自殺 とは?ページ内リンク ↓ウィキペディア(Wikipedia)記事 ↓Yahoo!知恵袋自殺(じさつ)は、自ら自分の生命を絶つ行為である。 出典: 『ウィキペディア(Wikipedia)』 自殺 自殺 出典: 『はてなダイアリー』 関連商品
カラス(マリア) /
最安値(新品): ¥ 2,564
最安値(中古): ¥ 2,689
|
目次 |
日本語では、その手法や目的などによって次のようにもいう。
日本語では、言霊信仰のためか、「死」など破滅的衝撃的な言葉を日常的に回避する場合が多く、命を縮める、自ら命を絶つ、自死などと表現する場合もある。
このうち、2. は単語の後ろに「自殺」を付けることもある。
新聞・テレビ等の報道メディアにおいては自殺が使用される。
自殺の歴史は古く、紀元前の壁画などにもその絵や記述が残されているほどである。中国では、紀元前1100年ごろ殷王朝最後の帝である帝辛(紂王)が周の武王に敗れ、焼身自殺したと伝えられている。また、古代ギリシャの詩人サッポーは入水により自殺したという説があり、他にもエジプトプトレマイオス朝最後の女王であるクレオパトラ7世はアクティウムの海戦に敗北した際に、オクタウィアヌスに屈することを拒み、コブラに自分の体を噛ませて自殺したと伝えられている。 手法や原因は異なるが、失恋や挫折、不名誉感情(羞恥心)、社会からの疎外感、健康問題、配偶者や親類の死亡などによる絶望感、失望感から自殺を試みるのは、過去から現在に至るまで同じである。
また、社会的な価値観として行われる事もある。 宗教的(あるいは呪術的)原因で(当時としては十分な合理的理由があった)の自殺の例として、みずからが「生け贄」となる例がある。
日本で最も古く有名な伝説は、ヤマトタケルの東征の際に走水海(現浦賀水道)を渡る時の荒天を、同行した妃の弟橘比売命(オトタチバナヒメノミコト)が自らへの海神の怒りであると信じ、ヤマトタケルを救うため(その后は「さねさし 相武さがむの小野に 燃ゆる火の 火中ほなかに立ちて 問ひし君はも」との歌を詠んでいる)水の上に畳を浮かべて、わが身を海神に捧げたという古事記の記述である。
また室町幕府創建の伝説として有名なもので、足利尊氏の祖父の足利家時は八幡大菩薩に三代後の子孫に天下を取らせよと祈願した願文を残して自害したという。そして、江戸時代には、仏(即身成仏)となって地域の貧困救済などのための社会的な理由で、宗教的な原因により即身仏になったり生贄になったりする例が多く生じた。
日本では戦場において本来相手側に武名をなさせないために、平安より鎌倉、戦国時代に至まで、敵に討ち取られるよりは自害することをよしとする風潮があった。平家物語の登場人物の最後は自殺で終わる者が多い。これは、自らの武名が誰かによって落ちること、つまり討ち取られることを恥としたからである。これらは現在でも国語の教科書に掲載され、日本の武家文化の一つとして継承されている。また死罪を自ら行う切腹は良く知られている。鎌倉以来武士は江戸時代初期までは主君に切腹を命じられても、従容として死につくのではなく、ある程度の抵抗を示した後に主君側に討ち取られる以外に選択肢がなくなってから自害することが「意気地」とされた。ところが、江戸時代も中期になると、従容として腹を切ることが「潔い」とされるようになる。これは一つには家の存続が個人の武名以上に重要なものとされてきたためによるが、徳川の文治政治の中で連座が緩和されたため、単独で責任をとれば家もしくは、家族などは存続を許されたからでもある。
また江戸時代の都市の庶民の間にも近松門左衛門の「心中もの」のように、この世を憂き世として忌避し、あの世で結ばれるとして男女が流行的に自殺を行った例もあった。これらは、未遂の場合、裸で晒された後に厳しい刑罰が加えられたが流行は止まず、むしろ見事に死ぬことを覚悟させた。
