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伝田 克彦 /
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| 町田駅 | |
|---|---|
JR東日本 町田駅北口(2008年4月1日撮影)
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| まちだ - Machida | |
| 所在地 | 東京都町田市原町田 |
| 所属事業者 | 東日本旅客鉄道(JR東日本・駅詳細) 小田急電鉄(駅詳細) |
目次 |
| JR 町田駅 | |
|---|---|
JR東日本 町田駅南口(2005年11月23日撮影)
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| まちだ - Machida | |
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◄成瀬 (2.7km)
(2.8km) 古淵►
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| 所属事業者 | 東日本旅客鉄道(JR東日本) |
| 所属路線 | ■横浜線 |
| キロ程 | 22.9km(東神奈川起点) |
| 電報略号 | マチ |
| 駅構造 | 地上駅(橋上駅) |
| ホーム | 2面4線 |
| 乗車人員 -統計年度- |
105,682人/日(降車客含まず) -2007年- |
| 開業年月日 | 1908年(明治41年)9月23日 |
| 備考 | みどりの窓口 有 1980年 - 原町田駅より改称。 |
改札口は中央改札とターミナル口(旧原町田駅付近)の2か所で、それぞれ2階にある(自動改札)。中央改札は、北側(小田急町田駅西口・バスセンター側)が中央口北口、南側(ヨドバシ側)が中央口南口となっている。ペデストリアンデッキ上の屋根設置に伴い、北口の駅名標の確認が困難な状況になっている。ターミナル口はSuica導入後も有人改札のままで、Suicaが使えなかったが、2006年頃に自動改札機を設置したのに合わせて対応した。中央改札付近にみどりの窓口が設置されている。
2005年から続いていたバリアフリー対応・リニューアル工事は終了し、エレベーター・エスカレータ専用通路が設置され、新設コンコース脇にNEWDAYS、BECK'S COFFEE SHOP、ジューサーバー(JEFB)などが開店した。この工事前はエレベーターはホームと駅事務室を結ぶ車椅子専用、エスカレータは上りのみであった。工事前にあったエスカレータの部分は階段になっている。
横浜線はすべての定期旅客列車が停車する。土曜・休日に運転する臨時特急「はまかいじ」の設定当時からの停車駅でもある。
北口側から
| 1(本線) 2(待避線) |
■横浜線 | (上り) | 新横浜・東神奈川・桜木町方面 | |
| 3(待避線) 4(本線) |
■横浜線 | (下り) | 橋本・八王子方面 |
| 1 | 「Water Crown」 |
| 2 | 「Water Crown」 |
| 3(下り) | 「Verde Rayo」 |
| 3(上り) | 「スプリングボックス」 |
| 4 | 「Verde Rayo」 |
| 小田急 町田駅 | |
|---|---|
小田急町田駅(2004年撮影)
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| まちだ - Machida | |
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◄玉川学園前 (2.9km)
(1.5km) 相模大野►
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| 所属事業者 | 小田急電鉄 |
| 所属路線 | ■小田原線 |
| キロ程 | 30.8km(新宿起点) |
| 駅構造 | 高架駅 |
| ホーム | 2面4線 |
| 乗降人員 -統計年度- |
288,300人/日 -2007年- |
