臼砲 とは?ページ内リンク ↓ウィキペディア(Wikipedia)記事 ↓Yahoo!知恵袋臼砲(きゅうほう)は曲射砲の一種で、砲身長に対して口径が非常に大きく、肉厚の砲身をもつ砲である。 出典: 『ウィキペディア(Wikipedia)』 臼砲 出典: 『はてなダイアリー』 関連商品
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初期の臼砲は14世紀後半に出現し、石弾を発射して敵の城郭を攻撃した射石砲である。
青銅製で、高射角で短砲身(冶金技術の限界)のため、砲撃精度は良くなく射程も短かったが、当時としては最も大口径の弾丸を発射でき、軽量で機動性が高かった。このころは小銃の射程距離が短かったこともあり、射程距離の短さは他の火器と比較して致命的な問題にはなっていなかった。また、遮蔽物の後ろにいる敵を攻撃したり、砲自身が遮蔽物の後ろに隠れて砲撃することもできた。このころまでの臼砲は全て一体形成の鋳物で出来ていた。そのため、金属を溶かして型に流し込む技術があれば製造可能であり、高度な金属掘削技術とそれを実現する工作機械、金属精製などの高度な冶金技術がなくても製造することが出来る兵器だった。 そのため、カノン砲が実戦配備された後も高性能砲の不足を補う低性能砲という位置づけで生産され続けた。
現代の迫撃砲の祖先ともいえそうな小型の臼砲も多数が製造され実践で使用された。ただの金属や石の塊では歩兵に対して効果が無かったが、ナポレオン戦争の時代になると榴弾が実用化されたことで臼砲は対人兵器としての威力を持つようになった。
重量物の輸送を馬での牽引に頼っていた時代では火砲の重量は馬の制限を受けた、馬が長距離を牽引可能な重量は馬の体重と同じぐらいまでで、1.5トンにもなる12インチ グリボーバル臼砲の牽引には少なくともペルシュロンなどの重馬ですら2頭引き以上を必要とし、通常の馬であれば4頭から6頭引きが必要だった。
明治時代の日本など冶金技術が未熟な国では上質な鋼鉄を必要とするカノン砲を製造することが出来ず、カノン砲が国産化した後でも材料は輸入に頼っていたため、質の低い鉄でも製造可能な臼砲を大量に製造していた。二十八糎砲は日露戦争で威力を発揮して、靖国神社に長く展示されていたことから、戦前の日本ではもっとも親しみのある火砲であった。
第一次世界大戦でも臼砲は利用され、攻城砲として使用されている。このころになると臼砲の役目は要塞の分厚い鉄筋コンクリートを打ち抜く重榴弾のための大型火砲となり、重厚長大化が進み生産数は少なくなった。数十トンにもなる重火砲が運用可能になった背景には軍用トラクター(Artillery tractor)の発達があった、20トンを超える重量物は馬で牽引するのは限界であり、機械による動力無しでは輸送できなかった。 同時期に塹壕戦では手榴弾を遠くへ飛ばすためにライフルグレネードや迫撃砲が使用されるようになり。mortarと呼ばれる火砲は要塞用重砲と歩兵用軽砲の二極化へ進んでいった。
第二次世界大戦で使用された臼砲として最も有名な物に60cm自走臼砲カールがある。設計思想は第一次世界大戦で使用された攻城砲と同じである。
時代が下り、冶金技術が発展すると、射程距離が長く精度も高く軽量な榴弾砲が登場したことで通常の口径の火砲は榴弾砲とカノン砲に置き換わり、臼砲は時代遅れとなった。 しかし、日露戦争、第一次世界大戦、第二次世界大戦では対要塞戦で使用するためにカノン砲などに用いられた技術を利用して超大重量砲弾を発射するための火砲として製造されれ、実戦で使用された。近代的な臼砲は砲尾装填式で砲身の製造方法もカノン砲と同じになり、榴弾砲との区別は曖昧になった。 第二次世界大戦が始まった頃には一部の特殊兵器のみとなり、第二次世界大戦後は榴弾砲や迫撃砲に代わり使われなくなった。そのため現代ではmortarと呼ぶ火砲は迫撃砲を指すようになっている。
臼砲は艦砲としても用いられた。木造小型艦船に少数の臼砲をのせた艦はボムケッチと呼ばれ、対地砲撃に用いられた。のちに砲艦が出現すると、姿を消した。が第二次世界大戦ではモニター艦として復活している。
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