日本電気 とは?ページ内リンク ↓ウィキペディア(Wikipedia)記事 ↓Yahoo!知恵袋日本電気株式会社(にっぽんでんきかぶしきがいしゃ 、英文社名:NEC Corporation / 略称:NEC(エヌ・イー・シー)、旧英社名Nippon Electric Company, Limitedの略から)は、東京都港区芝五丁目(元東京都港区三田)に本社を置く住友グループの電機メーカー。日電(にちでん)と略されることもある(かつて同じ「日電」を略称とした日本電力とは無関係である)。一般的には略称のNECが使われ、ロゴマークや関連会社の名前などにもNECが用いられている。 出典: 『ウィキペディア(Wikipedia)』 関連商品
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| 種類 | 株式会社 | |||||||||||||
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| 市場情報 |
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| 略称 | 日電、NEC | |||||||||||||
| 本社所在地 | 〒108-8001 東京都港区芝五丁目7番1号 |
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| 電話番号 | 03-3454-1111(大代表) | |||||||||||||
| 設立 | 1899年(明治32年)7月17日 | |||||||||||||
| 業種 | 電気機器 | |||||||||||||
| 事業内容 | ITソリューション事業 ネットワークソリューション事業 エレクトロンデバイス事業 |
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| 代表者 | 代表取締役会長 佐々木元 代表取締役社長 矢野薫 |
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| 資本金 | 3,379億40百万円 (2008年3月31日現在) |
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| 売上高 | 連結:4兆6,171億53百万円 単独:2兆3,526億22百万円 (2008年3月期) |
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| 総資産 | 連結:3兆5,267億95百万円 単独:2兆3,994億04百万円 (2008年3月31日現在) |
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| 従業員数 | 連結:155,844人 単独:23,918人 (2008年6月30日現在)[1] |
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| 決算期 | 3月31日 | |||||||||||||
| 主要株主 | 日本トラスティ・サービス信託銀行(株)(信託口) 4.50% 日本マスタートラスト信託銀行(株)(信託口) 4.16% 日本トラスティ・サービス信託銀行(株)(信託口4) 2.79% (2008年3月31日現在) |
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| 主要子会社 | NECエレクトロニクス(株) 65.0% NECパーソナルプロダクツ(株) 100% |
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| 関係する人物 | 岩垂邦彦(創業者、初代社長) 小林宏治(元・代表取締役会長) 関本忠弘(元・代表取締役会長) 大内淳義(元・代表取締役会長) 丹羽保次郎 小林正次 |
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| 外部リンク | http://www.nec.co.jp/ | |||||||||||||
日本電気株式会社(にっぽんでんきかぶしきがいしゃ 、英文社名:NEC Corporation / 略称:NEC(エヌ・イー・シー)、旧英社名Nippon Electric Company, Limitedの略から)は、東京都港区芝五丁目(元東京都港区三田)に本社を置く住友グループの電機メーカー。日電(にちでん)と略されることもある(かつて同じ「日電」を略称とした日本電力とは無関係である)。一般的には略称のNECが使われ、ロゴマークや関連会社の名前などにもNECが用いられている。
