肉食 とは?ページ内リンク ↓ウィキペディア(Wikipedia)記事 ↓Yahoo!知恵袋肉食(にくしょく、にくじき)とは、動物が他の動物の肉を喰らうこと。 本項目では主にヒトの肉食について取り上げる。 出典: 『ウィキペディア(Wikipedia)』 関連商品
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ヒトは雑食性の生き物であり、虫からクジラに至るまであらゆる動物を食べてきた。その適応能力の高さからほとんど動物全てを対象にしていると言っても過言ではない。文明を築いた現代では野生動物の狩猟・採取にとどまらず畜産や養殖によって効率よく食肉を獲得している。その反面、所属する文明の価値観により食べる肉をより好みするようにもなった。特に宗教では戒律で食せる肉の種類に制約を受ける場合がよく見られる。
家畜一覧より改変(2003-xij-20現在)。
その他地域、文化により多数。
その生活環境によって色々な動物を捕獲して(近年は反対に、近くで取れたものを食べる事は少ない)食べてきた。
多くの文化では、宗教的、政治的、衛生的な必要から肉食に対して制限・制約するという食のタブーがある。多くの文化の中で、ユダヤ教、キリスト教やイスラム教等のアブラハム系の宗教の場合は、特に著しい。
仏教では肉食を“にくじき”と読む。原始仏教では、比丘(僧侶)は糧(かて)をその日ごとで乞食(こつじき)することにより食を得るが肉を供養されることも多かった。南方の上座部仏教ではこの慣習が今も行われている。
釈迦が亡くなった原因は食中り、もしくは食中毒による下痢であるが、それはキノコ料理という説もあるが豚肉料理だったという説も根強い(胃癌という説もある)。このことから供養されたものはすべて有難く頂くという観念により、肉食そのものを制限していなかった。ただし肉食は結局は殺生戒に触れるため、殺す所を見なかった肉、供養のために殺されたと聞かなかった肉、自分の為に殺された疑いの無い肉という“三種浄肉”であれば食しても問題はないとされた。その後、命終した鳥や獣の肉、鳥の食べ残した肉を加えて“五趣浄肉”、さらに“九種浄肉”であれば、肉食しても構わないという制限になった。
しかし北方に伝来した大乗仏教では、慈悲心に基づいて、すべての肉食を制限するという傾向が次第に強まり、中国では食物を葷(くん=肉や臭い野菜)と精進料理に分け、はっきり禁制するようになった。したがって日本もこの影響を受けた。とはいえ、大乗仏教も上座部と同じく“悟りを得る”というのが最大の目的である。そのため、そのような細かい制戒に捉われるのは、かえって悟りを妨げると考える僧侶も現れた。たとえば一休は周囲の仏教界に反発心の表れで肉食や飲酒した風狂な例として有名である。また、特に親鸞は、戒律を守る人間が善人で救われるのであれば、戒律を守ろうとしても守れない悪人は救われない、悪人こそ救われるべきではないか、という疑問から自らを非僧非俗と呼んで、末法に戒律は不必要という立場から、ついに“肉食妻帯”を行った。日蓮も末法無戒から肉食を禁制していない。
親鸞の遺訓から浄土真宗ではこれが常となったが、他宗派では明治時代に至るまで、“寺院法度”により原則的には肉食妻帯の禁制を守ったが、明治政府が仏教放置政策を打ち出し、その「勝手たるべし」という語句を逆手にとって、なし崩し的に肉食妻帯することを事実上容認するようになった。しかしながら、一定の厳しい修行期間に修行僧は精進料理のみで、一切肉食することはないという宗派によってはある。
ユダヤ教徒の場合、その聖典である聖書によって「食べることのできる物」と「食べることのできない物」が規定されている。
ユダヤ教徒にとっては、特に豚の肉は悪魔と同等にして忌むべきものである。 砂漠や周辺の乾燥した気候では、寄生虫を持つ豚の肉を十分に加熱するための薪や燃料の調達が困難であり、調理の不十分なまま豚肉を食べたことで健康を害し、あるいは死に至るなどした経験がその原点に存在するとも言われる。 現時点においても、現に豚をイスラエルの中で飼うことは制限があるようである。
