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立川談志 とは?

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立川 談志(たてかわ だんし)は、落語家名跡

出典: 『ウィキペディア(Wikipedia)』


立川談志はてなダイアリーを別ウィンドウで表示  :  落語家 1936年生まれ。東京出身。本名・松岡克由。 16歳で柳家小さんに入門、小よしと名づけられる。 18歳で二つ目に昇進し、小ゑんと名乗る。 22歳で真打になり、五代目立川談志を襲名する。 笑点の初代司会者。 1971年には参議院議員に当選。 1983年真打制度を巡って落語協会と対立し、落語協会を脱退。 立川流落語会を創設、家元となる。   著書に 『現代落語論』 『あなたも落語家になれる』 『談志人生全集』(全三巻) など 談志といえばこの噺(順不同) 芝浜、居残り佐平次、らくだ、洒落小町、権 ...

出典: 『はてなダイアリー』


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ウィキペディア(Wikipedia)記事


丸に左三蓋松は、立川流の定紋である。

立川 談志(たてかわ だんし)は、落語家名跡

当代(家元の談志)は7代目だが、5代目と自称している。

これは明治時代の寄席で人気を博していた釜堀りの談志(4代目)が初代を称し、俥屋の談志がそれに倣って4代目と称していたようなので、当代は5代目というのは語呂が良く、更に師匠5代目柳家小さんと代数が合うので丁度良いという事で、5代目を名乗る事になった。(当代著書『現代落語論』より)

釜堀りの談志を初代と見なした場合、3代目になるはずの談志が何故4代目を称していたかというのは、本名恒川駒吉の談志と俥屋の談志の間にはもう一人談志がいたらしいため、その談志を代数に含めていたためではないかと思われる。

また、花咲爺の談志(3代目)を初代とみなしたから5代目となった、とも言われる。

ちなみに、4代目桂文之助1916年に著した『古今落語系図一覧表』では、のちに宇治新口を名乗った談志が代数に入っておらず、花咲爺の談志が2代目、釜堀りの談志が3代目、本名恒川駒吉の談志が4代目となっている。

  • 初代立川談志 - 後の2代目菅良助
  • 2代目立川談志 - のち初代三笑亭可楽の門下で宇治新口を名乗る。こちらの談志の方が初代だとする説もある。
  • 3代目立川談志 - 「花咲爺の談志」。本名、三宅岩太郎。
  • 4代目立川談志 - 「釜堀りの談志」。江戸2代目桂才賀の門下。本名、中森定吉。
  • 5代目立川談志 - 後の柳家金太夫。本名、恒川駒吉。
    • 5代目と6代目の間にもう一人談志がおり、東西会に所属していたようであるが、詳細不明。
  • 6代目立川談志 - 得意な演目から「反対俥の談志」「俥屋の談志」。性格の良さから「お結構の談志」。5代目三升家小勝の門下。本名、竹内栄次郎。
  • 7代目(自称5代目)については以下に記載。

日本の政治家
立川談志
松岡 克由
まつおか かつよし
生年月日 1936年1月2日(72歳)
出生地 東京府東京市
所属政党 無所属
自由民主党
無所属
日本の旗 参議院議員
選挙区 全国区
当選回数 1回
就任日 1971年7月4日
退任日 1977年7月3日
  

当代(7代目、ただし自称5代目)立川 談志1936年1月2日 - 本名:松岡 克由(まつおか かつよし))は、東京府(現在の東京都)出身の落語家、落語立川流家元。ごく短期間、国会議員政府政務次官を務めたことがある。サイバー大学客員教授

目次

大学

大学の客員教授を務めている。受け持ち科目は共通科目の「落語と文化・文明論」。[1]

所属事務所

  • 2002年5月21日第三次前座全員破門騒動~現在
    • 有限会社談志役場」(松岡慎太郎社長=談志の息子)
      • 現在では上納金も談志役場に支払われる。
  • 1983年落語協会脱会~2002年5月21日第三次前座全員破門騒動まで
    • 「立川企画」(松岡由雄社長=談志の実弟)
  • 1971年国会議員就任~1983年落語協会脱会まで
    • 「まむしプロダクション」(毒蝮三太夫社長、松岡由雄マネージャー=弟)
      • 談志プロと同じ会社。本人が国会議員になったため、談志プロが社名と社長を変更したもの。師匠5代目柳家小さんが一タレントとして所属していた
  • 時期不明~1971年国会議員就任まで
    • 「談志プロダクション」(談志自身が社長)
  • 時期不明(笑点放送開始時)
    • 「現代センター」