住友電気工業と兄弟会社で、同社及び住友商事とともに住友新御三家の一角であるが、住友の象徴である井桁マークを社章とした各社とは比較的縁が薄い。
連結従業員数 約15万6000人は、住友グループで最大の従業員数を擁し、日本の全企業でも9位に位置する。[2]
目次 |
有線・無線通信機器(携帯電話等の民生機器から、携帯電話基地局、テレビジョン放送設備、船舶無線、航空無線、宇宙通信等の大型機器まで)、コンピュータを主力事業としている。日本のマイコン、パーソナルコンピュータ市場では黎明期より手がけ、1976年のTK-80のリリースで日本のマイコン市場の活性化に努めた。
日本において「NEC」という名称で親しまれているものにパーソナルコンピュータがある。パーソナルコンピュータ事業は長らく日本電気本体(一時期は新日本電気も含まれていた)が事業を統括して傘下の生産子会社(NEC米沢・NEC群馬・NEC新潟・日本電気データ機器)で製造を行う形を取っていたが、2001年10月に製造をNECカスタムテクニカ、個人向け(VALUESTARシリーズ・LaVie)の販売をNECカスタマックスに統合再編し、さらに2003年7月、この2社が合併したNECパーソナルプロダクツが事業を担う形になっている(企業向け(Mate・VersaPro)についてはNECパーソナルプロダクツで製造、日本電気本体が販売)。
東京証券取引所第一部上場、証券コード6701。
1899年7月17日設立。岩垂邦彦と米国ウェスタン・エレクトリック(現在のアルカテル・ルーセントの前身)が54%を出資する日米合弁会社であった。これは日本最初の合弁企業の事例とされる(1992年まで使用されていたNECロゴの字体はウ社の当時のロゴに由来している)。戦前では、1928年に日本電気の丹羽保次郎、小林正次らが昭和天皇の即位大礼の写真のファクシミリ通信を成功させた業績で知られる。
その後、住友財閥に経営委託され、第二次世界大戦で日米関係が悪化すると住友グループ傘下となった。このため、1943年から1945年までのごく一時期であるが「住友通信工業」という社名を名乗っていた(住友電気工業が当時既に存在していたためこの社名になったようである)。大戦期は陸軍の無線機を一手に引き受け、電波警戒機の開発も行っていた。
戦後は、通信関係や真空管や半導体など電子部品のほか、子会社「新日本電気」(のちの日本電気ホームエレクトロニクスとなり、現在は清算)による家電・無線通信機器分野への進出がされた。また、1958年のNEAC 1101からコンピュータの開発にも取り組み始めた。
1977年に当時会長であった小林宏治によって「コンピュータと通信の融合」をうたった「C&C」(Computer & Communicationの略)のスローガンが提唱され、新たな企業理念となる。これ以降、それまで「電電ファミリー」(例えば電話交換機では富士通と並び大手の一角と言われた)というイメージの強かったNECは、情報・通信系を中心とした総合電機メーカーへと変貌を遂げる。
1982年に発売された「PC-9800シリーズ」は、約10年間にわたって日本のパソコン市場を席巻し、全盛期には「国民機」とまで呼ばれるようになった。Windows以降の巨大な勢力であるPC/AT互換機とも激しい競争を繰り広げ、最終的には最後発でありながら規格を統合した(なお、他の日本メーカーの規格は比較的早い段階で消えていった)。
C&Cの理念は小林の実質的な後継社長であった関本忠弘の時代にも引き継がれ、上記のPC-9800シリーズによる国内PCシェアトップに加え、1980年代後半には半導体生産で世界一位となるなど、日本を代表するエレクトロニクス企業へと成長した。創業以来の地に現在の本社ビルであるNECスーパータワーが建設されたのもこの時期である(建設中は森永製菓本社がある森永プラザビルを間借りしていた)。NECを含めた日本企業の国際半導体市場進出は、日米半導体摩擦問題として政治問題化するまでになった。この間、1983年には英文社名を現在のものに変更している。
実際にコンピュータ系の事業部門においては、日本の情報処理分野の生みの父の一人とされる水野幸男などが、汎用機や関本の好む大型技術案件だけに集中しがちなNEC自体の傾向を補正し、PCやUNIXなどの当時の次世代技術に他ベンダよりいち早く投資を続ける事により発展してきたという側面も大きい。
