東京芸術大学 とは?ページ内リンク ↓ウィキペディア(Wikipedia)記事 ↓Yahoo!知恵袋東京藝術大学(とうきょうげいじゅつだいがく、英語: Tokyo University of the Arts)は、東京都台東区上野公園12-8に本部を置く日本の国立大学である。1949年に設置された。大学の略称は「藝大」、「東京藝大」、TUA。 出典: 『ウィキペディア(Wikipedia)』 関連商品
片岡啓子 /
最安値(新品): ¥ 4,442
|
|||||||||||||||||||||||||||
| 東京藝術大学 | |
|---|---|
|
音楽学部正門(上野キャンパス)
|
|
| 大学設置 | 1949年 |
| 創立 | 1879年 |
| 学校種別 | 国立 |
| 設置者 | 国立大学法人東京芸術大学 |
| 本部所在地 | 東京都台東区上野公園12-8 |
| キャンパス | 上野キャンパス - 東京都台東区 取手キャンパス - 茨城県取手市 横浜キャンパス - 神奈川県横浜市中区 千住キャンパス - 東京都足立区 |
| 学部 | 美術学部 音楽学部 |
| 研究科 | 美術研究科 音楽研究科 映像研究科 |
| ウェブサイト | 東京藝術大学公式サイト |
東京藝術大学(とうきょうげいじゅつだいがく、英語: Tokyo University of the Arts)は、東京都台東区上野公園12-8に本部を置く日本の国立大学である。1949年に設置された。大学の略称は「藝大」、「東京藝大」、TUA。
日本で唯一の国立の総合芸術大学であり、入学倍率の高さは日本随一である。 実技系の科の試験にあっては実技試験を重視する。科によっては、その入試倍率は毎年数十倍に達する。 これまでに国内外で活躍する芸術家、演奏家、作曲家、研究者、教育者を数多く輩出している。
なお、学校名について法人登記上は東京芸術大学である。それゆえ規則や公文書では藝ではなく芸を使用している。しかしながら、規則や公文書を除いた諸処の媒体の多くにおいては芸ではなく藝を使用している。
また、平成20年4月1日から、英語表記がそれまでの Tokyo National University of fine arts and music (TNUFAM) ではなく、Tokyo University of the Arts (TUA)が使用されるようになった。[1]。
目次 |
美術学部(絵画科、彫刻科、工芸科、デザイン科、建築科、先端芸術表現科、芸術学科)と、音楽学部(作曲科、指揮科、声楽科、器楽科、邦楽科、楽理科、音楽環境創造科)の2学部14学科から成り、大学院に美術研究科、音楽研究科、映像研究科が置かれている。
学内では道路一つ隔てた立地と旧称から、美術学部を美校、音楽学部を総称して音校と言う。
従来「美術」と「音楽」の二学部のみであったが、映像芸術(映画・アニメ)・舞台芸術(演劇・ダンス)までを包括した総合芸術大学への改革を進めている。その流れの先陣を切り、2005年4月より大学院に映像研究科が設置された。
前身は官立の専門学校「東京美術学校」と「東京音楽学校」である。1949年5月、国立学校設置法(昭和24年法律第150号)の公布施行に伴い、「東京美術学校」と「東京音楽学校」が統合され、新制「東京芸術大学」(東京藝術大学)として設立された。
2004年4月1日に国立大学法人法の制定及び国立学校設置法の廃止により、これまで国の機関の一部であった大学は法人格を取得して「国立大学法人東京芸術大学」となり、同時に東京芸術大学を設置。
1876年(明治9年)、工部大学校付属「工部美術学校」が設立され、お雇い外国人によるヨーロッパ式の教育が行われたが1883年に廃止された。その後、1885年(明治18年)に文部省の図画調査会において官立美術学校の設立が提案され、アーネスト・フェノロサ、岡倉天心、狩野芳崖等が中心となって「図画取調掛」が設立される。