家族

息子は所属事務所有限会社「談志役場」の松岡慎太郎社長。弟は松岡由雄(立川企画社長←「まむしプロダクション」でマネージャー)。

娘は銀座クラブホステスの松岡弓子ママ。元バラエティタレントで、当時の芸名は松岡まこと。

概要

古典落語に広く通じ、現代と古典との乖離を絶えず意識しつつ、長年にわたって理論感覚の両面から落語に挑み続けている。古典落語を現代的価値観・感性で表現しなおそうという野心的努力は評価されている。落語のほか講談漫談をも得意とするなど、芸域は広い。自ら落語立川流を主宰し、「家元」を名乗る。出囃子は『木賊刈』(とくさがり)。5代目三遊亭圓楽3代目古今亭志ん朝5代目春風亭柳朝(柳朝死去後は8代目橘家圓蔵)と共に落語四天王と呼ばれた。

経歴

政治活動

1969年に衆議院選挙に立候補したが落選(東京8区、無所属。19,548票で定数3人、立候補者9人中6位)。1971年の参議院選挙では当時の全国区で50人中50位の最下位当選だったが、その際のインタビューで「寄席でも選挙でも、真打は最後に上がるもんだ」という言葉を残す。直後に自由民主党(自民党)に入党した(本人によれば、佐藤栄作が座布団からおりて小さんに頭を下げたからと言うのが理由だという)。議員活動では、NHK受信料問題を質問した。

三木内閣時代の1975年12月には沖縄開発庁政務次官に就任するが、就任時の会見で議員の選挙資金について「子供の面倒を親分が見るのは当然」と発言したことが問題化。さらに政務次官初仕事である沖縄海洋博視察では二日酔いのまま記者会見に臨み、地元沖縄メディアの記者から「あなたは公務とどちらが大切なんだ」と咎められる。これに対して「酒に決まってんだろ」と言ったことがさらに問題となる。弁明を行うはずの決算委員会を寄席を理由に欠席するに至って、自民党内部からも反発が起こり辞任。在任期間は僅か36日であった。談志自身は、議員になったのは兼職をしてもいいと言われたからであり、自分は大衆との接点を持ち続けるのが信条だとして自民党を離党した。なおこの問題の時、親交がある石原慎太郎から「謝罪したらどうだ」と説得されたが拒絶した。参議院議員2期目を目指して、全国区から東京地方区への鞍替え出馬を予定していたが、直前で出馬を取りやめ、議員活動は参議院議員1期6年だけで終わった。

談志本人の政治的ポリシーは相当に強硬な保守系であり、在任中は特に共産党議員への野次に力を入れていた事により、共産党支持者の8代目林家正蔵(後の林家彦六)(ただし、共産党のイデオロギーに共感した訳ではなく、本人は判官贔屓としている)と、談志の野次を聞きつけては喧嘩をしていた模様(ただし、彦六は談志の選挙を手伝っており、また、談志も国会の決算委員会で国鉄問題の際に通勤定期を通勤のみに使い、外出など私用な目的には定期を使わずに運賃を払っている人物の例として彦六を取り上げており、議事録にも残っている(昭和51年10月28日、参議院運輸委員会会議録7号29頁))。政界を退いた後も自民党を中心とする保守系政治家との親交が深い。保守系議員の選挙応援などにもしばしば動いている。

その反面、元社会党衆議院・参議院議員上田哲の選挙応援にも出たこともある。談志曰く「議会には反対派も必要だ」というが、政治レベル以外での個人的な交友関係によるものとも思われ、上田も立川流の高座に上がったこともあるほか、談志・西丸震哉と「老人党東京」を旗揚げしている。

音楽活動

自身は無類の歌謡曲ファンで青春時代は歌声喫茶に通いつめた。最近は『談志絶唱 昭和の歌謡曲』という本を出版もした。

『笑点音頭』

(※『笑点音頭』は、この番組で現在放送されているインストゥルメンタルのテーマミュージックとは全く別物である。)

