桑田佳祐 とは?ページ内リンク ↓ウィキペディア(Wikipedia)記事 ↓Yahoo!知恵袋桑田佳祐 出典: 『はてなダイアリー』 関連商品
サザンオールスターズ /
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| 桑田佳祐 | |
|---|---|
| 基本情報 | |
| 出生名 | 桑田佳祐 |
| 別名 | すけちゃん、ケイちゃん 桑っちょ |
| 出生日 | 1956年2月26日(52歳) |
| 血液型 | A型 |
| 学歴 | 青山学院大学経営学部除籍 |
| 出身地 | |
| ジャンル | ロック J-POP |
| 職業 | シンガーソングライター |
| 担当楽器 | ボーカル ギター |
| 活動期間 | 1978年 - 現在 1986年(KUWATA BAND) 1987年 - 1988年 1993年 - 1995年 2001年 - 2002年 2007年 - 2008年 (ソロ) |
| レーベル | ビクタータイシタ |
| 事務所 | アミューズ |
| 共同作業者 | サザンオールスターズ KUWATA BAND SUPER CHIMPANZEE |
| 影響 | ビートルズ ジョン・レノン エリック・クラプトン リトル・フィート ボブ・ディラン スティング |
| 公式サイト | STANDOOH! AREEENA!! C'MOOOON!!! |
桑田 佳祐(くわた けいすけ、1956年2月26日 - )は、神奈川県茅ヶ崎市出身の日本のロックミュージシャン、シンガーソングライター。
目次 |
サザンオールスターズのリーダーであり、ボーカル・ギターと作詞・作曲を担当。所属事務所はアミューズ、所属レコード会社はビクターエンタテインメントタイシタレーベル。嘉門 雄三(かもん ゆうぞう)、桑竹 居助(くわたけ いすけ)、夷撫 悶汰(いヴ もんた)、古賀 紅太(こが こうた)などの変名を用いたこともある。
鎌倉学園高等学校卒業、青山学院大学経営学部除籍。身長169.5cm。A型の右利き。通称は「すけちゃん」「ケイちゃん」「桑っちょ」など。妻は同じサザンのメンバーである原由子で、芸能界きってのおしどり夫婦として知られる。1982年に結婚し、これまでに2男をもうける。
サザンオールスターズのリード・オフ・マンとして知られている。『いとしのエリー』、『真夏の果実』、『TSUNAMI』などの名曲を数多く作り、歌う。作詞では愛、セックス、世相を風刺的に表現し、時にエロティックであり、時にユーモラス・ナンセンスであり、時に切なく泣かせ、時にシリアス。楽曲それぞれで様々なタイプの歌詞を書く。作曲に関しても日本屈指のメロディメーカーとして知られており、洋楽の音楽性を日本のロックミュージックに適用させた楽曲は非常に高く評価されている。楽曲もロック調の強いものからバラードに至るまで幅広く、コンピューターなどを使った最先端の技術も取り入れながら多様な楽曲を提供してきた。ソロでの音楽活動も精力的で、メジャーデビュー以来一貫して邦楽(J-POP)の第一線を走り続ける。音楽雑誌『ロッキング・オン』からは、ポップスの神なる称号を授与されている。また、日本の数々のミュージシャンに影響を与えており、本人が「桑田さん(サザン)のファンです」「影響を受けています」など公言したミュージシャンも多数にわたる。
青山学院大学在学中よりバンド活動を盛んに行い、「温泉あんまももひきバンド」「脳卒中」「ピストン桑田とシリンダーズ」「青学ドミノス」など多くのバンドを結成しては潰しを繰り返し、最後に結成したサザンオールスターズが現在まで続く。「サザンオールスターズ」というバンド名は友人がつけたもの。
プロレスファンでアントニオ猪木を敬愛している。猪木とは幾度か共演も果たしている。ライブの煽りではスタン・ハンセンの決め台詞「ウィー!」や、猪木の決め台詞「1、2、3、ダー!」を叫ぶのが定番。2007年、「WONDA」(アサヒ飲料)のCMで(合成映像の)ジャイアント馬場と“共演”した際に馬場から“十六文キック”を浴びせられた。
サザンが実力派バンドとして認知されてからも、本人は一貫して下ネタ好きの三枚目なキャラクターを通しており、ある意味ミュージシャンらしくない気取らない性格がファンから愛されている。ライブでは客席に向けての「ヤらせろ!!」や、「乳首見せろ!」「パンツ脱げ!」などのセクハラ発言は恒例で、テレビ番組出演の際に放送禁止用語を言ってしまうこともある。『THE 夢人島 Fes.2006』ではWOWOWの生放送にも関わらず放送禁止用語を言ってしまった。他にもミュージックステーションのゲスト出演時に浜崎あゆみにセクハラしたりTVでも下ネタ好きである。