| 開業年月日 | 1927年(昭和2年)4月1日 |
| 備考 | 1976年に新原町田駅から改称。 |
島式ホーム2面4線を持つ高架駅(但し、新宿寄りは地平、相模大野寄りは高架。)。
現駅舎は駅ビル(小田急百貨店)の中2階のど真ん中を鉄道が貫くという珍しいスタイルで建築された駅である。利用客の多さに比べホーム幅は狭く、到着を待つ際には3列での整列が指示されている。
2005年から2006年にかけて行われた駅構内のリニューアル工事で、改札内コンコースの案内表示やエスカレータの増設やトイレの設置、改札外コンコースのトイレの改装などが行われた。2005年7月に行われた調査により、改札外天井部分にアスベストを含有した吹き付け材が用いられていることが確認されたため、2006年6月までに撤去作業を行った。
小田急電鉄の管区長・駅長所在駅。町田管区として登戸~新百合ヶ丘~町田・唐木田間、町田管内として柿生~町田間を管理している。
改札口は全部で5か所あり、小田急百貨店の2階に西口(南)・北口(東)・東口(北)・南口(西)が、3階に小田急百貨店口がある(括弧内は実際の方角)。小田急百貨店口は百貨店内に直結しているため、百貨店の営業時間帯以外は利用できない。
駅が南側から北側に向かっての傾斜地にあるため、JRの駅・バスセンターのある南西側(西口側)地平から改札へは地面の高さから上がる必要がある。JR中央口北口と町田バスセンターから西口へはデッキで直接結ばれているが、改札面よりデッキの方が高い位置のため、若干下る。北口出口(2)(百貨店エスカレータ横・西側)は地面と百貨店2階の改札口の間に段差が無い。但し、接続道路は南西側(バスセンター側)へ下り、北東側(東口側)へ上る。駅のすぐ北東側には玉川学園8号踏切(通称第1踏切)があり、北側(東口)・西側(南口)から改札へは階段を降りる事になる。駅構内改札付近と南口方面への間には段差があり、改札より南口・東口地下道への通路が若干低い。
| 1(待避線) 2(本線) |
■小田原線 | (下り) | 小田原・箱根湯本・藤沢・片瀬江ノ島方面 |
| 3(本線) 4(待避線) |
■小田原線 | (上り) | 新宿・千代田線方面 |
小田急電鉄の町田駅には、複数の出口が存在する。
北口出口(1)
北口出口(2)
北口出口(3)
西口出口
南口出口(1)
南口出口(2)
東口出口(1)
東口出口(2)
JR東日本と小田急電鉄で連絡乗車券などを発行できるように検討していたが、2008年3月15日より当駅経由の連絡定期券の購入ができるようになった[1][2][3]。
最近まで、JR東日本と小田急電鉄との間で連絡運輸の協定がなされていなかっため、JR横浜線と小田急小田原線を乗り継ぐ場合の連絡乗車券・定期券などの購入はできなかった。そのため、それぞれの乗車券(回数券、磁気・Suica・PASMOの各定期券を含む。)は別々に購入する必要があった。このためか、両社においてSuicaやパスネットが導入される以前は乗り換え客による切符購入待ちの列により券売機付近が非常に混雑し、自由通路を通る事ができない状態になっていた(現在も混雑が激しいが、以前ほどではない。)。現在でも引き続き連絡定期券以外の連絡乗車券類は購入できないため、定期券所持者以外の不便な状況は変わっていない。
なお、定期券以外の連絡運輸が設けられていないのは、横浜線と小田急電鉄は開業時から現在まで別駅扱いのためとみられる。その経緯については「#歴史」「#横浜線の駅の移転について」も参照の事。
似たような例として、武蔵野線新八柱駅・新京成線八柱駅などがある。
周辺は神奈川県相模原市との市境が近く、JR南口付近は相模原市である。
駅近隣は、江戸時代の鎖国解除直後から、生糸の集散地として栄え、その流れで多くの商店が建ち並んだ。
横浜線原町田駅と小田急線新原町田駅が開業すると駅近隣の発展は急速に進み、1960年代に市内に多くの大規模な団地が建設されると、大丸(町田大丸に分社後、撤退)、緑屋(現在は撤退)、さいか屋(現在は専門店ビルのジョルナに業態転換)、ダイエー(現在も規模を縮小しながらも食料品スーパー「グルメシティ」として営業中)などの百貨店、スーパーマーケットが駅前に進出し、商業地としての地位を確実なものとした。今日では小田急百貨店、109、丸井、長崎屋、西友、モディ、町田東急ツインズ、ヨドバシカメラ、ドン・キホーテ、ジョルナ、ソフマップ、ブックオフ、ザ・ダイソーなどの大型店が林立し、さらには庶民的な商店街や若者向けの店も数多く、神奈川県民も多く訪れる東京都有数の商業地として著しく発達しており、小田急沿線の商業地としては新宿に次ぐ2番目の規模である。