1967年キングレコード発売
作詞立川談志/作曲/宮崎尚志
歌・立川談志&笑点メンバー(=三遊亭圓楽桂歌丸春風亭梅橋三遊亭小圓遊林家こん平毒蝮三太夫

談志自身が企画し司会を務めたテレビ番組笑点」のテーマソングである。談志31歳の頃の作品。すべての歌唱パートを談志が受け持つ。「笑点メンバー」は上記のとおりの6人であるが、サビの部分のバックコーラスのみの担当である。

談志とこの「メンバー」が、日劇における三橋美智也ショーのゲストとして招かれ、この曲を披露したことがある。談志と三橋美智也が友人だったからでもある。有楽町・日劇は最高のステータスを誇る劇場であったが、三遊亭歌笑を除く落語家とはもともと無縁のところだった。

※反対に、日劇に併設された日劇ミュージックホールへは、談志は非常に若い二ツ目時代からレギュラーで出演していた。泉和助E・H・エリックらとコントをやっていたほか、洋装で、立ったまましゃべるスタンダップ・コメディを披露していた。

談志とメンバーが対立し、メンバー全員が降板した1969年以降、この曲は一切放送に使用されなくなった。

現在では、この曲は、企画盤のうちの一曲として複数のレコード会社からCD化されている。

『アメリカ』

2003年9月11日「談志2REVOLUTION」名義でシングルCDとして発売。ラップミュージックとなっている。

『国会』

2004年3月24日に、シングル「国会」を発売。

その他の活動

手塚治虫の熱烈なファンで、生前の手塚本人との親交も深く、アニメ映画ジャングル大帝』に声優として参加した(密猟者ハムエッグ役)。声優としての出演には他に『ドラ猫大将』などがある。また、ブラック・ジャックの文庫本にもメッセージを寄せている。

突飛な活動

1992年瀬戸内海サメが人を襲う事件があり、当時、明治大学替え玉受験疑惑で芸能活動謹慎中であったなべおさみと「シャークハンター必殺隊」を結成、現地入りし、現地の人たちから罵声を浴びた。このように本気か冗談か判断の難しい突飛なパフォーマンスを好む傾向がある。

現在

人物

自殺

  • 談志は自殺すると予言した人物がいる。同業の先輩である林家正蔵(彦六)である。談志が国会議員になったばかりの頃である。正蔵によれば、談志はやる事なす事が全て当たり、成功したので、現実の世の中が馬鹿馬鹿しく思えるのではないかとのことだった。当時正蔵は談志本人には言わなかったが。他の多くの人にその危惧を語っている。その1人である川戸貞吉がそれを本に書き、公の知るところになった。
  • 近年、談志は、テレビで「死ぬつもりでいたからね。(でも)自殺ができないってことになって… 本当の話だもん」と、自殺願望が抑え切れなくなっていることを告白した[1]
  • 談志本人は、「談志は自殺する」という正蔵の予言について「(今から見れば)当たっている」と評した(川戸との対談にて。紀伊国屋書店第85回新宿セミナー、2007年9月16日)
  • 公式ホームページ「地球も最後ナムアミダブツ」の「今日の家元(日記欄)」にも自殺をしたくても出来ない事を示すくだりが登場している。

