陶磁器生産の歴史がある中国・韓国と比べても、丸皿を多用し伝統的な絵付けの陶磁器を用いる中華料理や、金属製の器や絵付けのない白磁の食器を主とする韓国料理に比べ異彩を放っている。 また、陶磁器の普及までは木椀を使用しており(九州では陶磁器の普及により木椀を用いる習慣がほとんど失われた一方、東北地方では近代にいたるまで木椀を多用する文化が残っていた。また社会階層により普及の時期は異なる)、漆器の多用はその名残であると言える。 家庭では、ご飯茶碗・箸は、各人専用のものを用いる習慣がある。
料理の記述の文献初出は、『日本書紀』で磐鹿六雁命(イワカムツカリノミコト、高橋氏の祖先)であり、景行天皇が亡き日本武尊を偲んで安房の浮宮へ行幸した際に鰹と蛤の膾を出した記述である。盤鹿六雁命は大膳職長に任じられたと言われ、後に料理の神として祭られるようになった。
米食は縄文時代からおこなわれていた。古くから煮物、焼き物、蒸し物は行われていたが、揚げ物は飛鳥時代ごろに中国→朝鮮から入ってきたと考えられる。また、中国からは仏教を通しても特殊な料理や茶が伝えられ、これはおもに寺院において独自の発展をみた。これが精進料理であり、精進料理の伝来とともに家畜や猿などの野獣を食べてはいけないという禁令が何回か出ている。
「延喜式」には西日本各地の調としてなれずしがあげられている。起源は東南アジアで米に魚を漬けたもの。
奈良時代には、中国文化の影響が料理や食習慣にも現れ、節供の行事の移入につれて晴れの日の料理が盛んになった。年中行事にはそれに相応しい宴会が催されたが、中国から伝わった料理法が日本の風土や産物と結び付き、やがて特有な日本風の料理に変化した。
平安時代には、中国の影響を受けながら料理はいっそう発展した。唐揚げや唐煮、唐菓子などの料理が登場し、中国風の納豆なども登場した。豆腐の伝来もこのころと想像されるが、はっきりしない。
公家の間では食礼式や料理の流派が発達していた。大饗(だいきょう/おおあえ)料理という言葉が出てきたのもこの頃である。しかし、現在の日本料理で用いられる技法はまだ出そろっていなかった。貴族の食膳にのぼる料理は、現代のように醤油で味付けされることもなく、出汁も用いられないなど、調理技術は未発達で、貴族達は食べる料理に自ら塩や酢などで調味をしていた。その上、野菜を下品な食べ物と見下して摂取せず、珍しい食べ物を食べる事で貴族達は自分達の権威を見せ付けていた。更に、仏教の影響で料理の美味いまずいを口にする事をタブー視していたため、栄養面から見るとかなり悪い食事をしていた。人物では、藤原山蔭が光孝天皇の命で新しい料理法(四条流包丁式)を編み出した。そのせいか、伝統ある日本料理店では神棚に「磐鹿六雁命」と「藤原山蔭」を祀っている所が多い。
鎌倉時代には、禅宗と共に喫茶の風習が広まった。禅宗の僧が食べていた精進料理が本格的に流入し、がんもどきなどの食品加工技術が伝わった。精進料理の影響により、大豆加工の技術や野菜料理の技法が大きく発達し、のちの日本料理の方向性を決定づけることになった。禅僧の修行の際の軽食を「懐石」と称していたのが後の懐石料理の語源である。また、栄西が中国から茶を持ち帰り、懐石と結びついて茶料理が生まれた。ご飯を食べるのに匙を使う習慣はすたれ、ご飯碗を手で持って食べるようになった。
室町時代に入ると宮中の料理は武家の間にも採り入れられ、食礼式が発達した。当時は小笠原流などの礼法が盛んな時代であり、料理の流派としては中納言山陰政朝を始祖とする四条流が興った。料理書『四条流包丁書』もこのころに書かれたとされる。一方、権威が落ちた貴族達は大饗料理を作る余裕が無くなり、大饗料理は有職料理に姿を変えた。また、足利家には大草流があり、この頃より食作法がやかましく言われるようになり、1人分の料理を膳の上に組むいわゆる「本膳の形式」による料理が形成された。一方、この儀礼的な料理に対して茶道から生まれた趣味的な料理が懐石料理であり、この二つが日本料理の主流を占めるようになった。
仏教の「食事の味を論じてはならない」という文言の解釈が変わり、禅寺では料理や食事も修行の一環とみなされるようになり精進料理が発達した。禅寺の食のタブーを克服するため調理技術が発達し、出汁の概念が生まれた。大豆の加工技術も禅寺から興ったものである。足利義政は窮屈な、接待での食事の息抜きとしてよく禅寺への用事がてらに食事をし、これが現在の日本料理の基となった、とされる。また、安土桃山時代に来日したジョアン・ロドリゲスは著書『日本教会史』の中で支配階層が身に付けるべき「能」(実践的な教養)であったものとして、「弓術・蹴鞠・庖丁」を挙げている。
室町末期から安土桃山時代には南蛮船により南蛮料理や南蛮菓子(カステラなど)が伝わってきた。
