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明石家 さんま(あかしや さんま、本名:杉本 高文(すぎもと たかふみ)、1955年7月1日 - )は、日本のお笑いタレント、俳優、歌手、司会者。タモリ、ビートたけしとさんまの3人で日本のお笑い芸人BIG3と称される。
プロフィール
人物
芸風
デビュー当初は菅原文太のモノマネ、当時人気だった阪神の小林繁投手の形態模写や漫談が主であった。 ただし本人は自他共に認める巨人ファンであり、最初は巨人の小林繁として形態模写をしており、江川卓とのトレードで阪神に移籍した際に、この芸を封印したが、トレード直後の阪神タイガースで小林繁の活躍に伴い、関西地区で小林繁の形態模写を熱望されるようになり、本人は渋々再開した所、小林繁と相乗効果で人気を集めるようになった。 現在では司会業が中心で、中には二十年以上続く番組がある。
聞き手に回りながらも、相手の何気ない一言を即席の持ちネタにし、話の節目やオチで効果的に連呼し使用する特徴がある。 トークのテンポに関してはこだわりを持っており、テンポを崩されるとすかさずツッコミやボケを入れる。 例えば、番組中で質問した際に相手が考え込んでしまうと、大抵は「早く言え」等とツッコんだり自らボケを挟んで笑いを取りにかかる。 本人としては、たとえ嘘や適当な答えでも話が広がりさえすればそれでいいので、とにかくパッと早く答えて欲しいと思っている。 また、定番ギャグを持つ若手芸人に対しては「フリからギャグ」という流れを重要視して接する。 しかし、自らのフリに反応が無いと途端に不機嫌になる。
かつて『笑っていいとも!』で共演した松本人志(ダウンタウン)にもその場で出たギャグをやらせようと振ったが、無視されてしまったため激怒したことがある。
師匠の松之助と同様、芸と仕事には厳しく、気の合わない相手に対しては放送中でも陰湿に攻撃する(いじり倒す)場面も見られる。
芸名(愛称)
笑福亭松之助に弟子入りした当初の芸名は「笑福亭さんま」であった。「さんま」という芸名は、さんまの実家が水産加工業を営んでいたことから命名。その後、「明石家さんま」に改名。「明石家」は師匠・笑福亭松之助の本名「明石徳三」から貰い受けたもので、当時は松之助門下の多くが「明石家」を名乗っていた。「明石屋さんま」は誤字。師匠は、家業から名前を付けるのが好きなようで、兄弟弟子には、自転車屋から明石家サドル、美容室から明石家パーマなどが命名されている。命名時のエピソードとして、同期の長谷川公彦が師匠の島田洋之介・今喜多代(現・今日喜多代)に「島田紳助」と芸名を決められた時、杉本は「その名前じゃ絶対売れない」とからかい、長谷川も落ち込む。が、そのすぐあとに杉本が「さんま」という芸名をもらった話を聞いて「こいつ(芸能人として)終わったな」と逆に長谷川に大笑いされたというものがある。
愛称は「さんちゃん」(所ジョージなどが使用し、かつては桂三枝の愛称でもあった)、「チャッピー」(ヤングおー!おー!内で桂三枝と共に「サニー&チャッピー」で出演)、「さんちゃま」また、中堅~若手芸人からは「さんまさん」「お笑い怪獣」(ナインティナインなど)「さんま兄さん」(今田耕司など)と呼ばれている。また、所ジョージは「明石家さん」と呼ぶこともある。萩本欽一の「大将」、ビートたけしの「殿」に相当するもので「若」という呼称もある(主にジミー大西などが使用)。近年はBIG3であることや長年に渡ってお笑い界で活躍したことから、若手のお笑い芸人から「師匠」と呼ばれることが増えており、タモリや桑田佳祐や松尾伴内は(明石家さんま)師匠と呼ぶ事もある。但し、正式な弟子は存在しない。(弟弟子の明石家のんきは「明石家」を名乗っている為弟子と勘違いされる事がある。)村上ショージはさんまが暴走した時などに「先生(センセ!)」と呼び、なだめる場合がある。
同じくBIG3であるタモリ、ビートたけしからは「お前」「あんた」「さんちゃん」「さんまちゃん」と呼ばれ(たけしは「明石家」と呼ぶ事も)、さんまはタモリやビートたけしを基本的にはさん付けで呼ぶが、突っ込む時には、年上にも関わらず「ビート」(もしくは「たけ」、「たけし」)と呼び捨てにしたり「あんた」「お前」と呼ぶ場合もある。
身体的特徴