軍人が敗北の責任を自決することで回避したり、果たそうとすることは、世界的に広くみうけられるが、日本兵の間で最も頻繁におこなわれた。盛んに精神論が唱えられていた大正デモクラシー退潮後の日本では、軍部の影響力が増大し、軍事国家化した。その中で、ノモンハン事変で戦闘不能で捕虜になった陸軍将校が自決を強要されたため、将校が降伏するとの選択肢は現実的になくなった。兵も捕虜になった場合は非国民、アカと家族が社会から指弾されることから、投降を選択した例はきわめて少ない。1941年1月以降は、「生きて虜囚の辱めを受けず」の一文で有名な戦陣訓により捕虜になること自体が禁じられ、この年に開戦した太平洋戦争では全陸軍将兵の投降への道が閉ざされ、日本軍は終戦まで、ただの一回も組織的降伏を行わず、絶望的な状況に陥ると、ほとんどが自決を選んだ。また前線将校が撤退の責任を取るために自決を選ぶ、もしくは選ばされることがあった。自決であれば、軍人軍属の場合は戦死扱いになり、不名誉でないとされた。これらの思想は軍事政権がつづくとやがて一般市民にも浸透していった。
ただ、当時の日本の社会情勢では自決は上からの強要というより、時代の中では当然の帰結であると当時は理解された。例えば陸海軍を問わず航空部隊では、万一敵地上空で帰還できない場合は、「敵施設に突入する」「反射的に逃げないように背面宙返りで自爆する」と事前に航空兵らの間で研究がされたとの複数の証言録や、真珠湾攻撃では、戦闘機パイロットが米軍の格納庫に突入している。これらは、日本軍が前進する間は軍隊の強みとなっていた。しかし、後退以外の選択がなくなる1943年以降は、撤退できないで孤立した部隊では自らの戦いを終わらせるため、しばしば「バンザイ突撃」(バンザイと叫びながら突撃することから米兵が名付けた)のような自殺的な肉弾攻撃を行って義務を終わらせた。
さらには、組織的に神風特別攻撃隊や対戦車肉弾攻撃のように作戦そのものが未帰還や自爆を前提としていたものもあり、これらを米軍は「自殺攻撃(Suicide Attack)」と名付けた。
軍の上層部の人間も敗戦の折りに責任をとるため自決を選んだ人間が多くいたものの、例外も多い。たとえば自らはピンマナ防衛を放棄して後退し、柳条湖事件を演出した一人である花谷正中将などは有名である。花谷は「人の命を尊重せず、部下の責任を追及し、他人は簡単に自決させる男」と部下に評されている。
戦陣訓を制定した張本人である東條英機は拳銃で胸を撃ち自決を図ったものの死に切れず、占領軍に逮捕されている。海軍側の当事者、嶋田繁太郎元海軍相も「ポツダム宣言を忠実に履行せよとの聖旨に沿う為」見合わせている。
沖縄県は元より、当時内地の台湾、外地の市民に至っては数千とも数万とも正確な数すら不明である。《慰霊碑》 五百羅漢寺(東京・目黒)によれば、 興安総省興安街の住民東部群団と索倫・五叉溝方面からの避難民2千数百名が白城子目指し南下中、1945年8月14日午前11時過ぎ葛根廟近くでソ連軍戦車に蹂躙され、 一方絶望した人達が子供を殺して、自決をはかり犠牲者千数百名の惨事となった(葛根廟事件) 。「小古洞・蓼科開拓団(三江省通河県、長野)の鶴岡炭鉱脱走の労働者等に連日女性が犯され、団長はじめ女性・子供254人が毒薬で自決した。」[1]「瑞穂村集団自決(北安省綏稜県、混成)、「敗戦後、原住民に襲われ、治安維持会から迫害され、昭和20年9月17日未明、晴着で身を飾った団員たちが本部に集合次々と自決した。 総員1056名の内、 犠牲者495人の殆どが女子、子供だったという。」[2]