噺家として

  • 噺家としての全盛期の実力に対する評価は概して高いものの、直情径行な性格により数々の過激な争いを起こし続けており、敵を作ることも厭わない「暴れん坊」ぶりもあって、毀誉褒貶の激しい人物でもある。
楽屋ネタや同業者をネタにする噺家は少なくなく、談志もまた、敵味方・先輩後輩関係無く、同業者にネタにされる事がある。落語「地獄めぐり」の口演では、地獄に来た落語家を並べ立てるくだりにおいて、「立川談志……あれ、あいつまだ生きてんじゃなかったか……ああ小さく書いてある、えーと『近日来演』」(まもなく死んで地獄に来る、というオチ。オリジナルは3代目桂米朝の「地獄八景亡者戯」で、本来は演者の名前が入る)というネタが出て来る。
  • 落語そのものに対して、「落語とは、人のの肯定である」との見解を、常々表明していたが、近年は「ファンタジー落語」という独自の域に達したと自認している。
  • 師匠5代目柳家小さんとは、口論になることが多く、基本的に関係は悪い。
    • 真打昇進試験に弟子が合格しなかった点が、当時会長であった小さんの方針と合わないとして、落語立川流を設立、これにより破門される。
    • 本人著では、破門後も何度か互いの芸を貶す・どちらが先に死ぬかなどの口論をしたり、取っ組み合いの喧嘩もしているが、基本は二人の間で自然とおさまっている。
    • ある新年会では、気に入らない小さんの客に、酒や膳の上のものを、片っ端からその客にぶつけて帰ってしまった後、小さんは「客がワルイ」と談志を庇ったという。また、喧嘩にしても小さんは「本気でやれば、俺の方がよっぽど強い」と、談志に好きに頭を締めさせてやっていた。
    • 上方の噺家である、3代目桂べかこ3代目桂南光襲名披露パーティーで、偶然二人が南光の楽屋で鉢合わせになり、両者が口論になった。その時楽屋にいた3代目桂米朝が、制止したこともある。
  • 落語における「大名跡」の価値を評価しており、「いずれ、オレは小さんに、圓楽は圓生に、志ん朝は志ん生になるべき」と、『現代落語論』で書いている。そのため、本来の実力からは、10代目柳家小三治が継ぐべき「小さん」を先代の息子である3代目柳家三語楼が襲名したことを、批判している。
  • ハスキーな声でシニカルかつマイペースに振る舞い、時に有言不実行ぶりをはばからないなど、一筋縄ではいかないキャラクターの持ち主である。
  • 今では一般化した、「あわわ」や「やだねえ」という言葉を流行らせた。

笑点初代司会者として

1966年5月15日の放送開始から1969年11月2日まで日本テレビの演芸番組笑点の司会を務めているが、後年「笑点ってのはよぉ、アタシが作った傑作なんだよ」と語っている通り、談志なくしては生まれなかったと言っても過言ではない。

そもそも、笑点は談志が自ら企画して実現したものである。初代メンバーの1人で後に司会を務める事となった5代目三遊亭圓楽いつみても波瀾万丈で語ったところによると、談志は圓楽に「寄席でやっている大喜利をテレビでやろうじゃないか」と持ちかけたのが番組開始の端緒だという。持ちかけた末に生まれた番組が前身番組の「金曜夜席」で隔週金曜深夜に放送されていた番組であった。当初は談志が演芸コーナーの司会で圓楽が大喜利コーナーの司会というローテーションだったが後に談志に統一された。前身番組の時点で笑点の基礎が固まり、そのまま日曜夕方の番組としてスタートしたのである。

談志は笑点として放送開始以降も色々なアイディアを持ち込んだ。大喜利の座布団運びを「目下に遣らせては円滑に運営できないとの理由」で前座三升家勝松(現:4代目桂文字助)から盟友で俳優石井伊吉に交代させて面白さを演出。石井に『毒蝮三太夫』の芸名を与えてメンバーらしさを加えたり、大喜利もレギュラーに留まらず、ゲスト・若手・師弟とバリエーションを増やしていき…現在に至る基礎を築いている。

しかし、1968年ごろから番組進行をめぐりメンバーと軋轢が生じるようになり、1969年3月30日に圓楽が「ブラックジョーク主体にするのならば私は番組を降りる」と降板宣言。これに、桂歌丸春風亭梅橋4代目三遊亭小圓遊林家こん平の全回答者レギュラーメンバーが同調したため、翌週4月6日からレギュラーメンバーを、弟弟子の柳家かゑる(現:5代目鈴々舎馬風)、柳家さん吉、圓楽の弟弟子の三遊亭好生(後の春風亭一柳)、春風亭栄橋、勝松の兄弟子の三升家勝二(現:8代目三升家小勝)に入れ替えてやりたいようにやったが、視聴率の低下と番組の私物化批判を招く結果となり引責の形で大喜利メンバー、盟友毒蝮とともに1969年11月2日限りで降板(ただし、さん吉と勝二は降板しなかった。)する事態となっている。降板と引き換えに、それぞれ復帰時期は異なるが圓楽、歌丸、小圓遊、こん平は番組に復帰したが、梅橋は復帰しなかった。