ライブや音楽番組では、高い頻度で歌詞を間違える。ライブで歌詞や段取りをよく間違えることは本人も自覚しているらしく、「間違えた時はスタッフを睨みつけてスタッフのせいにする」と自らコメントしていたが、視聴者向けのネタなのか本音なのかは不明。
レコーディングなどではギターを担当することがほとんどだが、時にベース、ドラムス、キーボードなども演奏するマルチプレイヤーでもある。特に、ソロ名義の『素敵な未来を見て欲しい』や『MUSIC TIGER』などは、桑田1人ですべての楽器が演奏されている。
ギタリストとしてクローズアップされることは比較的少ないが、ボトルネックによるスライドギターのプレイヤーとしても知られ、サザンのライブでも曲の間奏で、度々その姿を確認することができる。KUWATA BANDのライブでもギター演奏を披露した。しかし、本人によると「コードとかはよくわからない」という。
1980年代から1990年代前期まで、ライブや音楽番組などでは時にステージに寝転がったり飛び跳ねたりの不可解で激しい、過剰ともいえるパフォーマンスが特徴であった。MCや曲中の煽りなども、所謂「縦ノリ」の男臭いロックミュージシャンらしい姿が見られていたが、1993年から1995年あたりを境に、「おどけた中年オヤジ」としてのキャラクターを前面に出すようになり、ライブやラジオ番組でも下ネタやオヤジギャグを連発することも多くなった。近年は激しい動きは少なくなった反面、ギターのソロプレイを魅せる割合が多くなり、加齢と共に味わい深いギターを聴かせている。かつてはライブ終盤での客席への紙コップ(エスカレートした場合は消防用のホースでの放水)の水撒きも定番であった。これは2005年ミュージックステーション出演の際に「花火や火薬等は制限があるが、水は制限は無い。これ以上スケールの大きいものは水しかない考えられない」と桑田は語っている。
曲作りはほとんどが曲先である。デタラメ英語などの仮歌段階のまま、編曲までほぼすべてを終わらせたのち、仮歌の語感を崩さない言葉を選んで、そこから歌詞全体のテーマ・世界感を決める。そのため、日本語・英語ともに文法的には間違っている歌詞も多々あり、間違いを指摘されたり「意味が分からない」等と批判されることもある。これは文章の正確さよりも、語呂の良さ・符割などを優先させるが故の結果である。古文・方言・都々逸も用い、メロディに合う言葉がないのなら造語を自分で作ってしまうこともある。
また、英語と日本語とのダブル・ミーニングも取り入れている。楽曲は歌詞カードも含めての作品なので、歌詞カードもじっくり読んで欲しいとの思いも込められている。
作詞の際には、作品中やタイトルに人名を登場させることも多い。特定の人物を讃えた曲もあるが、名前のみを身近な人物または縁の人物の中などから、歌詞全体とメロディに合う語感として引用し、特定の人物は指していない場合が多い。前者は『吉田拓郎の唄』『星空のビリー・ホリデイ』『Dear John』『唐人物語』など。後者は『いとしのエリー』『チャコの海岸物語』『そんなヒロシに騙されて』『MARIKO』『シュラバ★ラ★バンバ』『可愛いミーナ』ほか多数の曲で使われている。
サザンとソロ、それぞれの活動を数年毎のローテーションで行い、どちらともセールス・ビジネス的にも成功を維持し続けることができる稀有なミュージシャンである。しかしながら、それゆえにサザンとソロとの活動の違いが分かりづらい場合も多い。この疑問に対して桑田は、サザンのメンバーやサザンとしての活動は家族・家庭であり、ソロ時のサポートメンバーおよびソロとしての活動は愛人と逢っているようなものと例え、サザンの楽曲やソロの楽曲はそれぞれの間で生まれた子供達だと表現をしている。また、プロレスラーの武藤敬司にも例え、サザンの時は素顔の武藤として戦い、ソロの時はペイントをしてグレート・ムタとして戦うとも表現している。