上記のとおり、自殺の範疇に含まれうる行為は古くからあったが、「自殺(英語ではsuicide)」という言葉自体の歴史は比較的浅い。『オックスフォード英語辞典』によると1651年、ウォーター・チャールトンの「自殺によって逃れることの出来ない災難から自己を救うことは罪ではない」という文が初出とされるが、他にも1662年、1635年という説もあり、いずれにしても17世紀からが定説とされる。それ以前には自己を殺す、死を手にする、自分自身を自由にする、などの表現があったが一言でまとまってはいない。このようなブレの起こっていた説明として米国自殺学会のエドウィン・S・シュナイドマン(en:Edwin Shneidman)は「魂と来世という思想を捨て去ることが出来たとき、その時初めて、人間にとって自殺が可能になった」観念の変化が反映していると指摘する[3]。来世や魂の不死といったことを信じたとき、死は単なる終わりではなく別の形で「生き続ける」という存在の形態を移したものに過ぎなくなるからである。近現代へ至る死生観の変化には、科学技術の発展により宗教的思考が説得力を持たなくなったことが背景にある。このように自殺の問題は「死」をどう捉えるかという事と不可分の関係にあり、文化や時代によって様々な様相を呈する。
自殺の要因として、
が挙げられている。基礎にこれらの要因が存在するところに、何らかの誘因が加わって、自殺が実行される。
社会要因については、フランスの社会学者エミール・デュルケームが、代表著書『自殺論』の中でさらに4つの要因に類型化している。
詳細はエミール・デュルケームを参照
これまで、次のものが自殺と関連する危険因子とされている[要出典]
自殺そのものの是非をめぐって様々な議論がなされている。下記にいくつかの主張・思想と現代社会における取扱いを挙げておく。
#自殺の原因も参照
経済、政治的にその混乱と困窮の度合いがあまりにも高い国では、自殺はあまり見られない。生きること自体にまず最大の関心が向けられているからである。また、経済的に拡大途上にあり、様々なチャンスの多い国でも少ない。自殺が多いのは、元は経済的に豊かであったのが、不況になり失業や就職難が深刻になった、あるいは他人の幸福を目の当たりにしながら、自分だけがそれに手を伸ばすことができないといった絶望的な状況にあるなどの国々である。前者はバブル崩壊後の日本、後者はハンガリーなど元東側諸国の国々などが例として挙げられる。要すれば、絶対的幸福よりも相対的幸福を感じられない人々が自殺しやすい状況にあるといえる。
こうした国の経済、社会、文化、宗教などでの違いは見られているものの、自殺の大きな要因として近年あげられるのは、うつ病などの精神疾患との因果関係である。現に、自殺既遂者の95%は何らかの精神疾患を患っていて、その大半が治療可能だったという研究結果もある[4]。これらは慢性に経過するものから、強いストレスによって急激に発生するものまであり、自殺者や自殺志願者に対応する際、心得なければならない疾患の一つとしてしばしば注目される。
このような精神的危機の背景には、激しい競争社会や、低い自己評価に起因するさまざまな否定的感情、家庭、職場での生活が困難など複数の要因がある。しかし、以上のような環境にあっても周囲の対応で精神の健康を維持することは可能である。
初めて社会的な要因からの自殺の研究を発表したのは、エミール・デュルケームの『自殺論』である。近代からの視点では、自殺は必ずしも悪いことではないとされる。しかし、飛び降りなどの他人に少なからず影響を与える死に方に対しては、「他人に迷惑をかけるな」という声もある。
デュルケームに続き別の面から重要な考察を行ったのはフロイトである。彼は長らく人間の心理を「生の欲動(リビドーまたはエロス」で説明しようとしたが、晩年近くになり説明できない破壊衝動を見出し、後にそれを「死の欲動(デストルドー、またはタナトス)」と名付けた。彼は生を「生の欲動」と「死の欲動」との闘争、さらには愛憎混じった感情の転移であるなどの思索をしたが、若干誤りを含んでいるという指摘が強い。しかしながら今では自殺者の心理剖検に対し一定の貢献があったと臨床の現場では受け止められている[5]。