談志は降板後も特別番組の時には何度が出演しているが、近年は完全に距離を置いている。

性格

  • 評価できない人物に対しては正直に罵倒混じりの辛辣な批評を飛ばし、高座では差別用語も遠慮無く連発するなど、タブーを物ともしない過激な毒舌家として有名だが、一方ではフェミニストでありオポチュニストである。特にそのタブーを物ともしない過激ぶりで有名なのが吉本興業批判。自著で初代桂春団治が晩年非業の死を遂げたという例をあげ「あそこ(吉本興業)の使い捨て体質は戦前から(創業時からの伝統)なんだよ」と批判しており、これが原因か、吉本が東京進出して以降、テレビの出番が減っている。ただし、締め出されてはいない。
  • 弟子によれば、「人格は最低だが芸は最高」という。
  • 「芸人という消費文化の担い手である以上真っ当に働くな」、との趣旨で「泥棒しろ、ただし、俺の家は駄目だぞ」と弟子に発言したこともあるという。
  • 自他共に認める、無鉄砲なまでの冗談・悪戯好きであり、洒落か本気かわからぬ行動によるこの種の武勇伝は極めて多い。エピソードの一つとして、レポーターやナレーション業で知られる神太郎が付き人だった時、地方興行の折、夜中に「トランプを買ってこい!」と無理難題を押しつけられたが、神は、バーへ行き、バーテンダーからトランプを調達し、談志を唸らせた。
  • 肉が好物であるため、弟子はしくじった際に機嫌をとるために高級肉を談志宅へ持ち込む事がある。談志の自宅には多数の冷蔵庫があり、賞味期限が切れた食材は弟子に食べさせる。
  • かなりの資産家であると同時に、吝嗇(りんしょく:ケチ)でもある。「10億円の預金がある」との発言もしている。落語立川流上納金制度を導入しているのもそれが起因している様だ。
  • メディアの中での意見や考えについては一貫していないものも多い。芸人や有名人の評価もその場・その時によって多々異なる(或いは正反対な評価も)。これについては、他人と同じ考えを好まない談志の性格上の問題、また、全てを芸として語っていて、あえて嫌いな人物を持ち上げたりしているとも考えられる。
  • また、大変な洋画好きであり、「言いたい放だい」でもコーナーが設けられている。取り上げられるのは主に黎明期から黄金期にかけてのハリウッド映画フランス映画もよくある)で、MGMミュージカルが好きなようだ。
  • 圓楽によると「案外気の小さいところがある」とのこと。実際、「志ん朝が真打に昇進する時には本人に『昇進を辞退しろ』と直談判に行ったが、自分(圓楽)の時には人にボロクソ言ったわりに直接言いには来なかった」「自民党の大物政治家たちと同じテーブルに座っているのをみて『圓楽の馬鹿はああいうところに座ってる』と言っておきながら自分はそこに座ろうとはしなかった」などそれを裏付けるようなエピソードが圓楽の著書にいくつか紹介されている。

