東京都 とは?ページ内リンク ↓ウィキペディア(Wikipedia)記事 ↓Yahoo!知恵袋この項目では行政区分としての東京都について説明しています。 出典: 『ウィキペディア(Wikipedia)』 東京都 出典: 『はてなダイアリー』 関連商品
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東京都(とうきょうと,英:Tokyo Metropolis)は、都道府県の一つであり、日本の首都機能が置かれている東京特別区および多摩地方、伊豆諸島、小笠原諸島を管轄する地方公共団体である。小笠原諸島を管轄しているため、日本最南端及び最東端(異説あり)の都道府県でもある。
公式キャッチフレーズは、『らっしゃい東京』である。
目次 |
関連記事「東京市と東京都」も参照。
大きく分けて、東京特別区(東京23区、特別区、区部。旧東京市)、多摩地方、伊豆・小笠原諸島(島嶼部)の三地域に分けられる。
第二次世界大戦中の1943年7月1日に、東京都制(昭和18年法律第89号)が施行され 、東京府と東京市を統合した形で、東京都が設置された。第二次大戦後の1947年に、地方自治法が施行されたために東京都制は廃止されたが、「東京都」の名称と行政区域は変更されず、現在に至っている。このため、東京都庁は、市役所(23区を包括する市)としての機能と、県庁として広域行政体としての機能を併せ持つ。
「都内」「東京都内」と言うと、多摩地方と島嶼部も含めて全域を指すが、区部(旧東京市)のみを「都内」と呼んで、多摩地方を都下と呼ぶ事がある。これは、県内と県下が同義であることを考えるとおかしな表現であるが、かつて「東京市内」「東京府下」とされた呼称が、都制施行時にそのまま「東京都内」「東京都下」に呼び変えられたことで起こった慣習的な表現だと言われている。
「都下」という呼び方は、「都下スポーツ大会」のように公的にも使われていたこともあるが、差別的あるいは見下したともみなせる表現のため現在では使われることが少ない。
「東京23区(特別区)」は、他の政令指定都市の「区」とは大きく形態が異なる。区長は公選制であり、近年には都からの権限委譲が進んでおりほとんど「市」と同様の自治体になっている。しかし、 住民が区から市への名称変更に抵抗があること、 残る権限委譲についてまとまってないことから未だに「区」との名称が残っている。
都庁舎の所在地は長年千代田区にあったが、1991年4月1日に新宿区に移転した(跡地には東京国際フォーラムが立つ)。この新宿副都心に完成した新東京都庁舎は、展望台も設置された観光名所としても知られる。
都の見解による都庁所在地は新宿区であるが、特別区の総称としての都市名で「東京」とされる場合もある。天気予報では、特別区を「東京」として表示する。国会は天皇によって、国会議事堂のある「東京に召集する」と詔書には書かれる。帝国議会は、東京以外での開催は広島市で開かれた第7回帝国議会の事例があるのみである。
特に東京都区部は、日本の首都として、司法・立法・行政の中心地であり、経済の中心地でもある。人口は12,577,819人(2005年12月1日現在)。日本の都道府県の中では、人口が最も多く、人口密度は大阪市と同程度。東京都区部を中心とした都市圏(首都圏)は、世界で最も人口が多い都市圏である。また、世界都市の1つでもある。
なお、東京都の英語表記は、Tokyo Metropolis(あるいは Tokyo Metropolitan prefecture)。東京都庁を指して東京都ということもあるが、この場合はTokyo Metropolitan Government。
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| 気温 °C 総降水量 mm 出典: Climate-Charts.com |
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2月中旬-4月上旬頃までは南岸低気圧が通過しやすくなり、関東各地で大雪の時もある。 大雪になると交通機関に影響が出て来る。
(※江戸の歴史も参照。)
現代の東京都の領域は、令制国の武蔵国の一角である。郡においては、東京特別区は豊島郡(中心部)、荏原郡、足立郡の一部、下総国葛飾郡の一部に相当する。多摩地方は多麻郡となっていた。近世初期に、葛飾郡のうち、隅田川から利根川(現代の江戸川下流)の間が、下総国から分離されて武蔵国に編入された。武蔵国は、現在の東京都全域だけでなく、埼玉県全域と神奈川県東北部を含む広い版図であるが、国府と国分寺はそれぞれ現在の府中市と国分寺市にあった。当初の武蔵国は、五畿七道では東山道に属していたが、771年に東海道所属に変更された。
延喜式神名帳には足立郡に氷川神社(名神大社)、多磨郡に小野神社(一宮)、阿伎留神社、青渭神社等が見えるが、後世武蔵国総社とされた大國魂神社や、東京の神社として著名な神田明神や日枝神社の名は見えない。
かなり古い時代から渡来人が住んでいたようで、亀塚古墳のある狛江郷(狛江市周辺)は高句麗に由来するとされ、他にも渡来人に纏わる伝承は多い。武蔵野の開発は渡来人の潅漑技術による所が大きいとされる。
中世には武蔵七党と呼ばれる武士団が興り、関東に進出した畿内の河内源氏の家人となった。源平合戦では豊島氏、足立氏、葛西氏らが活躍している。12世紀には豊島郡江戸郷の名が見え、この地を本拠とする江戸氏も興った。14世紀には、新田義貞が鎌倉幕府軍を破った分倍河原の戦いが知られる。
戦国時代には扇ヶ谷上杉氏の家宰であった太田氏が台頭し、江戸城を築いた太田道灌が武蔵国の掌握に力を注いだが暗殺され、小田原城を拠点とする後北条氏が武蔵国に進出する。北条氏政の弟・北条氏照は八王子城を築き、西方の甲斐国の武田氏に備えた。その後北条氏も、豊臣秀吉の小田原攻めによって滅んだ。
後北条氏が滅んだ後、東海地方から甲信を支配していた徳川家康が、関東地方(武蔵国を含むほとんど全部)への領地替えとなり、駿府城(旧静岡市)から江戸城に入る。やがて関ヶ原の戦いに勝利した家康は、1603年3月24日(旧暦2月12日)に江戸幕府を開き、江戸時代が到来する。ここに、首都は京都でありながら、江戸は行政庁所在地となる。幕府を開いた家康は進んで鷹狩りをやり、白金御殿などの御殿も造られた。江戸は人口の急増とともに町が拡大していき、18世紀初頭には人口100万人を超える世界有数の大都市(一説によると当時世界一)へと発展を遂げていた。5代将軍徳川綱吉の時代には現在の23区内唯一の喜多見藩があったが、数年で消滅に至ってしまう。
1867年11月9日(慶応3年旧暦10月14日)の徳川慶喜による大政奉還と1868年1月3日(慶応3年旧暦12月9日)の王政復古のクーデターによって江戸幕府が崩壊し、同年5月3日(慶応4年(明治元年)旧暦4月11日)の江戸城開城によって江戸は新政府の支配下に入った。6月30日(旧暦5月11日)、新政府は江戸府を設置し、9月3日(旧暦7月17日)に江戸が東亰(後に東京)と改称されると、江戸府も東京府と改称された。1869年に明治天皇が皇居(旧の江戸城)に入ると、名実共に、東京は近代日本の首都となった(首都を京都から東京へ移す遷都令はなく、東京を首都とする法的根拠もない、という意見もある)。
全国から新政府に仕える人々が集まり、多