ドラッグや麻薬の広まっている地域では酩酊している状態で正常な判断能力を失っているうちに、ビルの上から飛び降りたり、自動車や列車に飛び込んで自殺をしてしまうこともある(この場合、自殺ではなく、事件や事故と取る場合もある)。例えば「夜回り先生」こと水谷修が麻薬・薬物を撲滅しようとするきっかけとなったのは、横浜市で定時制高校の教員を勤めていた頃、当時の生徒がシンナーで酩酊状態にあった時にダンプカーに飛び込み、死亡したことであると自身の著書「夜回り先生」の中で振り返っている。
複数人の自殺が、近接した時間・場所において実行される現象。連鎖自殺と集団自殺がある。
よく知られている有名人が自殺したり、一般人であっても奇異な自殺や凄惨な自殺を遂げ、それが他の人にも知れ渡った場合、それを模倣する自殺者が現れることがあり、この現象を連鎖自殺、ウェルテル効果と呼ぶ。特徴は、その手段もさることながら、経済的・社会的な背景がなく、さらに言えば自殺に至る背景が自殺者自身に存在しなくても、模倣としての自殺をする人が出ることである。有名な例としては藤村操、南条あや、岡田有希子、さらに自殺の手段を模倣した例としては2000年代初頭に日本で起きた練炭自殺や富士樹海での自殺、2007年末から2008年にかけて頻発している硫化水素を発生させ自殺を図る硫化水素自殺がそれにあたる。
命を自ら絶つ行動は今の社会においては非常に問題視され、手段や結果によっては社会に大きな損害を与えかねない。また過剰な報道はより自殺連鎖を広めるだけだとして、過剰な自殺の報道に報道規制をかけようとする動きも少なくない。
ただし、情報を規制することは表現の自由と衝突する。また、闇雲に自殺に関する情報を知らせないだけでは命と言う観念が持てず、一時的な(流行的な)自殺増加は阻止できても、長期的な自殺減少や「命」を教えることはできないと言う考えがある。
とはいえ何らかの対策もせずに、これらのような群発自殺を放置することは絶対に許されない。前述した過去の事例のような、ウェルテル効果による社会への悪影響を懸念してか、2008年5月25日に自殺した川田亜子に関しては、同年5月初め頃から公式ブログに悩みを書き続けていたこともあり、放送局・一部を除く新聞の報道と生前の出演番組の放送が、同年6月以降一切行われなくなった。また、この他の自殺に関する報道についても、かなり少なくなった。
フィンランドでは、自殺の報道方法変更を含む諸対策により、自殺率の減少を達成している[6][7]。
自殺の統計は、国によって分類や調査などに差があるため、単純な比較はできない。
銃の所持が広く認められている国では、年齢を問わず銃による自殺が多い。例えばアメリカ合衆国における調査結果[8]では、10代の小火器(拳銃など)による自殺が全体の49%と、ほぼ半数を占めている。 銃による自殺が多い理由にはその致死率の高さと手軽さが挙げられる。詳しくは#銃による自殺を参照。
中国では農薬が簡単に手に入ることから、農薬服毒による自殺が多い。[要出典]
自殺は、精神ケアの難しさを顕著に示す例である。「自殺志願者を救いたい人々は自己満足のためだけに活動しているに過ぎない」という志願者側の見解に決定的な反証はできず、カウンセリング成功への道のりは険しい。一方で、自殺願望の念から立ち直った人から「どうしてあれほど死にたいと思っていたのかはっきりしない」、「理由なくなぜか死にたかった」という意見も聞かれ、根本的な原因の追究と解決の難しさを表しているといえるだろう。
