東松山市 とは?ページ内リンク ↓ウィキペディア(Wikipedia)記事 ↓Yahoo!知恵袋東松山市 出典: 『はてなダイアリー』 関連商品
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東松山市(ひがしまつやまし)は、埼玉県のほぼ中央に位置する人口約9万人の市。
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県域としては県西部地域に属する。多くの街道が集まる交通の要衝として、古くは鎌倉時代から松山城(現在の行政区域は吉見町に存在するが松山城跡自体は当市と隣接している)の城下町として知られた比企地域の中心都市である。国際ウォーキング大会でアジア最大規模の「日本スリーデーマーチ」が開催される都市として有名。焼き鳥の街であり、2000年に室蘭市が焼き鳥店の数をNTTの電話帳で調べたところ、1位東松山市、2位室蘭市、3位今治市であった。人口は約9万人。現在、比企郡滑川町、秩父郡東秩父村との合併協議中である。仮に実現すれば、10万都市になり、飛び地ができる。
気候は太平洋式気候の影響により冬には秩父おろしが吹く。
(2008年4月1日現在)
| 東松山市と全国の年齢別人口分布図(比較) | 東松山市の年齢・男女別人口分布図 | ||||||||||||||||||
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■紫色は東松山市
■緑色は日本全国 |
■青色は男性
■赤色は女性 |
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| 総務省統計局 / 国勢調査(2005年) | |||||||||||||||||||
市中央部から西部・南東部にかけて東松山台地、南部には高坂台地が広がり市街地となっているほか、北部は比企北丘陵、南西部は岩殿丘陵の東端部に当たり住宅団地が多い。また、都幾川や越辺川流域周辺は荒川低地となっており田園風景が広がっている。
現在の東松山市の中心部にあたる地域は市制施行前まで松山町と呼ばれ、元を辿れば1333年に築城されたとされる松山城の城下町として発展した街である。城下町時代は、松山城大手門に至る、鴻巣道沿いの現在の松本町から本町あたりが最も賑やかだったそうである。このあたり松山新宿と呼ばれていた一方、街道筋にあたる本町から材木町のあたりは松山本郷と呼ばれていた。また、現在の本町1丁目交差点は札の辻と呼ばれ高札場が設けられていた。
徳川家康が関東入国すると、松山城に松平家広が入城し松山藩を立藩。近代的な城郭都市に発展する可能性も潜めていたが、家広の跡を継いだ松平忠頼が浜松城に移封となると松山城は廃城となった。廃城後、この地域は最終的に川越藩の藩領となり、城に近い松山新宿は次第に廃れていったとされる。
江戸時代には、徳川幕府によって五街道と脇往還の整備が進められ、東松山市域でも、江戸から高坂を経て上州に至る川越・児玉往還(川越道)と、八王子から高坂・松山を経て日光に至る日光脇往還(日光道)が整備され、松山宿と高坂宿は宿場町として賑わった。
幕末になると、川越藩主である松平直克が、前橋藩に移封となり、比企郡・高麗郡・埼玉郡周辺のおよそ6万石の統治を行うために、1867年に松山陣屋が設置され、武家やその関係者、家族らの移住によって人口が2倍近くに増えたとされている。しかし、幕末という事もあってわずか5年足らずで廃藩置県を迎える事になった。
明治時代になると、入間県、熊谷県を経て埼玉県域となり、市域では主に「士族授産」事業として旧松山陣屋士族が中心となって東松山製糸工場など工場や銀行が起こされていった。また1923年には東上線が開通。市域には、高坂駅・武州松山駅(現:東松山駅)の2つの駅が設置されるなど交通網も整えられていった。
第二次世界大戦中には、唐子地区に陸軍松山飛行場が建設、また吉見町の吉見百穴近辺では中島飛行機(現富士重工業)の地下工場が建設され、工事関係者が多く集まるなど軍事色が濃い町ともなった。
2008年4月1日現在、職員数は747名(特別職・再任職員含む)。
行政職組織(議会、市民病院事務部等を含む)10部・45課、医療職組織2部・16科。
平成の大合併ブームの中、当初は比企広域市町村圏組合構成全10市町村での合併を構想。2003年に、川島町・鳩山町を除く8市町村で任意の合併協議会が設けられたが、協議が難航し解散。その後、隣接する吉見町と法定合併協議会を設置するも、新市名をはじめとする様々な分野で条件が折り合わず、東松山市議会による離脱決議を受けて解散し、協議は終了する。