このような大商業地でありながら、周辺の南町田、橋本、新百合ヶ丘、海老名などにできたシネマコンプレックスとの競合により、2館あった小規模映画館がどちらも近年閉館したため、現在は当駅周辺に映画を鑑賞できる施設がない。
横浜線原町田駅跡地は再開発され、1983年にバスターミナル・自転車駐車場・自動車駐車場・商業施設・JR町田駅ターミナル口改札からなる「町田ターミナルプラザ」となり、東京急行電鉄が所有する商業棟にはテナントとして東急ハンズが入居した。その後東急ハンズは東急百貨店町田店再編に際し2007年に百貨店と共に一旦閉店し、同年、百貨店を業態変更した専門店ビルである町田東急ツインズに移転した。東急ハンズ移転閉店後の町田ターミナルプラザ・商業棟には2008年5月23日にファーストリテイリングが経営する商業施設のミーナ町田が開店した[4]。町田ターミナルプラザ・ターミナル棟(2階以下は町田市所有、3階以上は東京急行電鉄所有の「駐車場棟」)の1階は町田ターミナル(バスターミナル)、2階は「ターミナルエイト」と称し、名の通り8つの店舗が入れる商用スペースとなっている。しかし、ターミナルエイトは2008年10月現在、2つの店舗しか営業していない。ターミナルエイトと商業棟の間は、「出会いのひろば」と称する子供用遊具が設置されていた広場でつながっている。出会いのひろばの奥には、1983年10月に設置された和田康男作「水のオブジェ」という作品があったが、ミーナ町田の開店に伴い子供用遊具と共に撤去されたが、後に子供用遊具は撤去したオブジェの位置に戻っている。出会いのひろばの北側には「ターミナルデッキ」と称するペデストリアンデッキがあり、JR町田駅ターミナル口から町田中央図書館が入居するホテル ザ・エルシィまでつないでいる。出会いのひろば前のペデストリアンデッキ上には、1983年10月に設置された黒川紀章作「シティゲート」という作品があり、このモニュメントが真南北を示している。
商業地域からJR町田駅を挟んだ反対側エスカレータを降りて目の前にヨドバシカメラがあり、そして徒歩数分の町田市と相模原市の境界線近くに性風俗店やラブホテルが数多く並び、一部では西の歌舞伎町という声もある。2007年4月にはその風俗店などが並んでいる場所から近くの都営住宅などで暴力団による銃撃事件(町田市立てこもり事件)が発生し、暴力団を逮捕するために特殊捜査班が駆けつけ周囲を管轄警察官が立ち入り禁止にするなど騒動になった。銃撃事件発生後は駅周辺の各所に警察官が配置され、治安が強化されている。
JR町田駅から小田急町田駅までの間の通路は通行人の往来が激しい。またマルチまがい商法の勧誘やホストの客引きや風俗店による違法なティッシュ配りなどが激しく、中には歩行者の前に足を出すようにして強引に引き止めるなどの悪質な手口も見られ、これら全般の行為を警察は犯罪率の増加を示しているとして懸念している。
その一方で、駅からしばらく歩くと、緑や公園が多く存在し、緑が豊かな街としての一面もある。駅周辺にある公園のひとつである芹ヶ谷公園(参考)には、町田市立国際版画美術館があり、古今東西の多くの版画が常に展示されている。
東京都町田市と神奈川県相模原市(昔の武蔵国と相模国)の境界とされた境川はかつては激しく蛇行しており、河川改修によって流路が直線化された後も両市間では一部区間を除いて都県境が非常に入り組んだまま残されている。そのため、JR町田駅中央口南側のヨドバシカメラ周辺は境川の北側ではあるが一部は神奈川県相模原市に属する。事実、ヨドバシカメラは入口部分を除きほとんどが相模原市である(店内での盗難などの犯罪は相模原南警察署の管轄となる)。
JR中央口と小田急西口との間にはペデストリアンデッキが2つあるが、丸井側のみに屋根があり、町田モディ側には屋根がない。丸井側が横浜線の駅移転と共に建造されたものであり、JRと小田急の連絡通路として使われたが、やがて常に全体が溢れ返るほど混雑した事から、町田モディ(旧大丸)側にも1993年に追加でデッキが建造された。
