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海陽町(かいようちょう)は、徳島県の町。2006年(平成18年)3月31日、 海部郡の海南町、海部町、宍喰町が合併して誕生した。
地理隣接している自治体人口
歴史古い時代には海運が盛んな地域だった。豊富な森林資源と強力な海運力が、古い時代のこの地域の繁栄をもたらした。近代以前の水運は、現代では忘れ去られつつあるものの一つであり、注意が必要である。川の水力によって木材を流し、風と海流と人力という、燃料なしの航海術(エコ技術)で遠距離移動をしていた祖先達のことを、忘れてはなるまい。特産だった木材も刀剣も、近代以前は海運なしには成立しない。 古代海部地区「芝遺跡」から出土した、3世紀の県外他地域産土器の数は県内最多。調査面積も少なく推測の域を出ないが、この3世紀の時期に徳島・高知ルートとして海上ルートが開発されたと考えられる。弥生時代終わり頃から古墳時代始め頃の土器は、徳島・香川・高知・岡山・関西(海部公民館報・平成17年7月25日号より)。 古墳大里古墳は県南最大の横穴式円墳。 土佐日記935年「土佐日記」成立。これによって、紀貫之が阿波南部を船で帰京したことがわかる。寄港地には諸説ある。江戸期前半に土佐藩主参勤交代の港として使われ、江戸期を通じて藩の重要な港だった東洋町甲浦港が当てられることが多い。しかし、古くからの海運の港としては、海陽町の港も、まさるとも劣るまい。 瑩山紹瑾禅師と城満寺1290年代、加賀の大乗寺開基家富樫氏の縁族という海部の郡司によって、曹洞宗中興の祖と言われる瑩山紹瑾が、吉田の城満寺に招かれた。曹洞宗には、道元が開いた「永平寺」と、瑩山紹瑾が開いた「總持寺」の、二つの大本山がある。總持寺(瑩山紹瑾) 古銭1300年代後半、7万88枚の古銭が大里に埋蔵された。 中世海部氏史料に見える中世海部氏について。
このように、中世海部氏は、文献上では、まず京都に登場して、その名を知られる。中世阿波と細川氏の関係は深い。 阿波最古の梵鐘旧海南町若松の御崎神社(祭神・猿田彦命)に、県最古の鐘「永享の古鐘」が奉納されていた。銘文「阿州海部郡 細野村御崎 御宝前鐘也 永享四(1432)年11月吉日 願主 衛太夫」 中世海運1445年東大寺伝来史料「兵庫北関入船納帳」によれば、海部船籍の船の兵庫への入港数は「四国一」、全体で見ても10位である(参考文献:林屋辰三郎編『兵庫北関入船納帳』中央公論美術出版・昭和56年)。 「兵庫北関入船納帳」というのは、東大寺の荘園であった兵庫北関(現神戸市兵庫区)において、文安2年(1445年)1年間にチェックされた入船の貨物状況を記録した帳簿である。林屋辰三郎氏が発見した。中世の関税台帳としては、同種史料がドイツハンザ同盟都市に1点残存しているのみという、極めて稀有の文献。記載内容は、入船月日・船籍所在地・貨物名。数量・関銭額・納入月日・船主名・問丸名。 千葉県佐倉「国立歴史民俗博物館」では、その貴重性のため「兵庫北関入船納帳」の複製が展示されている。 入港船数15隻以上の四国の港湾(千葉県佐倉「国立歴史民俗博物館」パンフレットNO.16より)
以上のように、中世阿波海部の海運は、唯一史料「兵庫北関入船納帳」によるならば、「四国一」なのである。 木材このように、1445年当時は、海陽町から神戸まで、盛んに船が往来していた。積荷は木材である。なぜこのような遠い所から京都まで、木材のような大きな物を運んだのだろうか。それは、日本では、室町中期まで植林が行われず、浪費するばかりで、木がなくなってしまったことによる。 南北朝の動乱で、京都・畿内近国は戦場と化し、森林資源の浪費に拍車をかけた。京都五山の造営が始まった頃には、畿内の森林は伐り尽くされ、用材は遠隔地の山奥へと求められた。 しかし、大木があるだけでは伐り出しても運べない。海に近いか、いかだ流しができる大河川の流域沿いであることが必須である。その結果、東山道の美濃・飛騨と、南海道の阿波・土佐が選ばれた。 「兵庫北関入船納帳」によれば、
由良の木材も、他の史料で、阿波方面の物資を扱っていたことがわかっているので、阿波産であろう。室町中期の阿波は、年間2万8千石以上の木材を畿内地方に搬出していた。そして、海部と宍喰、つまり現海陽町だけで、1445年、兵庫北関通過の阿波産木材の約半数になるのである。 しかし、南国の木材は成長が早いために、木質が粗く、珍重されたのは木曾材だった。 (参考:週刊朝日百科・日本の歴史20・中世II・琵琶湖と淀の水系・今谷明・昭和61年) 海部刀室町時代頃から「海部氏」の生産奨励によって「海部刀」が生産された。 海部城1575年長宗我部元親が陸路侵入。瓦を使っていた県内三城の内の一つ、「海部城」が落城した。城主が姻族の加勢のため讃岐に出征中で、戦力不在のため、無血開城だった(参考『海部町史』昭和46年)。 木材の集散や海路の監視所として、海部川河口の「城山」は古くから重要拠点だった。城山は、かつては周囲を海部川が巡り、海に臨む「島」だった。戦後に埋め立て造成が進んだ。ここに城が築かれたのはいつなのか、諸説あっても根拠の提示はなされていない。 戦時中は、城山山麓に大規模な退避壕を構築(『海部町史』277p上段末)。城山山上には陸軍の監視所が設置され、監視員のための防空壕が構築された。それらの作業は、浅川以南の各町村から奉仕隊が交代で出動し、のべ人員は1万人を数えた(同 下段)。 80人鉄砲隊
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