現在の日本では、「自殺をすることは良くないこと」という考えが一般的な倫理観となっており、そこから「自殺志願者をすべて救おう」とする動きが一般的な理念となっている。しかし、自殺志願者達は既に他人の求めに耳を傾けることができるほどの余裕を持ち合わせていない。したがって、自殺防止を呼びかける人々の「生きていれば必ずよいことがある」、「死ぬ気になれば何でもできる」、「残された家族が悲しみ続けるから家族のために生き続けてほしい」などの励ましは多くの自殺志願者にとって気休めになるどころか、かえって当事者を追い詰めがちになるという厳しい意見があり、特にうつ病等による心理的疾患から来る自殺願望を持つ人物に対しては、上記の様な励ましの言葉を投げ掛けるのは禁忌とされ、むしろ自殺願望を増幅させてしまう[要出典]。
その一方で、「自殺をすることは良くないこと」との倫理観に基づき、自殺者あるいは自殺志願者を「良くないことをした、あるいはしようとしている人間」として批判するケースも見られる(一般的な例としては「世の中には生きたいと思っても生きられない人間が数えきれない程いるのに、そうではない人間が何故自ら死を選ぶのか」の類が挙げられる)。しかし、このような批判に対しても、「自分はしてはならない罪を犯そうとしている人間」との罪悪感を自殺志願者に芽生えさせてしまい、やはり当事者をより一層追い詰める結果になりがちとの意見がある[要出所明記]。
なお、近年においては個人主義が進んでいると言われているが、本質的な社会構造においては未だ集団主義的な色合いが濃く残っている。また日本人の性格として、「皆と同じである」ことで心理的に安心感をもちうる国民性をもつという自己認識が一般化している。そのため、個人の思想やライフスタイルが社会に受け入れられないと感じた時や、「他人と違う」「他人と比べて劣っている」「自分だけついていけない」といった劣等感やプレッシャーが重くのしかかった時に耐え切れなくなって自殺に走る傾向が強いといわれる[要出典]。
現在、多くの国で自殺および自殺未遂を犯罪として取り扱ってはいないが、自殺を幇助することは処罰される国が多い。歴史的には、自殺は犯罪と考えられ(キリスト教は自らの運命を神ではなく、自己決定することを罪としている)、その成否にかかわらず処罰の対象とされることもあった(日本でも江戸時代に、心中に失敗した男女が処罰された)。例外として、重大な犯罪を起こして死刑を免れない状況に陥った貴人が公衆の前で処刑されるという屈辱を免じてその名誉を重んじさせる意味で自殺を強要したこともある。律令制国家における皇族や高位者が死刑判決を受けた場合に自宅での自殺をもって代替にするのを許したことや、戦国時代から江戸時代初期にかけての日本における武士階級に対する切腹処分などがこれにあたる。ただし、近藤勇・小栗上野介・江藤新平などは、処刑に屈辱の意味を持たせるため斬首された。
アメリカ合衆国で自殺を罪と定めている州はアラバマ州とオクラホマ州だけであるが、実際に犯した人を処罰するのは現実上不可能なことなので罰則はない。いくつかの州では自殺未遂も軽犯罪法に触れるが実際に罰を受けることは滅多にない。30の州においては自殺ないし自殺未遂はいかなる罪にも問われていない。しかし、全ての州で一致している点があり、自殺を唆したり勧める行為は例外なく重い罪に問われる[9]。
安楽死については殺人、または自殺に関与する罪であって国よっては犯罪とされるが、オランダにおいては、2000年に安楽死が合法化されるなど、ヨーロッパにおいて尊厳死、安楽死が、自らの決定権たる意思の尊厳から認めようとする動きがある。但し、これらには死期が近く、堪え難い肉体的苦痛があり、治療の方法がない等の厳格な要件が付与されている。したがって、精神的苦痛がどれほど大きくても、それだけでは安楽死は認められない。
キリスト教およびイスラーム、儒教では、自殺は宗教的に禁止されている。そのため、欧米やイスラーム諸国では自殺は犯罪と考えられ、自殺者には葬式が行われないなどの社会的な制約が課せられていた。カトリック洗礼を受けていた細川ガラシャは武士の妻として自害すべきだったがこれ故出来ず、家臣に胸を槍で突かせた。かつては、教会の墓地に埋葬することも許されなかった。ドイツの哲学者・ショーペンハウエルは『自殺について』のなかで、キリスト教の聖書の中に自殺を禁止している文言はなく、原理主義的に言えば、自殺を禁じているわけではないため、不当に貶められた自殺者の名誉を回復するべきだと指摘している。