その他に、シチューなど乳を肉と一緒に料理することへの禁忌もある。これは本来、律法の中で子羊をその母の乳で煮ることを戒めている(親と子を共に取って食べてはならない)ことに起因している。つまり母親が自らの子を養うために出す乳でその子の死体を煮るという事を非倫理的であるとしたことがもともとの姿である。したがってユダヤ教徒は、戒律に従う限り親子丼なども食べることはできない。また、乳製品と肉類を同時に食べる事も禁止とされる。 その他にも鱗のない魚、エビ、猛禽類など細々とした禁忌がある。 ただ現在のイスラエルでこれを厳格に守る人は少ない。
ユダヤ教にルーツをもつキリスト教徒もその多くは、豚を食べる事を制限する傾向があったようだ。
キリスト教徒の場合、復活祭のころには、肉を食べる事を制限したりして、キリストの死を肉を食べないことでの苦痛をキリストの死の苦しみとしてとらえようとする行事がある。新約聖書でも、イエスが悪魔に憑かれた人間から悪魔を追い払い豚に乗り移らせ、湖に走り込ませて溺死させた事が書かれている。
キリスト教と同様にユダヤ教をルーツとし、キリスト教も内包するイスラム教徒の制限は、ハラール (halal) とハラーム (haram) の考え方による。ハラールとは許されたと言う意味であり、神に食べることを許された食べ物をさす。ハラームとは禁止されたと言う意味であり、食べることを許されない食物の事をさす。イスラムの正式な屠殺方法で殺された肉以外はハラームに該当し食べてはならない。豚や肉食動物などは無条件でハラームとされている。
日本では、野菜炒めやクッキーなどの菓子類にも動物由来の油脂が使われることがあり、料理そのものは一見植物(由来物)に見えても厳密にはハラムに該当する場合があるため、日本に滞在するイスラム教徒の間では、戒律への抵触を回避する為のリストが作られている。
イスラム教徒の中では豚は特に忌み嫌われており、ユダヤ教徒と同様に悪魔の化身に等しく扱われている。
近年では、日系企業が現地で生産していた化学調味料の製造過程で豚由来の酵素を使用(商品自体からは酵素は除去されていた)していたことが発覚し、イスラム教国であるインドネシアで大問題になった事がある。
またイスラム教では飲酒を禁じており、これは酩酊を楽しむ文化・手段としてもっぱら麻(大麻)が用いられてきたという歴史的経緯に拠っている。世界の酩酊文化は大別して酒(アルコール)と麻に二分されており、どちらかが主流の社会では他方を禁忌とする例が多く、イスラム圏ではこの例に漏れず、麻が主流であり酒を禁忌としているということである。
その裏づけとして、麻は比較的乾燥した気候でも育つが、逆にアルコールを醸造するための穀物や果実は大量の水と広大な農地を要求するため、砂漠や乾燥した気候で暮らす民にとってアルコールは看過し難い浪費と映った、などという解釈もなされている。
但し、当然のことながら建前と実態は違うものであり、イスラム世界でも飲酒は広く行われていた。また豚肉を食べるムスリムも決して皆無ではない。
ヒンドゥー教では牛を聖別するため、牛肉食に関する制限がある。 また、菜食主義の例として、マハトマ・ガンディーは、菜食主義者のカースト出身であった。
日本の場合は、『日本書紀』天武5年(675年)4月17日のいわゆる肉食禁止令で、4月1日から9月30日までの間、稚魚の保護と五畜(ウシ・ウマ・イヌ・ニホンザル・ニワトリ)の肉食を禁止と言うものであったが、仏教の影響もあり、たびたび改正がなされ、明治時代まで続いた。ただし、山で狩猟されたものは除外されていた。また常食ではないが肉食はされていた。地域によっては常食の風習が残った地域もあった。ただし鯨は魚の一種と見られていた。また、沖縄、北海道などの地域では独自の食文化が存在した。
江戸時代後期にはももんじ屋が現れ、都市部においても肉食が流行した。[1][2][3]
中国料理では、食材に関しては食べ物の制限は殆どないに等しい。(カニバリズム#中国参照)
中国の食文化を表す場合、次のように例えられることがある。空を飛ぶものは飛行機以外、水に泳ぐものは潜水艦以外、二本足のものは両親以外、四本足のものはテーブル以外、全てを食べる(という内容の記述が開高健「最後の晩餐」にあったと記憶。要確認)[要出典]。これは中華料理の多様性を示すものであることは言うまでもない。