いわゆる「出っ歯」の代表的人物として有名。前歯を差し歯にするときに「少し引っ込めますか?」と言われたが、断ったという。また、差し歯のメーカが(冬のソナタの)ヨン様と同じだと言い張って物マネをしていた。一時期その顔つきを自ら新幹線『のぞみ』(新幹線300系電車)と表現したことがある。
かん高い笑い声とドナルドダックの様な「クワーッ(もしくは「クエーッ」)」という引き笑いが特徴。音声学的見地から言えば、アホウドリの鳴き声と同じであると言われる(従兄弟弟子にあたる嘉門達夫は「引き笑い鳥」と名づけている)。普段の話し声は実年齢を遥かに上回る声と分析をされたがこの笑い声だけは30代の声と解析された。とんねるずの木梨憲武はゴルフ場で雉の鳴き声を聞いて「あ~、さんまさんも(このゴルフ場に)来てるんだ」と言い、雉とさんまの声を真剣に聞き間違えた。
睡眠時間が極度に少ない。雨上がり決死隊・宮迫博之によると「仕事で3日間一緒になった際、多分あの人はあの3日間一睡もしていない。宮迫が機内で寝ようとしたら、起こされた。また、初日の収録が終わり、次の日の入り時間が早朝だったにも関わらず深夜まで一緒に飲み、次の日フラフラになって収録現場に行ったら、何も無かったかのように元気なさんまさんがいた。こんなことが3日間続きながらも収録が終わって、ダウン寸前で家に帰ってテレビをつけたら、さんまが生放送番組に出演していた」との事。また、寝顔を人に見られるのを極端に嫌い、新幹線で寝ていた際、すぐ後ろに座っていた宮迫博之が寝ていると思った次の瞬間、パッと起き上がって振り返り、宮迫に「(俺が寝てたこと)絶対言うなや」と言った。自身の番組『明石家さんちゃんねる』(TBS系列)では、さんまがあまりにも寝顔を見せないため、「さんまの寝顔写真大募集」と言う企画が行われた。しかし、送られてきたのはたったの1通で、しかも13年前に1度だけ寝顔を撮られた写真のみであった。またタモリ曰く、さんまは寝付くのは異常に早く、ずっとしゃべり続けた後「じゃあ寝まっか」と言った次の瞬間には寝ていたらしい。すぐ寝られるのと同様、起きた瞬間からもう陽気であるという。本人曰く、「寝ないのではなく寝られない」という一種の病気であることを医者から診断されており、睡眠導入剤を使って無理やり寝ることもある。寝ないというイメージがついてしまったために新幹線で寝てるとがっかりされるとも語ることもある。
趣味・嗜好
- デビュー当時は勉強家で、古典的なコメディ映画などのビデオを自分の笑いの糧にしたという。
- 自分が出演した番組のビデオを見るのが大好きで、出演した番組をビデオ録画し自宅に帰ってそれを見ては笑い、または反省する(ただし自己否定的な評価は余りしない)。後輩をわざわざ家に呼んで自分の番組のビデオを見せ、「おい見たか今のオレの間!」といちいち巻き戻し勉強させる事もあり、芸に対して真摯な一面がある。
- 自身の出演した番組だけではなく、他の芸人の活躍する番組も多くチェックしている。睡眠時間が極度に少ないため、ゴールデンから深夜番組まで何でも観ており、家にいる時間はほとんどテレビ観賞に時間を割いている。そのため、他の大御所芸人に比べ他の芸人のネタに詳しい。特に『アメトーーク』はよく見ていて、雨上がり決死隊の宮迫曰く「前アメトーークのスタジオに恋のから騒ぎに出てた女の子がおった(観覧していた)」とさんまが発言していたらしい。またさんまは、その当時流行している言葉等を自分でマネる、もしくは連呼することが多い。波田陽区をテレビで観たさんまが、「残念!」などの決め台詞を真似し、そのことが波田のブレイクに大きく影響を与えたとも言われる。また、NHK『爆笑オンエアバトル』の熱心な視聴者であり、同時に本番組を高く評価している。後輩に「お前らが出なアカン番組は『爆笑オンエアバトル』や!」とも発言したことがある。『明石家さんちゃんねる』では「1人で酒を飲むとき」という話題で、「夜中に『爆笑オンエアバトル』を見ながら酒を飲む。そして、(つまらなかった芸人を見て)『オレもまだまだ大丈夫』と安心する」と発言した。
- 若手芸人に対する「ダメ出し」も多く行っており、上記の多数のテレビチェックも相俟って、中堅芸人(雨上がり決死隊・くりぃむしちゅーなど)でさえも気を抜けないという。岡村隆史がラジオ番組『ナインティナインのオールナイトニッポン』の中で、さんまから電話がかかり、「見たで、あそこしくじったな」と番組中に岡村本人がしくじったと思っていたところをさんざんなじられた上、「岡村、18点、さんちゃん120点」と高笑いして切られることがあって、毎回こたえる、と発言している。くりぃむしちゅーや雨上がり決死隊も、収録前によくダメ出しされているのか、『痛快!明石家電視台』の番組中で「テンションが下がるからやめて欲しいです」と発言した。