キリスト教で自殺に対する否定的道徳評価が始まったのは、聖書に基づくものではなく4世紀の聖アウグスティヌスの時代とされる。当時は殉教者が多数にのぼり、信者の死を止めるために何らかの手を打たねばならなくなっていた。また10人に1人死ぬ者を定めるという「デシメーション」と呼ばれる習慣のあったことをアウグスティヌスは問題にした。693年にはトレド会議において自殺者を破門するという宣言がなされ、のちに聖トマス・アクィナスが自殺を生と死を司る神の権限を侵す罪であると述べるに至って、すでに広まっていた罪の観念はほぼ動かし難いものになった[10]。
しかし、文化によっては自殺に類するものが推奨される場合もある。ヒンドゥー教には、夫が死ねば妻も焼身自殺するという、寡婦殉死(サティー)の風習があった。マヤ文明では、一般に死をつかさどる神「ア・プチ」のほかに絞首台の女神「イシュタム」がいて、自殺者の魂を死後の楽園へ導くとされた。
仏教では自殺を「じせつ」と読む。死は永遠ではなく輪廻・転生により生とは隔て難いものであるが、これらは死生観を説いたものであり、現代の一般的な自殺の理由にはなりえない。一般的には、殺生は十悪の一つに数え、波羅夷罪(はらいざい)を犯すものであるとして、五戒の1つであるため、自殺もそれに抵触するとして禁じられている。ただし、病気などで死期が近い人が、病に苦しみ自らの存在が僧団の他の比丘(僧侶)に大きな迷惑をかけると自覚して、その結果、自発的に断食などにより死へ向う行為は自殺ではないとされる(『善見律』11など)。また仏や菩薩などが他者のために自らの身体を捨てる行為は、捨身(しゃしん)といい、これは最高の布施であるとして自殺とは捉えない。
したがって、かつての日本で行われた、焼身往生や補陀落渡海など、宗教的な理由から自らの命を絶つ場合や入定ミイラや行人塚のように人々の幸福のために自ら命を絶つ場合もあったが、この場合は自殺と見られることはなかった。
文化的に推奨される場合には、社会的圧力によって自殺が強要される場合もある。チェコのヤン・パラフや、フランスにおけるイラン人焼身自殺などである。また「抗議の意思を伝える政治的主張のため」とする自殺が行われる場合がある。これは後述の「焼身自殺」の項でも述べる。日本で有名な例では、織田信長の守役の平手政秀が死をもって信長の行動を諌めている。
現代のイスラム原理主義者による自爆テロにもそのような主張がなされることがあるが、強要・洗脳・煽動・追込み、そして、最も根本的には「同情を向けるための戦術」という面があり、さらには自殺と同時に殺人が行われることになるので、犯罪性が強い。多数派のイスラムの教義解釈によれば、敵の戦闘員に対しての自爆はジハードとして天国に行けるが、民間人に対しての自爆テロは自殺として永遠の滅びの刑罰が与えられるとされている。
また、文学的なテーマの一つであり、主人公の自殺にいたる心理など、物語の終焉や筋の展開のなかでえがかれることがおおい。日本文学では、夏目漱石の『こヽろ』、井上靖『しろばんば』など。また、自殺した文学者も、北村透谷、太宰治、芥川龍之介、有島武郎、川端康成、三島由紀夫、田宮虎彦など多くの有名な作家が人生を終える方法に選択している。
文学上の主題で問題にまでなったものとしては、ドイツの作家ゲーテの小説『若きウェルテルの悩み』で恋人との失恋に絶望し自殺した主人公を描き、その影響で模倣自殺する人が相次いだため発禁処分に処するところも出た事例がある。→ウェルテル効果
