日産 とは?ページ内リンク ↓ウィキペディア(Wikipedia)記事 ↓Yahoo!知恵袋日産自動車株式会社(にっさんじどうしゃ) (英語名: Nissan Motor Co., Ltd.)は、東京都中央区に本社を置く自動車メーカーである。日本のビッグスリーの一角。通称とブランド名は「日産(NISSAN)」。日本国外の一部では、高級車ブランドである「インフィニティ(INFINITI)」も展開する。 出典: 『ウィキペディア(Wikipedia)』 関連商品
山田 有人 /
最安値(新品): ¥ 1,575
最安値(中古): ¥ 1,300
| |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 種類 | 株式会社 | ||||
|---|---|---|---|---|---|
| 市場情報 |
|
||||
| 略称 | 日産 | ||||
| 本社所在地 | 〒104-8023 東京都中央区銀座六丁目17番1号 登記上の本店は、神奈川県横浜市神奈川区宝町2番地 |
||||
| 設立 | 1911年(快進社自働車工場として) 1933年12月26日 |
||||
| 業種 | 輸送用機器 | ||||
| 事業内容 | 自動車(現行車種を参照) | ||||
| 代表者 | 取締役共同会長兼社長兼最高経営責任者 カルロス・ゴーン | ||||
| 資本金 | 6,058億1,400万円(2008年3月31日現在) | ||||
| 売上高 | 10兆8,242億円(2008年3月期連結) | ||||
| 従業員数 | 単体:31,081人 連結:159,227人(2008年3月31日現在) |
||||
| 決算期 | 毎年3月31日 | ||||
| 主要株主 | ルノー 44.33% | ||||
| 主要子会社 | 日産車体、ジヤトコ | ||||
| 関係する人物 | 鮎川義介、川又克二、石原俊 | ||||
| 外部リンク | www.nissan.co.jp(日本) www.nissan-global.com(Global) |
||||
日産自動車株式会社(にっさんじどうしゃ) (英語名: Nissan Motor Co., Ltd.)は、東京都中央区に本社を置く自動車メーカーである。日本のビッグスリーの一角。通称とブランド名は「日産(NISSAN)」。日本国外の一部では、高級車ブランドである「インフィニティ(INFINITI)」も展開する。
目次 |
芙蓉グループ(旧富士銀行系列)に属する東証一部上場の日本企業であり、現在はフランスの自動車製造大手のルノーの傘下である。関連会社にトラック・バス専門の日産ディーゼル工業(ボルボに売却)や、モータースポーツ専門のニスモなどがある。歴史的経緯(日産コンツェルン)によって日立製作所と関係が深い。
現在、親会社のルノーから派遣されたレバノン系ブラジル人(フランスとの2重国籍)のカルロス・ゴーンが取締役共同会長兼社長兼最高経営責任者(CEO)を務める。なお、カルロス・ゴーンは2005年4月より親会社のルノーのCEOも兼務しており、現在はゴーンCEOの指揮の下で日産出身の志賀俊之がCOO(最高執行責任者)を務めている。
創業期より先進技術の吸収に積極的で、日産自動車はフォード、GMなみの大型乗用車を製造するため、1936年に米国グラハムページ自動車会社から設計図や設備などを購入し、また戦時中の技術的空白を埋めるため1952年オースチン社と技術提携している。
1958年には、当時は世界で最も過酷な豪州ラリーに自社開発のダットサン210型が出場して見事ににクラス優勝を飾り、1960年には業界初のデミング賞を受賞するなど、創業時より技術力の高さから「旗は日の丸、車はダットサン」「技術の日産」として親しまれ、故障が少なく高速走行を得意とした事で医者の往診に愛用されたことから「医者のダットサン」としても親しまれた。
1966年8月1日には、経営難に陥ったプリンス自動車工業株式会社と通産省主導により合併。名車スカイライン、グロリアと中島・立川飛行機の流れを汲む優秀な人材を戦列に加えた。