重慶では猫肉料理があり、古来からの伝統として華南では犬肉や蛇を食べることもある。
モンゴル人の場合、その調理法に家畜の全てを利用するところで制限を受ける。
これは外部とのかかわりが薄い遊牧生活を続けるうえで、多くの物を自給する必要性があるからである。屠殺の方法として、血を一滴たりとも地面に落としてはならないそうである。
チベットの場合、家畜(山岳地帯のためにヤクという牛の仲間がいる)は、荷物の輸送やバター(バターティーを飲む習慣がある)を作るための乳を提供するために必要であった。
その一方で、冬が訪れる前には羊やヤクをつぶして大量の干し肉を作り、冬に備える。冷涼な山岳地帯ゆえに、食肉として適用できる家畜が限定されてきたという事情は十分に考えられるが、とくに禁忌とするものの話は寡聞にして聞かない。
韓国料理では、中国同様、食材に関しては食べ物の制限は殆どないに等しい。
韓国では毎年、約200万-400万頭の犬が食用として消費されており、ソウル市だけでも500軒の犬料理店がある。ソウル市は、犬に関する食品安全基準を定めるために、犬を食用家畜に分類する方針であり、それに反対する動物愛護団体は、「犬が食用家畜に分類された場合は、犬肉の消費量は急激に増大するだろう」と語っている。
アフリカでは、角長牛が飼われ現在でも人間と特別な共同体を作りながら生活している地方がある。このような環境では、牛は貴重な財産であり、神聖化する傾向が強い。
北米に白人たちがやって来る前には、アメリカ先住民たちがバッファローの狩をしていた証拠が見つかっている。 また、鮭などを対象とする漁業も行われていた。
のちに北米に入植した西洋人たちは、西部で、スペイン語で「バケロ」や英語で「カウボーイ」と呼ばれる(牛の男という同じ意味、前者は西語でのジーンズを意味する)、特別な文化を作り上げた。
南米では、先住民は弓矢や吹き矢を用いて鳥や魚を取っていた。取れる地方では、大小のアルマジロを捕らえる習慣があったらしい。 最大のげっ歯類である「カピバラ」を食べる地域もある。ペルーなどでは、モルモット大の「げっ歯類」の仲間の一種が山岳地帯で食べられるらしい(近年の移住で海岸地帯でも食べるようになってきた)
現地でテジュッと呼ばれるトカゲの仲間をから揚げにしたりして、鶏の肉に似ているといって食べることがある。南米では、パンパの大平原で牛を飼う習慣がスペイン人たちによって持ち込まれた。特にブラジル南部のシュハスコという牧童料理が有名で、シュハスカリアというレストランでは、ロジージオ(いわゆる食べ放題方式)で時間制限がなく、食べ残して冷たくなった肉は皿ごと取り替えてくれる。そのため肉に関しては贅沢である。ただし、日本にもシュハスカリアはあるが本国とは少し異なる。
英国を中心とする西洋人が、牛や羊を飼う習慣を持ち込んだのは確かである。 変わったものとして、カンガルーを家畜化しているところもあるそうである。
イヌイットが、北極圏においてその環境下で最適化された生活を営んできた。小さい鯨、アザラシなどの肉を生のまま食べてビタミン類を補給する食文化は独特なものである。アラスカの島々において、何万人もの生活を捕鯨によって支える文化が存在していた。
人類の進化の過程での、肉食は脳の肥大を促進したとする説がある。人間、ヒトを参照。
ヨーロッパの短い夏は、冬の食糧確保の重要な時期である。ヨーロッパの場合、その農地が古来(古くはローマ時代よりの)よりの連作によって地力を失った。
牛を飼い農地に適さなくなった土地(もしくは、休墾地)で、夏の間に伸びた草で乳や肉、皮などを確保した。牛の場合、草を食べる時に根まで食べないし、糞尿が肥料になった。
牛などから取れる乳などは、チーズに加工され、牛や豚の肉は、塩漬けにされ冬の間の食料を提供した。その塩漬けの肉の腐敗臭を消すために必要であった香辛料は、歴史に大きな影響を与えた。
豚は、古来よりの黒々とした森の中で地面を掘り返したり、秋には団栗等の木の実を食べさせて太らせた。
天候的に、問題が有ったにせよ、昔は灌漑用水のおかげで十分な収穫を上げていた農地も、気候の変化やその支えであった政権の崩壊によって(逆に農地が駄目になったゆえの崩壊もありえた)、水の供給がままならず、農地が砂漠や土漠になっていった。