米国の独立系・非営利組織の医療施設評価認証機構である「ジョイント・コミッション」の医療事故報告制度の中では、病院内での重大な医療事故の最多のものは、自殺であるという。
日本医療機能評価機構による調査では、調査の3年間に29%の一般病院(精神科病床なし)で自殺が起こっている。その自殺者の入院理由となる疾患は、35%が悪性腫瘍である。
自殺する手法として、男女を問わずもっとも多いのが、首をロープなど紐状のものによって吊り、縊死することによる自殺である[11]。
「首吊り自殺は酸欠による窒息死である」と誤解されやすいが、首吊りで窒息死するケースはわずかである。実際には、首吊りをすると頚部が斜めに自身の体重により圧迫されるので、大動脈(頸動脈、脊椎動脈)の流れが妨げられて脳に血液が回らなくなり、脳が酸欠(急性貧血)を起こして失神し、そのまま死に至るのがほとんどである。首に紐を掛けた直後から脳への血流は悪くなり意識が遠のき、約10秒で意識を失う。意識を失ってから心停止するまでには数分かかるが、意識を失っているので苦痛は少ないといわれている。そのため多くの国で死刑の方法として採用されている。
しかしながら、致死率が高いとはいえ、もしも未遂に終わった場合、脳が酸欠を起こした時点で脳細胞の破壊が始まっているために、植物状態や認知症、体の麻痺などといった重い後遺症を残してしまう可能性が高い[12]。 また、首を吊る際の衝撃で頸椎骨折や延髄損傷などで即死(または即失神)する場合がある。自殺ではないが、日本などで行われる絞首刑「落床式首吊り死刑台」に多く見られ、救出後仮に命をとりとめても、重大な障害が残る。また軽度であっても脊髄液の漏出から頭痛などの後遺症に長く苦しむ。
ガスの有毒成分による中毒死と酸欠状態からの窒息死の2種に大別できる。なおどちらも、屋内の部屋で行うと発見者や同居人、さらに集合住宅の場合は配管のためのパイプスペースなどから、重いガスは階下の人を、軽いガスは階上の人を、さらに爆発性のものならば近隣の者さえ巻き添えにする極めて危険な方法であり、自分だけでなく無関係の者への殺人の危険性すらある方法である。また未遂の場合も重大な障害がのこりやすい方法[要出典]である。
練炭を使った練炭自殺と排ガスを車の中に導き込む自殺はどちらも一酸化炭素中毒を利用した自殺方法である。一酸化炭素はヘモグロビンと結合すると酸素の分圧が高くてもヘモグロビンより離脱せず、このため赤血球の酸素運搬能力が低下し(この段階で激しい頭痛に見舞われる)、脳が酸欠を起こして失神し、そのまま死に至る。これらは、酸素とにた構造をもつ気体で起こりうる。一酸化炭素は一定濃度を超せば一瞬で意識を失わせ、15分程度で人を死に至らせる危険なガスであり、それこそ一息吸うだけで意識を失う、したがって救出の場合は先に換気が重要である。(演習自衛官集団ガス中毒事件)ただ、気密性を保つ事や、濃度を直ちに濃くすることは難しいために死に至るまで時間がある場合はある[要出典]。
ただし、一酸化炭素中毒を起こした人の肌はピンク色をしているため、ただ寝ているだけと思われて、自殺と気付かれにくい[要出典]。
渡辺淳一の小説『自殺のすすめ』において、一番ピンク色できれいなときに恋人に部屋に来るように告げて一酸化炭素中毒で自殺した女性の話があるが、これはあくまでもフィクションであることに留意する必要がある。
かつては、家庭用ガスとして一酸化炭素を多く含む石炭ガスが使われていたので、ガス管をくわえたり部屋にガスを充満させて自殺をした人もいた。産業用は別にして、現在の家庭用ガスは9割以上が毒性の無いプロパンガスか、一酸化炭素を除去した都市ガス13A(メタン70wt%~80 wt%. )になっているので、この方法で中毒を起こすことはない。もちろん毒性のないガスでも窒息死することはあるが、そのためには気密性の高い空間が必要であり、ガス漏れ等の事故で中にいた人が窒息死することはあっても、自殺の手段としては回りくどい方法のため、使われることは少ない。家庭用ガスで自殺を図り引火、爆発事故を起こし、ガス漏出等罪で有罪判決を受けた例もある[13]。