エピソード

  • 熱海に出かけたが弟子たちの働きぶりが気に入らず、弟子全員の衣類と財布を持って先に東京に帰ってしまい、弟子たちはどうしようもなく旅館から電車賃を借り、旅館の浴衣姿でやっと帰ってきたという。談志自身の著作・弟子の著作双方に記載されている。
  • いかに荒っぽい悪戯であろうと「洒落」の一言で済ませてしまう乱暴な談志を、唯一閉口させたのは石井伊吉(毒蝮三太夫)であった。ホーム電車を待っていた談志を電車入線間際に線路に突き落とそうとし、運良く落ちずに済んだ談志が「死んだらどうするんだ!」と怒鳴りつけたが、毒蝮笑って曰く「洒落のわからないやつだと言ってやる」。また、「笑点」の収録で大阪に行った際、道頓堀で暴漢に刃物で頭を切られた談志を見た毒蝮が「おい、貯金箱だな」と言って頭の傷口に硬貨を入れようとし一緒にいた笑点メンバーたちは大ウケしたという。石井に「毒蝮三太夫」の芸名を与えたのは談志である。
  • 談志が芸人として絶頂期にあった頃、行きつけの酒場で見知らぬ老人からいきなり「よう、テレビでよく見る三流芸人じゃねぇか」と声をかけられた。既に酒が入っていた談志は激怒し、「この野郎、どうせ落語なんかろくに知らねぇんだろう」と激しく詰め寄ると、老人は噺家顔負けの掛け合いを披露してみせ談志を黙らせてしまった。実はこの老人は紀伊國屋書店の社長の田辺茂一で、酒場で出くわした事は偶然ではあるものの、売れっ子になり時折慢心をのぞかせていた談志を懲らしめてやろうとわざと怒らせたのだという。その後二人は公私共に信頼しあう間柄になり、田辺が病死した際は談志に本人の遺言で形見分けがなされた。
  • 上記の形見は田辺が常に持ち歩いていた使い古しのバッグで、生前田辺は「この中には俺の人生で一番大切なものが入っている」と言い、談志がいくら頼んでも中身を見せてはもらえなかった。田辺の死によりバッグを受け取った談志は、「あれほどの大人物がそれほど大切にしている物とは一体何だろう」と思いバッグを開けると、中には何も入っておらず空だった。いわば談志は長年にわたり田辺が仕掛けたマクガフィンに騙されていたわけで、それに気付いた瞬間さすがに苦笑したという。
  • 三遊亭圓楽と同様に、睡眠薬を大量に服用するのが好きである。とりわけ、睡眠薬をかじりながら酒を飲むというのがたまらないと語っている。
  • 1997年に咽頭の手術。しかし、この時は白板症と診断され「癌もどき」と。術後、医者から止められていたにもかかわらず記者会見では堂々とタバコを吸った。ただし、その後は毎月定期健診に行ったりして健康には人一倍気を使っているという。(圓楽の著書による)
  • 落語自体の将来を憂えており、「驚きももの木20世紀」において、一肌脱いでやろうと、本当に全裸になってポーズをとった(当然、モザイクはかかった)。
  • ラジオ番組において免田事件の元死刑囚に対し「絶対やってないわけないんだよね」と話し、これが問題となり後で謝罪した。また、テレビの深夜番組においても、知人の元法務大臣の談の引用として「やってねえわけはねえ、やってねえわけはねぇんだけど、証拠がねえんだ」と発言し、元死刑囚の支援団体より質問状を送付される事態となった。
  • テレビワイドショー番組で市中引回し仇討ちを復活させねーとだめだ。」と発言。「野蛮極まる」と問題になった。このため同番組でコメントを求められるというケースは最近に限れば、ない。
  • バスケットボールリーグNBAのファンとしても知られ、落語のネタにできるほどの知識を持っている。特にサクラメント・キングスジェイソン・ウィリアムスを熱心に応援している。
  • 2007年7月29日21:00-25:00にTOKYO MXで放送された参議院選挙の特別番組に出演した際に野末陳平吉村作治と選挙について討論したのだが、他の解説者の話が長かったため途中で帰ってしまった。
  • 2007年9月1日放送分のレギュラー出演している談志・陳平の言いたい放だいでは、右のくまの下とヒゲ辺りにばんそうこうを張っている姿があった。また毒蝮三太夫の鼻にもばんそうこうが張られていたため、乱闘に巻き込まれたと思われたがネタだった。

