松本サリン事件 とは?ページ内リンク ↓ウィキペディア(Wikipedia)記事 ↓Yahoo!知恵袋松本サリン事件(まつもとサリンじけん)は、1994年に長野県松本市で、猛毒のサリンが散布され、死者8人・重軽傷者660人を出した事件。戦争状態にない国で一般市民に対して初めて化学兵器が使用されたテロ事件であった。また、無実の人間が犯人扱いをされた冤罪[1]・報道被害事件でもある。警察庁における事件の正式名称は「松本市内における毒物使用多数殺人事件」である。(警察白書より) 出典: 『ウィキペディア(Wikipedia)』 松本サリン事件 出典: 『はてなダイアリー』 関連商品
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| 松本サリン事件 | ||
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| 画像募集中 | ||
| 場所 | 長野県松本市北深志の住宅街 | |
| 日付 | 1994年6月27日 - 6月28日 | |
| 攻撃手段 | 化学テロ | |
| 兵器 | サリン | |
| 死亡者 | 8人 | |
| 負傷者 | 重軽傷者660人 | |
| 犯人 | 麻原彰晃率いるオウム真理教徒ら 村井秀夫・新実智光・端本悟・中村昇 中川智正・富田隆・遠藤誠一 |
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松本サリン事件(まつもとサリンじけん)は、1994年に長野県松本市で、猛毒のサリンが散布され、死者8人・重軽傷者660人を出した事件。戦争状態にない国で一般市民に対して初めて化学兵器が使用されたテロ事件であった。また、無実の人間が犯人扱いをされた冤罪[1]・報道被害事件でもある。警察庁における事件の正式名称は「松本市内における毒物使用多数殺人事件」である。(警察白書より)
目次 |
1994年6月27日の夕方から翌日6月28日の早朝にかけて[2]、長野県松本市北深志の住宅街に、化学兵器として使用される神経ガスのサリンが散布され、7人が死亡、660人が負傷した(なお、事件から14年後の2008年8月5日、第一通報者の妻が死亡したためこの事件による死者は8人となった)。
犠牲者は次のとおりであった。
事件発生直後は使用された物質が判明せず、新聞紙上には「松本でナゾの毒ガス7人死亡」という見出しが躍った。
6月28日、警察は第一通報者であった河野義行宅の家宅捜索を行ない、薬品類など数点を押収した。さらに河野には重要参考人としてその後連日にわたる取り調べが行われた。また、マスコミによる報道が過熱の一途を辿る。
7月3日、ガスクロマトグラフィー/質量分析計(GC/MS)分析により、散布された物質がサリンであると判明した。
その後9月頃になって、『松本サリン事件に関する一考察』という怪文書が、マスコミや警察関係者を中心に出回っていく。この文書は冒頭で「サリン事件は、オウム真理教である」と言及するなど、一連の犯行がオウム真理教の犯行であることを示唆したものであった。
翌1995年3月に地下鉄サリン事件が発生し、ほどなく目黒公証人役場事務長拉致監禁致死事件でオウム真理教に対する強制捜査が実施された。その過程でオウム真理教幹部は、松本サリン事件がオウム真理教の犯行であることを自供した。
事件の背景には、オウム真理教松本支部の立ち退きを周辺住民が求めていた裁判におけるオウム真理教側の敗訴の公算が高まったことがあった。オウム真理教の教祖麻原彰晃(松本智津夫)は、この状況を打開するために、同教団信者である村井秀夫・新実智光・端本悟・中村昇・中川智正・富田隆・遠藤誠一らに、裁判を担当する判事の殺害を指示した。これを受け、同信者らは長野地方裁判所松本支部官舎に隣接する住宅街にサリンを散布した、というものであった。
なお、河野の妻はサリンによる被害を受け、事件から14年目の2008年8月5日に入院先の松本協立病院にて事件以来意識を回復させることなく死去した。死因はサリン中毒による低酸素脳症が原因の呼吸不全である。彼女は既に6月時点で余命3ヶ月を言い渡されており、危篤の連絡を受けた河野の見守る中、静かに息を引き取ったとされる。
この事件は、警察のずさんな捜査[3][4]や、一方的な取調べ、さらにそれら警察の発表を踏まえた偏見を含んだ報道により、無実の人間が半ば公然と犯人として扱われてしまった冤罪事件・報道被害事件でもある。
当初、長野県警察は、サリン被害者でもある第一通報者の河野義行を重要参考人とし、6月28日に家宅捜索を行い薬品類など数点を押収。その後も連日にわたる取り調べを行った。この際当時松本簡易裁判所所属であった判事松丸伸一郎が捜査令状を発行しているが、本来過失罪で請求するところを手違いにより殺人未遂として発行していた。
また、マスコミは、一部の専門家が「農薬からサリンを合成することなど不可能」と指摘していたにもかかわらず、オウム真理教が真犯人であると判明するまでの半年以上もの間警察発表を無批判に垂れ流したり、河野が救急隊員に「除草剤をつくろうとして調合に失敗して煙を出した」と話したとする警察からのリークに基づく虚偽の情報を流すなど、あたかも河野が真犯人であるかのように印象付ける報道を続けた[5]。
のちにオウム真理教が真犯人であると判明し、河野の無実・潔白が証明された。
関係者の対応は次のとおりであった。
その後、河野義行は当時の長野県知事田中康夫によって捜査機関において事件の教訓を生かすために長野県警を監督する長野県公安委員に任命された。
しかし、後に生坂ダム殺人事件の長野県警の捜査ミス糾弾[9]において、田中知事の意にそぐわなかった[10]ため、河野は事実上の更迭をされた。
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