1973年の米国環境庁 (EPA) の燃費テストでサニーは第1位となり、この間、燃費向上のための高張力鋼板、エンジンの燃焼制御技術の開発からCAD/CAM、産業用ロボットの開発まで、「技術の日産」として先端技術分野の先駆的役割を果たしてきた。
しかし、その反面、戦時中に自動車の配給を独占していた「日本自動車配給会社」が戦後に解散となった際、有力地元ディーラーが業界トップのトヨタ自動車系に組織化されたことも日産にとってはハンディとなり、「技術の日産」「販売のトヨタ」と言われていたほど、技術面では得意だった日産はもともと販売面では苦手で上手とは言えず、トヨタ自動車に1990年代以降販売面で差を広げられる。
しかし1980年代には「90年代までに技術世界一を目指す」という名の下、全車種を対象にエンジンをはじめ、シャシやサスペンションの設計目標と、走行実験におけるハンドリング評価基準の大幅な底上などに力を注いだ「901運動」がおこなわれており、日本車の技術向上に大きく貢献したことでは一定の評価を受けている。
詳細は901運動を参照
1980年代後半のバブル景気時代には、当時日本唯一の3ナンバー専用の高級車であったY31型シーマや、洗練されたデートカーとして人気となったS13型シルビアなどをヒットさせ、「Be-1効果」や「シーマ現象」なる流行語まで生みだした。「901運動」のもとに開発されたR32型スカイラインGT-Rなどのスポーツ系車種が高い評価を得るなど存在感を示していたが、バブル崩壊後は財務体質が悪化。もともと販売戦略が不得手な上に、「901運動」でコストの上昇を招いた走行実験部やデザイン部を中心にリストラを断行したため、あとはその遺産を食い潰すのみの状況となっていく。1990年代の開発現場は、派遣社員が設計や造形を行っていたという。
1991年から1994年にかけて発売されたU13型ブルーバード(4ドアセダンSSS・EEX)、Y32型レパードJフェリー、W30型ラルゴ、C34型ローレル、R33型スカイライン、S14型シルビア、B14型サニーなどの主力車種における商品戦略やデザインなどの面でも失敗したことから、ヒット車種が出せないまま販売不振に陥ってしまい、1998年には約2兆円もの有利子負債を抱えるほどにまで財務内容が悪化して経営危機に陥ってしまう。
その中でも、A32型セフィーロ、E50型エルグランド、K11型マーチなどがコンスタントに販売台数を記録し、経営危機に陥っていた日産をなんとか支えていた。
その後、軽自動車市場の拡大を背景に、軽自動車を含めた国内シェアで、一時期ではあったがホンダの後塵を拝し、国内シェア第3位に転落してしまった。
継続的な販売不振により、2兆円あまりの有利子債務を抱え倒産寸前の経営状態となった1999年3月に、フランスの自動車メーカーのルノーとの資本提携(後述「ルノー=日産アライアンス」)を結び、更正を図ることとなった。当初は両社の文化的土壌の違いやラインナップの重複、日産自動車の負債の大きさや労働組合の抵抗などを理由に、同業他社やアナリストをはじめとする多くの専門家がその行き先を危惧した。
同年中に日本人社長の塙義一は解任され、ルノーの会長兼最高経営責任者(CEO)であったルイ・シュヴァイツァーの指示より同社副社長のカルロス・ゴーン(レバノン系ブラジル人)が新たな最高経営責任者に就任した。ゴーンらのチームは、同年10月に発表した「日産リバイバルプラン(NRP)」のもとリストラを進めた。
ルノーからの資金や人員が注入されると同時に、東京都武蔵村山市にある村山工場や、京都府宇治市の日産車体京都工場などの生産拠点の閉鎖、資産の売却、人員の削減などとともに、子会社の統廃合や取引先の統合、原材料の仕入の見直しなどによるコスト削減が行われた。
更に、車種ラインナップの整理と同時にデザインなどを刷新し、積極的な新車投入を行った結果、販売台数は増加。国内シェアでは第2位の座を奪回し、2003年6月には負債を完済した。
「ルノー=日産アライアンス」とは称するものの、実態は「アライアンス(同盟、協力)」と示されるような対等な関係ではないことに留意すべきである[1]。