その後1887年(明治20年)10月4日に「東京美術学校」と改称、1889年2月に現在の上野校地(旧教育博物館跡)に移転し授業を開始した。当初は日本画、木彫、工芸の三科で、後に西洋画科、建築科などが設置された。「東京藝術大学」開学の2年後(1952年)に閉校。
1878年(明治11年)伊沢修二は、目賀田種太郎と連名で音楽教育の意見書を文部大臣に提出。1879年(明治12年)、文部省に伊沢修二を御用掛とする音楽取調掛が設立され、日本国の音楽教育に関する諸調査等を目的とした。
翌年以降、師範学校付属小学校生や幼稚園生への教育、音楽教員の育成を行い、音楽専門教育機関の役割を果たすようになった。その後数回の名称変更を経て、1887年(明治20年)10月4日に「東京音楽学校」と改称される。1890年5月12日には新校舎(現在の旧東京音楽学校奏楽堂が含まれていた校舎)が現在の奏楽堂の位置に落成された。
また1893年に、一時東京高等師範学校の附属学校となったが1899年に独立。数回に渡る機構改革を経て「東京藝術大学」開学の2年後(1952年)に閉校。
映像研究科は学部を持たない独立した大学院である。修士課程と博士課程が置かれており2005年に設置された映画専攻を始め、メディア映像専攻、博士課程の設置を経て、2008年にはアニメーション専攻が設置された。
大学別科は1951年に設置された、音楽に関する技能を教授する2年制のコースである。 専攻実技には声楽、器楽(ピアノ・オルガン・弦楽器・管打楽器・古楽)、邦楽(三味線音楽・邦楽囃子・箏曲・尺八・能楽・能楽囃子)があり、個人指導による授業が展開されている。
美術学部(絵画専攻)に属し、絵画の材料と技術の側面から、実技・講義・演習を通して油画の定義、成立と発展についての教育や研究を行う。ゼミの内容は学生の制作および発表、フラ・アンジェリコなどの模写実習によるテンペラ画の考察、支持体、地塗り、絵具の自家製法、写真、デジタル撮影など。2008年現在、佐藤一郎が指導しており、佐藤の訳書『マックス・デルナー:絵画技術体系』の講読・実習を行っている。
明治期の油画の材料・絵画技術の実態を知るために、大学資料館に所蔵される全作品を調査し出版[2]、また明治後期、西洋画科が設立された当時の教官と学生作品について油画保存修復研究室(1994年設立)との共同調査も出版されている[3]。
東京藝術大学には大きくわけて上野、取手、横浜、千住の四つのキャンパスが存在するが、この他にも駒込、松戸、奈良、那須の各地区にも施設が置かれている。
上野キャンパスは土地が道路を挟んで2つに分かれており、北側には音楽学部、南側には美術学部の建物が存在する。
1~5号館、練習ホール館、奏楽堂、赤レンガ1,2号館、大学会館、事務局・保健管理センター、音楽学部附属音楽高等学校、不忍荘、車庫、テニスコートが立ち並ぶ。
中央棟、絵画・彫刻・金句の各棟、A~Cの3つの総合工房棟、附属図書館、大学美術館、大学美術館(旧館)、正木記念館、陳列館、藝大アートプラザが立ち並ぶ。
取手キャンパスでは、美術学部先端芸術表現科と、絵画・彫刻・工芸・デザイン・建築の各科の1年次の授業を行う。その他、美術学部共通工房棟、美術学部専門教育棟、メディア教育棟、美術学部登窯、野外制作場、福利施設、短期宿泊施設、大学美術館取手館、守衛所が置かれている。 また、メディア教育棟内には附属図書館取手分室、芸術情報センター取手分室が設置されている。
馬車道校舎、万国橋校舎、新港校舎の3つの校舎が存在し、歴史的建造物である旧富士銀行横浜支店の建物に大学院映像研究科が置かれている。馬車道校舎では映画専攻。新港校舎ではメディア映像専攻。万国橋校舎ではアニメーション専攻をと、それぞれ設置されている。
大学院音楽研究科音楽文化学専攻の一部と、音楽学部音楽環境創造科が置かれている。 なお、このキャンパスは2006年9月に開設された。
昭和59年に解体、移築された旧東京音楽学校奏楽堂の跡地に新たに建築された。 地上5階、地下2階のホールでフランスのガルニエ製オルガンが設置されている。
附属図書館は、1949年5月、東京藝術大学が発足したときに、東京美術学校文庫と東京音楽学校図書課の蔵書を統合することで始まったものである。46万点の蔵書のうち8割近くは、芸術関係の資料である。同附属図書館は美術学部内に設けられている。
