立命館大学 とは?ページ内リンク ↓ウィキペディア(Wikipedia)記事 ↓Yahoo!知恵袋立命館大学(りつめいかんだいがく、英語: Ritsumeikan University)は、京都市中京区西ノ京朱雀町1に本部を置く日本の私立大学である。1922年に設置された。大学の略称は「立命大」「立命」が一般的だが、京都では「立大」という略称で呼ばれる事もある。また、最近では「Rits(リッツ)」とも呼ばれている。2008年度より「R」の略称も使用されている。 出典: 『ウィキペディア(Wikipedia)』 立命館大学 出典: 『はてなダイアリー』 関連商品
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| 立命館大学 | |
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衣笠キャンパス
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| 大学設置 | 1922年 |
| 創立 | 1900年 |
| 学校種別 | 私立 |
| 設置者 | 学校法人立命館 |
| 本部所在地 | 京都市中京区西ノ京朱雀町1 |
| キャンパス | 衣笠(京都府京都市北区) 朱雀(京都府京都市中京区) びわこ・くさつ(滋賀県草津市) |
| 学部 | 法学部 経済学部 経営学部 産業社会学部 国際関係学部 政策科学部 文学部 理工学部 情報理工学部 映像学部 薬学部 生命科学部 |
| 研究科 | 法学研究科 経済学研究科 経営学研究科 社会学研究科 国際関係研究科 政策科学研究科 公務研究科 文学研究科 応用人間科学研究科 言語教育情報研究科 テクノロジー・マネジメント研究科 先端総合学術研究科 理工学研究科 法務研究科 経営管理研究科 |
| ウェブサイト | 立命館大学公式サイト |
立命館大学(りつめいかんだいがく、英語: Ritsumeikan University)は、京都市中京区西ノ京朱雀町1に本部を置く日本の私立大学である。1922年に設置された。大学の略称は「立命大」「立命」が一般的だが、京都では「立大」という略称で呼ばれる事もある。また、最近では「Rits(リッツ)」とも呼ばれている。2008年度より「R」の略称も使用されている。
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「立命館」の由来は、孟子「盡心章(じんしんしょう)」にある「殀寿貳(ようじゅたが)わず、身を修めて以て之を俟(ま)つは、命を立つる所以(ゆえん)なり」(人間の寿命は天命によって決められており、修養に努めてその天命を待つのが人間の本分である)から採られた。
建学の精神は「自由と清新」となっている。また、教学理念は「平和と民主主義」である。
終戦直後から以下の施策が実施された。滝川事件に大きく関わった末川博を学長に迎えて、新たに教学理念となった「平和と民主主義」を背景としたものである[要追加記述][1]。これは、立命館大学によると「立命館民主主義[2][3]」としている。
1869年、 西園寺公望は私塾立命館を創設した。しかし、京都府庁(太政官留守官)の差留命令により1年弱で閉鎖された。西園寺の秘書官であった中川小十郎は、西園寺の意志を継ぎ、1900年に向学心を持つ勤労青年のために勉学の機会を与えるとともに京都帝国大学教員の経済支援を兼ねた夜間学校として京都法政学校を設立し、上京区東三本木丸太町にあった料亭清輝楼(後の吉田屋)を仮の校舎とした。
現在の立命館大学は、直接的には京都法政学校が大本の教育機関となり、立命館大学では、教育機関としては1900年を創立年としている。しかし、中川が西園寺の設立した私塾立命館の後継として京都法政学校を創設したこともあり、源流は私塾立命館に置いている。
西園寺公望は自分の意志を継いだ中川に協力を惜しまず、庶弟末弘威麿が学園幹事に就任した。
同じく実弟の住友財閥当主徳大寺隆麿(住友友純)も大口の寄付を行うなど、様々な面で協力している。
中川が「立命館」の名称を用いる事を西園寺公望に申し出た際には『立命館』の名称と精神の継承(立命館の再興)を大層喜び『立命館と由緒』の大扁額を与えた。後に西園寺は「余が建設せる立命館の名称と精神を継承せる貴学」と現在の立命館大学の事を述べており、彼の作った立命館が再興し、受け継がれている事を喜んだ。
