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古くから西アジアや中国では、天然痘患者の膿を健康人に接種して軽度の天然痘を起こさせて免疫を得る人痘法が行なわれていたが、安全性は充分でなかった。1796年にイギリスの医師エドワード=ジェンナーが、ウシの天然痘である牛痘の膿を接種する、より安全な牛痘法を考案し、これが世界中に広まり、天然痘の流行の抑制に効果が大きかった。ワクチンという言葉もこの時用いられたものである。その後、さらに優れたワクチンとして、人痘ウイルスをウサギの睾丸を通して弱毒化した後に牛に接種して作った牛化人痘ワクチンが開発され、広く用いられた。
日本では秋月藩の藩医だった緒方春朔が1790年に種痘を行っているが、これはジェンナーが考案した牛痘を用いる方法ではなく、天然痘の瘡蓋(かさぶた)の粉末を接種する方法を緒方自身によって改良を加えたものだった。1810年にはロシアに拉致された中川五郎治が、帰国後に牛痘を用いた種痘法を実践。1814年には安芸国の漂流民・久蔵が種痘法を覚え、牛痘を日本に持ち帰って効果を藩主に進言しているが一笑され実現化に至らなかった。その後、1849年には佐賀藩の医師・楢林宗健と長崎のオランダ人医師・モーニッケが種痘を実施し、ようやく日本全国に種痘が普及し始める。
日本では種痘は1909年の「種痘法」によって国民に定着。天然痘の撲滅が確認された1976年以降、日本では基本的に接種は行われていない。
種痘は天然痘の撲滅に貢献した。だが、種痘後に脳炎を起こす事例が頻発し、「種痘後脳炎」と呼ばれるようになった。1940年代後半には医師の間では広く知られるようになっており、その被害規模は無視できない数にのぼり、1947年と1948年の強力痘苗だけに限定しても、犠牲者はおよそ600人と推計されており、天然痘のこの2年間の患者数405人を超えてしまっていた[1]。医原病である。
さらに犠牲者のほとんどは乳幼児であり、脳の正常な機能は失われてしまったが、子供を失ったり障害者となってしまった子供をかかえた被害者は、接種を強制した日本の行政から何ら援助も保障も提供されなかった。
1970年に、北海道小樽市の種痘後遺症被害者が日本の行政府を相手取り、損害賠償の訴訟を起こした。同時期に立ち上がった「全国予防接種事故防止推進会」の精力的な活動も幸いして、「種痘禍」は報道機関でも取り上げられ、その実態が国民に広く知られるようになった。1972年の夏ごろに種痘接種は全国的に中止され、同時に個別接種方式の導入と接種年齢見直しが図られた[2]。
天然痘が撲滅されたことから一般には行われていないが、生物兵器の対策として、現在も海外派遣される軍隊(自衛隊含む)に対しては集団接種が行われることがある。なお、免疫力の低下した人やアトピー性皮膚炎の既往がある場合は天然痘様の症状を起こすことがあるため接種は禁忌であり、また接種後しばらくは外部に接触しないように留意する必要がある。
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