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7世紀に成立した。淡路は、古くは淡道と書いた。粟国(あわのくに。後の阿波国)に渡る途中にあることを意味すると言われることが多いが神話に登場してくる順番や漢字も違う。そもそも当時の「路」や「道」に現代の「みち」としての意味はない。津名郡と三原郡で構成された。
律令制の下で、田畑の面積が少なくとも一国として成立した。しかし『延喜式』や平城京などから発見された木簡によると租庸調に加え、贄(にえ)とよばれた海産物(主に魚)を直接に朝廷の内膳司(天皇家、朝廷の食膳を管理した役所)に納めていたことが分かっている。このことにより、朝廷にとって淡路国が特殊な位置にあったとする説がある(御食国を参照)。
国府は、三原郡にあった。現在の南あわじ市神代国衙にあったと推定されるが、遺跡はまだ見つかっていない。
南あわじ市八木養宜中にある養宜館は室町時代の約180年間、守護大名細川氏の守護所であった。鎌倉時代の守護所も同所であったとされる。
国分寺は南あわじ市八木国分にあり現存する。諸国国分寺で唯一創建当時の作とみられる丈六の釈迦如来座像がある。
延喜式神名帳には大社2座2社・小社11座11社の計13座13社が記載されている。大社は全て名神大社で、以下に示すものである。
一宮は伊弉諾神宮、二宮は大和大国魂神社である。三宮以下は存在しない。総社は総社十一明神社(南あわじ市十一カ所)で、名神大社2社以外の式内社11社の祭神が祀られている。
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