ガスによる窒息死としてはシンナーなど揮発性の高い薬品を容器に入れ、容器と一緒に布団をかぶり窒息死した例(完全自殺マニュアル)、一酸化炭素以外では塩素系の洗剤など家庭用品を混ぜた際に発生する塩素ガスや硫化水素を吸って中毒死する硫化水素自殺などがある。 尚、硫化水素自殺は遺体に緑色の斑点が浮かび上がり、苦しかったであろう表情をしている等、楽とは言えない自殺であり、周辺住民や救助者にも被害が及びかねない。
これらの自殺方法は、首吊りと同じく、酸欠によって脳細胞が破壊されるために、未遂の場合、植物状態や認知症、体の麻痺や感覚異常などの重篤な後遺症を残す可能性が高い[要出典]。[14]
入水は海や川などに身を投げ、窒息死を試みる自殺方法。水中で水が気管に入ると咳こみ、それがさらに大量の水を肺の中にいれ、肺によるガス交換を妨げ、血液中の酸素を低下させることで脳への酸素を断つことにより死亡に至る。したがって肺の中を水で満たされると水死する。
古くからある方法の1つで(古代ギリシアの女性詩人サッポー(サッフォー)も失恋の末に海へ入水したという説がある)ある。
ちなみに、息を止めるようなことはせず、冷たい水の中に入ることで体温を奪われることにより自殺することもあるが、それは「低温」の項で後述する。
未遂に終わった場合、心停止15分以内に処置ができなければ、生き残っても、アダムストークスで他の酸欠による自殺と同様、脳や神経に重い障害が残る可能性が高い。
冬の川や湖など水温の極端に低いところで入水した場合、低体温症により死亡するまでの時間が延びて、他の人に救助される可能性も高くなる。条件がよければ数時間の仮死状態の後殆ど脳にダメージを受けることなく蘇生することもある。ただこのような場合は寒さにより、入水した直後ショック死をすることもあり、一概に言えるものではない。
艦船が沈没する際に艦長船長が船と運命をともにするという事がある(船員法の「船長の最後退船の義務」が拡大解釈されたもの)。氷山と衝突したタイタニック号の例が有名。かつてイギリス海軍やその伝統を受け継いだ旧日本帝国海軍でも広く行われた[15]。
低温によって体温が奪われ、凍死による自殺を試みる方法。 原理は雪山で遭難した人が、寒さにより凍死するのと同じである。
始めた直後の低温による苦痛は避けられないが、それ以降は頭がぼーっとして感覚がなくなり、寒さは感じず眠くなってくるという。そしてその場で眠りに入り、寒さで凍死する。 これは自殺ではなく、同じような状況におかれたが一命を取り留めた遭難者の証言からも裏付けられている。 冬に多い方法で、体温が奪われるまで時間がかかる。
詳細はオーバードーズを参照
精神疾患などの治療を受けている人が、処方された薬を大量服薬して自殺を図ることがある。その際、大量のアルコール飲料を併用していることもある。家族や友人が薬を服用しており(特に三環系抗うつ薬など)、かつ自殺願望やうつ症状を持っていたり、リストカットなどの自傷行為を頻繁に行ったりするような状況の場合、注意が必要である。大量服薬をした場合、服用後の経過時間が比較的短い場合は、胃洗浄を行うのが一般的であるが、服薬量や経過時間、意識状態などによっては胃洗浄を行わないこともある。発見・処置が早ければ後遺症が残らないことも多いが、気道閉塞を伴っていた場合などは死に至ることもある。その他、誤嚥性肺炎、低体温症、肝障害、腎障害、長時間筋を圧迫することによる挫滅症候群などの合併症が生じることもある。
農薬や洗剤などの化学物質、毒物を飲むことで自殺を試みる場合もある。飲んだ物質により死亡する可能性は様々であり、対処法、後遺症も違う。一般に吐かせることが有効だと言われるが、飲んだものが石油系製品や強酸・