- 大のスポーツ好きであり、運動神経抜群と自ら豪語する。高校時代はサッカー部に所属(県大会決勝まで勝ち進んだ経験あり)。1980年代には「ザ・ミイラ」という芸能人サッカーチームのエースストライカーとして活躍した(このチームには木梨憲武や島崎俊郎、植草克秀なども所属)。ザ・ミイラは(Jリーグ開幕以前の)日本サッカー人気低迷期に、オールスター戦の前座試合に出場するなど協力を惜しまなかった。このため、現在でもサッカー関係者との親交が深い。また観るのも大好きで、夜通しCSのスポーツ専門チャンネルを良く見る。そのためオリンピックやサッカーFIFAワールドカップの特別番組で数回キャスターを務めたことがあり、他にもテニス、競輪、ゴルフ、競馬、プロレス、陸上競技等々、番組中のトークでもスポーツに対する造詣が深いことが伺われる。
- 番組出演時に自らの理想の女性についてよく語る。その理想の女性とは『うる星やつら』のラムと『タッチ』の浅倉南であり、かわいくて一途(ラム)で清楚かつ優しい(南)女性が理想だということである。ラムを好きな理由は、「浮気をしても電撃だけで許してくれるから」だとも言っている。歌のうまい共演者に「ラムのラブソング」を歌わせることがある(「あんまりそわそわしないで……」のフレーズが好きと言っている。例:加藤貴子-G1グルーパー、木村拓哉-さんタクなど)。最近ではメグ・ライアンが理想の女性と言っている。
- 薬師丸ひろ子、石原真理絵、内田有紀、広末涼子、米倉涼子など、時代の変遷とともに好みの女性が変わる。最近のアイドルでは上戸彩、長澤まさみ、大塚愛、相沢紗世の4人が好みとも発言している(上戸が『恋のから騒ぎ』出演時、発言。後に『さんまのまんま』に大塚が出演したときも発言している)。
- 萌える設定として、しばしば「白いセーターを膝にすっぽり被せて体育座りをし、『知んないよ…。いなくなっても知んないよ……』と呟く女性を後ろから抱き締める」というものを挙げている。
- 納豆が苦手で、本人曰く「腐ったものを食べてまで健康になりたくない」。前妻大竹しのぶやその家族にも「納豆だけは自分の目の前で食べないでくれ」と言い、冷蔵庫に置くのも見えない位置に隠してもらっていたと本人が語っている(離婚間際は隠してもらえなくなり、目の前でも食べられた)。
- 愛娘の影響で近年はヒップホップ音楽を愛聴しており(エミネムが特にお気に入り)、時々腕を組んでラッパーの真似をすることがある。また、「子供の頃のビヨンセは『天使にラブ・ソングを…』に出ていた!」としばしば発言しているが、おそらく『天使にラヴ・ソングを…2』に出演していた、若き日のローリン・ヒルと勘違いしている(2006年12月2日の『ヤングタウン』での「前略のコーナー」直前の発言からこの勘違いは修正されている様子)。
- チェーンスモーカーであり、マルボロのソフトの愛煙家で、さんまのまんまでは、よく喫煙しながらトークするシーンが見られる(ただし、目上の人や、未成年がゲストで登場した場合は基本的には吸わない。しかし、目上(年上)でもやしきたかじんなど、親しいゲストの場合は喫煙することもある)。中谷美紀がゲストにきたとき、さんまは中谷にどんな男性が好みか聞いた。中谷が「煙草を吸わない人」と答えると急に不機嫌になり、中谷に対して「わがままだ」などと口に出してしまったことがある。また、東京から大阪に移動する際に新幹線を使用するのは移動中に喫煙したいためであり、JR東日本が全面禁煙になる事を嘆いていた。後輩の村上ショージが禁煙した際には「そこまでして長生きしてどうする?」と述べている。
- 犬の話題が好きでトーク中にチワワの会話になると機嫌がよくなる。娘にウェルシュ・コーギー犬(名前はルル)をプレゼントする。その子供の内1匹はガダルカナル・タカがもらった。
- あまりテレビ等で話していないが麻雀好きである。
- 下戸
競馬
親交関係
- 中村勘九郎(現・中村勘三郎)の依頼で、NHK大河ドラマ『元禄繚乱』にゲスト出演する(遊郭の主人役)。その際、遊興にふける勘九郎扮する大石内蔵助に「嫁ハンには気を付けや」とアドリブを入れる(内蔵助の妻、りく役はさんまの元妻・大竹しのぶ)も、オンエアではカットされていた。