江戸時代には、都市文化が繁栄し、当時の献立や料理書によればその料理の内容が豊かであったことが知られる。天ぷら、麦湯などの屋台による町人の料理が発達した。にぎり寿司や蕎麦の専門料理店ができるのもこのころである。また、都市部を中心に発達したお留守居茶屋などの料亭の料理は、酒を飲みながら料理を食べる形式で本膳や懐石のように作法にあまりとらわれないのが特徴であり、これを会席料理と称した(現在最も多く行われているのはこの会席料理である)。砂糖の普及により、甘い和菓子が食べられるようになった。陶器、磁器を使い、凝った絵付けを施した食器が広く普及した。また薬食として牛肉など肉食もわずかに行なわれた。江戸時代中期には、輪違い大根に代表される「見立て」という飾り包丁の技法が発達した。また、この時代には黄身返し卵などの珍料理が生み出されている。
江戸は政治の中心地であり、諸大名の参勤交代をはじめ広く地方の産物や料理法が持ち込まれ、海の幸・山の幸に恵まれた関東の地で華麗な江戸料理の伝統が花開いた。江戸湾内で豊富に採れる魚介類は江戸前の名を生ずるほど優れ、近海で穫れるマグロなどの刺身は献立に欠かせぬものとなった。また、タイは「めでたい」の語呂から姿焼きで膳に飾られる事が多く、きんとんや蒲鉾などの口取りを添えてみやげ物として持ち帰る風習が生まれた。こういった中で鮮度と産地を重視する本膳料理が生まれ、これが今日の高級な料理の骨子と要素を構築したといわれている。
しかし、町人の手になる江戸料理が発達するのは元禄年間以降である。江戸時代初期、徳川家光の時代は奈良茶飯と沢庵漬けが町人の最高の御馳走という有様であった。江戸時代から調味料として醤油が盛んに用いられるようになり、江戸近郊では濃口醤油が大量生産されるようになった。関東では汁物や煮物にも濃口醤油を利用し、冷めても味を損じない濃い味付けが行われ、折り詰などの土産料理として発達した。
京都、大阪の料理は「上方料理」「関西料理」と呼ばれた。華やかな江戸文化に対して京都は伝統的な優雅さが特徴でそれは料理の上にも反映された。京都は寺院料理の影響をうけ、また海産物に乏しいことから野菜や乾物を使った料理に発展をみた。豆腐、湯葉などの細やかな味を生かすために薄味の料理法が発達した。干しダラや身欠ニシンなどの保存食を上手に料理するのも特徴であった。一方、商業都市として発展をみた大阪は海に近く、魚介も豊かで地方の産物も集まるところから、「天下の台所」と謳われるほどであった。作法よりも食べて旨い料理に主点が置かれ、冷たくしてお土産に持ち帰る料理よりその場で食べてしまう料理という視点が強かった。
明治になると、神仏分離、廃仏毀釈により肉食が解禁され牛鍋などが登場した。一方、料理の流派は包丁式を残し衰退した。それまで本式の料理とされていた本膳料理は衰退した。この時点で伝統的な日本料理の主要な業態は、会席料理を主とする料亭や高級旅館に移ったと言える。(寺院を主な対象とする精進料理・茶人を主な対象とする懐石料理は独自性を保って現在まで続いている)白菜やホウレンソウの本格的な栽培もこのころである。西洋料理が入ってきて外国人と交渉のある社会階層で食べられるようになった。各地の西洋料理店では日本人の口に合うように改変された洋食が生み出される。大正時代までは西洋料理は外で食べるものという意識が強かったが、上層から家庭料理にも徐々に浸透しはじめる。また,軍隊からジャガイモや牛肉などを使う食習慣が広まっていった。都市部の家庭ではちゃぶ台が使われ、それまでの家父長制的な銘々膳の作法から、食事が家族だんらんの場として認識されるようになってくる。
関東大震災により江戸の料理の継承が絶え、東京にも関西料理が流入した。本膳料理の流れを汲む格式ばった食事作法の伝統は薄まり、くつろいだ雰囲気が好まれるようになった。第二次世界大戦後、交通手段、マスコミの発達により日本料理における地域差は徐々に縮小するが、たぬきそばの用法が東西で異なることに代表されるように、地域差が根強く残っている面もある。
詳しくは洋食を参照。明治時代以降、イギリス料理やフランス料理から派生したものだが、日本で改変され日本独特のものに変化している。カツ丼など特に日本化の進んだ一部の料理は和食に分類される場合もある。日本生まれの洋食は中国・韓国にも持ち込まれ、今では世界中で食べられるように広まってきている。
伝統的な食事形式で食する伝統的な料理様式。有職料理は貴族の饗応料理、本膳料理は武家の饗応料理で、それぞれ過去には最も正統な料理形式であった。会席料理は富裕な町人を客とした料亭で生まれ、酒と料理そのものを楽しむ格式張らない料理として発達した。現在では会席料理が正統な日本料理の形式としてもてなしに使われている。
郷土料理は日本の地方で古くから食べられてきた料理であり、村おこしに使われるご当地料理、ご当地グルメ(ご当地ラーメンなど)とは異なる。
など
など
伝統的な食事形式で食さない種類の料理で成立年代が比較的古い、または調理形式が大部分が日本の調理法を使用する料理。日本の調理法を大部分において使用する場合は日本食という。また大衆から愛される大衆文化からできた料理を大衆料理と呼ばれることもある。