家畜のヤギが根こそぎ草を食べてしまった牧草地の回復は難しく、土を踏みつける蹄のために土は固くなりますます生産性を低くしていった。しかも、表土を守る草を失った土地は、風が地表を削り、水を保有することも出来なくなっていった。
このような環境下では、牛は草が少なく飼えず、ヤギや羊に頼らざるを得なかった。ゆえに、ヤギやその親類の羊を神聖視する傾向が強い。
ユダヤ教においては、旧約聖書で「神は家畜の奉げ物を善しとし、農作物を奉げた者を省みなかった」、という記述によって現われている。
ちなみに、深い森に包まれ牧畜を営めなかったヨーロッパでは、「神が人間のために動物を作りたもうた」とするキリスト教の解釈が導入され神聖化は起こらなかった。
砂漠と聞くと普通連想されるラクダを人間がこの地方で飼い始めたのは、歴史的に結構浅いらしい。それまでは、人間は主に馬に頼っていたものと思われる。
もしも、移動の為の生き物がいなければ、人間はオアシス間の水の不足を補うために大量の水を自ら運ばねばならなかったであろう。しかし、ラクダの飼育がそれほど近世のもので無い証拠として、チーズの発見を「キャラバン(商隊)でラクダの乳が飲み残され、それが発酵して出来た」と記す書物がある。
ちなみに近年では、中東のラクダはほぼ絶滅状態にあり、大量に自然繁殖しているオーストラリアからの輸入に頼っている状態である。
人間が同種である人間の肉を食べることを、カニバリズムという。
文化的には、宗教、儀式、もしくは勇気の証明(戦争や闘いなどの結果、自分の力の証明や他人への力の誇示のために、相手の死体を切り刻んで食べる)のために他人や親類の死体(生きている事もある)や体の一部を食べる習慣は、古来より存在していた。他には、性的快楽を得るために人肉を食べる場合もある。詳細はカニバリズムを参照。また中華圏では近世まで人肉食が行われており漢方の一種ともされていた。
また、飢餓などの他に食物の無い極限状態において、やむなく死んだ人間の肉を食料にする事例もある。例えば、船舶が遭難し食料が無くなったために人肉を食べたミニョネット号事件やひかりごけ事件、豊臣秀吉が多用した兵糧攻めの際に攻められた側の兵士が餓死した人間の肉を食べた事例や、最近では北朝鮮で大規模な飢饉が起きた際に人肉を食べた事例が報道されている(東亜日報 2006年7月21日付記事)。
牧畜は、大量の資源を消費する。特に、直接間接を問わず水資源の消費が膨大である。例えば、小麦を1キロつくるには2トンの水が必要で、10キロの小麦から1キロの牛肉が採取できるため、牛肉1キロを生産するには20トンもの水を使用している。
実際に大規模な畜産業が発達しているアメリカでは牛肉を大量生産するために地下水を大量に使用している。オガララ帯水層はこの牛肉生産を支えるための穀物生産により急激に水位が低下している。このように肉食は環境破壊へつながる場合がある。また他国から食肉を輸入する国は、すなわち水資源を輸入しているのと同じことになるため関連がある(仮想水)。
一方、先述の様に肉を得るにはその10倍の重量の穀物が必要であり、単純に考えて肉食は直接穀物を食べるのに比べて1/10の数の人間しか養えない事になる。特に欧米の大規模畜産による穀物の大量消費は食糧問題の観点からも問題になっている。
他の肉食動物の場合は、捕食する草食動物の血肉から植物性のミネラルなどの栄養素も摂取できるが、人間の場合は加熱調理によってその大半が失われてしまうため、別に植物性の食物を摂る事で補う必要がある。逆に、野菜の育たない極地に住むエスキモーは生肉を食べる事で植物性栄養を摂取してきた。
また、肉食によって諸々の癌や心臓疾患が引き起こされる事実が医学的に立証済みである[4]。その一方、肉食でないと摂取しにくい鉄、亜鉛、ビタミンB類、必須アミノ酸類なども含まれ、過度の菜食主義に陥るとミネラル類などの欠乏症を招くおそれがある。野菜も摂れば、肉も摂る、バランスの良い食生活が一番望ましい。
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