- 以前はラジオ番組などで「合コンは嫌い、何が楽しいか分からない」と熱弁していたが、現在では合コン大王としても有名。ことあるごとに関根勤、渡辺正行、ガダルカナル・タカ、笑福亭笑瓶、松尾伴内らと合コンをしている。芸能界の遊び王である津川雅彦、奥田瑛二とも合コン仲間である。
- オーストラリアのゴールドコーストに結婚していた時に購入した別荘を所有しており、かつてはこのローン支払いをトークの話題に上げていた。年末から翌年のお正月にかけて約2週間滞在するのが恒例で、村上ショージ・ラサール石井も毎年同行する。また、同じオーストラリアに別荘を持つ星野仙一・和田アキ子・板東英二らと合流してゴルフをするのが恒例行事。この滞在中にも昼夜問わずしゃべりまくり、2004年正月には同行していた一般の友人夫婦が、さんまのしゃべり過ぎ・夜中までの談義で倒れ、病院に運ばれたことが村上ショージの暴露で明らかになった。声をかけられると誰にでも手を振るため、2006年の正月には空港で個人輸入業者と間違われ、面倒くささから反抗してしまい現地警察で数時間拘留されたという。
- 自分の出た番組のビデオを後輩芸人に延々と見せる。ラサール石井が「なんとかなりませんかね?」と窮状を訴えていることをビートたけしに明かされ、さんまは苦笑していた。
- 東西のお笑い芸人達が仕事抜きで開催するゴルフコンペにおいて、自分以外の者が優勝しても「真の優勝者はオレや」と豪語する。その理由も「(○番ホールでの)球筋がよかった」だの、「(○番ホールでの)スイングのキレがよかった」だのとピンポイントでの調子よさを強調するものである。なおこのコンペには、さんまを筆頭に、タモリ、所ジョージ、笑福亭鶴瓶、関根勤などの面々が顔を揃えている。
- オール巨人とコースを回った際、一打毎に一喜一憂し大騒ぎするさんまに憤慨し「おまえとは二度と一緒にゴルフはしない」と言われる。
仕事
- 一部の番組では自ら企画構成も行っている。その時の名義は本名の「杉本高文」としている。
- 年末から翌年のお正月にかけてオーストラリアに滞在するためクリスマス明けからお正月の生放送番組には出演せず、年末の仕事終わりは『明石家サンタの史上最大のクリスマスプレゼントショー』である。その代わりクリスマスの特番には多く出演している。
- 近年のバラエティー番組に見られるテロップ演出について否定的な意見を述べており、自身の出演する番組では一部を除きテロップ演出を使用していない。
- 関西ローカルで『痛快!明石家電視台』(大阪収録)、『ヤングタウン土曜日』(東京収録)の2本の番組にも出演しているが、これは「大阪の番組という初心を忘れないため」だと言われている。また本人は「女性問題で一時期干された時にラジオの若手スタッフだけがかばってくれ、そのスタッフがそのままテレビに異動したので(義理で)出ないとしゃあない」と発言した。
- 1985年以降テレビ東京制作番組、1995年以降テレビ朝日制作番組、デビューからNHK制作番組には出演していない。
- 日本テレビが毎年8月に「チャリティー番組」として開催している『24時間テレビ 「愛は地球を救う」』への出演をビートたけしや笑福亭鶴瓶同様、断固拒否しているとされる。但し、1995年に間寛平の24時間マラソンの応援として『24時間テレビ 「愛は地球を救う」』に、スタジオではなく休憩所でわずかな時間、チアガールの扮装をしてという条件化で、わずかではあるが出演した。
- ゴールデンタイムでは不適切とされてきた「SEX」という言葉を「エッチ」と言い換えることで、放送で発言しやすくした。
- 年齢が30歳を越えた女優なら「大女優」じゃなくても「大女優」と呼び持ち上げることもある。
- 『さんまのまんま』に若手女性タレントや若手女優が出演すると、泣かせてしまうことが多い。酒井法子、山瀬まみ、羽野晶紀、西田ひかるなどが泣かされた。また、別番組の『さんまのSUPERからくりTV』では小倉優子を泣かせた。
- CM撮影に時間をかけないとして知られており、撮影現場に到着するやほぼ一発録りに近い撮影で短時間で現場を去る。
- 遅刻魔として有名で、仕事の時は尚更寝坊する。目に余る遅刻のため電話をしても、返答するだけで電話ごと破壊して眠り続ける事もあったという(電話を壊したという記憶は欠落している)。「笑っていいとも」においても、寝坊の為に移動中の自動車内からの電話出演などが多々見られた。