JR中央口と町田東急ツインズとの間のペデストリアンデッキ上の広場は「モニュメント広場」と称され、その名の通り、回転する「曲がりくねった棒」でできたモニュメントが存在し、鳩が乗ったまま回転している光景もよく見られた。このモニュメントは1980年に設置された伊藤隆道作「動く彫刻モニュメント」という作品である。この広場にも屋根がなかったため、一時期は傘を貸し出すサービスを行っていたが、2006年末頃にモニュメントを取り囲むような形で布製の屋根が設置された。最近では、このモニュメントが回転している様子が伺えない。
町田東急ツインズのEASTとWESTとの間の道路上の町田駅中央口ペデストリアンデッキ向かいには、将来多摩都市モノレールの町田駅ができる事になっているが、用地買収が滞るなどの要因により、モノレールが町田駅まで延伸する目処は立っていない。なお、町田東急ツインズ(旧東急百貨店)の両館の間を結ぶ連絡橋は、この計画があったために5階という高い位置に作られたと思われる。
駅周辺の上空は厚木海軍飛行場への空路となっていて、爆音を聞き、空を見上げると軍用機の下部を見る事が良くある。1964年には駅周辺の繁華街で軍用機の墜落事故(町田米軍機墜落事故)が発生し、事故現場周辺にいた4名が死亡するという惨事になった事もある。
当駅周辺には、町田バスセンター(JR町田駅中央北口~小田急線町田駅西口高架下)、町田ターミナル(町田ターミナルプラザ・ターミナル棟1階)、町田ターミナル前、町田駅(小田急線町田駅東口POPビル前)と4つのバス停留所がある。これらのバス停については町田バスセンターを参照の事。
町田駅周辺には、タクシー乗り場が4箇所ある。
駅開設当時の「原町田」とは、駅所在地の地名から名付けられた。その後、駅が小田急線町田駅側に移築された事に伴い、「町田」と改称された。当時横浜線の主力だった103系が町田行として走る場合の方向幕では、当初は「町田」に置き換えられずに「原」の文字だけ消されて「 町田」となったものもあった。
改称に際しては、国鉄は当初既に存在していた宮原線(1937年開業→1984年廃止)「町田駅」と駅名が重複していた事から、難色を示した。しかし、大阪府出身の当時の町田市長が、東北本線福島駅(福島市)と大阪環状線福島駅(大阪市福島区)の事例を取り上げ、「既に重複している例はある」と国鉄を説き、改称にこぎつけている。
「原町田」に新しく設置された駅という意味で「新原町田」として開設された。その後、町田市の玄関口として駅周辺が発展した事に伴い、駅の大規模改良工事完成を半年後に控えた1976年4月に「町田」と改称された。この際、町田市の中心駅なのに「原」というのが駅名に付くのは「おかしい」という意見もあったという。
かつて、国鉄横浜線と小田急小田原線は乗り換え客はいたものの、2つの駅の距離は離れており、バスターミナルもそれぞれ独立した場所にあったため、利用客などから駅を移設して乗り換えを便利にして欲しいという声が高まっていた。大勢の乗り換え客がそれぞれの駅に向かって走るので、経路になった道路は通称『マラソン道路』(又は「駆け足通り」)と呼ばれていた程である。
そこで、町田市などは横浜線の駅を小田原線と横浜線の交差地点近くに移設しようと計画したが、これに対して2つの間にある商店街が猛烈に反対を唱えた。というのも、乗り換え客の中には途中でこのような商店街に立ち寄る人も非常に多く、駅が移設してしまうとこのような客がいなくなる恐れがあったからである。その後も反対運動が続けられ、4千人を超える署名が集められた。その後の交渉で、
の3案が出され、長い交渉をへて2.の案に決まった。
こうして横浜線の駅は移設する事になったが、これは商店街の声も一部配慮したものであった。利用客はこの案を完全には喜んではいなかった。利用客は本当は3.の隣接案を望んでいたからである。連絡通路による乗り換えには約5分掛かり、ラッシュ時などはそれ以上の時間を要する場合もある。よって、利用客の中には乗り換えが不便という声も未だにあるが、現状は連絡通路の長さが乗り換え客による混雑の緩衝となっている面もある。
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