1990年代後半に至り、国内PC市場でのPC/AT互換機によるシェア浸食に加え、海外PC市場進出をめざし買収したパッカードベル社の不振、半導体市場での米国・韓国勢との競争激化といった要因により業績の勢いにかげりが見えた矢先に、防衛庁調達における価格水増し疑惑が発覚し、企業イメージを損なうこととなった。この責任を取る形で関本は会長を退き、社長も金子尚志から西垣浩司へと交代した。
西垣社長体制下において、不採算事業のリストラとガバメント強化施策に従い、家電分野から撤退した。また、2000年4月には社内カンパニーとしてNECソリューションズ・NECネットワークス・NECエレクトロンデバイスを設立したが、西垣の後を継いだ金杉社長体制において、半導体関連部門のNECエレクトロンデバイスは分社化(NECエレクトロニクス)、カンパニー制自体もわずか3年後の2003年4月に廃止された。 総合電機メーカーとしての暖簾を下ろし、C&Cコンセプトに立ち戻り、コンピュータシステム及び通信を中心とした電機メーカーになっている。
オフィスコンピュータ、サーバの分野では国内トップクラスのシェアを誇る。コンビニエンスストア、ホテルなどのバックオフィス用コンピュータは独占状態に近い。
通信分野に於いては通信衛星から光通信など様々な設備を販売している。また、海外メーカーなどの通信製品も販売している。
現在はマークとロゴの色は青色になっている(いわゆるCI刷新によるもの。NECロゴの色は元来、赤だった)。このロゴの使用を開始した1992年以降、対外的には「NEC」を通称とするようになっている。
創立100周年記念事業として、玉川事業場の一部を高層ビル群に建て替えた(NEC玉川ルネッサンスシティ)。
2006年現在、企業向けコンピュータシステムと通信システムのインテグレーション/コンサルティングにて利益を上げており、PCや携帯に関しては事業均衡を図り、リストラ(リストラクチャリング)を進めている。また、自社サーバ及びストレージの強化/国際市場への販売に力を入れ、対応を取っている。
通信キャリア関連において現在、トレンドな話題であるNGN (Next Generation Network) では、IT/NW機器業界では一番早くから対応を進めており、NECの製品であるUNIVERGEブランドもNGN関連の著名な製品となっている。
以前はNASDAQに米国預託証券(ADR)を上場していたが、米国の監査法人から求められていた保守・サポートサービスと製品が一体になった「複合契約」の収益分析が完了しなかったため、上場維持に必要なSECに対する2006年3月期の年次報告書を提出できず、2007年10月に上場を廃止した。NECのプレスリリース その後、SECとの間では2008年6月に和解が成立した[1]。また、この関連で2006年の中間決算より、日本国内向けの財務諸表の作成基準を従来の米国基準から日本基準に変更している。
製品・サービスは、コンピュータの生産/販売、コンピュータシステムの構築、インテグレーション(NECのパソコン一覧を参照)、携帯電話。
1950年代のパラメトロンコンピュータやFONTAC(富士通/沖/NEC共同コンピュータ)といわれる初期コンピュータを構築し、1960年代半ばに始まる通産省主体の大型プロジェクト超高性能電子計算機開発計画において、IBMなどの海外のコンピュータベンダに寄らない日本独自のコンピュータシステムを構築すべく、電機メーカに対し通産省の元でコンピュータシステムの開発を進めた。
その後、日本では1973年に米国からの圧力などでコンピュータの輸入自由化が決定された。通商産業省は、当時の国内コンピュータメーカーの体力ではIBMを初めとする海外メーカーに日本市場を席巻され打撃を受けるとして、当時6社あったコンピュータ業界の再編に乗り出し、東芝とNECを1つのグループとし、補助金を支給して各社に「IBM対抗機」の開発に当たらせた。
これがメインフレームACOSシリーズであり、非IBM互換として国内唯一の製品となる。
その後、汎用機とは別にニッチ製品として立ち上がったミニコンピュータ/オフィスコンピュータのMSシリーズ/N5200シリーズといった小型サーバ機のカテゴリに進出する。 その一方、通産省主導のΣプロジェクトに呼応し、EWS4800によるUNIXワークステーションといったUNIX製品群においても、CAE-2Dなどを発売した。
その後、UNIX戦争による煽りを受け、国産UNIX市場の縮退により、HP-UXをOEMにて提供する。
現在、NECのコンピュータ事業は、企業向けにおいては同業他社の富士通/日立と同様にシステムインテグレーション (SI) 案件の受注及び、ミッションクリティカルコンサルティングサービスといったSIサービスに軸足を移し、そのSIに必要なソフトウェアパッケージの販売を含め、建設系ゼネコンのような総合力で利益を確保している。