私生活
- 石原真理子著の『ふぞろいな秘密』で関係のあった人物として公表される。
- よく番組内で共演者が「さんまさんは普段からあの調子でベラベラしゃべっている」と言うことがあり、宮迫博之からは『痛快!明石家電視台』収録のための移動(新幹線)では、隣同士に座る共演者の松尾伴内と行き帰りの4時間以上ずっとしゃべり続けており、「他の乗客は疲れて寝たいサラリーマンの人達ばかりなのに、ずっと二人がしゃべり続けているから寝られなくて困っている」と言われている。常時しゃべっているため喉への負担が大きく、寝起き時はかすれた声しか出ない。
- ジミー大西、間寛平、村上ショージ、笑福亭笑瓶、松尾伴内、フットボールアワーの岩尾、大泉洋には絶対生まれ変わりたくないらしい。
- 滅多に体調を崩さない。そのため、37度の微熱でも当人にはとても辛く感じられるという。風邪を引いたときは、みかんを食べて太陽に向かって走ると言う(実際にやった東野幸治は逆に悪化したと発言している)。
- 運転免許は娘が産まれた後取得した。当時の妻・大竹しのぶは女性誌の取材で「子供を生んでからしばらくの間、腰痛で運転したくなかった。代わりに運転するためにさんまさんが免許を取った」と言っているが、自身は番組で「運転を名目に、娘のおむつ交換から逃げられるから免許を取った」と度々言っている。
- 2006年にビルを購入している。
家族
- 実母とは死別している。また、1983年4月に弟が火事で焼死し、実父は2006年2月4日に死去。
- 実父は、さんまが噺家(芸人・芸能人)になるのを反対していたようだが、さんまが売れた後、「カラオケスナック・さんま」を開店するという手のひら返しをした。また、電話で本名の高文でなくさんまと呼ぶようになり、さんま本人はショックを受けたそうだ。
- 1988年9月、女優の大竹しのぶと結婚、長女・いまるが誕生するが、1992年9月に離婚。
- 子供には「お父さん」と呼ばせず「ボス」と呼ばせている。本人はその理由を、常々自分という人間は父親という器ではなく、昔から「ボス」と呼ばせるのが夢だったと語っている。但し、これには、さんまを「お父さん」と呼ぶことに抵抗があるかもしれない二千翔(にちか:大竹しのぶの長男)への気遣いもあると大竹が著書で語っている。
- 座右の銘は「生きてるだけで丸もうけ」であり、さんま曰く、長女の名前も座右の銘から「いまる」と名付けたとしているが、大竹は「今を生きる」から名付けたと言っている。名前が公表されているにもかかわらずさんまの番組などでは顔出ししたことが一切無かったが、2006年、大竹が出版した自叙伝の中で二人の顔が初めて公開された。『27時間テレビ』・今夜は眠れないのコーナーで、大竹や長男の二千翔とともに電話出演が一度ある。
- 2006年7月23日放送の『おしゃれイズム夏の60分SP』によると、再婚する気は満々らしい。また、番組中にいまるが3歳の時に製作した父の日の初めてのプレゼントを紹介している。
ひょうきん族
- 1981年にビートたけしや島田紳助などとともにフジテレビ系のバラエティ番組『オレたちひょうきん族』にレギュラー出演。
- 人気の火種となったコーナー「THE タケちゃんマン」の敵役・ブラックデビルは、当初は高田純次が務めていたが、第2回収録前に高田がおたふく風邪で入院し、代役として急遽さんまが抜擢され好評を得、それ以後レギュラーになる。
- 出演当初は、春風亭小朝と即席漫才コンビを組んで出演したこともある。
- 1985年8月12日に発生した日本航空123便墜落事故では、事故機に搭乗する予定だったが、搭乗を1便早めたために事故に巻き込まれなかった。当時東京~大阪間の移動にいつも使っていたのが同便で、事故当日は『オレたちひょうきん族』の収録が中止となったために1本早い便に搭乗。その日は月曜日で、ラジオのレギュラー番組『MBSヤングタウン』の生放送があった。番組は殆どが事故の報道となっていたが、途中でさんまが登場し、事故の報道以外は音楽を流すことをリスナーに告げ「もう今日はしゃあないやろ」とぼやき、その後はずっと音楽が流されていた。これ以降ショックでしばらく仕事が手につかず、これ以後移動手段を新幹線に変更した(沖縄や海外ではやむなく飛行機を使う)。また、このような苦い経験があったにもかかわらず、後に日本航空の「JAL飛びサスケ」のCMに出演したことについては各方面で賛否両論の声があがった。