また、ソロ名義で出演するライブやフェスティバル、単独名義で行っている自身のラジオ番組のライブなどでは、サザン名義の楽曲も演奏されることがある。この点に関してファンからは「ソロのライブでサザンの曲を唄わないで欲しい」との意見もあったが、その意見に対して桑田は「ファンの気持ちも分かるんですけど、『唄ったっていいじゃん、どっちでもいいじゃん』て思う時も実はあるんですよね」とインタビューで応えている。ソロ名義で行うワンマンライブやツアーでは、基本的にサザン名義の楽曲が歌われることは少ない。1986年のKUWATA BANDのときは、ライブでサザンの曲を封印していたが、1988年のサザン復活ライブでは、途中に桑田ソロコーナーを設け、「スキップ・ビート」も歌っていた。
バンド活動と並行したり休業しつつ、ソロ活動を行っているが、活動期によりテーマやコンセプトを大きく異なることで、サザンオールスターズとの活動とは特に一線を画している。
1986年のKUWATA BAND結成時には、桑田が「ロックを唄うのは英語しかない」と考えが行き着いた頃で、英語詞の洋楽テイストにこだわっていたこともある。その結果、KUWATA BAND唯一のスタジオアルバム『NIPPON NO ROCK BAND』は、日本語詞中心に構成されたシングル曲は一切収録せず、全曲新曲の全英語詞アルバムになった。しかし発売後しばらくは、自身も完成度に満足していない旨の発言が目立っていた。その後、考え方に変化が見られたのか、現在ではソロ名義のコンサートでKUWATA BANDの楽曲(シングル曲のみ)が演奏されることも多くなっている。
1987年 - 88年の第1期ソロ活動では、前年のKUWATA BANDの方向性とはうって変わって、ミュージックシーケンサープログラミングや打ち込み中心のポップス路線を展開した。小林武史との共同作業によって築かれたこの方向性は、後年のサザンでの活動にも影響を与えた。また、ダリル・ホール&ジョン・オーツとの共演も話題となった。
1993年 - 94年の第2期ソロ活動は、それまでの活動とはさらに異なり、期間中に母親が亡くなったことの影響による内省的な世界観や、辛辣な風刺を前面に押し出した歌詞は、サザンでの活動とはかけ離れた、ソロならではの方向性を打ち出した。サウンド面でも、小倉博和との共同作業による、楽器本来の音に着目したアコースティック(アンプラグド)・フォーク路線を展開した。
2001年 - 2002年の第3期ソロ活動は、前半と後半でさらに方向性が異なった。前半の2001年は、サザンとの差別化にはこだわらなくなった。この時はサザンでのメンバー脱退による移行があったため、もともとサザン名義で発表する予定だった楽曲を、ソロ名義で発売したものもある。また、逆にソロワークとして製作していた楽曲を、のちにサザンとしてカラーやアレンジを加えて発表した曲も生まれている(恋するレスポールなど)。後半の2002年は、斎藤誠らサポートメンバーで結成されたTHE BALDING COMPANYとの共同作業による、バンド形態の本格派ロック路線を展開した。ここでもサザンでの活動との差が色濃く出ている。CMタイアップとの関係で、思い切りポップ寄りな曲に挑戦した2001年に対し、2002年に発売された作品は、シングル・アルバムともに歴然とテーマの違いが出ている。2001年に発表された楽曲はアルバムに収録されることなく、ソロ活動の集大成として発表されたベストアルバムに収録された。
2007年の第4期ソロ活動は、楽曲的にはサザンとの差別化は特に図られていない。この4期目のソロ活動について桑田は、ラジオ番組や音楽雑誌インタビューなどの各メディアにおいて、『来年のサザン30周年に向けての足懸かりとしての期間』という旨のコメントをしている。なお、この時期のソロ活動でオリジナルアルバムは発表されていない。
2008年3月23日に、沖縄県・石垣島で行われた桑田の特別ライブ「Meet the Music 2008! 全国民放FM53局&KDDI present 桑田佳祐 アコースティックライブ in 石垣島」の模様が日本全国の民放FM53局(JFN系列38局、JFL系列5局、MegaNet系列4局および独立局6局)で同時生中継された。これは、全国の民放FMラジオ全局で構成する「全国FM連合」がKDDIの特別協賛によるキャンペーンの一環として、TOKYO FMが幹事局となって製作。系列の異なるFMラジオ局が、ネットワークの垣根を越えて1人のアーティストのライブ中継を放送するのは、史上初の試みである。
ここでは桑田佳祐のソロ活動に重点を置いて説明する。サザンオールスターズなどバンドとしての活動は各ページを参照のこと。