演目

他の芸人、タレントへの批評

  • マンガ家手塚治虫と生前に親交があり、「天才とはレオナルド・ダ・ヴィンチと手塚治虫のことをいう」と評した。また自分がマンガの「神様」と呼ばれた手塚治虫に認められていることを自負している。
  • 基本的には天の邪鬼なコメントが多い談志だが、芸人に関してはストレートな批評を述べている。
  • 「お笑いに才能は絶対、必要だ」というのが談志の持論。ある番組の中で「ダウンタウン松本人志爆笑問題太田光には、お笑いの才能があると感じた。要は、あいつら天才なんだよ」と、この2人を大絶賛していた。
  • テリー伊藤との対談では、弟子の志の輔志らく爆笑問題アンジャッシュを褒めている。他にもおぎやはぎテツandトモらの芸も評価している。一方で不出来な弟子には相当辛辣である。
  • 爆笑オンエアバトルNHK)は「とてもすばらしい番組」と語るように談志が特に気に入っている番組である。チャンピオン大会では3度(第1回、第2回、第5回)特別審査員を務め、出演者に秘密で客席で観戦した。当時のチャンピオン大会では、談志が特に気に入った芸人に特別賞を与えており、第1回は底ぬけAIR-LINE、第2回はラーメンズが受賞している。
  • M-1グランプリテレビ朝日系列)の第2回大会の審査員も務めている。M-1での評価の仕方は非常にはっきりしていて、秀作には80点、良作には70点、駄作には50点(与えられたのは、スピードワゴンのみ。下ネタを含んだネタであったことで酷評しているが、後日なぜか評価している)の三段階で採点していた。またテツandトモに対して、彼らが既に芸人としての十分な実力や地位を確立している事を認め、「若手」の漫才ナンバーワンを争うM-1という舞台はもはや彼らには相応しくないとの理由から「もういいよ。ここはお前らの来るところじゃない」と発言している。しかし、言葉に対しての補足が無かった事と、松本人志が「これ(テツandトモのネタ)を漫才として取るかどうか」という趣旨の発言をした直後だったため、談志の発言は「漫才の大会はお前達の来るところじゃない」というニュアンスで解釈され、会場の空気を悪くしたと同時に一部の視聴者を誤解させた。そして優勝したますだおかだに賞金を渡す役を負った際、「(優勝は)もらった、と思ったはずだぜ。思わなきゃ芸人じゃねぇよな。したたかだったよ…褒めてやる!」と談志ならではの評価をした。また、おぎやはぎに関しては、「いいよ。凄くいい。リーガル千太・万吉を彷彿とさせる」と絶賛した。矢作の「ちょっとリーガル千太・万吉さんを知らないんですけど」の言葉に「縁があったらね、やってあげますよ」と答えている。
  • 2005年のNHK紅白歌合戦の司会がみのもんたに決定した時、「あいつが司会をやるようじゃ紅白も終わったな」と発言しているが、2004年度より視聴率が上がった結果になり、嫉妬をしながら、NHK紅白歌合戦、K-1 PREMIUM Dynamite!!が嫌いだったことをカミングアウトをした。ただし、1999年に友人である中村勘九郎が司会を務めていた紅白に、抜き打ちで登場したことがあり、みのが司会を務めるフジテレビ系「クイズ$ミリオネア」にも出演したことがある。
    • その「クイズ$ミリオネア」(2004年1月15日放送)でのこと。問題が高額になるほど難易度も高くなることを把握していなかったせいか、逆上して暴言を吐き、テレフォンブレーンのせいにした。500万円の問題で不正解となり退場になるが、その時もらった100万円小切手をビリビリに引き裂いて、スタジオに撒くなど極めて目に余る行為があった。そのときの態度に対して 「子供の見ている時間にはふさわしくない」「ふざけすぎ」といった苦情が殺到した。
  • たかじんnoばぁ~」に出演した際には、歌手のやしきたかじんに酷評され、「出て行け」などの発言で犬猿の仲に発展したことがある。(「たかじんnoばぁ~」の収録中にたかじんから灰皿を投げつけられている。このことについてたかじんは「オレあいつ(=立川談志)嫌いやったもん」と発言している)現在でも、たかじんの司会ぶりに対して、容赦なく批判をしている。
  • 元々大阪勢の芸風と肌が合わず、上述の通り吉本興業に対しては辛辣な面がある。代表的なのがオール巨人のスパルタ育成であり、彼を徹底的に批判をしている。ただし、横山ノックに対しては評価しており、漫画トリオが上京した際には進んで「友達になりましょう」と手をさしのべている。(上岡龍太郎の証言による。)この他、桂米朝には敬意を表しており米朝のことだけは米朝さんと呼ぶ他、桂文枝を好きな上方噺家の一人として挙げている。