- 『ひょうきん族』時代、「パーデンネン」に化けていたさんまは、派手な服装や髪型で有名だった芳村真理から「さんまちゃん、派手ねー」と言われたことがある。芳村は当時フジテレビの歌番組『夜のヒットスタジオDELUXE』の司会をしており、1985年に同番組の放送曜日が変更となってから、収録日が『ひょうきん族』と同じ水曜日になっていた。さんまは未だにこのエピソードが強烈に記憶に残っており、『夜ヒット』あるいは芳村真理と言えば真っ先にこのエピソードを紹介することが多い。また、芳村の代名詞ともなっていた「どうもー」という挨拶であるが、芳村本人が「どうもー」を言ったことは少なく、実際にはさんまが『ひょうきん族』などで芳村の物真似をしていた中で「どうもー」を連発していた。
- 1987年、『笑っていいとも!』のトークコーナーで、吉永小百合のファンであるタモリをいじるため、楽曲中に「鹿のふん」という吉永らしからぬ歌詞が出て来る「奈良の春日野」を発掘・放送、大きな話題を集めた。レコードは吉永の許諾の下 再発売され、フライデー襲撃事件でたけし不在となっていた『ひょうきん族』でもこの曲を流用。そこではさんまが着ぐるみを着て踊っていた。
- 「ひょうきんニュース」のコーナーに出演する時は、本名の「杉本高文」を名乗っていた。
- 怪人アミダ婆。コシノ・ジュンコ、デザインの服、桑田佳祐作詞作曲のアミダ婆の曲で登場。
- 怪人ビックリ箱。ビックリ箱で人を驚かせる。感傷的なテーマソング曲の作詞作曲は松山千春。
- 怪人ナンデスカ。万博に似せたテーマソングで登場。甲高い声で「ナンデスカー」と聞き返し相手に不快感を与える。
- 数々演じてきたキャラクターの中で「パーデンネン」だけは恥ずかしかったと語る。逆に一番好きだったキャラクターは「ブラックデビル」。一方、たけしがさんまのキャラで一番好きだったのは、「サラリーマン」である。このサラリーマンはスーツにネクタイ、メガネといったありきたりの風貌で「高卒、手取り18万」という境遇でタケちゃんマンに難癖をつけて絡むというキャラクターだったが、視聴者から「夢が無い」と苦情がきてわずが3週で消えてしまう。カルチャークラブのボーイ・ジョージにパーデンネンの格好を見られたとき"You crazy"と言われた。
- 青森県出身の妖怪人間「しっとるけ」。「ヒャーホホ」と叫び、登場の時には民謡が流れ、民謡を歌う少年少女合唱団と登場。
- 番組終了後、フジテレビの美術スタッフから歴代キャラクターのフィギュアを贈られている。
- 「ひょうきんベストテン」の初代司会者。
来歴・エピソード
若年時代
- さんまの出身小学校である奈良市立鼓阪小学校には、小学生当時捕まえたももんがが展示されているらしい。また当時「ももんがを捕まえた少年」として話題になった。
- 高校時代に運動会の徒競走で「よーいドン」と共に後ろへ逆走した。その結果、運動会は一時中断しさんま含む8人の悪ふざけグループは正座させられ、教師に竹の旗で頭を叩かれる。ある一人に対しての音が「バシッ」ではなく「ポコン」だった為さんまは笑いをこらえ下を向いていた。その時教師に全校生徒に「見てみろ!杉本が泣いてるぞ!こんな男でも反省するんだ、杉本泣いてるな?」の言葉にさんまは「プッ」と吹き出してしまった。それを見た教師はさんまを追いかけ腕を掴んで怒られている時に、新聞部の生徒が写真を撮った。後に番組でその写真が見つかり長嶋一茂が「Tシャツにしてください」ということで、2007年の『さんま・中居の今夜も眠れない』でそのTシャツを着て出演した。ちなみにそのTシャツには写真と「Please!! give me a break?」の文字が描かれていた。
- さんまは中学、高校の頃はアメリカの女子水泳選手:シャーリー・ババショフのファンであったことを、1997年頃の自分の番組『さんま・玉緒のお年玉あんたの夢をかなえたろかスペシャル』(TBS)の中で語っていた。その縁でババショフがさんまの番組にVTRで出演してくれたことがある。
- 小学生時代は肥満であった。
- 少年期の頃はプロレスラー志望で体を大きくしたいために「毎日肉が食べたい」と懇願する。
内弟子時代