2006年5月現在、ルノーは日産株の44パーセントを所有し日産を実効支配しているが、日産の所有するルノー株は全体の15パーセントである。さらに、フランスの法律により日産の保有するルノー株には一切の議決権が付随していない。従って、資本関係上は日産がルノーの連結子会社に近い状況とされる一方で、日産がルノーに対して有する権限は一株主未満のものである。またルノーからは多くが日産の役員として送り込まれてい他、多くの管理職クラスの人員も送りこまれているが、ルノーに日産出身の役員は皆無であった(2008年にルノーに日産から副社長が送り込まれている)。
他方、株式資本の総額は子会社の日産本体のほうが多く、「日産に投資するより、親会社のルノー本体に投資するほうが利にかなう」という逆転現象が起きている。ルノーは、買収後に多くの資本と人的なパワーを投下し、危機にあった日産の業績を急回復させたことにより、これまでに莫大な配当益を得ている。
ビジネス上では、車台(プラットフォーム)やエンジン、トランスミッションなどの部品の共通化、購買の共同化などを通じてコストダウンを図っているほか、ルノーの車を日産ブランドで販売、日産車をルノーのブランドで販売するなどの相互のOEM供給が行われている。2005年1月には、当時のルノー会長のルイ・シュヴァイツァーが、「2010年までに日産自動車とともに世界市場の10%のシェアを確保し、年間400万台の生産を達成する」という目標を掲げた。ルノーでは傘下の日産を含めて、自社がフォルクスワーゲン・グループを上回る欧州最大の自動車メーカーであるとしている。
ゴーンは日産自動車の建て直しの手腕が高く評価され、2005年4月からは親会社のルノーのCEOも兼務しており、現在はゴーンCEOの指揮の下、日産自動車生え抜きの志賀俊之がCOO(最高執行責任者)を務める。しかしながら、日産自動車の3カ年経営計画「日産180」(全世界での売上台数を100万台増加させ、8%の営業利益率を達成し、自動車関連の実質有利子負債をなくす)における販売台数目標達成のために、計画終了(2005年9月30日)前に集中して新型車投入を行ったことによる、計画終了以降の国内やアメリカ市場における販売台数の低迷や、ゴーン体制後を見越した権力闘争など、深刻な問題を残したままの親会社への復帰に疑問の声も上がっている。
ゴーン体制のもと系列解体が進み、非日産系部品メーカーや海外メーカーからの部品仕入れを積極的に行ったが、近年は日立製作所と組んで部品メーカーの囲い込みに力を入れている。
詳細は日産自動車の車種一覧を参照
日産自動車が21世紀の生産・販売戦略として導入した生産方式。顧客の注文に基づく詳細な生産指示書を関係工程に指示し生産する方法で、これにより受注から納車までの時間が最短で3日という迅速な生産を実現した。現在、インフィニティブランドを取り扱う栃木工場などに導入されている。
日産自動車のロゴマークはもともと「ダットサン」で使われていたもので、吉崎良造(よしざき りょうぞう)と田中常三郎(たなか じょうざぶろう)がシボレーのマークにヒントを得て、赤の日の丸と太陽をベースに天空をモチーフとしたコバルトブルーをいれ、真ん中に白で横一文字で「DATSUN」と書かれていたのが前身である。(なお、1937年に制定された社章=記章、株券等に使用していた=は、日の丸の真中に一本の横棒を挿入し、周囲を“日”を抽象化したもので囲ったもので、日立や日本興業銀行の社(行)章と類似していることから、発足時からの「日産・日立・興銀」の関係も表していた、とされている。現在は「至誠天日を貫く」と位置づけられている。)
その後、文字を筆記体のカタカナで「ニッサン」と書き直し日産コンツェルン全体の社紋として統括企業に普及するが、戦後の財閥解体とともに日産自動車のみの社紋としてローマ字表記の「NISSAN」に変更となった。
創業50周年を迎えた1983年には、アメリカのペンタグラム社が制作したロゴマーク及び指定フォント(書体)に一新され、さらに1999年以降のルノー傘下になってからのゴーン体制下でデザインが社内コンペで募集され、より立体的なものへと小変更され現在に至る。ちなみに、このとき採用されたロゴのサンプルは現在でもゴーンのオフィスに飾られているという。