    • 桂三枝の「創作落語」に対して評価は低いが、その取り組む姿勢については評価をしている。一方の三枝は談志を尊敬する落語家の一人に挙げ、敬意を表している。なお、両者の関係は当代の快楽亭ブラックが談志をしくじった際、一時三枝一門に転じていた縁がある。この点について談志は三枝に恩義を感じている。
    • この他、桂枝雀の「笑いは緊張と緩和の連続である」の説を正しいと支持してしながらも、彼の芸については全く評価をしていなかった。また桂ざこばについては「自称落語家」とにべもない。更に笑福亭仁鶴については「大嫌い」だとしている。上岡龍太郎が島田紳助の話題を振ると(上岡は紳助のことを買っていた)、「贅六野郎には興味がない」と話を打ち切った。一方、月亭可朝とは友好関係がある。
爆笑問題
  • 爆笑問題がデビューしたての頃、太田の持つ才能をすぐに見抜き、高評価した談志は太田に対し、「天下、獲っちゃえよ」と応援すると同時に「(相方の)田中だけは切るなよ。こう出来た奴も、なかなか居ないもんだ」と田中が太田にとって欠かせない存在である事を説いた。
  • 談志は太田光を我が子の様に可愛がっており、「太田は俺が他の女と作った息子だよ」とまで発言し、これを真に受けた女性週刊誌が本気にして談志へ取材に来た事があった。
  • DVD「笑う超人 立川談志×太田光」(ビクターエンタテインメント、2007年10月24日発売)にて、太田が落語DVDを初プロデュース。談志の口演黄金餅らくだの前に、落語演目の「枕」として太田と2人で対談もある。[2]
ダウンタウン
当初はたくさんいるつまらない若手芸人の一組としての認識しかなかったが、後年初めて「ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!!」を見て「これはまさしく漫才の間だ」「見損なっていた」と評価した。のちに松本プロデュースのビデオ「HITOSI MATUMOTO VISUALBUM」が発売された際、テレビ朝日「HITOSI MATUMOTO VISUALOVE」という特番でコメントを寄せたりもしている。
桂歌丸
笑点』放送開始当初のメンバーの中で、桂歌丸だけが唯一きちんとリアクションの取れる噺家であると評価していた。『笑点』降板後も「『笑点』の(当時の)メンバーはろくに挨拶に来ねぇ。来るのは、歌さんくらいだ。」と語り、歌丸も東京スポーツでのインタビューで「談志さんが恩人(なら、圓楽さんは友)」と語るほど仲は良い。同年齢で、笑点初期には一緒に漫才を披露した事もある。
なお歌丸によれば、『笑点』開始までお互いの接点は殆ど無かったとのことである。せいぜい東宝演芸場の楽屋で顔を合わせるぐらいであったが、その時から談志は歌丸の力量を見抜いていたとも言われる。
三遊亭圓楽
三遊亭圓楽を「あたしゃ圓楽が嫌いです」と公言している。これは、自分の方が早く入門し、落語の技量も自分より上では無いと思っていたのに真打昇進で先を越されたことや、『笑点』の大喜利メンバー全員入れ替え事件(詳細は笑点の項目を参照)などが理由として挙げられる。現在も圓楽を「下手な落語家」の例えとして挙げているが、これらはお互いが通じ合った上で語っている事(つまり、付き合いの長い圓楽だからこの程度までは洒落で通じる)とも取れる。実際、圓楽は著書で「談志より先に死にたくない」と語る一方、「『あいつより先に逝きたくはない』という存在があるからこそお互い頑張ってこられた」とも語っており、談志との関係が必ずしも悪くないことを匂わせている。
圓楽が寄席「若竹」を江東区東陽に開業した際に、圓楽は「落語家の純粋培養を行う」と意気込んでいたが、談志はすぐにダメになるとこれを見限っていた。やがて「若竹」は廃業に追い込まれる事になるが、その際圓楽は「松岡(談志の本名)の言う通りだった。」と自らの失敗を認めた。
ビートたけし
ツービートを真っ先に「面白い」と最初に認めたのが縁で、ビートたけしと親交が深い。双方とも洒落のきつい性格のため、癌から生還した際、「あのじじい、またくたばりぞこないやがって(笑)」とたけし流のエールを送った。また、破門騒動の中、たけしのオールナイトニッポンに一門で出演した際、たけしは、「何故破門されたか?」ではなく、「これからどんな事をやっていくのか?」と問いかけ、彼なりの気遣いを見せていた。また、この放送では意図的に放送禁止用語を多発した。
ダンカンの移籍について、談志はたけしにダンカンを押しつけ、拒むたけしに腕ずくで