- 1974年2月、高校3年の時に2代目笑福亭松之助に弟子入り。下積み時代は兵庫県西宮市甲子園に在住。当初の芸名は「笑福亭さんま」。入門の動機は花月劇場で見た松之助の新作落語が面白かったから。初めて顔を合わせた際、松之助に入門の理由を問われたさんまは「センスがある」と、さんまとしては素直な気持ちを伝えただけだったが、それに対し松之助は「おおきに」と礼を言った。入門生活は、丸刈りにされること以外はあまり厳しくなく、放任主義だったという。この時に春風亭小朝と出会っている。
関西ローカル時代
- 1975年、『11PM』(日本テレビ系)でテレビデビューを果たす。「落語家の成人式」というテーマだったが、さんまは師匠・松之助の忠告により営業用の赤いブレザーを着用。また番組内で、女性漫才コンビ「海原千里・万里」の海原千里(現在の上沼恵美子)から、「SEXの四十八手以外に知っている技がある人は?」という質問に対し、「逆さ十文字落としでぇ~す」と答えて技を説明した。スタジオは爆笑だったが司会の藤本義一から「テレビで言って良いことと悪いことがあるぐらい覚えておきなさい!」と叱責される。しかし、横山やすしには気に入られ、その後やすしの家に招待された。また、この放送を見ていた松之助は、この件を大いに絶賛している。
- 1976年に毎日放送(MBSテレビ)の人気番組『ヤングおー!おー!』に出演。「チャッピー」と名付けられ、司会の桂三枝の愛と厳しさに育まれながら、次第に頭角をあらわす。番組内ユニット「ザ・パンダ」(先代林家小染・月亭八方・桂きん枝・桂文珍)を改編してさんまをメインにした「さんまアンド大阪スペシャル」(SOS)を立ち上げ、諸先輩を差し置いて1コーナーを任されるまでになる(当時のキャッチフレーズ「おれは大阪のさんまや!」)。その後、プロ野球阪神タイガースの小林繁投手の投球フォームを形態模写して評判になり、関西を中心にアイドル的な人気を勝ち取る。そして、1980年より、10年余りにわたる同番組司会を卒業することとなった三枝からの指名によって後継司会者の座に付き、番組終了時まで2年9ヶ月にわたり晩期の同番組の大黒柱として活躍した。
- 兄弟子に当たる五所の家小禄と漫才コンビを組んでいたことがある(その当時のVTRは現在もよみうりテレビに残されている)。
- 駆け出しの頃は、よく同期の島田紳助と二人で遊園地などに営業に行っていた。この他、同期にはオール巨人、桂小枝らがいる。また中川一美(寿一実)と一緒に新喜劇の舞台で共演していた事がある。
- 1979年、関西テレビで午後7時から放送された番組『誰がカバやねんロックンロールショー』の司会を担当。同名のバンドや、紳助・竜介らと共演し、関西の若者を中心に人気を呼んだ。
- 1979年、シングル「Mr.アンダースロー」で歌手デビュー。大阪ガスのCM曲だったこのシングルは、オリコンの大阪チャートで1位を獲得した。キャッチコピーは「頼れるエースはアンダースロー」。「CMが放映されブレイクしていた時に、番組内で『燃料といえば?』と振られたので、あえて『練炭』と答え、ガスのCMから降ろされてしまった」と本人はネタにしている。
- また、『花王名人劇場』(関西テレビ制作 フジテレビ系)の『裸の大将放浪記』で、和菓子屋ぎおん堂の番頭としてゲスト出演。
- 営業の余興で島田紳助の手足を縛り上げプールに落とし脱出するという脱出劇をするが、水没する紳助が見たのは両手を叩いて大笑いしているさんまの顔だった。
1980年代前半
- 20代の頃は、芸能人オールスター運動会で、田原俊彦など当時人気絶頂のアイドル相手に空気を読まずにリレーで先着したことがある。番組関係者からこってり怒られたとも言われる。
- 笑っていいとも!ではタモリと共に佐賀県をこき下ろした発言を繰り返した。また、別番組ではサガテレビの内田信子アナウンサー(当時)を必要以上にからかうなど、佐賀と言うだけで必要以上に侮蔑したりする態度を見せていた。
1980年代後半
- 1985年、サザンオールスターズのアルバム『KAMAKURA』のテレビCMに出演した。その時のギャラはCDウォークマン(当時の価格としては5万円相当と推測される)だけだったという話を多くのレギュラー番組で吹聴したが、実際のところは判然としていない(桑田佳祐はサザンの20周年特番内で本当だったとコメントしている。ただし、桑田もこのテのギャグが大好きなので真偽は依然曖昧なままである)。