2006年、秩父郡東秩父村との飛び地合併について一部報道機関により報じられたこともあったが、東松山市を当事者とする市町村合併に関する協議は、公的な形では行われていない。
古くから商業地として栄えた土地で、スーパーマーケット「マミーマート」は当地で創業した八百清が発祥である。
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上記のうち高坂地区の大字島田、野本地区の大字江綱は、区域が極めて狭く定住人口も無いため、現在ではもっぱら土地登記上等の地名として用いられているに過ぎない。それぞれ隣接する吉見町、坂戸市にある同名の地区の一部を編入したために生じた区域である。
その他、高坂駅を最寄り駅として鳩山町に東京電機大学・山村学園短期大学、東松山駅を最寄り駅として吉見町に武蔵丘短期大学が存在する。
市内には2つの図書館、1つの図書分室がある。以前は移動図書館(まつかぜ号)もあったが、2007年8月31日をもって廃止になっている。
比企広域市町村圏域内公共図書館の相互利用協定により、嵐山町、滑川町、小川町、ときがわ町、川島町、吉見町、鳩山町、秩父郡東秩父村に住まい・通学通勤している者なら利用可能。
2005年(平成17年)8月2日から坂戸市立図書館との相互利用が開始された。 2007年(平成19年)には熊谷市立図書館との相互利用も開始された。
東松山市が1997年より事業中の東松山駅東口とその周辺の再開発事業。2001年度より工事が開始され、現在は南側駅前広場のみ完成しており、北側駅前広場は2010年春に完成予定。旧バス車庫や、ぼたん通りの東西には再開発ビルが建設されているが、これには民間資本を取り入れており、完成時には東松山駅からペデストリアンデッキで結ばれる予定。その他、埼玉県道249号東松山停車場線(東松山駅東口~国道407号旧道交差点)を13mから22mに拡幅、また東松山駅前を南北に縦貫する「都市計画道路松山第一小学校通線」(神明町~箭弓町)を現在の一方通行から22mへ拡幅する工事などが将来予定されている。
東松山市が1994年度~2018年度目処に事業中の高坂駅東口とその周辺70.8haの土地区画整理事業。隣接地域には高坂駅東口第二地区特定土地区画整理事業が行われているため、それに合わせた東口駅前広場の設置や、高坂駅と第二地区を結ぶ都市計画道路高坂駅前通線や高済寺前通線の拡幅などが中心に計画されている。既成住宅地内の区画整理のため事業の遅れが目立っていたが、近年、駅前を除く周辺部を中心に事業の進展が見られるようになってきている。
都市再生機構が2001年より施工中の団地造成事業。詳細は高坂駅東口第二地区の項目を参照。
東松山市市の川土地区画整理組合が施行中の26.1ha区画整理事業。東松山市街地を迂回する環状道路の1つである都市計画道路市の川通線を中心に良好な住宅地を供給することを目的として造成されている。
市の川特定土地区画整理事業地内を含めた55haの地域に、良好な住宅地を供給し地域内の福祉施設や教育施設と連携しながら整備を行う事として2006年度に事業化された。東松山市が施行し、まちづくり交付金の助成を受けている。
以下の区画整理事業は、地域住民の反対運動や事業が長期化を渡ることなどから中止された。
ただし、国土交通省は、現在のエリアを越境する形での新ナンバーには、基本的に消極的である。 川越は「所沢」ナンバーであり、「川越」ナンバーは「所沢」ナンバーのエリアから分離独立する形となるため、もともと「熊谷」ナンバーである東松山市は、「川越」ナンバーのエリアには含まれていないが、市のアンケートでは市民の8割が「熊谷」ナンバーより「川越」ナンバーを希望しており、東松山市をはじめとした比企市町村圏組合は、現在も国土交通省に働きかけている。なお、静岡県と山梨県をまたぐ「富士山ナンバー」の導入が認められることになったことを踏まえ、さらに働きかけは強くなると思われる。
東松山駅前は商業都市、高坂駅前は学生街となっており、2つの駅で性格が異なる。
市内の路線バス網は東松山駅・高坂駅を中心に発着する川越観光バスを中心に、南西方向に東武バス、北部方向に国際十王バスが運行されている。その他、市内の交通空白地域を中心に市内循環バスが運行されている。
タクシーの営業区域は県南西部交通圏で、川越市・所沢市・飯能市・和光市などと同じエリアとなっている。