西園寺は専門学校令によって創立した京都法政大学が大学令による大学への昇格条件を満たすために多数の書籍を寄付している。これらの書籍は、現在も「西園寺文庫」として保存されている。なお、一回目の寄贈は1925年5月に行われ、英仏書187冊[要出典]であった。その後、1930年10月16日に和漢書約300冊[要出典]、1938年6月には西園寺家伝来の和綴本739部881冊[要出典]の寄贈が為された。この和綴書には、宮中儀式、有職故実関係、改元記録、和歌関係などの貴重文書が含まれている[要出典]。そして1940年5月に行われた最後の寄贈は和漢書6,671冊にもおよび、西園寺公望が特に愛読していたと思われるものが大量に含まれている[要出典]のが特徴である。
また西園寺公望は西園寺家家紋である「左三つ巴」の旗を立命館学園が使用することを許可しており実際に使用されていた。
こうした状況から西園寺公望が没した1940年に財団法人立命館は、西園寺公望を「学祖」と取り決めた。そのため、西園寺家との関係は、学校法人立命館のみならず、立命館大学とも続いており、大学の行事に西園寺家の人々が出席している。
1990年代までは当時あった大半の学部に2部(夜間部)があったが、現在はなくなっている。立命館大学の2部は他大学と異なり、入学試験の受験資格が本来の目的である勤労学生もしくは社会人に限定されていた[要出典]。
立命館大学ではインスティテュートという制度を設けて教育の支援を行っている。インスティテュートという制度下では、学生の学籍は所属する学部学科にあるが、実際には卒業の基準や必修も全てインスティテュートの枠組みの中で行われることになる。こうした制度のため、卒業した学生の肩書きは「○○学部○○学科○○インスティテュート卒業」となる。インスティテュート所属生の選抜は入学試験で行われる。
立命館大学蔵書数(附属研究機関含む/2007年度末時点)は、2,614,637冊(和漢書1,788,087冊、洋書826,550冊)[5]。APUライブラリー(立命館アジア太平洋大学)蔵書数は含まない。
西園寺文庫は、図書館内にある文庫。西園寺家伝来の貴重な資料のほか、西園寺公望自身が収集した資料を含む。総冊数13,059[要出典]。
西園寺文庫の資料は、西園寺公望が生前4回に渡って立命館大学に寄贈した資料を中心に構成されており、その前身は1938年同校に設置された「西園寺公文庫」である。一回目の寄贈は1925年5月に行われたが、これは立命館大学(旧制)が大学昇格条件を満たすために整備した立命館文庫に対して記念寄贈されたもので、英仏書187冊であった。その後、1930年10月16日に和漢書約300冊、1938年6月には西園寺家伝来の和綴本739部881冊の寄贈が為された。この和綴書には、宮中儀式、有職故実関係、改元記録、和歌関係などの貴重文書が含まれている。そして最後、すなわち四回目の寄贈は1940(昭和15)年5月に行われている。この最後の寄贈資料は和漢書6,671冊にもおよび、西園寺公が特に愛読していたと思われるものが大量に含まれているのが特徴とされる。
21世紀COEプログラムとして、4件のプロジェクトが採択されている。
グローバルCOEプログラムとして、3件のプロジェクトが採択されている。
立命館土曜講座は、大学の社会的開放および生涯教育への対応として実施している無料公開講座。当時の学長が、提唱して開講されたもので、第一回目の講座は1946年3月31日に実施された。また、これに関連して、1962年から1965年にかけて、読売テレビと共同して『テレビ大学講座』を制作していた。現在は、衣笠キャンパスで実施している土曜講座のほかに、びわこ・くさつキャンパスで『立命館びわこ講座』、学校法人立命館の学校や事務所なども使用して公開講座が開催されている。
海外留学に関する教育プログラムが用意されている。詳細については他大学との協定に関する説明を多数含むため、留学協定を参照。
学生の全員加盟制の立命館大学学友会という組織が存在する。立命館大学の掲げる全学構成員自治の一員であり、全学協議会などで学生代表として議論に参加している。同組織には各学部自治会・自治委員会、中央事業団体、各課外本部などが存在する。
ロックコミューンという音楽サークルの卒業生にはメジャーデビューを果たしたバンドが存在する。
学友会が中心となって運営する立命館大学学園祭実行委員会の主催による「立命館大学学園祭」が、例年11月にびわこ・くさつキャンパスで2日間、衣笠キャンパスで2日間の計4日間開催される。
来場者数は約10万人(主催者発表)で、関西最大級の学園祭として知られている[要出典]。
学生文化の集大成を発表する場として、各サークルによる企画や学園祭事務局による企画、模擬店、フリーマーケット、野外ステージ企画、プロタレントによるコンサートなど、様々な催しが行われる。