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奥田 英朗 /
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目次 |
本百科事典では、日本における港がある都市広義的な総称を港町、諸外国におけるものを港湾都市とし、本稿の冒頭では主に日本における港湾都市の概要と成り立ちについて、港湾都市の記事では主に諸外国における港湾都市の概要と成り立ちについてまとめる。
また狭義的には「港町」を水上交通の要所地で、人と物資が行き交うことで発展してきた港湾商業都市(港+商業地がセットの都市)と定義する。なお港によっては周辺水域で海産物を獲る漁港(漁業基地や市場等)としての機能を有している場合もある。またこのような都市の場合、同時に後背地が工業地帯(コンテナ集積所や工場施設等)の機能を有している場合もある。工業生産・海運を主として行う港は工業港湾都市(貿易港)として定義しまとめる。本百科事典で定義している港湾都市の種別は以下の通り。
古代より世界各地では、多くの場合、陸上交通より水上交通のほうが移動速度が速く、大量輸送を可能とし、船舶を利用した交通移動が盛んであった。そのため、海や河川・湖に面した船舶の停泊に適した陸地に人々が集住し、内陸方面と水上方面とを結ぶ交易市場として栄えた。その後、都市へと成長して港町と呼ばれるようになった。港町の形成されることが多い場所には、入り江や河口付近、岬付近などが挙げられる。また、港の周辺の水域で海産物が捕ることのできる街であれば、港は漁港としての役割を果たす。
日本の港町の起源はよく判っていない。青森県にある縄文時代の三内丸山遺跡を港町とする有力な見解がある。このことから、日本の港町は縄文時代まで遡るとも考えられる。
弥生時代には、中国王朝(後漢・魏など)との交易の記録があり、中国との交易および倭国における交易のため、列島各地に港町が形成されたと見られる。壱岐島にある原の辻遺跡は弥生期の港町跡とされている。
日本書紀には、仁徳天皇が河内平野を開発し、難波(大阪)を外港・宮都(首都)として整備したことが記されている。
古墳時代以降、北部九州と畿内を結ぶ瀬戸内海が、倭国(日本)の重要な交通路となり沿岸には多くの港町が形成された。
平安時代末期には、大輪田泊が日宋貿易の拠点となり、都の福原京も計画された。
鎌倉時代後期以降になると、列島内の交易が活発化し、特に水上交通が栄え、それに伴い港町も繁栄した。例えば、兵庫津(大輪田泊)の年間入港隻数は数千にのぼり、他の港町も同様であった。なお、同時期のヨーロッパを代表する港町リューベック の年間入港は数百隻にとどまっている。福山の草戸千軒遺跡は室町期の港町の遺跡であるが、その出土物から当時の港町の様相がよく判る。
江戸時代に入っても、東廻り航路・西廻り航路などの水上交通が整備され、その中継点として各地の港町は繁栄し続けた。
明治時代を迎えると海外との貿易が始まり、横浜や函館、小樽など急速に発展した港町が多い。兵庫津の歴史を継承する神戸は明治末期から昭和前期まで世界四大海運市場の一つとして繁栄した。反面、鉄道や自動車などの陸上交通が発展したために、国内物流としての水上交通の地位が相対的に低下し、寂れる港町が増えていった。
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◆Y-2668◆油絵 「港町 神戸」 F8号◆額入り 作家名有り◆
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