大学美術館は1996年に完成した。現在の収蔵品は2万8000件近くに達している。一階には大浦食堂が設けられている。
奈良、京都を中心に存在する飛鳥以降の各時代の建築物、絵画、彫刻、工芸品等の日本古来の優れた作品の研究を行っている。主に美術研究旅行や、教職員・学生の古美術研究、及び実習に利用される。
同写真センターは、写真を中心とした視覚芸術に関する研究の増大を目的に開設された。開設授業として、写真表現演習II、写真概論、現代写真論があり、そのほかに集中講義も実施している。
主にレポートや卒業論文、博士論文などの作成に、また個人の研究に利用できる音楽学部の学生・教員の研究施設である。
同センターは昭和50年4月学内共同教育研究施設として設置が認められたもので、主に正しい発声、発音の授業を開設している。
新しい総合的な舞台芸術作品の創造を行うことを目的として、美術学部・音楽学部の枠を超えた教育研究を行う場を創っている。
学内共同利用施設としてセンターの芸術情報システムを整備運用し、研究、教育及び事務処理等の利用に供すると同時にキャンパスネットワークの適切かつ効率的な管理運用を行い、東京藝術大学における情報化を推進している。
芸術を通じて、社会や人が連携・協力しながら有機的に結びついていくための活動を推進するための施設である。
東京藝術大学が企画開発した作品や、同大学の教員等が創作した作品等の教育研究成果を、社会に対して積極的に発信するとともに、文化芸術を身近なものにして、心豊かな生活や活力ある社会の実現に寄与することを目的として2005年に設置された。
同センターは東京芸術大学の学生および教職員の保健管理に関する専門的な業務を行い、学生および教職員の心身の健康の保持増進を図ることを 目的として、運営されている。
同センターは留学生の奨学・生活指導に関する業務を行う施設である。
同会館は学生及び教職員の福利厚生を図るための総合施設である。一階にはキャッスル食堂が設けられている。
主に保健体育科目の教育・研究及び同大本学の行事に利用するほか、学生の課外活動等に利用されてる。 東京藝術大学音楽学部附属音楽高等学校正門から道路をはさんだ向かい側から右に、約50メートルに位置する。
同施設は東京藝術大学及び音楽学部附属音楽高等学校の学生・生徒及び教職員の教育・研修及び課外活動のために使用することを目的として設置されたものである。
利根川荘は東京芸術大学の教員、学生、職員が取手校地における正課及び課外活動、その他の教育活動を遂行するため、短期の宿泊に利用することを目的として取手キャンパス内に設置された宿泊施設である。
同会館は外国人の留学生・研究者に居住の場を提供し、あわせて教育研究上の国際交流に寄与することを目的として、設置された。
この寮は同大学学生、同大学院生ののために昭和50年に竣工されたものである。なお、同大学音楽学部附属音楽高等学校生徒の入寮出来ない。
東京藝術大学では『藝術祭』、通称「藝祭」と呼ばれる学園祭が毎年9月に3日間にわたって催されている (2008年度は9月5・6・7日)。上野公園内を練り歩く神輿が有名である。
東京藝術大学には文化、体育会系の2つのサークルの他、同好会も置かれている。
このオーケストラは2003年に創設され、東京藝術大学音楽学部と大学院に在籍する弦楽器の精鋭、25名が中心となって、様々な活動を行なう室内オーケストラである。
東京藝術大学の同窓会は音楽学部と美術学部とで別々に分かれている。
美術学部の同窓会で、昭和62年に「美術学部同窓会」として設立され、平成8年より「杜の会」と改められ現在に至る。
明治22年に設立された。
東京芸術大学の人物一覧を参照
詳細は東京藝術大学音楽学部附属音楽高等学校を参照
優秀な音楽家を育成するための早期教育を目的として1954年、神田駿河台に創立された。
なお、1995年に同大学音楽学部、敷地内に移転された。
専攻によっては受験者・合格者がいない年もある。
美術学部に附属する学校は存在しない。