企業フォントはTBWA開発の「NISSAN AG(Aktidenz Groteskの日産バージョン)」とモリサワ「新ゴ」の組合せ、車名バッジは先代ブルーバードシルフィからNE-01というフォントに基本的に統一されている。
赤・白・青は、日産自動車のコーポレートカラーにもなっていて、トリコロールの愛称で日産らしさの象徴としても親しまれている。
なお、カタカナの車名ロゴは、2001年にロゴマーク及び指定フォント(書体)が一新された後も、1983年の創業50周年を機に米ペンタグラム社が製作した指定フォント(書体)が引き続き使用されていたが、2007年5月にマイナーチェンジして発売されたラフェスタ(B30後期型)、新規車種として発売されたデュアリス(J10型)以降から、新たに製作された指定フォント(書体)に一新されている。
そのほか、日産ディーラーの各販売店の大型看板(BLUESTAGE.REDSTAGE.RED&BLUE)の指定フォント(書体)は、1983年に米ペンタグラム社が製作した指定フォント(書体)を引続き使用している。
詳細は日産のエンジン型式一覧を参照
| この項目では色を扱っています。 閲覧環境によっては、色が適切に表示されていない場合があります。 |
日産では、1960年代以降、以下のような規則でエンジン型式を定めているが、ルノーと共同開発したM9R型ディーゼルエンジンには適用されない。また、OEM供給を受けている車種が搭載している他社製エンジンや、一時期シビリアンが採用していた三菱ふそう製ディーゼルエンジンなども、当然にこの規則が適用されない。
|
|
|
|
|
|
| エンジン系列名 | 排気量(100cc未満は四捨五入) | バルブ機構 | 燃料供給方式 | 過給器 |
1 エンジンのシリーズ名をアルファベット1~2文字で記す。80年代の前半までは1文字のものが多かったが、現在はすべて2文字である。
など、分かりやすいネーミングが多い。また、慣例的にV型エンジンには「V」(かつてのV型8気筒 「Y」型を除く)、ディーゼルエンジンには「D」が使われている。また1980年代後半以降に開発された比較的新しい直列4気筒ガソリンエンジンは「○R」とつけられる傾向がある。
2 1960年代以前は開発順に番号が付けられていたが、それ以降は排気量の100cc未満を四捨五入し、100で割った値。呼び排気量が1000ccに満たない場合は、頭に0をつける(例 MA09)。ただし、CG13の後継でCGA3DEとなった例外もある。
車検証の原動機型式欄に記載されるのはここまで。なお、3~5は「VQ25HR」などこれに従わない機種もある。
3 無印の場合はSOHCまたはOHV、「D」とついている場合はDOHC、「V」がついている場合はNEO VVLもしくはVVEL(可変バルブリフトタイミング)である。ただし、FJ系は全機種DOHCであるため空欄となっている。
4 無印か「S」の場合はキャブレター(ガソリン車)、または機械式燃料噴射ポンプ(ディーゼル車)、「i」はシングルポイント インジェクション、「E」は電子制御式燃料噴射装置(ガソリン車:EGI マルチポイント インジェクション、ディーゼル車:EDI 電子制御機械式燃料噴射ポンプ)、「P」はLPGエンジン、「N」はCNGエンジンを表す。「D」はガソリン、ディーゼルともに「NEO Di」と呼ばれる直噴エンジンであるが、ディーゼルの場合、通常のインジェクターと、ユニットインジェクター(UI)、コモンレール式のソレノイドインジェクターの区別は無い。
5 無印の場合はNA(自然吸気)、「T」が1つの場合はシングルターボ、「TT」の場合はツインターボ。「R」はスーパーチャージャー(Roots blower:ルーツブロアー)付き、さらに、スーパーチャージャーとターボチャージャを組み合わせると「RT」となる。
ディーゼルエンジンでインタークーラー付きの場合は、後に「i」がつく(ただし、ガソリン車にインタークーラー付きターボエンジンがなかったわけではなく、CA18DETにはイン