東映アニメーション とは?ページ内リンク ↓ウィキペディア(Wikipedia)記事 ↓Yahoo!知恵袋東映アニメーション株式会社(英語表記:TOEI ANIMATION CO., LTD.) は、アニメーション制作を主体とした、映像製作・販売を主な事業内容とする日本の企業である。 出典: 『ウィキペディア(Wikipedia)』 東映アニメーション 出典: 『はてなダイアリー』 関連商品
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| 種類 | 株式会社 | ||
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| 市場情報 |
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| 本社所在地 | 〒178-8567 東京都練馬区東大泉二丁目10番5号 |
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| 設立 | 1948年(昭和23年)1月23日 (日本動画株式会社として設立) |
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| 業種 | 情報・通信業 | ||
| 事業内容 | アニメーションの企画・制作、版権事業 | ||
| 代表者 | 泊懋(代表取締役会長) 高橋浩(代表取締役社長) |
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| 資本金 | 28億6,700万円(2006月3月31日現在) | ||
| 決算期 | 3月31日 | ||
| 主要株主 | 東映株式会社(32.00%) 株式会社テレビ朝日(14.29%) 株式会社フジテレビジョン(7.14%) |
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| 主要子会社 | 株式会社タバック 東映アニメーション音楽出版株式会社 |
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| 外部リンク | www.toei-anim.co.jp(公式サイト) | ||
| 特記事項:1952年8月に日本動画株式会社から日動映画株式会社へ商号変更。 1956年7月に日動映画株式会社から東映動画株式会社へ商号変更。 1998年10月に東映動画株式会社から東映アニメーション株式会社へ商号変更。 日本動画協会正会員、練馬アニメーション協議会幹事 |
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目次 |
原点は日本初のカラー長編アニメーション映画『白蛇伝』の制作に始まる。
1950年代、当時の東映社長、大川博は日本においても大きな興行収益を上げていたディズニー映画のような、劇場用長編アニメーション作品の制作を日本で独自に行うことを構想しており、もとは香港からの持ち込みであった『白蛇伝』の制作をスタートさせた。当時、日本国内のアニメーション制作会社はごく少なく、長編制作の経験もほとんどなかった中で、東映は日動映画株式会社(1948年に日本動画株式会社として設立。1952年商号変更)を社員ごと買収し、東映動画株式会社(以下、東映、東映動画)が発足した。日動映画は大正時代後期より教育用映画を中心としてアニメーション制作を行っていた日本画家でアニメーターの山本善次郎(早苗)が設立した日本最初期のアニメーション制作会社で、東映は日動を買収することで、動画制作のノウハウを得ようとしていたのである。
しかし、日動映画の買収だけでは大作の制作は難しく、新たにアニメーターとしての人材を幅広く採用して旧日動映画スタッフ指導の下、手慣らしとして『こねこのらくがき』など短編作品を制作した。採用された東映動画第一期生の中には大塚康生、楠部大吉郎らがいた。
1957年、東京都練馬区の東映大泉撮影所内にスタジオが完成して東映動画はこの新スタジオに移転。ここに長編アニメーション制作の体制が整い、翌1958年、『白蛇伝』は無事公開された。その後、『わんぱく王子の大蛇退治』、宮崎駿などの『白蛇伝』に影響を受けたスタッフらも制作に参加した『太陽の王子 ホルスの大冒険』、『長靴をはいた猫』などの長編作品を発表し、1960年代における東映長編時代が築かれていった。
しかしこのころ人気・制作本数ともに拡大し始めたテレビシリーズの制作におされ、長編作品の制作は縮小されていくようになる。放送局や広告代理店、出版社などにとっては大手制作会社というイメージが、安心して仕事を任せられるという印象を与えたこともあり、東映には週刊少年漫画誌原作のテレビアニメ制作の依頼が多く舞い込むようになった。制作の中心はテレビシリーズへと移り劇場作品は漫画原作の「東映まんがまつり」が中心となって東映長編時代は終焉を迎える。制作本数の増加で1973年からは韓国への制作委託を開始。海外発注の強化とともに、自社のスタジオ周辺に下請けプロダクションを増やして制作の下請け・外注化を進めた。結果として自社で抱えていたクリエーターの多くがこれらの合理化で他のプロダクションなどへと移るなどして東映を去った。
1976年から『マジンガーZ』(1972年制作)を始めとした自社制作作品の海外への売り込みを積極的に行う。特に『UFOロボ グレンダイザー』(1975年制作)、『キャンディ・キャンディ』(1976年制作)は世界各国で放送され、日本のアニメーション輸出に弾みをつけた。
1992年、フィリピンに、地元企業との合弁でEEI-TOEI ANIMATION CORPORATION(現:TOEI ANIMATION PHILS., INC. 略称:TAP)を設立。これによりコスト的には日本国内とほぼ変わらなくなった韓国に代わりフィリピンへの制作委託体制が確立した。さらに1997年、ゲゲゲの鬼太郎 4作目の途中より仕上(着彩)工程をデジタル化し、2000年にペンタブレットによる作画工程のデジタル化システムを導入した。同年、フィリピンおよび日本国内の制作プロダクションを光ファイバー通信で結ぶ「東映アニメ製作ネットワークシステム」(略称:PRO2NET、プロツーネット)の運用を開始した。このシステムの導入により、従来自動車や航空便などで行われていた、素材の輸送にかかる時間を大幅に短縮。生産性を大幅に向上させることに成功し、テレビシリーズ・劇場作品をあわせ、業界最多クラスの制作本数を維持している。
1998年、東映動画株式会社から東映アニメーション株式会社に商号を変更した。
人材育成のため、1995年に東映アニメーション研究所を開設。ディレクター・アニメーター・美術デザイナー・CGクリエーターの研究生を募集を開始。
2003年には、大泉スタジオ内(東京都練馬区東大泉)に東映アニメーションギャラリーを開館した。
実写映画の制作スタイルを踏襲し、劇場作品を「長編」、テレビシリーズを劇場作品の短編と捉えて「短編」と呼ぶ。短編作品では各話の担当演出が事実上の監督であるとの考えから、シリーズ全体での監督職の表記はなく、シリーズ全体の統括職として、他社制作アニメの監督よりも権限の弱い「シリーズディレクター」及び「チーフディレクター」の役職を使用している。コンテ、音響演出に関しても基本的に各話の演出が担当する。他社に比べ担当演出の負担は重くなるが、そのための役職として演出助手が演出を補佐する。演出助手が制作進行(東映では「製作進行」と表記)を兼任する場合は「演助進行」と呼ばれる。演助進行の担当は作画までで、仕上、美術の各工程にはそれぞれに進行担当者が置かれる。プロデューサーに転向した演出家もおり、作品によってはプロデューサーが演出に携わるケースもある。
過去に制作した作品のリメイクを盛んに行うのも東映アニメーションの特徴であり、1980年代は『ゲゲゲの鬼太郎』(第3作)、『ひみつのアッコちゃん』(第2作)、『魔法使いサリー』(第2作)、1990年代は『ゲゲゲの鬼太郎』(第4作)、『キューティーハニーF』、『ひみつのアッコちゃん』(第3作)、『ドクタースランプ』などを制作し、2000年代においても『ガイキング LEGEND OF DAIKU-MARYU』、『祝!(ハピ☆ラキ)ビックリマン』、『ゲゲゲの鬼太郎』(第5作)を制作した。
2006年3月31日現在
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