- 1985年、第1回東京国際映画祭においてタモリとともに司会者をつとめる。後日、その司会ぶりが「ふざけた司会者」「ソフィー・マルソーに知っとるケと言う始末」と新聞紙面上で非難される。当時のレギュラーだった金曜日・笑っていいとも!でトークのネタにする。タモリといっしょに「始末か!オレたちは!」と叫び、挙手をしながら「私がやりました!」と言った。
- 1989年10月6日放送のさんまのまんまにゲストで梓みちよが出た際、さんまが言った一言が梓の気に障ったようで、自分が飲んでいたシャンパンをさんま目掛けて2度もかけた。それが週刊誌で騒がれ、後日お詫びとして梓から高いブレスレット(値段は不明)がさんまに送られてきたとさんま本人が語っている。
- 1987年、ナムコがファミリーコンピュータ用ソフト『さんまの名探偵』を発売する。
1990年代前半
- この頃には『オレたちひょうきん族』も終わり、またダウンタウンやウッチャンナンチャンなどの人気が急上昇してタレントとしては陰りが見え始めてきた。さんま自身も全国放送のゴールデンタイムのレギュラーがなくなったことで「さんま限界説」が業界内で囁かれた。
- この時期、関西で、*痛快!明石家電視台(毎日放送)が関西地方で開始された。既に活動拠点を東京に移していたさんまが、突然関西ローカルの番組を持つ事については様々な憶測が飛んだ。番組開始した頃は、さんまがレギュラー出演していた『オレたちひょうきん族』(フジテレビ系列)の打ち切りなどの影響で、「さんまがつまらなくなった」「さんま賞味期限切れ」とテレビ業界で囁かれていて、さんまの人気が下降気味であった事から、救済の意味合いも込めて所属の吉本興業の口添えで始められたものと言われている。これは「大阪の番組という初心を忘れないため」と言われており、なお、収録前に、さんま、村上ショージ、間寛平の3人でゴルフに行ってからスタジオ入りしていると語っている。 なお、この番組が関西での唯一のレギュラー番組となっている(2008年9月現在。)
- この頃、東西の芸人(芸能人・タレントよりも狭義)でのゴルフコンペ「素人名人会」が行われており、さんまも常連参加者であった。ある回で第1打を打とうとしたところ、自慢のドライバーのヘッドが何故か折れていて、シャフトだけを振りかぶっていた(同組の上岡龍太郎から「さんまくん、今日は釣りか」とツッコまれて気が付く)。錚々たるメンバーの揃った会でありながら、その中でも最も目立つ事をしてしまい、参加メンバーの番組で軒並み語られる事になった。
- 卓球の福原愛が幼少時、『明石家さんまのスポーツするぞ!大放送』に出演した時、さんまとの試合で敗北した際、福原が失敗するとさんまは大人気ない行為を行ったり、自分が成功すると大はしゃぎで喜んでいた為、番組中に泣かせた事がある。福原の主張によればこれはさんまがルール違反のサーブをした為で、それを今でも認めないさんまとは対立関係が続いている。
- 1995年のフジテレビ正月特番「爆笑そっくりものまね紅白歌合戦スペシャル」で研ナオコと白組キャプテンをつとめた際、紅組の斉藤ルミ子がシンディ・ローパーのまねをしたところ、本人が登場し、足を触ってもらってご満悦だった。そこでシンディ・ローパー本人が肩を抱き、あげくに持ち上げるパフォーマンスを行った。なお、同じく紅組の城之内早苗が小林幸子のものまねをする前のトークで、「セットじゃ足りないから、今度はきっと東京タワーを背負う」「その次はNHKホールを背負う」などと盛り上がったのはいいが、そこへ本人が登場し、研ともども、土下座して謝った。
1990年代後半
- 1995年の秋、長年レギュラーだった『笑っていいとも!』を降板。降板理由について当時週刊誌では「面白おかしく不真面目にやっていたさんまがスタッフに”真面目にやってください”と言われ激怒した」とささやかれていたが、2008年のFNSの日において、さんま本人がレギュラー当時いいとものコーナーであった「タモリンピック」についてふれられ、「タモリンピックふざけてやったら降ろされた」とさんま本人もみとめている。
- 1996年、フジテレビの人気ドラマ番組『古畑任三郎』に出演、やり手の弁護士、小清水潔を熱演する。当初は売れないロックシンガーの役の予定だったが、プロットを聞いたさんまは脚本家の三谷幸喜に対して軽い気持ちで「弁護士と古畑が闘うってのはおもしろいんじゃない?」と提案。すると自らも法廷物が好きな三谷は快諾し脚本を書く