また、非IBMという姿勢を変えず、その中でHP/SUNといったマルチOEM体制/自社Itanium系サーバの国際展開のバランスを取らんと苦闘している。これは競合他社、特に富士通と共通した姿勢である。
また、個人向けPC事業においては、上記の通り米沢/新潟/群馬といった分身生産子会社でのPCの生産を縮小再編し、台湾メーカを利用したファブリックな生産方式に移行しつつあり、元々利益の少ないパーソナル向けの製品群による事業均衡を図っている。
なお、情報処理産業の育成において、NECは水野幸男という逸材を輩出し、日本における汎用機黄金期といち早いUNIX分野でのエンジニアの育成という並立させる事が困難な問題を、比較的早期にクリアした企業である。その成果として、スーパーコンピュータ文化でのUNIXを中心とした先進企業としての役割を果たし、Rubyなどの国産スクリプト言語やStrutsなどのオープンソースの中心的エンジニアを転出者も含めて輩出している。
NECのパッケージソフトは、そのほとんどが企業システム向けである。下記ソフトウェア以外に業種に特化したパッケージソフトの開発,販売も行っている。
ほとんどNTTドコモ向けだが、ソフトバンクモバイルにも旧デジタルフォン・デジタルツーカー時代から端末を提供している。また、かつてはツーカーグループ・DDIセルラーグループ(のちのau(KDDI / 沖縄セルラー電話))にも供給していたが、確執状態になったまま現在に至っている。日本における折たたみ(二つ折り)式端末のパイオニアで、2001年のNTTドコモ503iシリーズでN503iが多く売れたことが他社も折畳式に流れるきっかけとなった。
また、NECとパナソニック モバイルコミュニケーションズ(松下通信工業)は、第三世代携帯電話向けの端末・技術を共同で開発している。両社はこれをてこに、将来の事業統合も視野に入れ提携関係の拡大を図っている。
CMキャラクターは、玉木宏(2007年頃から)と橋本麗香(2008年頃から)である(NTTドコモのみ。後者が加わってからは2人で共演)。
無線・通信関係に関しては、かつて日本陸軍の無線・通信設備を一手に引き受けていた。陸軍の無線機は電力供給がままならない状況を想定していたため、日本の低い工業技術力を背景にしながらある程度実用になったことで知られている(特に軍用機用)。一方で、日本無線が独占していた日本海軍の無線機は通じないことで有名だった。
従来はテレビカメラからマスター機器、送信機器まで製作から送信まで一貫したラインナップを誇っていたが、現在は、テレビ局のテレビマスター装置(NECでは「APS装置」と呼ぶ)、CMバンクシステム、中継器及び送信機を製造しており、多くの放送局に納入実績がある。最近では、デジタル放送システムを納入している。
マスター装置の系列局毎の納入状況は次の通りである。
(参考)V800シリーズ(V810/V830/V850など)、78K(78K0、78K0S、78K0R、78K4など)
1980年代、NECにおいて最大の利益を上げ、企業の屋台骨であった半導体部門も、東アジアにおいて日本製製造装置を輸入してメモリを製造するサムソンなどの韓国や台湾の半導体企業群の隆盛により、著しく価格が下落したことにより利益を上げることが難しくなった。これにより、利益を上げるにもシェアの低下や開発力の維持が一ベンダーでは維持できなくなったメモリ関連の事業部及び工場群を、2000年に日立製作所のメモリ関連事業部と統合し、別会社に移行した。
その後、エルピーダは外部から開発/工場更新の資金を調達し、三菱電機のメモリ事業部門を買収したため、NECの出資比率は日立などに次いで3位となっている。すでに持分法の対象以下の比率となっており、NECの関連会社からははずれている。
1950年に日本電気のラジオ事業部で蛍光ランプを試作したのが始まり、清算された日本電気ホームエレクトロニクスから引き継いだ事業。1970年代にはアメリカの管球・照明器具メーカー、シルバニア(現在はオスラム傘下)との合弁会社「日本電気シルバニア株式会社」が展開していた。
1956年に東京大学にロケット用テレメトリ送受信装置を納入したのが始まり。
NECの組織は論理的にはビジネスユニット-事業本部-事業部の階層構造をとっている (研究所はビジネスユニット上の階層をR&Dユニットと位置づけている)。 これとは別に、物理的な所在地として下記の事業場・研究所がある。
詳細はNECグループを参照
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